昨日は、伯母のお葬式でした。
長い闘病生活と、高齢ゆえ、どこか穏やかな式でした。
と言っても、
本当に華やかな明るい伯母だったので、
悲しみは、付きまといます。
喪主である従兄弟の挨拶で知ったのですが、
16年前、癌が発覚した時、お腹の中は病巣が広がり、
「余命3ヶ月」と、言われていたということでした。
わたしたちは、それを知らず、お見舞いに行ったりしたのですが、
その後、再び、元気を取り戻し、好きな買い物や旅行にも行っていました。
奇跡のような話です。
その後の癌の再発はなかったのではないかと思います。
喪主の挨拶で、「素敵な母でした。かっこいい母でした。太陽のような母でした。・・・」
という言葉に胸を打たれました。
私の時は、子供たちは何と言ってくれるでしょうか?
「わがままな母でした。自己中な母でした。思うように生きた母でした。」なんて、言われるかな?
でも、願わくば「でも、そんなところが大好きでした」と、言ってもらいたいものです。
こんな時にしか会うこともなくなってしまった親戚にも会えました。
下田にいる従兄弟、秋田にいる従姉妹、
同じ高知県にいながら、会うこともない従兄弟にも。
朝から一日中、忙しかったのですが、
息子が側にいてくれたので、助かりました。
人は順番に老い、順番に世代を譲り、助け、助けられ、人生を終えるのでしょうね。
長い闘病生活と、高齢ゆえ、どこか穏やかな式でした。
と言っても、
本当に華やかな明るい伯母だったので、
悲しみは、付きまといます。
喪主である従兄弟の挨拶で知ったのですが、
16年前、癌が発覚した時、お腹の中は病巣が広がり、
「余命3ヶ月」と、言われていたということでした。
わたしたちは、それを知らず、お見舞いに行ったりしたのですが、
その後、再び、元気を取り戻し、好きな買い物や旅行にも行っていました。
奇跡のような話です。
その後の癌の再発はなかったのではないかと思います。
喪主の挨拶で、「素敵な母でした。かっこいい母でした。太陽のような母でした。・・・」
という言葉に胸を打たれました。
私の時は、子供たちは何と言ってくれるでしょうか?
「わがままな母でした。自己中な母でした。思うように生きた母でした。」なんて、言われるかな?
でも、願わくば「でも、そんなところが大好きでした」と、言ってもらいたいものです。
こんな時にしか会うこともなくなってしまった親戚にも会えました。
下田にいる従兄弟、秋田にいる従姉妹、
同じ高知県にいながら、会うこともない従兄弟にも。
朝から一日中、忙しかったのですが、
息子が側にいてくれたので、助かりました。
人は順番に老い、順番に世代を譲り、助け、助けられ、人生を終えるのでしょうね。