武弘・Takehiroの部屋

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青春流転(11)

2024年08月14日 03時48分21秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』

「四機(よんき)にやられた!」「だいぶ、ケガ人が出てるぞ!」「もう一度、スクラムを組み直せ!」学生達のわめき声が広がる。 いつの間にか、けたたましいサイレンの音とともに、救急車がひっきりなしに駆けつけてきた。 前方のデモ隊から多数の負傷者が出ていたのだ。

 四機とは第四機動隊のことで、警視庁の中で最も勇猛な部隊であり、常づね学生達から“鬼の四機”と恐れられていたが、その三千人が先頭のデモ隊に襲いかかったのだ。 負傷者の続出に、中段から後段に控えていた学生達は一様に憤激した。 ますます激しく石やビンが機動隊に投げ込まれていく。

 この頃には夜の帳(とばり)がすっかりおりて、八時ぐらいになっていただろうか。取材に来ていたテレビなどのライトが、眩しいほどに光を放っていた。 デモ隊は再び隊列を整えて、じりじりと前進を始める。

 しかし、思ったほど前に進まないので、行雄達は我慢がしきれず、寸断された土手の有刺鉄線を乗り越えて国会構内になだれ込んだ。 それとほぼ同時に、南通用門から再び学生達が構内に侵入してきた。

 やがて国会中庭で、約四千人の全学連主流派による抗議集会が開かれることになった。 全学連のリーダーが次々に演説を始めた。「われわれは、ついに国会構内での大抗議集会を勝ち取ることができた! われわれはここで、岸内閣の即時退陣、安保条約自然成立の無期延期、アイゼンハウアーの訪日中止を決議しよう!」 「異議なーしっ!」の喚声が上がる。

 リーダーはここで声を低めて、次のように報告した。「悲しい出来事が起きました。先程の機動隊の弾圧により、女子大生一人が死亡しました」 一瞬、学生達の間に沈黙が支配した。

 リーダーはさらに続ける。「ほかに数人、重体の学生も出ており、死亡者がさらに増えるかもしれない。 われわれは、このような国家権力・機動隊の暴力を絶対に許すことはできない! 名前はまだ分からないが、亡くなった女子大生のために一分間の黙とうを捧げたい。 機動隊の諸君も人間なら、鉄兜をとって黙とうしてもらいたい!」

 女子大生死亡の報告は、学生達の心を揺さぶった。「人殺し!」「人殺し!!」「鉄兜をとれ! とれっ! とれっ!!」 興奮して逆上した学生達は機動隊に詰め寄った。しかし、機動隊員達は罵声にじっと耐えるように、表情一つ変えず押し黙っている。 雨に濡れたそのヘルメットだけが、テカテカと不気味な光を放っている。

 黙とうが始まった。 同志の女子大生が亡くなったのだ・・・行雄は込み上げてくる涙を抑えることができなかった。まわりの学生の中からも、すすり泣きの声が漏れてくる。行雄の頬を涙がこぼれ落ちた。

 黙とうが終ると、リーダーが叫んだ。「われわれは、こんな所で集会を開くことには納得できない! 国会の正面までデモ行進し、そこに座り込んでさらに抗議集会を開こうではないか!」 学生達は気を取り直したように、再びスクラムを組んでデモ行進に移ろうとした。

 その時。 それまで微動だにせず沈黙して立ち尽くしていた機動隊が、一斉に実力行使に出てきた。 「かかれーっ!!」「つっこめーっ!!」「全員検挙!!」 機動隊の黒い塊が殺到してくる。警棒が“唸り”をあげて、学生達の頭上にめった打ちに降りそそぐ。 バシッ! バシッ! バシッ!!

 その実力行使は、行雄がこれまで一度も体験したことのないほど凄まじいものであった。 機動隊の怒りが爆発したのだ。「やめろーっ!」「助けてくれーっ!」 学生達の悲鳴が上がる。 頭や顔を血だるまにして倒れる者、腹を蹴り上げられてうずくまる者、逃げ遅れて捕まる者など、学生達はパニックに襲われた。

 まるで地獄である。 行雄は必死になって逃げた。無我夢中で、学生の群れの中に身体を押し込んでいった。 四千人の学生が南通用門へと排除されていく。狭い門に彼等が殺到したので、ほとんどの人は“ふんづまった”ように身動きが取れなかった。

 後方ではなお、怒りと憎しみに燃えた機動隊が、この時とばかり一人一人の学生を叩きのめしている。 物凄い熱気と人いきれ、人体の重圧で、“そこに”空気があるのに、行雄はほとんど呼吸をすることができなかった。

 そういう状態が二分も三分も続いただろうか、窒息したようになって南通用門から外へ“吐き出される”と、行雄は初めて「助かった!」と思った。 何度も深呼吸していると、「四人、殺されたらしい」「いや、八人だ!」といった噂が飛び交っていた。

 以前にも増して、救急車が引っ切りなしにやって来て負傷者を収容していく。 一体、この先どうなるのだろう。不安が胸をよぎるが、考えても仕方がない。 行雄達はもうスクラムも組まず、他の学生達の一団と国会の正門の方へ向った。

 正門前では、警察のトラックが次々に放火されて炎上していた。 凄い光景だと思いながら、チャペルセンター前の路上に来て、仲間達とこれからどうしようかと話し合うが、一向に良い考えが浮かばない。 誰かが携帯ラジオを聞きながら、右翼が後方から襲撃してくると言い出す。

 それではもう一度、国会正門付近へ行ってみようかと行雄が提案すると、顔見知りの女子大生が、恐怖におびえた表情で彼ににじり寄ってきた。 彼女の暖かい脚のぬくもりを肌に感じると、行雄は動こうにも動けなくなった。

 みんな怖いのかと思っていると突然、国会正門の方からパパーン、パーンという破裂音が聞こえた。 誰かが「催涙ガス弾だ!」と叫んだ。白い煙りが辺りに立ち込めてくると同時に、行雄は目頭がじーんと痛くなり“くしゃみ”が出た。初めて味わう催涙ガスだ。

 学生達が浮き足立つのも束の間、「ウォーッ!」という喊声を上げて、国会正門内から警棒を振りかざした機動隊が一斉に襲いかかってきた。「逃げろーっ!」 学生達は一目散に逃げ始めた。

 有楽町方面へ逃げていくと、ちょうど取材に来ていた某テレビ局のカメラマンが、脚立を持ち上げて行雄の脚をおもいきり払った。 彼はつんのめって倒れそうになったが、この野郎と思い、振り返ってそのカメラマンに立ち向っていこうとした。

 しかし、すぐ背後から機動隊が追いかけてくる。 仕方がない、そのカメラマンに怒りを覚えながらも、行雄達は逃げに逃げた。 どこまで逃げたか分からなかったが、とある街角まで来ると、腕章をまいた中年風の新聞記者が近づいてきた。

 彼は「君達、タクシー代がなければ使っていいよ」と言って、五百円札を差し出してくれた。 地獄に仏とはこのことだ。行雄達はその新聞記者に深々と頭を下げて御礼を言うと、五百円札をいただき、タクシーに乗って高田馬場へと逃げた。 その晩、行雄はクラスメートの橋本敏夫の下宿先に転がり込むと、打ち続く疲労と安堵感からぐったりと眠りについた。

 

 翌朝、早稲田大学へ行ってみると、キャンパスは昨日の流血の大事件で騒然としていた。昨夜死亡した女子大生は、東京大学の樺(かんば)美智子さん(22歳)だということが分かり、また一千人以上の学生、市民らが負傷したということだった。逮捕者は百八十二人に達したという。

 樺美智子は、東大文学部国史学科の学生でブント(共産主義者同盟)の一員であり、一月の岸首相訪米阻止羽田闘争の時にも逮捕されたことがある活動家であった。(彼女の死因は、胸と腹の圧迫による窒息死か、右手による扼死の可能性が高いと言われたが、東京地検は後日、窒息死と認定し、傷害致死の疑いはないと発表した。)

 文学部の自治会室をのぞくと、樺美智子の親友だという国文科の藤原知恵が、目を真っ赤に腫らして“なにやら”喚いている。 昨日、一緒に国会構内に入りながら、離ればなれになっていた学友が「よう、村上君。君は無事だったか」と言って、握手を求めてきた。

 間もなく大隈講堂で、全学緊急総決起大会が開かれるというので、講堂に行ってみると既に超満員の学生ですし詰め状態になっており、場内は熱気ではち切れんばかりの雰囲気だった。 憤激と興奮の様子が、学生達の表情からありありと読み取ることができる。

 やがて二、三の学部の自治会リーダーが次々に、昨日の流血事件の報告や、岸内閣と警察権力の弾圧に激しく抗議する演説を始めたが、学生達はこれ以上じっとしていられないという感じで、怒声や喚声を張り上げた。

「国会へデモだーっ!」「岸内閣をぶっ倒せーっ!」「早くデモに出発しろーっ!」「アイゼンハウアーの訪日を中止させろーっ!」「異議なーしっ!」 騒然とする中で、集会はあっけなく終ってしまった。学生達はわれ先にとデモ行進に参加していく。

 行雄は、今までに会ったこともない学生とスクラムを組むことになった。しかし、両脇の見ず知らずの学生が、これほど親しく感じられたことはなかった。 この六月十六日、早稲田大学から四千人以上のデモ隊が、延々と国会への道を歩んでいった。

「学生の歌声に 若き友よ手をのべよ 輝く太陽 青空を 再び戦火で乱すな われらの友情は 原爆あるも断たれず・・・」 国際学連の歌が高らかに響きわたり、シュプレヒコールが期せずして湧き上がる。

 これほどまでに盛り上がった学生デモを、行雄は見たことがなかった。一般の学生がこれほど多く参加してくれるとは・・・彼は感動で胸が一杯になった。 いま、一般学生と連帯し行動しているのだという実感が、心の底から込み上がってくるのだ。

 国会周辺に着くと、何万という無数の学生達のデモ隊が渦巻いていた。「岸を殺せーっ!」「人殺し警官を やっつけろーっ!」「安保フンサーイ!」「われわれは 闘うぞーっ!」 それはシュプレヒコールと言うよりも怒号の“嵐”に近かった。学生達の憤怒と闘志が満ちあふれていた。

 デモ隊は、昨日流血の惨事を引き起こした国会南通用門に達した。 門の前では、死亡した樺美智子の遺影が粗末な木机の上に置かれ、多くの花束が捧げられていた。 学生や労働者、一般市民が次々に焼香している。

 しとしとと降る雨に濡れて、樺美智子の遺影が悲しげにこちらを向いている。ふっくらとしたその面影を見ていると、行雄はふと、前年に皇太子と結婚した美智子妃殿下のことを思い出した。 同じ美智子さんでも、ずいぶん境遇が違うものだと思った。

 デモ隊は国会の周囲を延々と行進していく。どのくらいデモ行進しただろうか・・・誰かが叫び声を上げた。「アイゼンハウアーの訪日が中止になったぞーっ!」 喚声と拍手が一斉に湧き上がった。 そして、それが津波のように何千、何万という人々に広がっていった。

 アイク訪日中止を知った時、行雄はアメリカにいる敦子のことを思い出した。 彼女にこの前、「何が起きるか予測もつかない状況」だと手紙に書いたことを思い出し、そら見ろという気持になった。彼は自分の推測が当たったことを敦子に誇りたかったのだ。

 

 六・一五国会突入事件とアイク訪日中止は、国際的なトップニュースとして世界中に報道された。「東京暴動」という見出しが各国の新聞の一面を飾り、ソ連のフルシチョフ首相や中国の毛沢東主席までが関連のコメントを出す始末であった。 当時の共産圏にとっては、アメリカと日本が“傷ついた”ことは痛快な出来事だったのだろう。

 特に毛沢東は六月二一日、中国を訪問中の日本人文学者代表団と会見した際、安保闘争を高く評価するとともに「樺美智子さんは、日本民族の英雄として、全世界にその名を知られるようになった」と述べた。

 中国では五月初旬から、日米新安保条約に反対する大規模なデモが行なわれていたが、六・一五事件をきっかけにして、ビルマ(現在のミャンマー)、インドネシア、インド、北朝鮮、イタリアなどでも安保反対の抗議デモが繰り広げられた。

 こうした事態を最も深刻に受けとめたのは、もちろん岸内閣である。 アイク訪日を“延期”(実態は“中止”)せざるをえなくなった岸内閣としては、もはや安保闘争への治安と警備に自信を喪失していた。 闘争の未曾有の拡大は、警察の警備力だけで取り締まるにはとても無理であることが明らかになったのである。

 そこで議論になってきたのが、自衛隊に“治安出動”をさせるかどうかということである。 閣内や自民党の中から、自衛隊の出動を求める強硬な意見が相次いで表れてきた。 六・一五事件の後、新安保条約が自然承認される十九日午前零時に向けて、日本国内は極めて切迫した状況となってきた。

 十六日夜、日比谷の野外音学堂で、樺美智子追悼大集会が開かれた。 アイク訪日中止などの“戦果”が報告されたが、行雄達にとって、そういうことはもう大したことではなかった。 十九日までに、全学連がどのような決定的な最終闘争を行なうかに関心が集中していたのである。

 全学連は再び国会に突入するのか。もう一度、英雄的な流血の大闘争を起こして、その後の日本社会主義革命への展望を切り開くことができるのか。 行雄達は、決定的な時期が到来していることを予感していたのである。

 翌十七日、左右両極による暴力主義の台頭を危惧してか、七つの大新聞社が「暴力を排し、議会主義を守れ」という共同宣言を発表した。 政界、労働界だけなく、マスコミも明らかに全学連の“暴走”を恐れていたのである。 一方、日本に来れなくなったアイゼンハウアー米大統領は、訪問先のフィリピンのマニラから台湾へ向うことになった。

 

 十七日は平穏に終り、運命的な六月十八日がきた。 行雄は、今日一日しかないという思いを新たにしデモに参加した。今日は何が起きてもおかしくはないと覚悟しながら、国会へデモ行進すると、想像を絶する人、人、人の波であった。 この日、三十万人を超える史上空前のデモ隊が国会や首相官邸を包囲した。 警備に当たる警官隊は、国会や官邸の構内に閉じ込められたように逼塞している。

「安保条約 フンサーイ!」「岸を倒せーっ!」「国会 カイサーン!」 湧き上がるシュプレヒコールは遠雷のようにとどろき渡り、初夏の空気を揺るがすようであった。 あまりの人の多さと混雑で、デモをしようにも行進することができないほどだ。

 それでも全学連主流派のデモ隊は、国会周辺を回るようにしてジグザグ行進を始めた。その数は何万人に達しているのだろうか。 国会に突入しようと思えば、六月十五日の時より容易にできるだろう。しかし、デモ隊はジグザグ行進を続けるだけである。

 一体いつになったら、全学連は決定的な行動を起こすのだろうか。 全学連の指導部は何を考えているのだろうか? 行雄の脳裏に一抹の疑惑がかすめる。このままデモ行進しては、座り込みを続けるだけなのだろうか。 時間だけが刻々と過ぎていく。

 全学連が国会や首相官邸に突入すれば、自衛隊が出動してくるとか、右翼が国会や議員会館に放火するとか、いろいろな噂が学生達の間に広がってきた。 教え子達の身の安全を心配する大学教授団が、国会突入などは思いとどまるように学生達の説得に乗り出したという情報も伝わってくる。

 時間だけがどんどん過ぎてゆき、夜になって、学生達はデモ行進を止め座り込みに入った。 しかしこの後、全学連指導部からは何の指示もない。ただ漫然と座っているだけだ。こんなことでいいのか! 行雄は心の中で叫んだ。そして、周囲の学生に「今日は国会に突入しないのか」と話しかけたが、誰も黙ったまま返事をしなかった。

 時間だけが確実に、空しく過ぎていく。 そして、六月十九日午前零時。何も起きなかった。 人々は息を詰めて、その時を、ただじっと待っていたかのようであった。夜空の“うつろ”な空間の中で、日米新安保条約は自然承認されたのである。


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4 コメント

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文学性とともに資料性 (ヒロシ)
2016-02-26 23:09:51
ここまで丁寧に且つ丹念に描かれると文学としてだけでなく歴史資料としての価値も出てきます。
新聞記事に作者の情念を盛り込めば御作のようになるのかなと思ったりしますが、しかしこの作品は新聞記事からネタを得ているのでなく作者の実体験を基に書かれているのですから、何か不思議な感に打たれます。樺美智子の死の取り上げ方など全く過不足がありません。そこに資料性を見るのですが、といって作品の文学性が貶められるものではありません。
60年安保から55年の時間が流れ去りました。御作には往時の体験をけして風化させてはいけないとの思いが込められているのでしょうね。そこに読者は惹きつけられるのだと思います。終わりまで読んでみたいです。
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6月15日など (矢嶋武弘)
2016-02-27 06:37:06
評価していただき有難うございます。
実体験をもとに書いたものですが、当時の資料はもちろん出来るだけ調べました。
書いたのは40年近く前ですが、決して風化させてはならないと思います。
返信する
ご返信有難うございます (ヒロシ)
2016-02-27 10:10:25
矢嶋さま
見ず知らずの者にいつも誠実なるご返信恐縮いたします。ブログランキングを開いていて貴ブログに逢着いたしました。
小生のブログは現在8,9位にある「古文書を読もう」です。お暇な折にでも覗いていただければ幸甚です。
返信する
了解しました。 (矢嶋武弘)
2016-02-27 10:36:42
了解しました。
今後もよろしくお願いいたします。
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