武弘・Takehiroの部屋

われ反省す 故に われ在り

毒性・抵抗力・免疫(後編)

2024年08月12日 02時57分11秒 | 経済、生活一般、衣食住など

人体が丈夫で健康なことは素晴らしい。また、摂生して体を鍛えるのも良い。しかし、これが長生きに繋がるかといえば必ずしもそうではない。 「一病息災」と言って、一つぐらい持病がある方が健康に気を使い、かえって長生きする例もある。また、見るからに弱々しくて、痩せ細っていても長生きする人が大勢いる。人さまざまだ。
ところで、つい先日まで元気一杯だった人が急に亡くなったり、人間ドックで何の異常もないと診断された人が急逝することがある。あれは何なのか。こういう例を私は何度も見てきた。
前置きが長くなったが、要は病気に対して「抵抗力」があるかないかの問題だろう。抵抗力がなければ、どんなに丈夫な人でもアッと言う間に亡くなる。この場合の「抵抗力」とは、病気や病原菌に耐える力のことである。
 
そこで、最も一般的な抵抗力の話をしよう。それは「免疫」のことだ。免疫とは病気、特に感染症(伝染病)に対して抵抗力を持つことである。
医学に弱い私は、これは不思議な現象だとずっと思ってきた。しかし、全ての物質が“毒性”を持っており、この毒性の「相互作用」によって世界(万物)が成り立つと考えれば、何ら不思議ではない。
「ワクチン」というものがある。誰もが知っているが、これはもともと毒性から成る「病原体」を人体に注入し、体内に抗体を作って感染症にかかりにくくするものだ。つまり、前にも述べた「毒をもって毒を制する」というやり方だ。毒性がなければ、それこそ「毒にも薬にもならない」ということだ。
万物は毒性から成り立っている。 「毒性」という言葉が気に入らなければ、思い切って「神性」にでも「霊性」にでも変えて欲しい。ただし、現代医学が「毒性」と言っているから、私はそれに従っているだけだ。

余りにも有名な話をしよう。ワクチン(牛痘)を発見したのは、イギリスの医学者エドワード・ジェンナーだが、これが天然痘ウイルスに対して免疫を持つということが分かり、彼は後に“近代免疫学の父”として仰がれるようになった。
ジェンナーは田舎の開業医をしていた頃、農民の言い伝えで、牛と接して牛痘にかかった人間はその後、天然痘にかからないという話を聞いた。それから彼は18年も研究を続け、牛痘が天然痘の予防に使えると確信し、8歳の少年に「予防接種」をするというあの有名な物語が誕生したのである。(以上、ウィキペディアを参照)
当時、天然痘は“悪魔の病気”と恐れられていたから、少年に対する予防接種は、今ならさしずめ無謀な「人体実験」と非難されただろう。余談だが、ジェンナーが発見した種痘法は、イギリスの医学界からなかなか認められなかったという。しかし、その後の天然痘の大流行でようやくその効用が認められ、やがて世界中に広まっていった。天然痘は今では根絶されている。

ジェンナーの話になってしまったが、もし私も当時のイギリス農民だったら、種痘なんか気持悪くて受けたくなかっただろう。なにしろ牛痘、つまり牛のウミ(膿)を接種されるのだ。「ジェンナー先生、牛のウミなんか嫌ですよ! どうしてもやるんですか?」と、顔をしかめたに違いない。
しかし、ジェンナー先生のお陰で助かったとなれば万々歳である。このように「毒をもって毒を制する」というやり方を見れば、万物は毒性から成り立っていることが分かる。たまたま昨日、ある人が、ヘビの猛毒から難病に効く新薬が出来たとのコメントを寄せてくれた。猛毒でも何でも、活用の仕方次第では有効になるケースはいくらでもあるのだ。
ただし、免疫については「アレルギー」という厄介な症状もある。これは免疫反応が“過剰”に起きるものだ。もちろん個人差があるが、毒をもって毒を制するのだからやむを得ない現象だと思う。アレルギーの話は専門家でないので、それは医師に聞いてもらおう。

初めに、人体の抵抗力(医学的には「抗体」と言う)について話したが、これは人間の精神面でも言えるのではないか。子供にポルノ写真とか残虐な映像を見せないのは、子供にまだ精神的な「抵抗力」が育っていないからだ。
大人になれば抵抗力が備わるから、ポルノ写真なんか見てもどうってことはない。しかし、子供は純真無垢な面があるから、そうした映像に衝撃を受ける。純真無垢とは、精神的に“毒素”が少ないということだ。毒性が薄いと言ってもよい。
大人になると毒性が自然に濃くなり、精神的に強くなる。だから、子供はすぐに泣いたり喚いたりするが、大人はおおむね平然として対処することができるのだ。
精神面でも、毒性が強くなることは抵抗力が備わるということだ。ちょっとやそっとの事では挫けない。これは精神的な「免疫」と言えるだろう。
以上、私は独断と偏見で、人体と精神の抵抗力・免疫について論じてきたが、まだ言い足りないことは幾つかある。本日はこれまでとして、また機会を見て論じていきたい。(2012年6月23日)


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2 コメント

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 (keitan)
2014-12-26 14:53:48
水素が爆弾になったり、酸素の吸入で倒れる人がいたりします。空気も毒になり得る訳です。
 逆に、放射能は健康に良いとか言う人もいます。
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薬と毒 (矢嶋武弘)
2014-12-26 16:40:45
科学や化学には素人ですが、免疫などは正に「毒をもって毒を制する」ですね。
「毒にも薬にもならない」というのは、まったく役に立たないということでしょうか。
使い方で全てが変わると思います。ただし、人工放射能は有害ですが、自然(天然)放射能は有益だと聞いています。
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