9月11日救急車で病院へ運ばれた時、私の血圧は220だった。
血圧を下げる薬をかってに止めて1年位になっていた。
脳梗塞になって初めて薬を止めたことに後悔した。
幸い軽い脳梗塞ですんだが、
後日、新聞の記事で『t-PA』の事を知り、
もっと早く119番し、病院へ行けばよかったと思った。
そもそも脳梗塞についてもっと知っておくべきだった。
脳梗塞で倒れてから3ケ月たった。
入院中は左手で『グー、チョキ、パー』もできず、
ボールペンさえつかめなかった左指だったが、
今ではリハビリで指に力が入る様になり、
キーボードのボタンも、左指で打てるまでになった。
それと缶コーヒーのフタを、左の人さし指で開けられる。
現在は、血栓を予防し、血行を良くする薬と、
血圧を下げる薬を飲んでいる。
冬は脳卒中が多い季節で「要注意」だ。寒さで血管が収縮し、
血圧が上昇しやすい。
急激な温度変化にも気を付けて、寒い冬の夜の外出は極力控えたい。
左半身が動かないのは本当に辛かった。もう入院はこりごりだ。
(完)
●「脳梗塞」について詳しくはこちら↓
脳梗塞とはどんな病気? - 脳梗塞について教えてください - 右脳と左脳
脳梗塞 - Wikipedia - 脳梗塞と食事〜予防・改善に向けた食事療法
9月25日(退院の日)
朝食後、同室の患者さんに挨拶した後、ナースステーシヨンに行った。
『隣の男性』や看護婦さんが、エレベーターに乗るまで見送ってくれたので、
照れくさかった。
無事退院し、入院生活は終わった。
帰宅してすぐ机に向かって絵を描き始めた。
入院中はベッドの上で、らくがき程度きり描いていなかったから、イラストを
描くのは久しぶりだった。
左指は曲がったまま。紙をおさえるというより、紙の上にのせる程度だった。
描き始めて気が付いた。なんかおかしい。うまく描けないのだ。
右手は何ともないから絵は描けるはずなのに、きちっとした線が思い通りに描
けないのはなぜだろう?
そんな事を思いながらも、描き続けてわかった。
まだ「左手に力が入らないからだろう」とか、左半身の麻痺で「左右のバラン
スがまだうまくとれていないからだろう」等と思った。
「何枚も描いて、バランス感覚を取り戻すきりない」と決めた。
夕方、2週間ぶりにパソコンの電源を入れた。
左指の力がまだ弱いので、キーボードのボタンがうまく打てず、数行の文字を
打つにも時間がかかった。「なんでうまく打てないんだ!」とイライラした。
右指だけで打てば、早く確実に文字が打てたが、これもリハビリだと思って、
なるべく左指も使う様にした。
(その後も、左指のリハビリは、あせらず、気長に続けた)(つづく)
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朝食後、同室の患者さんに挨拶した後、ナースステーシヨンに行った。
『隣の男性』や看護婦さんが、エレベーターに乗るまで見送ってくれたので、
照れくさかった。
無事退院し、入院生活は終わった。
帰宅してすぐ机に向かって絵を描き始めた。
入院中はベッドの上で、らくがき程度きり描いていなかったから、イラストを
描くのは久しぶりだった。
左指は曲がったまま。紙をおさえるというより、紙の上にのせる程度だった。
描き始めて気が付いた。なんかおかしい。うまく描けないのだ。
右手は何ともないから絵は描けるはずなのに、きちっとした線が思い通りに描
けないのはなぜだろう?
そんな事を思いながらも、描き続けてわかった。
まだ「左手に力が入らないからだろう」とか、左半身の麻痺で「左右のバラン
スがまだうまくとれていないからだろう」等と思った。
「何枚も描いて、バランス感覚を取り戻すきりない」と決めた。
夕方、2週間ぶりにパソコンの電源を入れた。
左指の力がまだ弱いので、キーボードのボタンがうまく打てず、数行の文字を
打つにも時間がかかった。「なんでうまく打てないんだ!」とイライラした。
右指だけで打てば、早く確実に文字が打てたが、これもリハビリだと思って、
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9月24日(入院14日目)
午後4時頃、主治医が左手と左足の具合を見に来た。
夕方、「yamacさん、これが最後です」と言って
看護婦さんが点滴を持って来た。
看護婦さんが帰った後ベッドに横たわり、点滴が一滴一滴落ちてくるのを、
しばらく眺めていた。
すると、2週間私に付っきりだった点滴が、今夜で最後だと思うと、
点滴容器を近くで見たくなった。
ベッドの上に立ち上がり、点滴容器を手に取ってじっくり見た。
ふと容器の裏側を見ると『点滴終了・抜針』と油性ペンで書いてあった。
私は思わずにんまりしてしまった。
夜中に点滴の液剤が全てなくなり、看護婦さんが点滴をはずしにやって来た。
そして、右腕に長い間付いていた針を抜いた後言った。
「yamacさん、やっと終わりましたね」
「やっと終わったよ〜」
私は安堵感でいっぱいだった。
ベッドの横にいつもあった、キャスタ−付き点滴棒もなくなった。
右腕には、もう管は付いていない。
これで完全に『ひも付き』でなくなった。
明日は退院、入院生活も終わりだ。私は心地良い眠りについた。(つづく)
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夕方、「yamacさん、これが最後です」と言って
看護婦さんが点滴を持って来た。
看護婦さんが帰った後ベッドに横たわり、点滴が一滴一滴落ちてくるのを、
しばらく眺めていた。
すると、2週間私に付っきりだった点滴が、今夜で最後だと思うと、
点滴容器を近くで見たくなった。
ベッドの上に立ち上がり、点滴容器を手に取ってじっくり見た。
ふと容器の裏側を見ると『点滴終了・抜針』と油性ペンで書いてあった。
私は思わずにんまりしてしまった。
夜中に点滴の液剤が全てなくなり、看護婦さんが点滴をはずしにやって来た。
そして、右腕に長い間付いていた針を抜いた後言った。
「yamacさん、やっと終わりましたね」
「やっと終わったよ〜」
私は安堵感でいっぱいだった。
ベッドの横にいつもあった、キャスタ−付き点滴棒もなくなった。
右腕には、もう管は付いていない。
これで完全に『ひも付き』でなくなった。
明日は退院、入院生活も終わりだ。私は心地良い眠りについた。(つづく)
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9月23日(入院13日目)
「軽い脳梗塞です。入院は2週間ですね」
救急車で病院に運ばれ、診察後医師がいった言葉だ。
そろそろ2週間になるので、数日前から看護婦さんに、
退院できる日を聞いていた。
でも、なかなか返事がこなかった。
午後、ベッドでボールを使って左指のリハビリをしていたら、
看護婦さんが来て嬉しいことを言った。
「yamacさん、25日に退院できますよ」
やっと退院できると思うと、嬉しくてたまらなかった。(つづく)
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救急車で病院に運ばれ、診察後医師がいった言葉だ。
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でも、なかなか返事がこなかった。
午後、ベッドでボールを使って左指のリハビリをしていたら、
看護婦さんが来て嬉しいことを言った。
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やっと退院できると思うと、嬉しくてたまらなかった。(つづく)
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