武弘・Takehiroの部屋

われ反省す 故に われ在り

アメリカへのコンプレックス・劣等感

2024年06月30日 14時08分54秒 | 過去の記事

<以下の文は2002年4月に書いたものですが、一部修正して復刻します。>

1) 私がアメリカ人と初めて接触を持ったのは、太平洋戦争直後のことである(昭和20年の秋ごろだったか)。 まだ4歳ぐらいの幼児だった私は、名古屋市内に住んでいた。 日本が戦争に敗れたので、アメリカの進駐軍が大勢 名古屋にも入ってきた。 私の住まいの目の前に、日本銀行の広大な支店長宅があったが、アメリカ軍はすぐにその家を接収してしまった。
 それからというもの毎日、大勢のアメリカ軍人が豪壮な支店長宅に出入りするようになった。 ジープに乗ったアメリカ兵達も、騒々しい声をあげながらよくやってきた。 私ら日本人の子供達が恐る恐る見ていると、彼等は何やら喚きながらやってきて、私達の頭をこずいたり、髪の毛を引っぱたりして笑った。それがアメリカ人との最初の出合いであった。 私は子供心に良い印象を持つことができなかった。
 我々子供達がその大邸宅の周りで遊んでいると、少し上の階級と見られるアメリカ軍人の夫婦が出てきて、我々にアメやキャンディーなどを投げ与えてくれた。 多くの子供達はそれに群がっていったが、私はどうしても貰う気になれなかった。 奥手だったのかもしれないが、子供心に自尊心が強かったのかもしれない。 その夫婦は、まるで犬にエサをやるような感じで、アメなどを投げ与えるのだった。 多分その辺から、私はアメリカにコンプレックスを感じるようになったのだろう。(それと同時に反抗心も?)

2) 幼児期が終わって、小学校に進むと物事が少しは分かってきて、日本が戦争で、アメリカに完全に負けたということが理解できるようになった。 東京裁判(極東国際軍事裁判)で日本の政治家や軍人が絞首刑になったり、なにかというと、GHQのマッカーサー元帥が目につくようになった。
 学校給食にはアメリカのミルクが出てくるし、ペニシリンやストレプトマイシンなどが流出してくる。 日本にはなかったサマータイムが実施されたり、台風がくると、キティとかジェーンと言ったアメリカ女性の名が付けられる。 朝日新聞には「ブロンディ」というアメリカの漫画が登場するし、サンフランシスコ・シールズ(3A)というアメリカの野球チームがやってきて、日本のチームに全勝するといった、全てがアメリカ一色という感じになった。 
 アメリカは強くて大きくて、全ての面で日本より上だという認識が、私達子供の頭の中に叩き込まれていったのだろう。 アメリカには絶対に勝てないという感じになっていた。
 だから唯一 痛快だったのは、昭和24年8月、ロサンゼルスで開かれた全米水上選手権大会に日本の古橋広之進選手らが出場して、驚異的な世界新記録を次々に樹立し、アメリカ選手をこてんぱんに打ち破った時だけだったと思う。

3) 我々日本の子供達に特に大きな印象を与えたのは、やはりアメリカ映画だろう。 ウオルト・ディズニーの映画に始まって、ゲーリー・クーパー、ジョン・ウェイン、エリザベス・テーラー、グレゴリー・ぺック、マリリン・モンロー、ジェームズ・ディーン、オードリー・ヘプバーン、グレース・ケリ-らの名優が、いつも銀幕に登場してきた。 日本の映画も全盛期だったが、華やかなハリウッド映画は素晴らしいものがあった。
 私が高校3年の時、親しくしていた同じ年の女の子が、AFSという奨学金でアメリカの高校に1年間留学した。 彼女からくるエアメールを読んでいると、アメリカの良いことばかりだった。 広大な土地に高速道路が縦横に走り、皆が自家用車を乗り回している。そんなことは、当時の日本では考えられないことだった。 彼女があまりにアメリカを誉めるので、私は羨望と同時にジェラシーを感じた。
 その反動もあったのかもしれないが、1960年の日米安保条約改定反対闘争では、私も全学連の過激な闘いに参加し、国会突入事件で当時のアイゼンハウアー米大統領の訪日を阻止した時は、溜飲が下がる思いをしたものである。

4) 20世紀も終局を迎える頃にソ連邦が崩壊し、アメリカの世界一極支配が確立した。 21世紀に入っても、アメリカの支配はますます強化されているように感じる。 政治、軍事、資源だけにとどまらず、日本が誇りとしていた「経済」の面でも、最近はアメリカに差をつけられてきたようだ。 かつては「ジャパン アズ ナンバーワン」「ライジング サン」などと称賛された日本経済も、今やアメリカの後塵を拝していると言ってよい。
 幼児体験から発して、私にはアメリカにはどうしても勝てないという先入観があるようだ。 平和主義国家である日本が、軍事面ではもちろんアメリカに勝てるわけではないが、その他の分野でも勝てないという感じがしてしまうのだ。 それは単なる偏見かもしれないが、最近のいろいろな事を見ていると、今や精神面でも、アメリカに大きく差をつけられているように思えてならない。 
 それは、戦前のような「精神一到、何事か成らざらん」といったものでなく、自覚とか自負という面で、アメリカに大きく負けているような気がしてならない。 要するに、日本全体が惰弱で“事なかれ主義”に陥ってしまったように感じるのだ。 そういった面でも、私はアメリカにコンプレックスを感じる。
 しかし、アメリカには世界国家としての自負がある一方で、独善的で一国主義的な面もある。 そこがアメリカの弱点である。そこが往々にして世界各国から非難される由縁である。
 日本はアジア・太平洋地域において、アメリカにとって掛け替えのない重要なパートナーであることは間違いない。 その点はもっと自信を持っていいはずだ。 中国や朝鮮半島、東南アジア諸国等との関係で、日本はもっとリーダーシップを発揮していいはずだ。 そうなっていけば、私のアメリカへのコンプレックスも、少しは柔らぐだろうと思っている。(2002年4月11日)


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