武弘・Takehiroの部屋

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秋瑾(しゅうきん)・・・中国で最も魅力的な女性

2024年04月16日 03時37分58秒 | 歴史

<以下の記事を復刻します。>

『秋瑾~競雄女侠~』という映画(DVD)を観たが、これは中国の清朝末期の女性革命家・秋瑾(しゅうきん)の物語である。やたらに“カンフーシーン”が多いのを除けば、史実に忠実な映画なのだろう。秋瑾については、有名な「秋風秋雨 人を愁殺す」という最期の詩ぐらいしか知らなかったが、今度初めて、彼女の人となりや人生が分かり満足している。
良家の子女に生まれた秋瑾は大金持ちと結婚し、2人の子供にも恵まれ幸せな前半生を送る。しかし、19世紀から20世紀にかけての清朝は、外国の侵攻を受けて苦難の連続だった。また、どこの国もそうだったろうが、中国でも男尊女卑、女性差別が非常に根強かった。纏足(てんそく)などの風習がそうである。
これらの矛盾に我慢できなくなった秋瑾はついに出奔を決意し、単身で日本へ渡る。当時の日本は近代化が進み、女性の高等教育にも熱心な風潮があった。そう言うと信じられないかもしれないが、当時も日本は間違いなくアジアの“先進国”だったのである。だから、中国の革命家や亡命者、留学生が後を絶たなかった。有名な孫文をはじめ黄興、魯迅、蒋介石、周恩来らはみな日本で青雲の志を育てたのである。
秋瑾もその一人だったが、やがて母国の窮状を見かねて帰国する。彼女は腐りきった清朝を倒そうと武装蜂起をくわだてるが、同僚の徐錫麟(じょしゃくりん)が先に決起、それに連座して逮捕される。激しい拷問を受けたあと、彼女は反逆罪で処刑(斬首)された。時に1907年7月、秋瑾31歳の若さであった。
彼女が夢見た革命はそれから4年後、1911年に起きる。かの辛亥(しんがい)革命であり、秋瑾はその“さきがけ”になったのである。これが秋瑾のおおざっぱな一生だが、歴史というのは、往々にしてこのような女性を生むものだ。
貧しい民衆の群れを放っておけず、自らの裕福な生活と幸福な家庭を捨てた女。お転婆で跳ねっ返り、じゃじゃ馬と言われようとも、自らの信念を貫いた女。こういう女性が時々現れるものだ。
秋瑾は無名でも、幸せな人生を送った方が良かっただろう。しかし、彼女はその悲惨な運命によって不朽の名を留めた。それは彼女にとって不幸ではあったが、本望だったかもしれない。秋瑾~競雄女侠~。中国史上、最も魅力的な女性の一人である。

秋瑾(ウィキペディア)・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E7%91%BE

映画『秋瑾』・・・http://www.youtube.com/watch?v=CXDjamYeG84


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