今朝のこと。
朝ごはんの準備をしていた時、
ふと祖父母のことを思い出しました。
そのきっかけは、
ランチョンマット(木のトレイ)を敷いて、箸置きを置いた時、
「そういえば、おじいちゃんとおばあちゃんは、箸箱を使っていたなぁ」と、
唐突に思い出したのです。
祖父母は、木製の立派な箸箱を使っていました。
テーブルの上に、お茶碗、お皿、湯呑みが並んでいて、
その横に箸箱が置いてありました。
その中から、お箸を取り出していた姿が目に浮かびます。
(祖母が料理をしているのを見たことがない。
いつも誰か、手伝いの人が作っていた。
だからかな、祖父母の食事風景は優雅に見えたのかも)
お弁当でもないのに、箸箱を使うって、
ちょっと、驚きというか、不思議というか、へんな感じだったのです。
その「へん」は、憧れに近いもの。
「いいなぁ」って、記憶に残っているのです。
その箸箱をキッカケに、記憶のカケラが、ボロボロとこぼれ落ちてきました。
ひとつは、祖父が、祖母のことを「神さま」と呼んでいたこと。
おかしいでしょ。(笑)
でも、ホント。
「(祖母は)神さまだから、大事にしなくてはいけない」
って、言ってた。
「神さま」って、祖母を呼ぶ祖父の姿は、優しかったなぁ。
去年の今頃の写真 ↓ です。
手前は、マーブル。
遠くにいるのは、私とパティ。
今のマーブルは、こんな広いスペースがなくても、
(細い農道でも)グングン歩けます。
目が見えないのに、えらいなぁと、思います。
愚痴らず、嘆かず、ネガティヴにもならず、
淡々と生きてる。
私も、老いて身体のどこかが不自由になっても、
愚痴らず、嘆かず、ネガティヴにならず、
淡々と生きていきたいなぁ。
そうなれたら、いいなぁ。