武弘・Takehiroの部屋

われ反省す 故に われ在り

青春の苦しみ(1)

2024年08月14日 04時05分46秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』
 第2部 1)安らぎ  三学期の期末試験が目前に迫ってきたが、行雄はほとんど講義を聴いていなかったので、不安ばかりが募った。 最初の試験の前日になって教材に目を通してみたが、内容が良く理解できないので、苛立ちが高じてくるばかりである。  学生運動だけにのめり込んでいたのだから、仕方がないと半ば諦めたが、どうにでもなれ、なるようになれと思った途端、気持が少し楽になってきた。 どんな出 . . . 本文を読む
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歴史に見るマスコミの正体

2024年08月14日 04時04分08秒 | メディア
<以下の記事を復刻します。> マスコミ出身の私がマスコミの“悪口”を言うのは少し気が引けるが、これも日本国民のためにと思えば、何らおかしくはないだろう。 実は高校生の頃に読んだら、とても面白かったので忘れられない話がある。いま手元に詳しい資料はないが、ほぼ覚えているので紹介したい。歴史の事実から、マスコミの正体というものが分かるだろう。 時は1814年。ナポレオ . . . 本文を読む
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イエス・キリストと「山上の垂訓」

2024年08月14日 04時01分47秒 | 思想・哲学・宗教
<以下の記事は2002年4月6日に書いたものです。一部修正> 山上の垂訓(C・H・ブロッホ作) 1) 私はクリスチャンではないので、キリスト教のことはよく知らない。 しかし、「山上の垂訓」といわれるイエス・キリストの言葉(教え)は知っている。 この言葉は、人類が発する言葉の中では、二度と現われることのない高貴なものであろう。 人類が滅亡するまでに、このような言葉は決して現われないだろう。そ . . . 本文を読む
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『クワイ河マーチ(戦場にかける橋)』

2024年08月14日 03時59分09秒 | 映画・芸能・音楽
<2021年4月4日に書いた以下の記事を復刻します。> 昨夜、TBSテレビを見たら、泰緬(たいめん)鉄道の話を放送していた。これは第2次大戦中に日本軍がタイとミャンマー(旧ビルマ)の間に鉄道を敷設する話だが、多くの外国人捕虜が過酷な労働の末に亡くなった。このため戦後、捕虜虐待の罪でB・C級戦犯が裁かれるドキュメンタリーだった。しかし、1957年になって、これがイギリス・アメリカの合作映画『戦場に . . . 本文を読む
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<まとめ> 青春流転 

2024年08月14日 03時56分33秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』
過去の小説をまとめる必要が出てきたので、この場を借ります。ご了承ください。 早稲田大学のキャンパス http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/0a92fcbf70cde312f68d5e282d742bc8http://blog.goo.ne.jp/yajimatakehiro/e/564060ae124cff08c99eda50356f1cf0http . . . 本文を読む
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青春流転(17・第1部完)

2024年08月14日 03時55分38秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』
 彼は精神的にも肉体的にも疲れ切っていたが、その日の午後、渋谷の東急プラネタリウムに出かけた。(その当時、ここは最新の天文博物館として人気を集めていた。) プラネタリウムに着くと、小学生のグループが教師に引率されて見学に来ていた。大勢の小学生の中に、青白い顔をしてやつれ切った行雄がいるのは、なんとも異様な光景だったかもしれない。  しかし、彼はそんなことには構っていられなかった。小学生と一緒に天 . . . 本文を読む
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青春流転(16)

2024年08月14日 03時53分19秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』
13)死から生へ  一九六一年の元旦は、行雄にとってこの上もなく暗いうつろな幕開けとなった。 彼は家族ともろくに口もきかず、ほとんど部屋に閉じこもって物思いに沈んでいた。時の流れが、これほど長く切ないものに感じられたことはなかった。 全ての苦悩が、なんの仮借もなく彼の心を蝕んでいくようである。  唯一の喜びは、森戸敦子から“ありきたり”の年賀状が届いたことだった。 それ . . . 本文を読む
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青春流転(15)

2024年08月14日 03時52分14秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』
12)挫折  文学部自治会での主流派の敗退、池田内閣打倒デモの末期的な衰退と、行雄にとっては周りの学生運動が何もかも上手くいっていなかった。 アナーキズムに賛同してくれる学生も皆無と言ってよかった。 左膝の負傷はその後回復してきたが、痛みはなお残っていたので、歩く時に気になって仕方がなかった。 加えて、彼は時たましか家に帰らず、クラスメートのアパートに泊まり込んだりしていたため、家族との交流も途 . . . 本文を読む
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青春流転(14)

2024年08月14日 03時50分41秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』
 淺沼委員長を刺殺した少年が十七歳だと分かると、行雄はますます敗北感に似たものを感じた。 十九歳の自分は行動力でも情熱や度胸でも、年下の者にはよもや負けないと思っていたから、なおさらショックだった。 しかし、笹塚が言うように、テロだけでは革命運動を成就することはできないことも分かっていた。  淺沼刺殺事件の後、全学連は直ちに抗議集会とデモを行なったが、集まった学生はわずかに三百人程度だった。&l . . . 本文を読む
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青春流転(13)

2024年08月14日 03時49分58秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』
11)暗雲  九月。行雄は大いなる希望を持ってこの月を迎えた。 夏休みを自分の故郷などで過ごした学生達が再び大学に姿を現わし、キャンパスに活気が蘇った。 そんなある日、大川勇が警官隊の警棒で殴られ、相当な重傷を負ったという情報が耳に入った。  大川は三井三池炭鉱の労働争議を支援するため、七月末から福岡県の大牟田市に行っていたが、警官隊と衝突した際に警棒で頭皮を割られ、鼻硬骨を砕かれたというので . . . 本文を読む
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青春流転(12)

2024年08月14日 03時49分05秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』
10)アナーキズム  六月二三日。 日米新安保条約が、両国の批准書交換によって発効した。同じその日、岸信介首相も臨時閣議で「人心を一新し、政局を転換するため」退陣の決意を表明した。 これを機に、史上空前の規模で行なわれた安保反対闘争は、ようやく収束されていくのである。  七月に入ると初旬に、全学連の第十六回全国大会が東京で開かれたが、日共系の反主流派は大会をボイコットし、独自に全自連(全国自治 . . . 本文を読む
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青春流転(11)

2024年08月14日 03時48分21秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』
「四機(よんき)にやられた!」「だいぶ、ケガ人が出てるぞ!」「もう一度、スクラムを組み直せ!」学生達のわめき声が広がる。 いつの間にか、けたたましいサイレンの音とともに、救急車がひっきりなしに駆けつけてきた。 前方のデモ隊から多数の負傷者が出ていたのだ。  四機とは第四機動隊のことで、警視庁の中で最も勇猛な部隊であり、常づね学生達から“鬼の四機”と恐れられていたが、その三 . . . 本文を読む
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青春流転(10)

2024年08月14日 03時47分07秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』
9)国会突入  笹塚らと議論した翌日、行雄は早速、大川に会ってアナーキズムについて問題提起をしてみた。 彼は行雄の話しを一通り聞いた後で、次のように語った。「村上君、笹塚は理想論ばかりを言っているんだよ。悪いけど、プチブルのたわ言だね。 それより、僕らはマルクス主義について、まだ完全に熟知していない。  マルキシズムを十分に理解していない者が、どうしてアナーキズムを云々することができるだろうか . . . 本文を読む
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青春流転(9)

2024年08月14日 03時46分19秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』
そんなある日、行雄の一年先輩で、大学の国文科に籍を置く笹塚健一が「君とぜひ話しをしたい」と誘ってきた。 笹塚も全学連の運動に参加していたから、行雄は高等学院の頃から彼とは顔見知りだった。  笹塚はこれまで二、三度、話しをしたいと誘ってきたことがあるが、行雄は気乗りがせず、多忙を理由にして断ってきた。彼との話し合いが嫌だったのである。 本当の理由は、笹塚の評判がマル学同の中で芳しいものでなかったか . . . 本文を読む
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青春流転(8)

2024年08月14日 03時45分32秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』
8)安保闘争  一九六〇年の元旦を迎えた時、行雄は、この年が自分にとって計り知れないほど、意義深い年になるだろうと予感した。 満十八歳になっていた彼は、大いなる希望と期待感に満ちあふれていた。  日米安保条約改定については、これを粉砕できるかどうか自信はなかった。 しかし、今後盛り上がっていくであろう安保闘争を通じて、全学連をはじめ自分達の進めている運動が、必ず大きく広がっていくという自信はあ . . . 本文を読む
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