武弘・Takehiroの部屋

日一日の命
人生は 成るようになってきたし、これからも 成るようにしかならない

たかが野球、されど野球

2024年08月09日 14時06分59秒 | スポーツ

<2004年6月18日に書いた以下の記事を復刻します>

イチロー選手

1) 3年ほど前のことだが、私が60歳の定年退職で会社を辞めた時、家に引きこもってもする事がなくヒマを持て余していた。 その時、ただ一つ“救い”となったのが、テレビの大リーグ中継を見ることである。

 ちょうど、イチロー選手が「シアトル マリナーズ」に入団して大活躍をしていた時だった。 NHKの衛星放送はほとんど毎朝、マリナーズの試合を実況中継していた。“ほとんど毎朝”というのは、大リーグでは17連戦とか、23連戦というのが当り前のように行なわれるからである。

 日本のプロ野球は大部分が3連戦で、たまに6連戦ぐらいが行なわれる程度だ。 23連戦ともなると、大リーグの物凄さを実感せざるを得なかった。お陰で午前中は、イチロー選手の活躍ぶりを楽しみながら、ほとんど飽きもせず過ごすことができた。

 はっきり言えることは、あの頃の自分ほど、大リーグ中継を欠かさず見た者は他にあまりいないだろうということだ。 イチロー選手の一挙手一投足に釘付けとなり、彼の華麗な打撃、守備、走塁などに魅了されたのである。

 ちなみに、3年前のこの年、イチロー選手は242本のヒットを放ち打率3割5分、アメリカンリーグの首位打者となり、他に盗塁王も獲得、新人王だけでなくリーグのMVP(最優秀選手)にも輝き、日本人選手の意地を見せてくれた。 

2) 大リーグ中継の素晴らしさで、定年退職後の“憂さ”を晴らした私だが、野球にはどういう魅力があるのだろうか? しかし、その点をいちいち詮索していったら切りがない。 はっきり言えることは、私達の年代の男は物心が付いた頃、そこに“野球”があったのである。

 近所のお兄ちゃんや小学校の上級生が、ボールを投げたりバットを振り回していた。われわれ男児は自然に野球の輪に入っていった。 日が暮れて、ほとんど何も見えなくなったのに、草むらに隠れてしまったボールを、どれほど探し回ったことだろうか。

 晴れの日も雨の日も、上級生が打ったボールを追いかけた日々・・・そうした思い出が甦ってくる。あの頃、小学児童には野球があったのだ。 いつの日か、川上や大下のような大打者になりたいと夢見た日々が、われわれにはあったのである。

 小学生の頃、私達は川上や大下らのスター選手に年賀状を書いて出した。たまに或る選手から返事が来ると、大はしゃぎしてそれを“宝物”とした。 50年以上も前のあの頃は、プロ野球(職業野球とも言ったが)とその選手達が、私達の“憧れ”の的だったのである。

 従って、野球の魅力をここで詮索するつもりはない。魅力以前の話しだ。 なぜなら、野球そのものが、私達が物心が付いた頃に、すでに生活の一部であったし、身体と心の一部になっていたからだ。

3) 最近、野球界に大きなニュースが駆け巡った。 パシフィックリーグの大阪近鉄バファローズと、オリックスブルーウェーブが合併するというのである。 これでは、パ・リーグはもう終りだという見方や、1リーグ制に移行した方がすっきりするといった意見等が出ている。

 パ・リーグがどうなるかは別として、日本のプロ野球が曲り角に来ていることは間違いない。 われわれが子供の頃、メジャーのスポーツと言えば野球と大相撲ぐらいであった。しかし、今は価値観の多様性がスポーツの世界にも定着し、様々な競技がスポットライトを浴びている。

 特にサッカーは、Jリーグの発足以来、多くの人達を魅了しサポーターを増やしてきた。 私も以前、チケットをもらったので、清水エスパルスの試合を見に行ったことがあるが、実にスピード感があり、ボールが絶えず動き回るので飽きることがない。

 それに比べると、昨今のプロ野球はやたらに時間がかかることがあり、1試合4時間以上というのも稀(まれ)ではない。 こうなると、見ていて“だらけて”しまうことがあり、点差が大きいと、試合の途中で退席することもある。

 野球の特性から言って、やむを得ない面もあるが、スピード感の欠如というのがどうも気になってくる。 パ・リーグはもとより、セ・リーグの巨人戦のテレビ視聴率も、最近は芳しくない。以前のように20%を超えることは、ほとんどないのだ。 サッカーを始め、他のスポーツの影響もあるだろうが、野球自体が飽きられてきたような気がする。

4) しかし、大リーグ中継が“ヒマな老人”を癒したように、日本のプロ野球も捨てたものではないはずだ。活性化の余地があるはずだ。 例えば、セ・パ両リーグの交流試合をなぜやらないのか。アメリカではインターリーグが盛んに行なわれているのに、日本では皆無だ。

 セ・リーグの各球団が、巨人戦をパ・リーグの球団に、少しでも持っていかれるのが嫌なのだろうか。 もし、そうであるなら、目先の利益だけを追求して、プロ野球全体の利益や魅力を損なう恐れがある。 いっそのこと、1リーグ制にした方がすっきりするだろう。

 ドラフトのあり方にもいろいろ問題があろうが、要は、野球を愛する人達に飽きられたら、もうお終いということだ。ファンあっての野球である。 大リーグが日本の茶の間に押し寄せてきたことは、野球界にとって、大げさに言えば“黒船の襲来”と同じである。 それは危機であると同時に、起死回生、回天のチャンスでもある。 

 夏の高校野球の地方大会も始まる。球児達の夏がやって来た。 白球を追って高校生が汗にまみれる。昔から見てきた光景だ。 日本の野球ファンは、まだまだ裾野が広いはずである。高校野球の清々しさは、まだ残っているだろう。 

 その球児達に捧げる言葉はないが、私達が子供の頃(半世紀も前になるが)、爽やかな歌声が流れていたことを思い出す。 せめて最後に、それを球児達に捧げて、野球の隆盛と繁栄を祈りたい。

「野球小僧に 逢ったかい 男らしくて 純情で  燃えるあこがれ グランドで じっと見てたよ 背番号  僕のようだね 君のよう オオ マイ・ボーイ  ほがらかな ほがらかな 野球小僧」(『野球小僧』 佐伯孝夫作詞 佐々木俊一作曲 歌手・灰田勝彦) 《2004年6月18日》

https://www.youtube.com/watch?v=cP6Be3reJhM


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