武弘・Takehiroの部屋

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ロマン・ロラン

2024年07月14日 13時25分05秒 | 偉大な作家、人物

<以下の文を復刻します。>

1) 20世紀で最も偉大な文学者を挙げろと言われれば、私はロマン・ロランを挙げるだろう。「ジャン・クリストフ」などの文学作品のみならず、20世紀前半の世界に及ぼした彼の存在の影響は計り知れない。 その人類愛、ヒューマニズムと共に、彼の人格の高潔さは、正にその当時の世界の“良心”であった。
しかし、ロマン・ロランの人類愛、ヒューマニズムは余りに理想主義的な要素が強かったために、現実の国家観や政治観で、大きな禍根を残したことも否定できないと思う。 具体的には、当時のソ連邦への対応が間違っていたのではないか。理想主義は良いとしても、現実の政治がどういうものか、理解できなかった側面があったと言ってよい。
私自身の話で恐縮だが、若い頃の私のロマン・ロランへの傾倒、心酔は尋常ではなかったと思う。 高校時代に「ジャン・クリストフ」や「魅せられたる魂」といった大河小説、「ベートーヴェンの生涯」などの伝記等を読んで、私はこの作家を非常に尊崇し敬愛するようになった。

 大学の仏文科(フランス文学科)に進学したのも、また極左の学生運動に入っていったのも、この作家の影響が大きかった。 更に、学生として最後の仕事である卒業論文も「ロマン・ロランの“ゲーテ研究”について」であり、私はその中で、汎神論をテーマにして卒論を仕上げた。
しかし、私がロマン・ロランから決定的な影響を受けたのは、彼が第1次世界大戦中にスイスへ亡命し、絶対平和の精神からこの残酷な世界大戦を否定し、独仏両国の和解のために、全身全霊を打ち込んで行動したことである。
よく知られていることだが、彼はこの大戦中に「国際赤十字戦時捕虜情報局」で献身的に働き、日夜平和運動に専念した。 ノーベル文学賞授賞で受けた賞金は全部、赤十字社とフランスの社会事業に寄付した。 正にこの当時の世界の“良心”であり、青年達に計り知れない影響を与えたのである。

2) ロシア革命が起きてから、ロマン・ロランは一貫してレーニンを支持した。 後の「革命によって平和を」という著作を読めば、彼がいかにロシア社会主義革命を支持し、それに世界の未来を託していたかが分かる。
しかし、その一方で彼は理想主義者だから、“暴力”は認めようとしない。社会主義革命には共鳴しながらも、暴力を否定しようとする。 従って、ロマン・ロランは、インドにおけるガンジーの“非暴力”による独立運動に関心を寄せていく。 レーニンとガンジーの間で揺れ動く心境は、「魅せられたる魂」の中でも如実に読み取ることができる。
理想主義者というのは“厄介”なもので、全てが善いものでなければ納得しない。 例えばスイスに亡命中のレーニンが、ロシアと交戦中の敵国・ドイツと取り引きして、封印列車を用意してもらい、それに乗って中立国を経由し、革命を起こすためにロシアに入るということが許せないのだ。

 目的のためには手段を選ばず、「敵(ロシア帝国)の敵(ドイツ帝国)は味方」という政治力学が理想主義者には分からないのだ。 ロマン・ロランは、封印列車によるレーニンのロシア入りを認めようとせず、同行するよう誘われたが断っている。 それならば、大戦中にスイスからロシアにどうやって入ることができるのか、次善の策を示すべきである。 しかし、“理想主義者”はそんなことには関知しないのである。
そのくせ、ロシアで社会主義革命が武装蜂起(暴力)で成功すると、ロマン・ロランは熱烈にそれを支持する。 世界史における大いなる実験ということで、ロシア革命に熱い期待を寄せることになるのだ。

3) 当時のヨーロッパの知識人が、ロシア革命に多大の夢と希望を抱いたのは分かる。 悲惨な帝国主義戦争(第1次世界大戦)の後に、平和な世界の建設を夢見ることは当然かもしれない。共産主義という新しい理想の下、平和で人道的な世界秩序を構築することは、知識人でなくとも多くの人達が抱いた夢である。
これ以降、ロマン・ロランは一貫してソ連邦を支持していくと共に、反ファシズム国際委員会の名誉議長に推されるなど、ファシズムとの闘いの象徴的存在となる。 それは彼にとって極めて相応しいことであるが、自由も人権も抑圧されたソ連邦の体制を、黙認するかのような姿勢が表れるのだ。
ソ連邦を追放された革命家レオン・トロツキーは、ロマン・ロランらの姿勢を厳しく批判するが、ロランはそうした批判をどの程度理解していたのか、非常に疑わしい面がある。 ソ連邦の変質と堕落、スターリン独裁による弊害については、トロツキーの方がロランよりかなり良く熟知していたようだ。

 ロランと同世代のフランスの作家アンドレ・ジッドは、1930年代初頭に共産主義に転向するが、ソ連邦を訪問して、その余りの画一主義、閉鎖性を見て驚き、ソ連邦を厳しく批判するようになった。 ロランよりはジッドの方が、はるかに良くソ連邦の実情を把握していたと言えるだろう。(ソ連邦の大規模な「ラーゲリ(強制収容所)」の存在を、ロランは知らなかったのだろうか。)
やがて1939年8月、共産主義のソ連邦が、こともあろうにファシズムのナチス・ドイツと不可侵条約を結んで第2次世界大戦を誘発させ、自らはポーランドやフィンランドなどを侵略して領土を拡大していった。 およそ“共産主義”国家とは言えない重大な裏切りであり、重大な犯罪行為である。 これによって多くの共産主義者は憤激し、転向していったのである。
こうした国家と政治の現実を、“理想主義者”であるロマン・ロランは、どのように受けとめたのであろうか。 内心、絶望しただろうか。それとも、仕方がないことだと思っただろうか。 単なる理想主義の限界というものが、ここにはっきりと現われていると思えてならない。

4) しかし、ロマン・ロランの人格の高潔さ、その純粋さには深い敬意を表さざるをえない。 正直言って、私ごときの俗物的人間にとっては、彼は神様のような、イエス・キリストのような存在である。その思いは今でも変わらない。
学生時代を終わって社会に出てから、一サラリーマンとなった私は若いエネルギーを持て余し、紅灯の巷をさまよい歓楽に溺れるようになった。 ロマン・ロランのような高潔な人は、一度たりともそのような経験はないだろう。彼から見れば、そのようなことは“堕落”以外の何物でもなかろう。 従って、俗物的な私は、ロランから必然的に離れていくしかなかったのだ。
学生時代には、「みすず書房」の全集を始め何十冊もあったロランの文献も、今や十冊にも満たなくなった。いつの間にか整理、処分してしまったのである。 理想に燃えた青春が遠くへ遠くへ消えていくと共に、ロランの著作も遠くへ消えていったのである。

 しかし、ロマン・ロランの著作の鮮烈さは、今でも幾つか脳裏に残っている。 殊に「伝記」類の素晴らしさ、人物評論、社会評論の慧眼は忘れることが出来ない。ジャン・ジャック・ルソーの人物評論などは、その要点が今でも脳裏にこびりついている。
また、「ピエールとリュース」「愛と死の戯れ」、「ジャン・クリストフ」の中の“アントワネット”の章などは、比類のない美しさで人々を感動させずにはおかないだろう。
ロマン・ロラン自身は「私は極めて宗教的である」と言った。 確かにそうであろうが、私から見れば、彼ほど“詩的”な人はいない。 詩は世に出ていないと思うが、その純粋さ、その気高さ、至愛の精神において、彼こそ真の“詩人”であったと思う。

(40年以上も前のロマン・ロランとの出会いを思い出しながら、また、私の青春がはるか彼方に消えてしまったのを感じながら、執筆を終わる。 2002年7月14日・フランスの革命記念日に

後記・・・私が若い頃(学生時代)、何事にも辛辣な批評を加える友人のアナーキストが、ロマン・ロランのことを「ノーブル(高貴)だ」と言った。私はその言葉を忘れない。 拙文にもあるように、私はロマン・ロランを「神様のように、イエス・キリストのように」今でも尊敬している。(2004年3月17日)

後記・・・私はロマン・ロランについて語る“資格”はないが、語っても罰せられないだろう。(2012年4月7日)


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ご質問 (じょうどう)
2019-08-20 18:31:44
すいません、場違いかもしれませんが、ロマンロランに関して知りたい点が一つありまして、ご質問させていただきます。
片山敏彦氏著『ロマン・ロラン』(新潮文庫1952年)の序で、次のロマン・ロランの言葉が引用されています。とても感銘を受けまして、出典を確かめたいのですが、おわかりになりましたら、お教え願えませんでしょうか。(下記引用)
「《永遠なもの》 L'Eternel の種子は、人類のあらゆる畠にゆたかに播かれてある。 ――しかしあらゆる土地が、その種子を発芽させる用意をととのえているわけではない。それは、ここでは育ち実るかと思うと、かしこでは眠っているままである。しかし種子はいたるところに在る。そして眠っていたものが目ざめる一方では、目ざめていたものが眠り込んでしまう。ー《精神》は国民から国民へ、人から人へ、常に生きて動いている。そしてどの国民もどの人間も、《精神》を、自分だけのものとして引き留めて置くことはあり得ない。しかし《精神》は各人の衷(うち)に在る限りない生命の火である。―― それは同一の《火》である。そしてわれわれは、その火を燃え立たせるために生きている……」
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お答え (矢嶋武弘)
2019-08-21 09:45:12
片山敏彦さんの訳本はいくつも読みましたが、上記の引用文の出典先は残念ながら分かりません。素晴らしい文章ですので調べてみます。もし分かればすぐにご返事します。悪しからずご了承ください。
返信する
ありがとうございます。 (じょうどう)
2019-08-21 10:34:46
矢嶋様。ご返信ありがとうございます。片山敏彦著『ロマン・ロラン』、1952年に出版された新潮文庫版のために書かれた序文にある文章ですが、(ロマンロラン)とあるだけで、ここからでは出典がわからないのが残念です。
片山さんは、そのロランの文章を引用した後、次のように記しています。片山さんにとっても、この「生命の火」がロマンにとっての最も大事なことだとうかがえます。
もしおわかりになりましたら、どうぞよろしくお願いします。

(下記、引用)
 ロランの生涯は、人間の衷に播かれている「限りない生命の火」を守り、はぐくみ、育てるための努力に充たされていた。かって私はスイスの『ロマン・ロランの友らの書』へ寄稿した一文の題を「限りなく人間らしいもの」としたが、ロマン・ロランほど人間らしい人間は稀有であることの理由は、彼の思想と仕事とが、常に各人の衷に在る「永遠の生命、永遠の精神」の種子の成長に調和するように生きたことにある。私はこの事実を、この小著の中で指し示したかった。そして私がこの一文を「感謝の歌」と呼ぶ理由もそこにある。
1952年8月蓼科高原にて   著者
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生命の火 (じょうどう)
2019-08-21 10:43:36
「生命の火 le feu de sa vie」という表現を一箇所見つけました。ロマン著のベートーヴェン「偉大な創造の時期」の「復活の歌」の「はしがき」です。もしもロランがどこか別の箇所で「生命の火」という表現をしているのがありましたら、お教えくださるとありがたいです。
(下は、「復活の歌」の「はしがき」から引用)
 諸君は思ってもみなかったろう。だが、諸君は、あの石の中に眠っているものの息吹きを吸い、彼の感覚と理性との調和、彼の生命の火を呼吸するのだ。フィジアスの手、プラクシテレスの手は、材料を握りしめたのだし、そこに、幾世紀を経て滅び、夜の中に消えていった彼らの世界の熱気を、彼らの刻印と共に残していったのだ。
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生命の火 (矢嶋武弘)
2019-08-22 09:52:28
じょうどうさんへ
「生命の火」という言葉を1つ見つけました。片山敏彦さんが訳したロマン・ロランの『ベートーヴェンの生涯』という本がありますが、これは岩波文庫です。
その末尾の訳者解説で、片山さんはロランの言葉として「フィディアスの感覚と理性と生命の火との調和を吸い込んでいるではないか」を紹介しています。
この文がどこに出ているかは知りませんが、いま発見したばかりなのでご報告します。
また何かありましたらご連絡します。
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ありがとうございます。 (じょうどう)
2019-08-22 21:50:49
矢嶋様。ありがとうございます。『ベートーヴェンの生涯』の訳者解説の中で引用されているその文が、私の一つ前のコメントで引用した文になります。(ロランのベートーヴェンの論の中の「復活の歌」の「はしがき」です)
 私は、この「諸君はフィディアスの彫刻の息、感覚と理性の調和、生命の火を吸っているではないか!」の文に本当に感動しました。(私のライフワークは、このフィディアスの生命の火・息を吸っていきること、これを人にも伝えともに行じていくことです。)
 他にも「生命の火」や「息」で、関連する箇所がありましたら、教えていただけるのを心待ちしております。
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