武弘・Takehiroの部屋

万物は流転する 日一日の命
“生涯一記者”は あらゆる分野で 真実を追求する

青春の苦しみ(8)

2024年03月30日 04時33分13秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』

10) 1周年

 行雄が歌舞伎研究会に入ってから半月ほど経った日曜日、浦和の自宅に森戸敦子の母である敏子が訪ねてきた。 埼玉県・川口市の知人に用があったついでに立ち寄ったものだが、彼女は村上家を久しぶりに訪れたこともあって、行雄の父や母と歓談していった。

 敏子は最近の森戸家の写真も持ってきたが、特に娘の敦子のものを見せたかったらしい。同席した行雄が驚いたのは、敦子が大学の先輩とすでに婚約しており、その記念写真などを見せてくれたことだ。 敦子と先輩のO氏は、翌年の3月に国際基督教大学のチャペルで結婚式を挙げることになっているという。

 二人が写っているカラー写真を見ると、O氏は背が高くてスポーツマンタイプだが理知的な感じのする好青年で、隣にいる敦子は花のような美しい笑顔を浮かべている。 父の国義が「敦子ちゃんはまだ大学生だというのに、もう結婚するの?」と聞くと、敏子は「そうなんですよ。まだ早いと思うのですが、あちら様が急いで入籍してほしいと言うものですから」と答えた。

 敏子の話しによると、O氏の両親、特に母親が敦子のことを大変気に入っており、実際の新婚生活は2年後でも良いから、婚姻届けは早めに済ませたいのだという。そして、アメリカなどでは“学生結婚”が当り前になっていると付け加えた。 母の久乃が「こんなに立派な方と、敦子ちゃんが結婚するなんて本当に幸せですね」と言うと、敏子は満面に笑みを浮かべた。

 国義と久乃が祝意を表わしたので、もともと快活で口数の多い敏子はいっそう饒舌になっていった。彼女の話しによると、O氏は翌春大学を卒業するが、すでに大手出版のI社に就職が内定しており、非常に優秀なので前途洋々たる道のりが期待されているというのだ。

 敏子はさらに「向うのお母様が、敦子の“頭”が欲しいのですって」と言った。つまり、O家の将来のため、敦子の知性や能力が欲しいということだ。 行雄は成程と思った。敦子は彼が羨むほど知的で賢く、しかも謙虚で芯の強いところがある。そこにO氏の母も惚れたのだろう。

 それよりも大学生で結婚するとは、敦子がO氏と熱烈で強い愛情で結ばれていることを窺わせる。行雄も素直にお祝いの気持を敏子に伝えたが、敦子の場合と違って、自分は百合子とどうして上手くいかないのだろうかと、憂うつな気分になっていた。

 敏子は国義夫妻と「名古屋時代」の思い出話しに花を咲かせたあと帰っていった。 O氏と並んで、喜びに満ち溢れた美しい笑顔を見せる敦子・・・写真の残像が行雄の脳裏にこびりついて離れない。彼女への祝意の気持と同時に一抹の寂しさを感じざるを得なかった。

 かつてあれほど憧れ愛していたはずの敦子が、自分とはまったく無縁の好青年のところに嫁いでいくのが素晴らしいことでもあり、同時に残念なことにも思えてならないのだ。敦子の幻影が百合子のそれに移っていく。 自分にはいま百合子しかいない。彼女と共に幸せにならなければならないと行雄は思うのだが、前途はまったく見通しが立っていないのが現状だった。

 百合子と一緒にいる時間を増やそうと、初めは“不純”な動機で歌舞伎研究会に入った行雄だったが、サークル活動に参加しているうちに、次第に歌舞伎そのものに関心が深まるようになった。毎月一回ほど歌舞伎の公演を団体で見る機会があり、劇場最後部の「大向う」から芝居を楽しんだ。(学生は金がないので、良い席からは見られない! 割安の団体観劇というものだ。)

 彼が最も魅せられたのは色彩の豊かさ、艶やかさだった。舞台も役者も衣裳も幕も、全て艶やかなのである。 貧しく悲しい物語の出し物でも、不思議に艶やかさを感じる。だから、歌舞伎を見ていると行雄はいつも“うっとり”としてしまうのだ。全体にスローテンポなのが、ますます“うっとり”とさせるのだろうか。

 ある晩、最も遅い演目の時、最後部の座席が空いていた。今日は立ち見ではないので、歌舞研の学生達は喜んで席に座った。 出し物は何だったのか行雄は覚えていないが、彼が座った席は百合子のいる所から三列ほど後ろだった。

 あれは何だったのか、「いがみの権太」だったろうか・・・それは忘れたが、行雄はいつものように陶然として芝居を見ていた。前にいる百合子が背筋を真直ぐにして芝居を見ている。 行雄は芝居を見ながら百合子の後ろ姿を眺めていた。そのうちに、彼は彼女と“一体”になっていくような感じがした。行雄と百合子は同じ方向を同じように一緒に見ているのだ。

 その時、行雄は微かな幸せを感じた。それは純粋な喜びであった。俺は彼女と同一のものを分け合っている。その実感が湧いてきて幸せを感じたのだ。 その晩、行雄は歌舞伎研究会に入って初めて良かったと思った。今度は百合子と二人だけで歌舞伎を見にいくか、あるいは荻窪の彼女の家を初めて訪れようかと“戦略”を思い巡らせるのだった。 百合子と歌舞伎を一緒に見た幸福感から、行雄はようやく希望を取り戻したかに見え、今度は気後れすることなく彼女に言い寄ろうと思った。

 

 それから数日して、行雄は歌舞伎研究会の定例の会合に出席した。 秋の早稲田祭が近づいてきたので、歌舞研の活動目標をどうするか幹事を中心に打ち合わせが行なわれ、皆がいろいろと意見を出し合った。その時、百合子が非常に積極的に数々の提案を行なったが、彼女が人前でこれほど多弁に振る舞う姿を見るのは初めてであった。

 行雄は半ば感心して聞き入っていたが、得意気に話しをする百合子は絶えず微笑をたたえ、極めて艶やかな生めかしい雰囲気を醸し出していた。 もっとも、そう受け止めたのは行雄だけだったかもしれない。なにしろ、彼は特別な感情で百合子に見とれていたのだから・・・女の“フェロモン”が発散されているように感じたのだろう。

 会合が終ると、夜の8時を過ぎていた。学生達は三々五々別れたが、行雄は吸い寄せられるように百合子の跡をつけていった。彼女はゆっくりと歩きながら学バスの停留所の方へ向う。 しかし、百合子に近づこうにも、暗闇の中の彼女の妖艶な姿態に“不気味”なものを感じて、行雄は声をかけることができなかった。

  翌日の午後、仏文科の授業が終った後、行雄が教室を出ると百合子が廊下で堀込恵子と何やら話しをしていた。 今日こそ気後れしてはならない、白昼堂々と言い寄ろうと思い、行雄はつかつかと彼女に近づくと声をかけた。「やあ、中野さん、こんど君の家に遊びに行ってもいいですか?」 すると、百合子は不意を衝かれたかのように驚いた表情を見せ、反射的に「困ります!」と叫んだ。

 三人の間に気まずい雰囲気が流れた。 小柄で眼鏡をかけた利発な堀込も、バツの悪そうな顔をしている。百合子は無愛想な表情を崩していない。それ以上次の言葉が見つからない行雄は「そう・・・ごめん」と言っただけで、顔をぷいと横に背けるとその場を離れた。

 畜生・・・いつもこうなんだ、どうして上手くいかないのだろうか。自分は歌舞伎研究会に入ってまで百合子の跡を追いかけているというのに、どうしてこんなに惨めな結果に終るのだろうか。 俺の言い方が唐突で不しつけだからだろうか。そうかもしれない。そうかもしれないが、いざと言う時になると、どうして百合子は俺に冷たい仕打ちをするのだろうか。

 行雄はあれこれ思い悩みながら帰宅した。悔しい、情けないという気持で一杯だった。 彼はベッドに寝ころがると、モーツァルトのレコードを片っ端から聞いていった。音楽を聞けば少しは気持が和らぐだろうと思ったからだ。 しかし、そんなことをしても彼の悩みは一向に消えない。ますます悲しく“やるせない”気持になっていった。

 俺と百合子との関係は、どうしてこんなに“ぎくしゃく”するのだろうか。 上手く行きそうだなと思うとつまずく。希望を持ったとたんに失望する。喜び勇んで進むと、悲しみのどん底に突き落とされる。なんと因果な関係なのだろうか。なんと不幸な巡り合わせだろうか。行雄は百合子との関係を呪わしく思った。

  行雄が憂うつな気持で過ごしていたある日のこと、徳田誠一郎が例の中山教授の講義の後、ある相談を持ちかけてきた。「村上君、お願いがあるのだが、中学生2年生の家庭教師のアルバイトを代ってもらえないだろうか。 実はバイト先が増えすぎて手に余っているんだ。なんとかならないだろうか」徳田が丁重に頼んできた。

 事情を聞くと、つい最近、フランスの製品を扱っている某商社が、日本国内での販売を促進するため大キャンペーンを実施することになったが、人手が足りないのでフランス語が分かるアルバイトを募集しているというのだ。徳田の話しによると、バイト料は相当に高そうだった。実入りも良くなるし、フランス製品にも通暁するので彼は非常に乗り気になっているが、大変忙しくなるため、週2回の家庭教師のバイトが邪魔になってきたという。

 行雄は苦笑したが、百合子のことで“もやもや”した毎日を送っているだけに、アルバイトをすれば気分転換にもなるし、初めてバイト料金を手にすることができる。 徳田も困っているし、中学生を週2回教えて毎月5千円の報酬なら悪くないと思い、彼の申し入れを受けることにした。

 数日後、行雄は徳田に連れられて東京・田端に住む国鉄職員Sさんの家を訪れ、女子中学生とその家族を紹介された。 彼は毎週月曜と木曜に家庭教師を務めることになり、Sさん一家と暫く雑談したあと帰宅した。田端は庶民的な雰囲気の街なので行雄は親しみを感じた。後年、彼が社会に出てから田端でアパート住まいをしたことがあるが、それもこの時の印象が良かったのが理由である。

 家庭教師を始めてから気が紛れたのか、それとも少し自信がついたのか、行雄は百合子との“まずい”関係について暫くはあまり気にならなくなった。 どうせ世の中は「成るようになるさ」という気楽な心境にもなり、よく見れば百合子なんか“お多福”や“お亀”みたいな顔をしているじゃないか、あんな女のどこが良いのかと、心の中で盛んに彼女をこき下ろすようになった。 それは美味しいブドウを食べそこなった狐が、悔しがって「あれは酸っぱいブドウだ」と負け惜しみを言う、イソップ物語の寓話によく似ていた。

 

 そうした日々を送っているうちに、世界は途方もない危機を迎えることになった。 10月22日、アメリカのケネディ大統領はテレビ・ラジオを通じて、ソ連の核ミサイルがキューバに配備されており、アメリカは今後、武器を運ぶ船舶がキューバに入ることを交通遮断(海上封鎖)すると、異例の緊急発表を行なった。 この時、ミサイルや武器を積んだソ連船が続々とキューバに向っており、海上封鎖をするアメリカ海軍・空軍と衝突した場合、米ソ両国は戦争も辞さないという強硬な構えを示した。 

 この危機的な状況の中で事態を更に悪化させたのは、10月27日、キューバ上空を偵察飛行していたアメリカ軍の偵察機が、ソ連軍の地対空ミサイルによって撃墜されたことである。 一方、ミサイル等を積んだソ連船は、アメリカが設けた海上封鎖ラインにどんどん近づいていった。一触即発の事態である。米ソ両国は全面核戦争に突入するのか!? 世界中が固唾を呑んだ。いわゆる「キューバ危機」の発生である。

 核戦争の危機が到来し、緊張が高まる中で、恐怖に脅えたのは米ソ両国民だけではなかった。(アメリカでは全土で、核シェルターに避難するため食糧の備蓄が始まっていた。) 数多くのアメリカ軍基地がある日本も、もし米ソ間で核戦争が起きれば当然、巻き込まれる恐れがある。 ソ連のフルシチョフ首相はかつて「日本などは、何発かの水爆で“蒸発”させてしまうことができる」と言明したことがある。その言明が現実のものとなるのか? この時、多くの日本人も恐怖に脅えたのである。

 10月末のある朝、行雄は高田馬場駅横のバス停で学バスを待っていると、何列も連なる学生達の中に背の高い百合子の姿を認めた。彼女は行雄の姿には気付いていない様子だったが、凛としたその姿と白い顔立が妙に引き立って見えるのである。行雄は百合子を凝視していた。

 核戦争の危機が切迫しているせいか、その日の百合子はこれまでになく美しく、そして“愛おしく”見えるのである。 日本が核戦争に巻き込まれたら、その時こそ俺は彼女の元に飛んでいくだろう。フルシチョフが言うように日本が壊滅する日が来たら、その時こそ俺は有無を言わせず彼女を抱き締めるだろう。

 つい先日まで、百合子のことを“お多福”“お亀”などとこき下ろしていたくせに、行雄は今や最も神聖で純粋な気持から彼女を愛することができると思った。 日本が壊滅する時、人々が死滅する時、俺は百合子に永遠の愛を誓い、彼女の胸の中で死を迎えよう。それは何と美しく神々しいことだろうか。 人間の精神は戦争や破局など絶体絶命の危機を迎えると、こうも純化されるのだろうか・・・行雄は夢想に浸りながらそう考えていた。

 しかし、それから暫くして事態は劇的な展開を見せた。アメリカの海上封鎖ラインに到達したソ連船は臨検を受けた後、米軍の戦艦などに伴われて引き返していったのである。それとほぼ同時に、ソ連政府はキューバからの「武器の撤去」を正式に表明し、アメリカもキューバを攻撃しないことを確約した。 危機は去ったのである。世界中が安堵した。

 その直後、行雄は橋本敏夫の下宿先に遊びに行ったが、彼も明るい笑顔を浮かべて「核戦争が起きなくて良かったな」と言う。行雄も「本当に良かった」と答えるだけだった。「キューバ危機」はそれほど多くの日本人をも不安に陥れていたわけで、危機が終息して誰もが胸を撫で下ろす状況だった。

 

 間もなく、11月7日がやって来た。1年前、行雄がバスの中で百合子の姿態を認め衝撃を受けた日である。 45年前のその日に起きたロシア革命が、その後の国際共産主義運動に計り知れない影響を与えたように、1年前の百合子から受けた衝撃は、その後の行雄の生き方に甚大な影響を及ぼしたのである。

 もとより、全世界を震撼させた革命と、一個人を戦慄させた衝撃とでは比較のしようがない。しかし、行雄にとっては、ロシア革命の歴史的な意義以上に、百合子から受けた戦慄的な影響の方が重大な意味を持っていたのである。

 1年前、バスの中で彼女に出会わなかったら、自分の人生はどうなっていただろうか。あの衝撃的な出会いがなかったなら、心穏やかな日々を送っていられただろうか。 運命の悪戯というのは、あのような出来事を言うのだろうか・・・行雄はあれこれと思いを巡らせた。

 もしあの日がなかったとしても、自分はいずれ百合子の魅力に翻弄されるようになっていたかもしれない。しかし、それはまったく“仮定”の話しだ。 世界の歴史に「もしも」という仮説が成り立たないように、個人の歴史にも仮説は不要である。

 1年前のあの日から自分の運命は変ってしまったのだ。百合子なしには全てのことが考えられなくなった。それだけが真実であり、それだけが自分の歴史なのだ。 彼女の存在自体が自分の全てになってしまったのだと、行雄は考えるしかなかなかった。

 当初、百合子に対する彼の想いは、純粋で清らかで神聖なものであったはずだ。 しかし、その後、汚れのない恋慕の情は次第に不純な欲情と化していったのではないか。至高至純の愛が、なぜ野獣のような性欲に変質していったのか。 百合子の姿態を見るたびに、俺は彼女の肉体に過敏に反応するようになり、恐れ戦くようになったのではないか。その恐怖が根底にあるから、ちょっとしたことで俺は暴発し、彼女に絶交状を叩き付けたりしたのではないか。

 俺は逆上し、百合子を「呪い殺す」とまで言った。凶暴で残酷で野蛮なあの手紙は、この恋が“偽り”のものであり、決して実らないのだということを暴露したようなものだ。 しかし、その後も俺は彼女の跡を追い続けた。入る必要もない歌舞伎研究会にまで入会し、ストーカーのように彼女にまとわり付いている。一体、これは何だと言うのだ! この1年間の己れの苦悩と変貌に、行雄は愕然とする思いを新たにするのだった。


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