武弘・Takehiroの部屋

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回転ドアは大嫌い!

2024年06月21日 02時29分27秒 | 社会・事件・事故

<以下の記事は2004年3月31日に書いたものですが、復刻します>

1) 先日、東京の六本木ヒルズ「森タワー」で、6歳の男の子が回転ドアに頭を挟まれて死亡するという痛ましい事故が起きた。 このタワーでは昨年4月の開業以来、丸1年も経たないのにそれまでに32件もの回転ドア事故が起き、救急車が11回も出動したというから驚く。
警視庁は業務上過失致死容疑で、森ビルなど関係7カ所の家宅捜索に入った。安全対策など、いろいろな面で問題点があると思う。しかし、私がここで問題にしたいのは、「回転ドア」そのものについてである。このドアは、人間にとって本当に好ましいものなのか。
今回の死亡事故がなかったなら考えようともしなかったが、この回転ドアは実に忌々しいものだと思っていた。一体、回転ドアの利点は何なのか。 冷暖房の保温のためには有効で経済的だという。しかし、それ以外に何の利点があるというのか。金がかかって、ビルの“ステータスシンボル”にでもなるというのか。
冷暖房の保温のためなら、開閉式の自動ドアを二重にすれば充分ではないか。そうしている所も多いと聞く。 技術的、機能的な面については、私は門外漢だからこれ以上言及しないが、常日頃、回転ドアに強い不満を持っている者として、とにかく言わずにはおれない。

2) 昔、ある所の銀行で、お年寄りの女性が“手動式”回転ドアに自ら突き飛ばされ、大ケガをするという事故があった。これを老女の不注意だと、笑う人は勝手に笑えばいい。 しかし、私には笑い事とは思えなかった。若い頃の私は、勢いよく押した手動式回転ドアで、後ろから突き飛ばされそうになったことがあるからだ。
しかし、手動式は人間個人の手加減でやれるから、まだ良い。これが自動式回転ドアになると、そうはいかない。 ドアが勝手に動き、人間はそれに合わせて通過する単なる“物体”になってしまうのだ。こう言うと読者諸子は笑うかもしれないが、それが実に不愉快なのだ。そこには、人間性を無視されたような余韻が残る。まるで、狭い関所を恐る恐る通過する感じなのだ。
それに比べると、開閉式自動ドアは実に気持が良い。 心の中で「開けゴマ!」と呟きながら近づくと、ドアが左右に開いて「さあ、お入り下さい」といった感じで通してくれる。この場合、通る人間が主(あるじ)であって、ドアは主の言うことを忠実に聞く僕(しもべ)という役割である。我々は堂々とドアを通る。
ところが、自動式回転ドアはまったく逆である。この陰気なドアは「俺の言うとおりに通れ」と言わんばかりに、人間の歩行速度を制約し、自分の回転に合わせて我々を通させるのだ。 この場合、人間とドアの主従関係は逆転し、ドアの方が主となって、我々は僕になってしまうのだ。これが実に不愉快である。
開閉式ドアが人間に対して忠実で、思いやりがあるのに比べて、自動式回転ドアの方は人間に少しも優しくなく、威張っているのだ。「さあ、通れ」と言わんばかりである。

3) マスコミが伝えるところによると、自動式回転ドアによる事故は至る所で起きているという。さも有りなんと思うばかりだ。 これほど、我々の人間性を無視し、自分勝手に回転して人間を服従させる代物はないからだ。
ほとんどの人は、自動式回転ドアに入る前に立ち止まったり、躊躇(ちゅうちょ)したり、戸惑ったりするだろう。 普通の大人でも事故に遭っているのだから、幼児やお年寄りが突き飛ばされたり、挟まれたりして当然である。
どうして、こんなに陰気な“地獄門”のようなドアを残しておくのか。 ドアの中を通過する時も、密閉されたような錯覚に陥る。このままドアが停まってしまうと、幽閉されてしまうのかと思う。なんとなく不安になってしまうのだ。少し敏感すぎるだろうか。
とにかく、人間を不安にさせ、安全対策を講じなければならないというドアは“欠陥品”である。 センサーの感知能力を信頼するとしても、感知してから25センチも動くというではないか。センサーが完璧に作動すると、ドア自体がしょっちゅう停まったりするようでは、何の役に立つというのか。
人間性を無視した、こんなに危険で不便なドアは要らない。 それとも、巨大高層ビルの“ステータスシンボル”として残そうというのか。金ばかりかかって、ほとんど何の役にも立たない自動式回転ドアを考えていると、私はふと「戦艦大和」を連想した。
「戦艦大和」はかつて、大日本帝国のステータスシンボルだったが、ほとんど何の役にも立たず撃沈され、海の藻屑と消えていった。結果的に“無用の長物”だったのだ。 六本木ヒルズの巨大高層ビルが、なぜか「戦艦大和」のように見えてきて、“主砲”である自動式回転ドアと運命を共にするのだろうか。 私の不吉な連想をお許し願いたい。(2004年3月31日)

追記・・・森ビルが大型自動式回転ドアの撤去を決めたとのこと、6歳の男の子の命は戻らないが、その判断に敬意を表する。(2004年4月25日)


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