八柏龍紀の「歴史と哲学」茶論~歴史は思考する!  

歴史や哲学、世の中のささやかな風景をすくい上げ、暖かい眼差しで眺める。そんなトポス(場)の「茶論」でありたい。

☆☆〝意外に知らない社会主義そして共産主義〟講座☆☆秋学季講座開講のお知らせです。

2022-08-15 13:27:59 | 〝哲学〟茶論
 世の中には、知ったふりして知らないこと。
 知らないふりして人の不幸を素通りする人。

 いろいろいます。
とりわけ、安倍晋三氏に向けて発射された銃弾からは、そのいろいろが見えてきて、旧統一教会(世界平和統一家庭連合 )の日本での教宣の凄まじさが見えはじめてきています。
  まだことの重大さが見えていないのは、自分の選挙だけにうつつをぬかし、すべて他人事の自民党などの利権政治家なんでしょうが・・・。

 それにしても心の弱った日本人を、
よくもまあ〝食い物〟にしたものです。
 日本人の莫大な献金が、すべて韓国の教団に集められ、それを遣って世界の要人に金をばらまく。
 異常なほどの講演料と出演料、献金・・・。
          <親鸞>
 べつに浄土真宗門徒じゃないけど、親鸞は『歎異抄』のなかで、「悪人正機」ということを言っています。

  ・・・善人なおもって往生を遂ぐ、
  いわんや悪人をや。
  しかるを世の人つねにいわく、
  「悪人なお往生す、
   いかにいわんや善人をや」。
  この条、
  一旦そのいわれあるに似たれども、
  本願他力の意趣に背けり。
   そのゆえは、自力作善の人は、
  ひとえに他力をたのむ心欠けたる間、
  弥陀の本願にあらず。
   しかれども、自力の心をひるがえして、
  他力をたのみたてまつれば、
  真実報土の往生を遂ぐるなり。
   煩悩具足の我らは
 いずれの行にても
  生死を離るることあるべからざるを
  憐れみたまいて
  願をおこしたまう本意、
  悪人成仏のためなれば、
  他力をたのみたてまつる悪人、
  もっとも往生の正因なり。
   よって善人だにこそ往生すれ、
  まして悪人は、と仰せ候いき。
 
 つまり、寺に多大な喜捨をしたり、献金したり、自分で救われようとする「自力作善」をなす人を、阿弥陀仏は救いませんよってこと。
 困難な人生、生きづらい世を、その日その日カスカスに生きていくしかない衆生、いつも不安で煩悩に苦しめられている人が、どうにもならず、ふと阿弥陀様への信心をなしたとき、そんな人びとを広大無辺の慈悲の心を持つ阿弥陀仏は救います。
 そもそも信仰するのに献金したり、教祖にすべてを捧げるなんてことは無駄なことだ。そう親鸞は喝破しているというわけです。
 お金や人生を、すべて教祖や教会に捧げる。それは一つの信仰の深さを競う競争の原理なんでしょう。教団はそれを利用して、莫大な利益を得る。
 宗教はそもそも競争を煽るものじゃない。人びとの平等と安心立命を願うものです。そうでない教徒は、集団心理に取り込まれ、〝狂徒〟と化して、他の狂徒と競う。どんどん「信仰誇り」の蟻地獄に落ちていくしかない。教団はその信徒にサタンのささやきをふりまく。
 そんなことも見えはじめました。

 さて、前置きはともかく、
 来月9月25日(日)から
 秋の講座をはじめます。
 テーマは、社会主義って何か? です。

 社会主義といっても、よくわかんない人が多いでしょう。いやそれは旧ソ連や中国、北朝鮮の全体主義国家のことを指す。ヤバい思想と見ている人もいるでしょう。ましてや共産主義なんて・・・。
 でも、その社会主義と共産主義はどこが違う? 社会主義って、ホントにヤバいの? ちかごろの経済学者が、市場原理主義や新自由主義の行き過ぎに、社会主義で対峙させるということが多くなりました。
 そもそも社会主義の起源をたどると、社会主義とは、人びとの平等を見据え、度外れた人間の欲望を抑制するって思想だったわけです。
 じゃ、どうしてプーチンや習近平や金正恩なんかが、威張ってるだろうか?
 あれは、ホントの社会主義だろうか。

 そんなことのあれやこれやを、知っている人、知らない人も含めて、お話しし、自由討議を通じて、考えていこうという企画です。
 ぜひご参加ください!
 以下概要です。

*NPO新人会・宏究学舎*
 2022年秋学季講座◆時代に杭を打つ!partⅧ◆
☆テーマ☆ 意外に知らない〝社会主義〟
          そして「共産主義」
 
◇期間:<全5講>2022年9月25日
          ~2023年1月22日
◇日時:毎回日曜日
<講座午前11時~12時:質疑応答約40分> 
  *全講zoom(質疑応答可)
  orアーカイブ(映像ファイル送付)
◇受講料:全講受講6000円<5回分>
  *大学生・高校生3000円
◇附記:各講毎、事前にPDFでレジュメ送付。
  それに沿って講座は展開されます。
【講座内容】
 社会主義とは何か? 民主主義とどう違うのか? 知ってるつもりでわからない。ましてや共産主義となると、ただ暗くて怖ろしい国のイメージしか湧いてこない。
 現在、そうした体制を標榜する国は、ロシア、中国、北朝鮮、キューバってところですが、ロシアのウクライナ侵攻、中国の香港弾圧と台湾への軍事力での脅し、どれをとっても嫌なイメージでしかありません。
 その一方、昨今の「市場原理主義」で蝕まれた格差や差別、絶対浮かび上がれない貧困を前にして、若手経済学者のピケティやマルクス・ガブリエル、斎藤幸平、さらに米大統領選挙に登場したバーニー・サンダースなどは〝社会主義〟の見直しを主張しています。さてどうしたものか。そこで、ここでしっかり〝社会主義〟そして「共産主義」について考えてみましょう!
・・・【日程とテーマ】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・第1講(9月25日):〝社会主義はヤバい?〟
  ~その起源、共産主義とどう違う?
・第2講(10月23日)
 〝日本人は社会主義が嫌い?〟
  ~大逆事件と2・26事件は?
・第3講(11月13日)
 〝ソ連・中国・北朝鮮・キューバ!〟
  ~社会主義は失敗したか?
・第4講(12月11日)
 〝戦後日本の社会主義とは?〟
  ~立民と共産は社会主義か?
・第5講(2023年1月22日)
 〝いまなぜ社会主義か?〟
  ~社会主義はヒューマニズムなのか?



  




 

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☆☆『〝司馬史観〟を考える!』第2講のお知らせ☆☆

2022-06-08 22:42:03 | 〝哲学〟茶論
 東部ウクライナではより激しい戦闘が繰り広げられていると報道されています。そんななかシリア難民の行方やミャンマー国軍に抵抗している人びとの情報は、ほぼこの国にもたらされることはなく、そんななかで軍事増強、防衛費増大、改憲、敵地先制攻撃の容認などなど、〝武〟張った主張が、あちらこちらで声高に唱えられている。
 
<ミサイル攻撃を受けたドネツク州スビャトヒルスクの「ウクライナ正教会・スビャトヒルスク大修道院」>

 日本は「戦時」とは遠く離れているにも拘わらず、こうしたときにはたくさんのお調子者が出てくる。そんな歴史を日本近代史のなかで、いくどとなく見てきたような気がします。自身がその場にたっているわけでもないのに、サッカーのサポーター気分で、気分を高め、激しいことばを使い、まるで酒や薬にでも酔ったように、自分だけじゃなく、周囲の者たちを脅迫するかのように、騒ぎたて、喚き散らし、ヒロイックな自分とその集団全体が陶酔する。
 
 陶酔は長続きしません。まずは、よく世界を見ることでしょう。そして戦争がおこらないあるいは戦争を止めさせる方途を考えるべきでしょう。その効果はけっして即時性を持つものではないし、即効性もないでしょう。
 でも、永く次代にも、またその先の世代にもつながるような方途を、考えましょう。そしてできることからやっていきましょう。

 6月11日(土曜日)14時30分から、池袋のとしま区民センター(エレベーター横に「新人会文化講座」の案内があります)で、
 『〝司馬史観〟を考える!』第2講(全4講のうち第一講はすでに終了していますが、アーカイブ受講はできます)を行います。

 すでにzoom受講もふくめて40名近くの方々に参加いただいていますが、会議室でのご参加はまだ可能です(zoom・アーカイブ受講も受け付けています)。
 もしお時間等ありましたら、〝考える〟〝対話する〟「場」と「時間」にぜひご参加いただければと存じます。
 連絡はメールで、npo.shinjinkai1989@gmail.comまでご連絡ください。

 ほんらいblogにこうした連絡やお知らせを掲載するのは、わたし自身、はばかられるところですが、長いコロナ禍で、ますます人と人との〝付き合い〟〝関係性〟が希薄化していくことに、2021年におこなったジョージ・オーウェルの『1984』の世界像を見る思いがして、「場」を設けるべく、こうした講座を絶やさずにやっていきたいと思って、blogにあげているということです。
 一人でも、ご参加いただけると幸いです。
 
 なお詳細は、下記にflyerをあげておきますので、拡大してご覧ください。


 
 

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☆☆6月5日の『日本〝近代・現代〟のプロフィール』【第3部】第3講のお知らせ☆☆

2022-06-03 21:40:23 | 〝哲学〟茶論
 6月5日(土)の11時から、
 いつものように『日本〝近代・現代〟のプロフィール』【第3部】第3講の講座を行います。
 第3講のテーマは【60年安保】についてです。


 60年安保(日米安全保障条約の改定)といっても、もうすっかり過去のことなのですが、おそらく戦後の日本でもっとも激しく政府=自民党、警察に対峙した学生運動がこの「60年安保」でした。
 国会議事堂は、多くのデモ隊に囲まれ、そのなかで東大文学部学生樺美智子が没したことを、記憶にある方もいらっしゃるでしょう。
 
 今回の講座では、日本の「左翼」について考察するとともに、
あの激しかった「60年安保」とは、いったいわたしたちの国である日本に、いかなる影響を与えたのか。
 社会党委員長浅沼稲次郎へのテロ、いまは関口宏夫人となっている西田佐知子がせつなげに歌ったブルース「アカシアの雨」の真実、そしてこの時代のもうひとりのヒロインだった現上皇后(正田美智子)の輝く美しさ。
 そうしたさまざまについて、お話しを重ねます。
 もしお時間がありましたら、ご視聴ください。zoomでは、質疑応答の時間も十分に確保しています。

 なお、この講座はzoomおよびアーカイブでの講座になります。
すでに【第1部】(明治維新から米騒動)、【第2部】(関東大震災から対英米戦争)、そして【第3部】(東京裁判から)の第2講まではzoom講座は終了していますが、アーカイブで視聴可能です。
 
 受講のお申し込みは、npo.shinjinkai1989@gmail.comまでお申し込みください。詳細はいただいたメールに担当の者が対応いたします。
 〝学び〟はいつもトレーニングしておきたいものです。


 

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☆☆なぜ、こんな時代に〝司馬遼太郎〟を読むのか? 講座へのお誘い!☆☆

2022-05-16 21:38:04 | 〝哲学〟茶論
 表題にもあるように、
たしかに、なぜこんな時代というか、時期というか、そんなときに〝司馬遼太郎〟を読むのか?
 そうした疑念をもつのは、一つの理かも知れません。
 これまで、わたしも司馬遼太郎の本は、それなりに読んできました。
 でも、司馬遼太郎には、どっかに保守的な雰囲気が纏わりついていて、というか〝司馬遼〟を好む読者層が、多くは大会社の重役だったり、戦後日本の高度成長期に功成り名を遂げた企業人だったりして、よくお店でも、料理もお酒も美味いけど、やたら成金めく客ばかり、つまりは客筋が悪い店があるように、司馬遼太郎の小説もそんなファンが多いように見えて、大学生のころは敬遠していたように思います。

 とは言うものの、1986年ころから司馬遼太郎は小説を書かなくなります。そして『この国のかたち』というエッセイの連載を行うようになるわけですが、それを読んでいくと、司馬遼太郎が、詩人田村隆一などと同じように「学徒出陣」組で、特攻だったり、南方に送られたりしたわけではないものの、あきらかに〝戦争〟の中に自身の死に近似した経験をもつ者の、ある種の「精神の歪み」といったものが見えてくる。
 そして、そうしたものが、なぜ『この国のかたち』を書きはじめることから明示されていったのか。もしかして司馬遼太郎は、「この国」の未来に、あるいは世界の流動に、なにか不吉な暗渠を見ていたのではないか。

 作品やエッセイを読んで思うのは、司馬遼太郎、本名の福田定一は、おそらく好奇心の強い、読書好きで、物知り、好事家といった市井の人だったように思います。さかんに冗談も言う、それなりに人に合わせて調子よくやれる。まじめな話をしても、とつぜんコテコテの大阪弁で、「ほな、儲かったやろねぇ」などとニンマリするような人だったように思います。

 そうした面白話を好む人物が、突如としてなにかに怒っているいるような表情になる。だからといって、だれかに教わった文切りの言葉やお題目のような、いわばイデオロギーの岩盤が透けて見えるような言葉は使わない。
 できるだけ、どんなふうに考えたらいいのかをたぐり寄せるように、「国家」や「歴史」、そして「人間」や「文学」に思考の錘を降ろしていく。
 そうしたたたずまいに、なぜか司馬遼太郎の本を読んでみたいという思いを抱かせる源泉があるように思うわけです。

 いま「世界」は、あちらこちらで苦しんでいるのだと思います。そして、多くのひとびとは、どう生きればいいのか、日々の暮らしも含め、どう楽しみを見いだせるか。周りの人びと、上手くやっているか。それが見えてこない。そんな気持ちでいるようにも思います。
 戦争、弾圧、恐怖、絶望、不安・・・。そうしたわたしたちを取り巻くいまのもやもやをどうすればいいのか。
 そう考えると、やはり、ここにはどう生きるかの態度を示す羅針盤があった方がいいように思います。
 いまこの講座をしようという意図はまさにそこにあります。

 もしよかったら、池袋のとしま区民センターでの講座に、あるいは話し合いができる場においでになりませんか。
 初講日は、この5月21日(土)14時30分からです。
メールアドレス:npo.shinjinkai1989@gmail.comまでご連絡いただければ幸いです。




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☆☆「司馬史観」講座と『ロシアについて』を読む!☆☆

2022-05-02 10:28:34 | 〝哲学〟茶論
 司馬遼太郎は、21世紀が明けてまもない2002年に『ロシアについて』(文藝春秋社)という一書を出版しています。
(正しくは、1986年6月に初版は出ています。ちなみに文庫は1989年でした。わたしがこの本を手に取って読んだのが2002年ということだったようです。わたしの読書ノートの記載ちがいでした)
   
 そのなかで司馬は、小説『坂の上の雲』と『菜の花の沖』を書くうえで、「十数年もロシアについて考えこむはめになった」としつつ、帝政ロシア時代の建築や装飾美術などに共通する「ここちよい陰鬱さと威厳を、いまも好ましく思っている」と書き記しています。
 <聖ワシリイ大聖堂・モスクワ赤の広場>
 しかし、ロシアの歴史を見ていくと、ルネッサンスの波動はモンゴル人の打ち立てたのキプチャック汗国の影響でロシアには鈍くしか伝道せず、「人間の発見」といった成熟した思想を受け容れる余裕は少なかった。
 司馬は、・・・このようにして、ロシア世界は、西方からみれば、二重にも三重にも特異な世界たらざるをえなかったことを、ロシアというものの原風景から考えていく必要がある・・・。外敵を異様におそれるだけでなく、病的な外国への猜疑心、そして潜在的な征服欲、また火器への異常信仰、それらがすべてキプチャック汗国の支配と被支配の文化遺伝だと思えなくはない・・・と述べています。

 たしかにロシアの人びとには、ヨーロッパ世界の農耕から醸成された思想的雰囲気とはちがっていて、どちらかと言えば遊牧民族的な遺伝子をもっている印象があります。
 ユーラシア大陸をほぼシベリアまで国土とするロシア人には、近代における「国境」という概念が育ちにくかったようでもあり、放牧民が牧畜のための草原を確保する、IT用語の〝バッファbuffer〟、いわゆる〝緩衝〟地帯の確保を至上とするようなことを、歴史上、しばしば行ってきました。
 それが近代に入っての、スターリンが行ったフィンランド侵攻を企図した「冬戦争」(フィンランド側の呼称)と呼ばれる侵略戦争であり、東西冷戦時代の東ヨーロッパへの執着であり、そしてウクライナへの侵攻というふうに考えることができます。
 そこに他者が住居してようと、領域としての緩衝地帯を置かねばならぬといった不安と拭いきれない猜疑心と文化的とも言える劣等感、征服欲・・・。
 そんななか現在のロシアにウクライナ侵攻を考えていってみると、そうした他者への猜疑と不安が一種の「矮小化のループloop」に結びついているとも言えます。

 ちょうど70~80数年前の日本は、中国の戦場で中国の女性を、また東南アジアの女性への強姦や暴行、そして慰安婦への強制をおこなったことがありました。
 そうすると、おそらく日本占領のためにやってくる進駐軍兵士も、かつての日本兵と同じ様に、今度は日本女性にたいして強姦暴行するにちがいない。そのための防波堤として、〝大和撫子を守れ!〟をスローガンに、いわゆる国家売春宿の設置する。
 名付けてRAA(特殊慰安施設協会 )・・・。
 じゃ、RAAで売春する女性たちは〝大和撫子〟じゃないのか! ってツッコミはともかく、その計画は「終戦の詔勅」が出たわずか二日後に、国務大臣近衛文麿から警視庁総監坂信弥に指示が出て、そして当時の大蔵官僚池田勇人が取り仕切り、RAAはつくられました。後手後手の日本政府のわりにいやに早い決断・・・。 
 たしかに、占領軍による強姦といった事件は他国でも皆無ではなかったのですが、性犯罪に毅然とした態度を取るわけでもなく、それに抗議することもなく、さまざま別の対策もあったろうに、すぐに〝売春宿〟をつくる。

 おなじようなことは、今回のプーチンのロシアも、ウクライナのゼレンスキーらはテロリストでありナチだ。ナチであるウクライナ人はロシア系住民を弾圧拷問、あげくには虐殺を行っていると言い募り、そこで自分たちは「正義」の戦い(特別軍事作戦)をしていると自己肯定する。
 しかし、やっていることと言えば、ロシア軍によるブチャやイルピン、ハリコフなどでの虐殺や強姦をしている事実がつぎつぎ出てくる。ロシアもやっているから、ウクライナもやってる? 逆にウクライナ兵もやっているからロシア兵もやっている?

 政治学では、よく「安全保障のディレンマ」ということが言われます。つまり、相手が軍事力を増強している恐れから軍事拡張をはかる。そうしないと国を守れないというわけですが、それは相手国から見て、とんでもない脅威に映る。そこで相手国も軍事拡張をはかって対抗する。
 相手への知識や理解を欠くと、そうした軍拡はどんどんエスカレートしていき、そのディレンマは飽和状態になり、ついに無益な戦争が行われ、終末兵器である「核」兵器も、威嚇のためこの程度はいいだろうという戦術核が使用され、いつしかそれは巨大な核戦争へと逢着し、世界はカタストロフを迎えるというものです。

 相手を理解しようとしない。自分たちがこうであるのだから相手もそうするにちがいない。
 自己の矮小さのなかに相手も引きずり込んで、どんどん矮小化のスパイラルのなかに自らも相手も貶める。
 これはまるで「矮小化のループ(輪っか)」ではないか。
 
 というわけですが、
 ウクライナへのロシア侵攻の先行きは、いまだ見通せません。
 凡百のコメンテーターがNetやMass Mediaの浮ついた空間でさまざま言説をまき散らしているというものの、他国からの侵略による支配を受けたことのない、〝極東〟の島国日本では、どの言説もリアリティrealityをもたない。ましてやそのような歴史的経験に裏打ちされていない言説で、わたしたちの不安は静まるものでもないし、かといって煽られても意味がない。
 歴史を大きくとらえてみれば、これは近代における民主主義のトレーニングの時期を欠落したロシアという「国家」のもたらした悲劇であるとともに、人間というものがいかにその精神において矮小で欠けた存在なのかを物語ることのようにも思います。
 そう言うのなら、日本もこの〝民主主義のトレーニング〟は、民主主義そのものが、戦後、米兵からチューインガムをばらまかれるのと、あまり変わらない程度のもので、けっして鍛えられているものではないのですけど・・・。
 煎じ詰めて考えるに、要は「人間」というものが、いかに生きるべきか、その精神をいかに気高く伸びやかに保つかという問題に最終的には行き着くものなのでしょう。
 プーチンの言葉には、マフィアの使うような傲慢で野卑な言葉しか見つかりません。それは北朝鮮が連発する挑発的で相手を貶める言葉と変わらない。日本でいえば、ヘイトの連中の使うムカムカするような気持ちの悪い言葉ときわめて似通っている。
 問題は、そうした言葉にいかに対峙するか。あるいはその言葉の持つ〝痼り〟をどのようにして解きほぐすか。落ち着かせるか。
 
 いまの「核」時代にあって、烈しい言葉や陰謀的言辞、あるいは偏光を強いるドグマに引きずり回されたならば、それは容易に破滅を呼び起こすものになるでしょう。
 烈しい怒りやスローガン、理屈のありそうな言葉が、かりに一見、正義を誇っているようであっても、〝非国民〟と戦前の日本人が他者に向けて罵った言葉が、戦後になると〝反動〟という罵りの言葉に取って代わられるような、愚だけはふたたび犯したくない。

 まずは「人間性」を取り戻すこと。

 ウクライナの人びとが強姦、虐殺、強奪するロシア人に、あれは「人間じゃない」と吐き捨てるように言うシーンを見ましたが、いや「人間」だから強姦も暴行も強奪もする。その源は恐怖と自己の卑屈さで、こうした感情は他の動物には現れ出ないものです。
 それらは「人間」なればこその暴虐としなければならない。
 人は堕落もするし、品格をもつことも、さらに自らを陶冶することもできます。まずは、その一点に関して、自分はいかなる「態度=精神」をもっているのかを、いまこの時期だからこそ、考えてみたいと思っています。
 それが「人間性」を取り戻すという事だと思っています。
 
 最後に、またこの5月21日を初講とする講座『司馬史観を考える!』の案内を載せておきます。
 上記に記したさまざまな問題などを「語る」場所として、講座を開講したいと思っています。よろしくおご参加ください。
*現在、進行中の『日本〝近代・現代〟のプロフィール』の講座も、まだ受付をしております。

 なお、『司馬史観』の申込期日は、5月15日(日)までとなっています。申し込みはNPO新人会文化講座のアドレスまでお願いいたします。
  npo.shinjinkai1989@gmail.com
 またNPO新人会のTwitterもあります。ぜひご覧ください。
  NPO法人新人会@Vi4WmmxAsWnvTpk

 

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歴史講座【第3部】<第1講>を行いました。5月からの司馬遼太郎の講座について!

2022-04-24 17:09:14 | 〝哲学〟茶論
 いかにいまの時代に向き合うのか。
 ほんとうに難しいことになってきました。

これまでも、世界のあちこちには、内戦や民族対立、テロなどさまざまな惨劇があり、ぼう然とする事件が起こってきました。
 そして、またいまのロシアのウクライナ侵攻、ミャンマーの内戦・・・。きびしいな、と思わざるを得ない毎日です。

 そうした事件との遭遇ということだと、
わたし個人の経験には、2004年3月11日の朝に起こったマドリッドのアトーチャ駅爆破テロの記憶が鮮明です。
 テロの当日、マドリッドに到着し、その翌日、規制線が張られた、いわば日本でいうと新宿駅といってもいいアトーチャ駅で、その惨状を目の当たりにしたことは、なんとも言えない深い衝撃になって残っています。
 テロがいかに虚無的なものかを、そのときほど烈しく、身を打たれ、肌で感じたことはなかったように記憶しています。
 人が死ぬということの、酷たらしさ。もちろん、死者の骸は片づけられていましたが、駅舎には、濃密な血の臭いが残っていました。
 でも、そんななか、早くもマドリッド大の若者たちが、アトーチャの空き地にテントを張って、たくさんの寝袋が積んでありましたから、おそらく不寝にでしょう、
 「No A La Guerra!」(戦争反対!)と黒く染め抜いたTシャツを売って、救済カンパを募っていました。

 いかなる「戦争」も止めるべきです。
もとより「戦争」は、核兵器はもちろん武器によって押さえつけることはできません。
 「戦争」の事態に際しては、肚を括って、それを止めるためのさまざまな行動を起こすべきでしょう。
 声を上げる。説得する。戦わなくていいシェルターをつくる。世論を喚起する。デモや集会に出る。いろんなかたちで意思表示する。
 身体を張って、放水車の冷水をものともしない。困った人びとに言葉をかける。戦うことは、前線に出ることだけじゃない。
 もし、万事休したら地下に潜る。逃散する。一人一人がもっている能力を注ぐ。
 いつも熱くならず、冷静に、いつも自分よりも後に来る人たちのために、自分自身の行動を考える。

 いまのわたしたち国では、核抑止論が飛び交い、日本の核共有とか核武装、憲法の改正、その他法制の改正、あげくには敵対的拠点へのミサイル先制攻撃の必要など、勇ましいばかりの論議が出ています。
 わたしから見て、これらはみんなアウトソーシング、いわば「外化」して、自分の不安を解消しようと必死に醜い姿をさらしているようにしか見えません。
 泥沼のなかで泥が軍靴に冷たく染みこむのに幾時間耐えれるか。砲弾の飛び交うなかで、何時間、冷静にときを過ごせるか。
 熱風の中で匍匐前進をして、体力の限界まできても、意志力だけで、重い銃器をもって走れるか。
 「フェイク」に惑わされないため、わたしたちは権力者の発する情報や勇気もなく自ら名のりもできないnetの住民が発する言葉には、それがいくら真実らしく聞こえても、耳を貸さないし、人に伝えない。ぎりぎり、自分で確かめる。
 憲法を変えても、ましてや核武装したところで、仮に今回のように他国からの理不尽な侵攻を受けたら、ほぼ何の役にも立ちません。
 対手を説得する。権利通義をどこまでも貫けるか。貫くことで、自分たちより後に来る人びとに理解される意義をどれだけ持てるか。

 歴史講座【第3部】<第1講>、今日の冒頭のお話しは、そんなことでした。あと講座は4講座あります。
 すべてアーカイブで視聴できますし、以降もzoomで、まだまだこの講座は続きます。

 それとこの機会に、司馬遼太郎という作家について、よくいわれる「司馬史観」というものについての講座も、5月21日から池袋の「としま区民センター」で行います。
 べつに司馬遼太郎の本をお読みいただく必要はありません。講座に参加いただき、そこから読んでみようか、ということでいいのです。
 そんなわけで、司馬遼太郎の講座の準備のため、ほぼその作品と関連する図書に当たっていますが、いまのロシアのありようを、司馬は歴史を見渡し、広いユーラシア大陸の自然と風土を思い描き、多くの示唆に富む発言をしています。
 それらを読み解きながら、わたしたちが「後世」というものと、どう対話していかねばならないのか。そうしたことの態度=精神のありようを、互いにお話しできればと考えています。
 
 ぜひ、この講座にもご参加ください。

 ちなみに、わたくしどもNPO新人会のTwitterができました。
 NPO法人新人会@Vi4WmmxAsWnvTpk
 です。
 まだ、本格活動していませんが、これからこちらのほうからも、いろんな情報をお知らせしたいと思っています。 



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☆☆いまの戦争を考える!〝戦争とテロ、そして国民〟(第3部・現代史)の講座開講☆☆

2022-03-28 15:52:14 | 〝哲学〟茶論
 西欧よりは東欧を旅した人は、ふと東欧の人びとの表情の厳しさに、一瞬、たじろいだことがあるかと思います。
 プラハ、ザグレブ、ブダペスト、リュブリャナ、サラィエボ、それにワルシャワ、クラクフ、ブラチスラバなどの街を歩くと、古さびた灰色の壁面に小さく窓があって、その向こうには人びとがひっそりと静かに暮らしている。そうした息をひそめるような悲しみをふと街並みから感じてしまう。
 夏であるならば長めにおとずれる夕暮れがあたりを覆うと、街全体に寂寥が住みついたような、そんな日本とは異質な感慨に襲われることもしばしばあったかと思います。
 
     <ポーランド・クラクフの街区>
 考えてみると、中世以降、いやもっと以前からこの地は、突然外からやってくる自分たちとはちがう種族の兵馬と吶喊、そして砲声に蹂躙された歴史にあった土地でした。
 そうした時代のヨーロッパの地図を見るまでもなく、つねに国を示す境界線は不安定なもので、ときどきにローマ帝国、十字軍、イスラム軍、蒙古軍がやってきては人びとの生活を破壊し、支配のための建設を行い、その後の「近代」となっても、それぞれが一定の言語によって「国家」という集合体を形成しても、ハプスブルグ家の支配、さらにオーストリア=ハンガリー帝国の膨張、ナポレオンの東征、ロシア帝国、ナチス=ドイツの侵攻、スターリン・ソ連の支配・・・。
 なんどもローラーをかけられたように支配と被支配が繰り返され、人種・血族が戦禍の軋轢で分断・融合を余儀なくされ、そのたびに言語が支配者の言語のそれに変わり、伝統的な暮らしのありようは混濁し、何重にもおり重なり合うようにして屈辱と痛苦と悲惨と絶望が、大量の血を吸った大地のうえに歴史とともに積み重なっていく。

 わたしたちのような、いわば極東の島嶼に、無自覚になんとなく国としての集合体が存在した者には、そうした寂寞とした忍従と屈折の歴史の深層はもとより理解し得ない。そう思うべきなのでしょう。そして、それがそうした国々や人びとへの、わたしたち日本人が取るべき、最低限の礼儀のように思います。

 戦争がはじまったのだから、圧倒的な敵がやってきたのだから、逃げろ、国を出たほうがいいなどと、あたかも親切ふうに語った者たちの無知と無能さは、まさに呆けた日本人の不様な地金を露呈したに過ぎないものでした。テレビ芸者にすぎない彼ら彼女らは、いくらいい学歴を積んだとしても、あるいは弁護士だとか知識人だとか言っても、自らの無知を恥じ入るべきではないか。
 およそ、歴史の浅瀬でゴミのような名誉と金穀を貪って知識人ぶる愚かさ、そしてそれを許容していること自体、まさに屈辱でしかないように思います。

 かつてロシアおよびソ連の脅威に苛まれた国のなかには、ナチス=ドイツの枢軸に加わった国々や地域があります。
 ハンガリー、ブルガリア、ルーマニア、フィンランド、そしていま戦禍のもとに置かれているウクライナなどは、そうした歴史を含まざるを得なかった。
 ソ連・ロシアからすれば、それらの国や地域は「ナチ」なのだと言うことになるのですが、それが現代にも払拭されず残っていて、それがロシアの独裁者の言葉に乗っかって叫ばれる。すると、すでに「ナチ」とは言えぬ、いわゆる愛国右翼を形成する集団を、あたかも陰謀団か破壊集団のようにレッテル付けされ喧伝されていく。
 そんな言説が根拠もなく、いまの日本のnet界隈にも、陰謀めいた薄笑いとともに囁かれているようです。
 歴史を知るということは、あるいは歴史を観察するということは、手間がかかるものといっていい。
 簡便にすぐに結論など出てこない。世界の僻地である島嶼国家にいるわたしたち日本人は、そうした鍛錬され形づけられる歴史の合理性にまったくタフではありません。すぐに謀略史観にとびつく、あるいは逃げ込む癖がある。

 いま戦禍のなかに苦しむウクライナも、近代以降、何度もローラーをかけられるように、ナチス=ドイツに、ソ連に、そしてロシアに、その領土を削られ、言語を支配されてきた国でした。愛国右翼もテロ組織も赤色テロ集団も、そのときどきに出現し、混乱をつくっていきました。
 そして、それが「国民」国家が形成され、排他的領土権が広くコモンセンスとされた21世紀の現在になっても続いている。その惨状を、浮ついた言葉やあり合わせの思想で語るわけにはいかない。
 歴史を知る意味とは、知識を得ることではなく、人びとの哀しみを知ること、その積み重ねを精神としてとらえることにあるのではないか。
 おそらくEUにつくとか、ロシアにつくとか、そんな片々たる問題よりも、これまでの何層にも血で固められた歴史を見据えることの意味を、少なくともわたしたち極東の住民は思いやる必要があるように思います。

 確実なのは、いま21世紀の現代も、〝核戦争〟の時代におかれている現実を見据えるべきでしょう。
 浮ついた言説をまき散らす弁護士上がりの政治屋やブルーとイエローのドレスを着て、空疎な言葉を吐き散らす参議院議長をもつ恥辱を、もっと見据えるべきであるように思うわけです。
 そして、利権にまみれたロシアびいきの国会議員も、この国の利権まみれの上っ滑りな無知の標本であろうと思います。

 長々と書きましたが、最後に4月24日からはじまる
 日本〝近代・現代〟のプロフィール<第3部>の紹介をさせていただきます。
  テーマは「戦争とテロ、そして国民」です。
 お話しする時代は、1945年の敗戦時の日本人から現在の日本人の戦争への意識についてです。
 こんな時代です。空疎で浮ついた講釈ではなく、しっかりと地に足がついた対話を積み上げていきたいと思っています。
 以下、flyerを貼っておきます。
 お問い合わせは、メールでNPO新人会講座担当まで。
 npo.shinjinkai1989@gmail.comです。

 

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☆☆「日本〝近代・現代〟のプロフィール」【第1部】【第2部】のアーカイブ配信のお知らせ☆☆

2022-03-23 12:26:13 | 〝哲学〟茶論
 雪解けの泥濘が大地を覆うなか、
間断なく飛来するロシア軍のミサイルは、
無差別に無関心に無感動に人びとの命を消し去っています。

 これが戦争なのです。歴史をふりかえれば、
これまでの幾多の戦争で、
どれだけの人が悲しみと絶望に、
そして虚無に苛まれたことか。

 近代の歴史教科書では、
「民主主義」が戦争の抑止につながると教えています。
いまは全体主義国家と民主主義勢力のせめぎ合いなのだ。
 そんなふうに思われているかたも少なくないでしょう。
しかしじっさいは、選挙権が拡大され、多くの国民が民主主義を
かざしても、戦争は防ぎえてはいないのです。
 むしろ、国民がいっせいに戦争を選択した時代もあります。
 その一例として、戦前の日本、戦前のドイツをあげることは、そんなに間違っていません。イギリスの宰相チャーチルの言葉ではないですが、一国民が全体で狂ってしまうことは、歴史のなかで少なからず見られることです。
 戦争を防ぐのに、民主主義へ加重な期待をしても、あるいは政治制度や国際法などに依存しても、それらは無駄な場合が多い。
 核兵器による抑止力などは、危ういチキンレースでしかない。
今回のロシアの侵攻を見ればわかるように、ロシアは核兵器を人質に威嚇し脅迫して、ウクライナに侵攻しました。
 現実的にNATOやアメリカの核装備は、その脅しの前で、無意味となっています。抑止にもなんにもなっていない。ただ暗い泥濘の戦場が拡がっているだけです。 
 
 戦争の問題はもっと別の所にあると言っていいでしょう。
 まずは、貧困や格差社会のなかでの鬱屈した不満、他者および他国や外なるものへの嫉妬、さらに親密圏だけに閉じこもり、それ以外の世界に眼を閉ざす暗愚なありさま・・・。自らで考えようとしない怠惰さ。すがり、依存し、聞き触りのいい言葉やそのときのもっとも安易な感情に身を浸そうとする欲求・・・。
 あるいはnetなどで、ロシアにも問題はあるが、そもそもNATOに入ろうとしたゼレンスキー・ウクライナの政治的混迷も悪い。どっちもどっちさ、と理屈を盾にして自らを裁定者の場所に置き、したり顔で論評する冷笑主義者(犬儒派、cynicism)・・・。そうした者どもの心底にある卑怯と狡猾さ。
 戦争やテロの要因は、そもそもがそうした人間の脆弱さに根があります。

 事実として、これまでも戦争は、政治システムや政治制度などで抑制はできていません。
 戦争をおこさないようにするのは、どうすればいいのか。
 軍事力や政治システムに求めても、多くの場合、解決には行き着けない。ならば、どうすればいいのか。

 ことの起源は、人間そのものにある。
 つまり、すべてはひとりひとりの人間の態度、精神によるものと言っていいのではないかと言うことです。まずは自身を問うべきだと思います。
 自立すること。自分の頭で物事をしっかり考えること。耳障りのいい心地いい一つの情報を信じ込まないこと。そして最も重要なのは、じっさい自分はどういう人間になりたいのか。真剣に考え、行動すること。
 はたして人を殺していいのか。でたらめで甚大な虚偽をあたかも真実らしく声高に、あるいは耳元でささやいていいのか。他者を差別し侮蔑していいのか。口汚く罵り批判の言葉を浴びせていいものなのか。
 他者に対する批判は、遠くにいればいるほど容易で攻撃的になります。しかし他者への尊敬や愛情は近くであればあるほど確実なものになります。
 そして、根拠のない被害者意識に包まれる気持ちの良さに惑溺していいのか。被害者の顔をすることですべてから逃れようとする卑怯さを考えてみる。
 
 いつ殺されるかに怯え、戦禍のなかでどうあるべきかを考えているウクライナの人びと、反プーチンの運動のなかでつぎつぎに検束され警棒で打ちのめされているロシアの若者、さらにアジアのミャンマーの軍事政権の圧制にあるなかで、自らが何者であるかを考えている多くの若い次世代の子どもたち。

 わたしたちの眼に映るそうした現実。わたしたちは、そうした、いま起こっている出来事を鈍痛を感じながら見ていくしかない。自らができることをしていかねばならない。まずはindependence、独立からです。

 と、まえがきが長くなりましたが、この春からの講座についてお知らせします。
 4月24日(日)午前11時からを初講とする「日本〝近代・現代〟のプロフィール」第3部が開講されます。
(詳細は2・3日中にお知らせします)

◇NPO新人会・宏究学舎2022年
    「近代・現代史」講座◇
<第3部・全5講>2022年4月24日~7月17日
 日時:毎回日曜日<講座午前11時~12時
    :質疑応答約40分>
 *全講zoom(質疑応答可)orアーカイブ
 受講料:全講受講6000円<5回分>
 *大学生・高校生3000円
 附記:各講毎、事前にPDFでレジュメ送付。
   それに沿って講座は展開されます。
【日程とテーマ】
・第1講(4月24日):「東京裁判」と戦後日本人
 ~米兵がばらまいたガムと「民主主義」
・第2講(5月15日):『朝鮮戦争』と金へん景気
 ~〝もうかりまっか?〟で大笑い!
・第3講(6月5日):「六〇年安保」と
           〝アカシアの雨?〟
 ~〝高度成長〟万歳!
・第4講(6月19日):「ヴェトナム戦争」と
               〝昭和元禄〟
 ~大量消費時代とマクドナルド
・第5講(7月17日):「全体主義」の暗愚と戦争
 ~日本人は「世界」と連帯できるか?

 また5月21日(土)からは、池袋のとしま区民センターで、
司馬遼太郎の歴史観や国家観についての講座を行います。
 (詳しくは今週末にお知らせします)

◇NPO新人会・宏究学舎
     2022年夏学季講座◇
 講座〝司馬史観〟を考える!
          <全4講>
 日時:2022年5月21日初講(全講zoom受講可)
 会場:としま区民センター503or403教室
   JR他各線「池袋駅」(東口)徒歩6分 
  *受講料6000円(学生3000円)
 時間:土曜日午後14:30~16:30
【日程とテーマ】
・第1講(5月21日):「国家」への視座
 ~学徒兵福田定一が見た「国」のすがた
・第2講(6月11日):『歴史』との対話
 ~時代を俯瞰すること。
     真実を見いだすこと。
・第3講(6月25日):「知性」への信頼
 ~〝批判と尊敬〟〝許しと約束〟の日常
・第4講(7月9日):「文学」への問い
 ~人びとに語る言葉としての「文学」

 そしてその前に、
「日本〝近代・現代〟のプロフィール」
 (第1部)(第2部)のアーカイブ版の受講についてです。
明治維新から対米戦争までの約75年の日本近現代史のこの講座は、すでに終了していますが、それをアーカイブ版でご視聴できます。
 ぜひ、この春、そちらの方からご参加いただければと思い、紹介いたします。
 下記にflyerをあげておきます。

 お申し込み、また詳細はNPO新人会講座担当までメールでご連絡ください。
mail:npo.shinjinkai1989@gmail.com
またはわたしのメールアドレスyagashiwa@hotmail.comまで。



 

  
 


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☆☆精読『源氏物語』講座のおしらせ☆☆ こんな時代だからこそ「学び」が大事です!

2022-03-15 20:52:30 | 〝哲学〟茶論
  ロシアのウクライナ侵略戦争の、
しかも「核兵器」での脅迫のもとに
置かれている、
こんな時代に、
はたしていいんだろうか。

そう思いながら、
ロシアも中国も、「国家」が情報を支配し、
ふつうの情報が遮断され、
無関心で愚昧な民が、「権力」のまわりにへばりついている
状況を見ると、
それはわたしたちの国もかわりは
ないのかもしれませんが、
いずれにしても、
やはり、すこしでも思考する、
真実を知ろうとする
人びととの交流を強めるためにも、
やはり、できることはしようと思い、
講座をします。

この3月19日(土)15時30分から2時間、
特講『源氏物語』第2部の講座を行います。

主催は京都商工会議所と京都新聞です。
場所は、都営三田線西巣鴨下車、
大正大学7号館4階741教室 で行います。

もちろん、いまの時代のことはお話ししません。
でも、わたしたちがいつも同じ思考や思想にとどまり、
世の中の出来事に無関心を決め込むことの
悪について、
『源氏物語』は教えてくれるところがあります。

あでやかな宮廷文化の精華としての
『源氏物語』ではなく、
救済も希望も、闇夜に閉ざされて
ことごとく
否定されていく紫式部の物語について、
お話しさせていただきます。
じつは先に前半部の第1部をお話ししていて、
この第2部で『源氏物語』のまとめに入ろうと
思っています。

受講希望の方は、
窓口が京都商工会議所から
京都新聞文化センターに変わりました。
075-213-8141
京都検定講座・東京講座担当の方に
お問い合わせください。
直接おいでいただいても、受講はできません。
あらかじめ、京都新聞文化センターに
お問い合わせの上で、
おいでください。
よろしくお願いいたします。

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☆☆世界は団結して〝戦争をやめさせよう!〟☆☆

2022-02-28 13:43:43 | 〝哲学〟茶論
 凡百の解説はもういいでしょう。
ロシアの謀略やアメリカやEU諸国の思惑も、
探ることにさほどの意味はないでしょう。
医者が、困ったときに病名をつけて患者を納得させる、
それをいくら繰り返しても、
状況は悪くなるばかりです。

 核兵器の威力をロシアがちらつかせただけで、
この戦争の恐ろしさは、際限ないものになっている。

 もう、みんな一緒になって、
この戦争をやめさせましょう。
 なんの益もない、死者と悲しむ人ばかりを増やす
戦争は、やめにしましょう。

 かつて『THe Day After』という核戦争前とそのあとの
仮想現実を描いた映画がありました。
当時、高校教師であったわたしは、
政治経済の時間に
生徒さんといっしょに、
その映画を見ました。
核兵器で、
何もかもがメチャクチャになる
その惨憺たる惨禍に、
胸をつかれる思いがしました。

 だいじょうぶ、核など使わないから・・・
 はたしてそうでしょうか?
ウクライナからポーランドに避難してきた人びとが、
インタビューされていました。
「・・・状況は困難だとわかっていたけど
  ・・・戦争が今日起こるとは思わなかった」

戦争はいつでも、とつぜん起こるものです。
「・・・昨日まで和やかに会話を交わしていた隣人が、
 とつぜん斧を振り上げライフルを乱射した・・・。」
これは2003年に、ボスニア=ヘレツゴヴィナの都市、
サライェヴォで地元の人から聞いた言葉です。
気がついていたら、戦争になっていた。


核兵器だって、
いつ投下されるか、
誰もわかりません。
気がついたときは、
すでに投下されたあと
だったりします。

わたしたちには、声を上げるしか、
手段がありません。
いや、そうではなく、みんなで声を上げる手段が、
まだしっかり残されています。

一人でも、戦争はやめろ!
の声を上げましょう!

わたしも今日から、声を上げます。

YAGASHIWA  TATSUNORI  

 
 

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☆☆「日本〝近代・現代〟のプロフィール」【第1部】【第2部】のアーカイブ配信のお知らせ☆☆

2022-01-31 15:15:07 | 〝哲学〟茶論
 歴史講座を開講して、もう12年ほど経ちますが、
コロナ禍ということもあり、2021年から、はじめてzoomとアーカイブ(映像ファイル送付)で講座を展開することにしました。
 スタジオといった洒落たものは無いわけで、いつも、わたしの書棚が並ぶ書斎らしきものから放映しているのですが、それでも、これまでなかなか東京に来られない方には、このzoomとアーカイブでの講座の発信は、やってよかったかな、とこのごろ思ったりしています。
 わたし自身もdeepな〝あきた〟の生まれで、大学は東京で過ごしたものの、高校教師も〝あきた〟で、といっても県内の最北部である鹿角市だとか能代市でしてましたから、知識というか知性への飢えといったものはけっこう身に染みて感じていました。
 失礼ながら、田舎には知的欲求を満たしてくれる本屋さんがあるわけではなく、観劇にしろ、演奏会にしろ、絵画展にしろ、〝あきた〟などにはそうそうやってこない。
 来るとすれば、プロレス興行か歌謡ショー!

 いつか生徒指導の役得で、「山口百恵ショー」を鹿角市で、「小泉今日子ショー」を秋田市で青少年指導を兼ねて(?)、聞くことができましたが、小泉今日子の場合は、県民会館というそれなりの施設で、照明もバッチリ。かなりショーアップされたコンサートでしたが、山口百恵の場合は、たしか会場が地元中学校の体育館で、それしかなかったからでしょうが、舞台にはそれなりの飾り付けではありましたが、体育館の床に座って、しかも子どもは走り回るし、うるさいし、この当時テレビの歌謡番組ににもよく出たりして、かなり人気が上がっていた山口百恵には、ほんとに気の毒なくらいのショーでした。
 それでもショーマンシップというか、彼女はまったく動ぜず、しっかりステージをこなしてました。
 そんな状態ですから、それでも〝あきた〟には、地元に詩人や思想家がいないわけでもなく、そうした人びととじかに話ができたわけで、それはそれでよかったのですけど、もっと哲学的なことを考えたいとか、高踏な文学に触れたいとなると、なにせ情報も少なく、東京が恋しかった思い出があります。

 それがコロナ禍で、一挙にzoomばやりになり、それを活用し、いろいろ質疑応答も討議もできる。見逃してもアーカイブで視聴できる。
 それは、画期的なもののように思います。

 というわけで、ちょうど今やっている「日本〝近代・現代〟のプロフィール」【第1部】(〝御一新〟から〝米騒動〟の全5講)と【第2部】(関東大震災から対英米戦争)もアーカイブ版でご視聴できます。
 また【第2部】は、次回2月6日(日)に第3講となるわけですが、これは第3講からはzoom(レジュメはあらかじめPDFでメール送信いたします)でも参加できますし、またまとめて後日アーカイブ版(同じくレジュメはPDFでメールで送付いたします)でご視聴できる体制を整えました。
 詳しくは、下記にあるように
[NPO新人会講座担当npo.shinjinkai1989@gmail.com]
にお問い合わせいただければ、参加の詳細や講座料の振込方法などをご連絡いたします。

 zoomについては、おそらく学校や職場ですでにご経験なさっているかと思いますが、アーカイブとは、これまでの講座の映像を講座レジュメとともにメールで送信し、それにIDおよびパスワードをいれてご視聴いただくものです。
 ご視聴期間や講座の配信間隔などについては、いちおう2022年2月から4月としていますが、ご希望に添うかたちで対応できます。

 そんなわけで、少々宣伝じみて恥ずかしいのですが、
もしお時間がありましたら、ご検討ください。
 みなさまのご受講、ご参加をお待ち申しております。よろしくお願いいたします。なお、以下、詳細です。

 2022年☆NPO新人会・宏究学舎☆
 「近現代史」講座のお知らせ!
War/Terrorism and The Ordenay Poeple
◇期間:2022年2月~4月まで、
ご自由な時間で受講できます!
**第1部全5講からでも、現在進行中の第2部からでもご自由に受講可能!
**「zoom」ライブ受講もアーカイブ(講座映像ファイル送付)受講も可能です!*
【第1部】受講希望の方には、【第1部】の講座の映像ファイルとレジュメを一週間の間隔でお送りします。【第2部】から受講希望の方には、第3講からzoomでのライブ配信(午前11時から約60~80分)が可能ですが、これも全講座の映像・レジュメを下記日程に沿って送付いたします。
*詳しくは、下記のNPO新人会講座担当か八柏までメールでおたずね ください! 講座のご説明と受講方法、zoomとアーカイブ便のご 利用方法や講座料振込方法などご連絡いたします。
◇受講料:各講座とも6000円<一講5回・講座時間60~80分>
◇講師:八柏龍紀
・・【第1部:講座内容】・・・・・・・・・・
・第1講:戊辰戦争の真実
 ~人びとは〝御一新〟を望んでいたのか?~
・第2講:征韓論と西南戦争の真実
 ~西郷隆盛は何と戦ったのか?~
・第3講:日清戦争の真実
 ~朝鮮戦争、台湾征服戦争であった現実!~
・第4講:日露戦争の真実
 ~歪な「一等国」は民衆の犠牲から~
・第5講:外での戦争、内なる戦争
 ~第一次世界大戦と米騒動の挟撃~
・・【第2部:講座内容と日程】・・・・・・・・
    cf)なお【第3部】は4月から開講!
・第1講:「関東大震災」と民衆のテロリズム
 ~吉野作造は何を見たのか?
・第2講:『柳条湖事件』と「満洲事変」
 ~〝軍刀と謀略〟の現場を歩く!
◆zoomライブ受講は第3講から可能!
・第3講(2月6日):「5・15事件」「2・26事件」の暗黒
 ~〝鬱屈した情念〟の奔流!
・第4講(2月20日):「日中戦争」と〝南京虐殺〟
 ~〝殺す〟論理と〝殺される〟心理
・第5講(3月6日):「対米戦争」と〝玉砕〟の構図
 ~いま、〝死の意味〟とは何か?☆
**お問い合わせ・お申し込み**
E-mail:npo.shinjinkai1989@gmail.com

 

 
 




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☆2022年〝新年の手紙〟~「わたし」は何者なのかの問い~・・・2022年度の講座開設について☆

2022-01-02 10:16:24 | 〝哲学〟茶論
 1月16日を初講とする「日本〝近代・現代〟のプロフィール」【第2部】は、関東大震災の際起こった朝鮮人や中国人、それに日本人に加えられた虐殺をテーマにしています。

<関東大震災:自警団による不法虐殺:1923年>
 
 〝虐殺〟といっても、その実態がよく理解できない方もいらっしゃるかと思いますが、当時の日本には少なくとも1万人以上の朝鮮人が、いまで言う「3K」仕事などのため、あるいは朝鮮飴などを売って、零細な生活をしていました。
 かれらの多くは、日本により植民地化されたことで、小作として働いていた土地を奪われたり、あるいは生活苦に追われ、一種の出稼ぎ難民として日本にやってきた人びとでありました。
 もちろん中には留学生も若干いましたが、ほとんどがおとなしい下層労働者であり、かれらはまともに言葉も通じない日本で、互いに身を寄せ合うようにして生活していました。
 そんな彼らが、井戸に毒を撒いたとか、暴動を起こし横浜から東京に攻めてくるなんてことは、常識から考えてありえないことでしたし、生方敏郎の著した篤実な記録である『明治大正見聞史』(中公文庫)などには、当時日本にいる朝鮮人へのごく当たり前の見方が示され、また貧しかったけど慎ましやかな朝鮮人のくらしについても、多くの証言が残されています。そんな資料を読むと、どうも朝鮮人が暴動を起こしたというデマについては、はじめ多くの人びとは、半信半疑だったようです。
 しかし、その情報は戒厳令下で軍隊によって広まり、警察によって確実なものと喧伝され、各処で自警団なる暴力集団が形成されていくなかで力を増していきます。
 一方、日本にいた中国人も、留学生など日本の文物を学ぶべきとして来日してきた人たちで、日本社会を破壊するなどの企てをするなどは、まったく考えられないことでした。しかし、王希天事件のように理不尽な殺人が大手を振って行われます。
 そして地震の被害が明らかになるとともに、パニックの穴ぼこに吸い込まれた人びとは、軍部や警察の指嗾に手もなく同調し、軍部の殺戮を真似、自警団などは朝鮮人だけでなく、〝異端〟としたものへ日本人を守るとして、激しい暴力を加え、いともたやすく殺人を繰り返していきます。
 ふだんは地味でおとなしい床屋の亭主が、木刀を振りかざして、殺せ!殺せ!と喚き散らしてみたり、町内の世話好きな女房が、包丁振りかざして、リンチされ息も絶え絶えの朝鮮人の身体に切りつけたり、そうした話しは枚挙に暇がありません。
 でも、一場の狂騒が過ぎると、大騒ぎした床屋の亭主や世話好きだった女房は、みんなでやった、オレが悪いんじゃねぇ、わたしだけが手をかけたんじゃない。朝鮮人や中国人の命が絶たれたことを、気の毒だと他人事のように言い散らして、あとはほおかぶりして自己を省みることはありませんでした。
 詩人の金子光晴は、ここに「日本人」の地金が出てきた、周囲の流れに迎合し、傲慢で横柄で、口笛を吹いてうそぶくような、「日本人」の地金が出てきたと述べています。(『絶望の精神史』講談社文芸文庫)

 それから100年近くたって、いまの「日本人」のありようはどうか。コロナ禍の現在の様子から見て、どうもあまり変わっていないように思えたりします。もしかして、もっと深刻なのかもしれません。
 数年前、高校の教師をしたとき、いまどきの若い男子に、どんな人物に憧れるかと聞いたことがありますが、そのとき出てきたのは、ホリエモンとかマエサワといった巨万の富を得た、いわばIT系か通販の経営者であったり、ひきこもりのメタモルフォーゼ的な「ユーチューバー」といった答えが多かったように思います。
 「なぜ?」と聞くと、流行っているしカッコいいし、実行力がスゴい。お金がスゴい。つまるところ、〝流行(はやり)〟と〝富裕〟ということ。その先はなにもない。彼らは宇宙旅行もできるんだし、バズってスゴいというわけです。
 そんな憧れをあつめる彼ら、そして憧れる彼らに、いつも疑問なのは、自己実現を遂げることしか頭にないことへのためらいのなさです。底抜けな愚かさに疑問がない。
 ユーチューバーなる存在はまずおくとして、彼ら成功者は達者な口で、人びとに夢を与えるなど、後づけめいた理屈を吐きますが、しかし、彼らには、雲のように膨らむ他者への決定的な無関心と侮蔑がどうしても透けて見えてくる。それは自己愛の醜悪なコンプレックスのようでもあります。
 そもそも、宇宙旅行などは大気圏を破り、オゾン層をさらに破壊し、地球環境にとって害毒しかないもの。巨万の富を得た金持ちが、旅行気分でどんどん宇宙などに飛び立つと、地球はいまの火星のように砂漠とゴロタ石しか残らない、砂嵐の吹き荒れる星になる。
 ただし、そんなことは知らないし、根拠を示せと得意の口で攻撃し、怪しげなデータを出してきて、世界中を飛んでいるジェット機より、環境破壊はしていないとうそぶく。
*宇宙旅行の問題については、フランスの宇宙物理学者のロラン・ルゥクの緻密な分析やコロラド大学の大気学者ダリン・トゥーイーが警鐘をならしている。

 いずれにせよ、まずは「個人」が問われている。そのことが大切だと思います。これまで、戦争についてもテロについても、すべてが「国家」なり「為政者」「政府」といった組織やシステムへ、人びとはその理由を求めてきました。それはたしかに一つの真実ではあったでしょう。
 しかし、よく考えると、そうした「外化」されたものを人びとは批判し、思想の組み立ての基点としていましたが、それによって人びとは、むしろ自らの逃げ道を秘かに用意して、自身を問うことから逃げ回っていたのではないか。そこに他者への無関心や差別、「思想転向」が頻繁に繰り返されるブラックホールがあったのではないか。
 「国家」も「政府」も「社会」も「為政者」も、暴政なり差別なり、格差なりを作りだしているのは、それぞれに属している〝個人〟ではないのか。
 いまをリカバーするために必要なのは、「わたし」とは何者なのかの問いではないか。そうしたものに哲学の光をあてていく。

 今回の【第2部】は、関東大震災におけるひとびとの〝罪責〟を見据えて、そのうえで侵略戦争にほかならなかった日中戦争で日本兵士および日本人が何をしたのか。なぜ、対英米戦末期に〝特攻〟なる思想を生んだのか。そこまでを五回にわけてお話しします。
 〝国民〟といい、〝市民〟といい、〝庶民〟といった、ひとりひとりの「わたし」について問いながら、時代の状況のなかで、人びとは何をしたのか、どうあるべきだったのかを論考していきたいと思います。

 ところで、1月16日午前11時に第一講のお話しをはじめます。
そこでお願いなのですが、レジュメ等の送付やzoomなどの手配もあり、お申し込みは、1月12日までに、以下の新人会のアドレスまで、お願いします。

     記
*NPO新人会・宏究学舎*
 2022年「近代・現代史」講座
 ◆現代日本を問う!◆
 
日本〝近代・現代〟のプロフィール!
 〝戦争とテロ、そして国民〟(第2部)
  War/Terrorism 
           and The Ordinary People
◇期間:<第2部・全5講>
  2022年1月16日~3月6日
◇日時:毎回日曜日<午前11時~12時>
*全講zoom(質疑応答可)orGIGAファイル便(アーカイブ受講)で受講可能です。
◇受講料:全講受講6000円<5回分>
*学生3000円、1講毎受講は1講1500円
◇附記:各講毎、事前にPDFでレジュメを送付。それに沿って講座は展開されます。

【日程とテーマ】
・第1講(1月16日)
 「関東大震災」と民衆のテロリズム
  ~吉野作造は何を見たのか?
・第2講(1月23日)
 『柳条湖事件』と「満洲事変」
  ~〝軍刀と謀略〟の現場を歩く!
・第3講(2月6日)
 「5・15事件」「2・26事件」の暗黒
  ~〝鬱屈した情念〟の奔流!
・第4講(2月20日)
 「日中戦争」と〝南京虐殺〟
  ~〝殺す〟論理と〝殺される〟心理
・第5講(3月6日)
 「対米戦争」と〝玉砕〟の構図
  ~いま、〝死の意味〟とは何か?

*お問い合わせ・お申し込み
 E-mail:npo.shinjinkai1989@gmail.comまで*
 お申し込みは、1月12日までにメールいただければ、
 講座受講の手順と講座料の振込等について、
 講座担当者から、すぐに連絡させていただきます。



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◇◇〝デスリ〟政治の季節は終わったのか? 講座のお知らせも兼ねて!◇◇

2021-12-30 18:18:46 | 〝哲学〟茶論
 あと一日で、2021年も過ぎていきます。
 あなたにとっていい一年でしたか? と聞くことじたいが悪い冗談のような2021年だったのかもしれません。 
 たしかに2021年とはここ数年来の、そこここに穴ぼこを作ったように世の中の停滞が見えだし、それとともに、一人一人の寛容さや深い思考性といった人間の質そのものが、陥没してきた印象の年でした。自己愛と自己欲求、それがかなわぬなら嫉妬を爆発させるだけの、極端な「反知性」的閉域とでも言ったらいいのか。しかも、自分と合わないとなったら、コミュニケーションカットが簡単にできるコロナ禍での「net社会」の現在というわけです。
 とは言うものの、この一年を振り返ってみると、安倍晋三、菅義偉と続いた政治の季節も、なんかここに来て終わってしまったような、奇妙な気分であることも事実でした。
 べつに岸田政権がどうこうというのではなく、「安倍政治を許さない!」とゼッケンをつけた高齢者が街頭に立っていた時代。「モリ・カケ・サクラ」それに「カジノ疑惑」と通信事業をめぐっての「接待疑惑」と、そんなスキャンダルがつぎつぎに飛びだし、「学術会議任用拒否」騒動・・・そのたびにお互いにデスリあって、ときの首相自らが「こんな人たちには負けられない!」と絶叫したり、官邸がマスメディアを脅し、あるいは忖度させ懐柔したり、これが〝政治〟といえるか否かはべつにおいて、政権側の有無を言わせぬ誹謗、中傷、恫喝。それに抗して、安倍は辞めろ、菅も辞めろ、と呼応する。
 たしかに、オミクロン株の感染が、ひたひたと音を立てて近づいてきているものの、いまの感染者は少しばかり小康状態ということもあり、なにか空しいながら、政治の季節は終わったかなと思える現在。そんな気がしています。
 それはちょうど、1960年の安保騒動の際、岸信介が退陣して、池田勇人が「寛容と忍耐」「所得倍増」をひっさげてチェンジオブペースをはかった、あの時代と似てなくもない印象です。ずいぶんとスケールは小さいし、もちろん、さほどのチェンジオブペースになってはないけど・・・。

 そんな一年の終わりに、2022年の新人会講座のご連絡です。
すでにお伝えしていますが、1月16日を初講日として、
 「日本〝近代・現代〟のプロフィール」【第2部】ー関東大震災~対英米戦敗戦-を2022年1月16日から全5講開講します。
 今回もzoomとGIGAファイル便(アーカイブ)での開講です。
 詳細は、下記に要項とフライヤーを掲載いたしますが、
2022年1月12日(火)ころまで、お申し込みいただければ、幸いです。
   <以下見学予定の慶應義塾大日吉キャンパス内
    海軍連合艦隊地下壕跡の見取図と写真一部>
                            
 ところで、上記写真にもありますが、【第2部】の講座では「講外講」として慶應義塾大日吉にある連合艦隊司令地下壕の見学を予定していましたが、保存する会の方とは連絡をお取りしているものの、大学側の許可が下りず、2022年2月の見学は難しい状況となりました。
 そこで、【第2部】の講座とはべつに、日程が決まりしだいに実行するということで、予定には3月下旬の日程を入れておきました。
 講座そのものの変更は、ございません。
 お申し込みの件、よろしくお願いいたします。

 以下、予定とフライヤーを掲載しておきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
*NPO新人会・宏究学舎*
 2022年「近代・現代史」講座
 ◆現代日本を問う!◆
 
日本〝近代・現代〟のプロフィール!
 〝戦争とテロ、そして国民〟(第2部)
  War/Terrorism 
           and The Ordinary People
◇期間:<第2部・全5講>
  2022年1月16日~3月6日
◇日時:毎回日曜日<午前11時~12時>
*全講zoom(質疑応答可)orGIGAファイル便(アーカイブ受講)で受講可能です。
◇受講料:全講受講6000円<5回分>
*学生3000円、1講毎受講は1講1500円
◇附記:各講毎、事前にPDFでレジュメを送付。それに沿って講座は展開されます。

【講座内容】
 わたしたち日本人は、はたして「歴史」への〝敬意respect〟をもっているのでしょうか。
 根拠のない情報で過去を断定し、だからダメだと批判する。あるいは歴史上の〝オモシロ話〟を持ち出して歴史を貶める。でなければ、皇国史観、マルクス史観、実証主義、民衆史観などなど自らの都合のいいほうに歴史を動員し引き寄せる。
 歴史には、その時代に暮らした人びと、おそらくはわたしたちの現代と連なる人びとの暮らしがあり、辛苦、悲哀、困難、怒り、歓喜が存在しています。それぞれの時代精神がそこには流れています。この講座では、戦争やテロの時代に生きた、そうした人びとの〝歴史〟を考える、思いやってみるという講座として開講されています。前回【第1部】に続くこの【第2部】は、<「関東大震災」と民衆のテロリズム~「対米戦争」と〝玉砕〟の構図>までの五つの歴史のお話しです。
【日程とテーマ】
・第1講(1月16日)
 「関東大震災」と民衆のテロリズム
  ~吉野作造は何を見たのか?
・第2講(1月23日)
 『柳条湖事件』と「満洲事変」
  ~〝軍刀と謀略〟の現場を歩く!
・第3講(2月6日)
 「5・15事件」「2・26事件」の暗黒
  ~〝鬱屈した情念〟の奔流!
・第4講(2月20日)
 「日中戦争」と〝南京虐殺〟
  ~〝殺す〟論理と〝殺される〟心理
・第5講(3月6日)
 「対米戦争」と〝玉砕〟の構図
  ~いま、〝死の意味〟とは何か?
*お問い合わせ・お申し込み
 E-mail:npo.shinjinkai1989@gmail.comまで*
 お申し込みは、メールいただければ、
 講座受講の手順と講座料の振込等について、
 講座担当者から、すぐに連絡させていただきます。

*2月に予定していた
 講外講:「連合艦隊司令部日吉地下壕」を歩く!☆
   につきましては、現在交渉中で、
  3月26日(土)を予定として組んでいます。
  かならず実施できるかと思いますので、
  しばらく連絡をお待ちください。





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☆「日本〝近代・現代〟のプロフィール」【第2部】のお知らせ!☆

2021-12-06 18:47:05 | 〝哲学〟茶論
    あっというまに12月!
 コロナコロナで明けて、コロナコロナでお開きの一年でした。
 じつに騒がしい一年だったと思います。
 そんななか、親しい知人友人と酒を酌み交わすことも少なくなり、マスク越しにごにょごにょ話すのは、なんとも面はゆいことではありました。

 講座や講演会も、あまり開かれず、とはいっても2021年秋学季には、ジョージ・オーウェルを読もうということで、「精読『1984』」の講座を行いましたが、これはデストピィア小説だとか「近未来」作品だとかといった、従来の捉え方を一枚一枚剥がすように、講座を進めていきました。言い換えれば、『1984』とは「戦争文学」と捉えるべきであり、戦争がいかなる状況でも〝全体主義〟を生み出すものであるのと同時に、現代社会にもそうした〝全体主義〟が体制化されていることを突きとめ、その意味できわめて現代文学であるという「読み」を求めて、オーウェルの思想を論考してみました。
 もうひとつの「日本〝近代・現代〟のプロフィール」【第1部】は、日本の近代の開幕から、ちょうど米騒動まで、さまざまな最新の学説などを勘案しながら、これまで囚われてきた歴史観を崩す作業、あるいは新たな歴史像についてお話しを進めました。

 そこで、今回のblogのテーマは2022年1月16日初講の「日本〝近代・現代〟のプロフィール」【第2部】のお知らせというわけですが、近ごろ、ふと唐の詩人・王維の「送 元二」の漢詩が思い起こされて、まずは、そのことを書きます。
 この詩は、王維が友人である元二とともに別離の酒を酌み交わしている情景を詠ったものです。
 元二は王の命で、匈奴と対峙するため長安から数千キロ離れた砂漠地帯の安西という地に赴任するのですが、西域に行く人との最後の別れは、長安の北西にある渭城とされていて、そこで作詩されたものです。

  渭城朝雨 浥輕塵 
 客舍青青 柳色新 
 勸君更盡 一杯酒 
 西出陽關 無故人

 この漢詩自体は、高校生のときの漢文の教科書にあったもので、何か忘れがたくて、いつも覚えていた漢詩でした。ちょうど中学時代の友人が、秋田の工業高校を卒業して、神奈川の工場に就職するとなって、彼の家で別れの酒を飲んだのですが、その記憶と重なって思い出される漢詩です。
 もっとも高校生が、酒を酌み交わすなどとはもってのほかだったのでしょうが、あの時代は、秋田という土地柄もあるでしょうが、寛容でした。

 内容というか、訳は、

 渭城の朝雨 軽塵を浥す 客舎青青 柳色新たなり
 君に勧む 更に尽くせ 一杯の酒
 西のかた 陽関を出ずれば 故人無からん

 ここで言う「故人」とは友人ということで、渭城は雨で潤い、塵や埃も流され、家々も青々として、柳の色もみずみずしい。どうだ別れの酒を飲もうじゃないか。ここから西方、陽関を出れば、青青とした風景ともさらばだし、酒を勧める友人もいないだろうから・・・。まずは一献・・・。そんな感じの漢詩です。たわいもない別れの歌と言えば、それまでなのですが、なぜか浸みる漢詩です。

 いまの時代はFaceBookやTwitterにSNSなど、どこかで知人や友人の消息をとらえることはできます。だから別離という情感は、きわめてリアリティのない薄いものになってしまっているのかもしれません。
 わたしたちの時代は、そんなものはなく、別れはさまざまな想いや感情、相手との記憶が交差するものでした。
 その意味で、利便性が、人びとの情感や他者への想いや記憶を疎外してきているという危惧は、それほど外れていないものでしょう。
 そんなふうに思うと、別れの一献の肺腑にしみわたる感覚が蘇ってきて、王維の漢詩の抒情がことさら浸みてくるように思います。

 そんなことを思いながら、「日本〝近代・現代〟のプロフィール」【第2部】のお知らせです。
 できればこの講座も、どこかの会場を押さえて話し合いながら行いたいと思ったのですが、zoomでの質疑応答をできるだけ可能にするということで、今回もzoomとアーカイブで開講します。
 ただし、2022年2月26日(土)は、歴史学的フィールドワーク(遠足)を企画していまして、後ほどあげるフライヤーにその予定を記しています。やはり、いっしょに歩き学ぶということを大事にしなければ、面白くないし、ただ通りすぎていくだけでは残念だと思い企画しました。ぜひ、ご参加ください。

 でも、やはりそれでは物足りないと思い、2022年5月下旬からは、ソクラテスの言う〝場topos〟に習って、池袋のとしま区民センターか池ビズの会場をおさえ、講座を開講するつもりでいます。
 テーマは、これまで受講された方に、ぜひ「司馬遼太郎」の歴史観について講座を開いてほしいというお話しがあり、それはわたし自身も以前から考えてきたことなので、いわゆる「司馬史観」といったものを4回に分けてしっかりと論考していきたいと思っています。
 たしかに、司馬遼太郎の作品とその思想は、知識人層含め多くの方々に好まれていると言えますが、なぜそうなのか。司馬遼太郎の抒情と論理といったものをしっかり見据えながら、お話しを進めていきたいと思っています。
 詳細についてはもう少し先になりますが、もちろん、この講座もzoomとアーカイブでも受講できるようにいたします。

 というわけで、「日本〝近代・現代〟のプロフィール」【第2部】のお知らせをいたします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・記・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
*NPO新人会・宏究学舎*
 2022年「近代・現代史」講座
 ◆現代日本を問う!◆
 
日本〝近代・現代〟のプロフィール!
 〝戦争とテロ、そして国民〟(第2部)
  War/Terrorism 
           and The Ordinary People
◇期間:<第2部・全5講>
  2022年1月16日~3月6日
◇日時:毎回日曜日<午前11時~12時>
*全講zoom(質疑応答可)orGIGAファイル便(アーカイブ受講)で受講可能です。
◇受講料:全講受講6000円<5回分>
*学生3000円、1講毎受講は1講1500円
◇附記:各講毎、事前にPDFでレジュメを送付。それに沿って講座は展開されます。

【講座内容】
 わたしたち日本人は、はたして「歴史」への〝敬意respect〟をもっているのでしょうか。
 根拠のない情報で過去を断定し、だからダメだと批判する。あるいは歴史上の〝オモシロ話〟を持ち出して歴史を貶める。でなければ、皇国史観、マルクス史観、実証主義、民衆史観などなど自らの都合のいいほうに歴史を動員し引き寄せる。
 歴史には、その時代に暮らした人びと、おそらくはわたしたちの現代と連なる人びとの暮らしがあり、辛苦、悲哀、困難、怒り、歓喜が存在しています。それぞれの時代精神がそこには流れています。この講座では、戦争やテロの時代に生きた、そうした人びとの〝歴史〟を考える、思いやってみるという講座として開講されています。前回【第1部】に続くこの【第2部】は、<「関東大震災」と民衆のテロリズム~「対米戦争」と〝玉砕〟の構図>までの五つの歴史のお話しです。
【日程とテーマ】
・第1講(1月16日)
 「関東大震災」と民衆のテロリズム
  ~吉野作造は何を見たのか?
・第2講(1月23日)
 『柳条湖事件』と「満洲事変」
  ~〝軍刀と謀略〟の現場を歩く!
・第3講(2月6日)
 「5・15事件」「2・26事件」の暗黒
  ~〝鬱屈した情念〟の奔流!
・第4講(2月20日)
 「日中戦争」と〝南京虐殺〟
  ~〝殺す〟論理と〝殺される〟心理
☆講外講:2月26日(土)*予定*
 「連合艦隊司令部日吉地下壕」を歩く!
・第5講(3月6日)
 「対米戦争」と〝玉砕〟の構図
  ~いま、〝死の意味〟とは何か?
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〝10月10日から「近代/現代史」講座がはじまります!〟のご案内!

2021-10-03 20:32:55 | 〝哲学〟茶論
 2021年NPO新人会講座
『日本「近代・現代」の
   プロフィール』
  講座開講します!

   <対英米戦末期・特攻攻撃>

 コロナ、総裁選、秋篠宮眞子・小室圭氏の結婚問題などなど、つぎからつぎに熱狂と騒擾が繰り返され、瞬く間に忘れ去られていきます。何もかもが落ち着きのない、浮かれごとのように過ぎていき、自分の生きている時間すら、自分で確認しえないまま、時だけが過ぎていく感じの毎日です。
 そんななか、いったい誰がこんな国にしたのか。日本の近代と現代を、もう一度最初から見詰めなおす必要があるように思います。
 そこで、日本の〝近代・現代〟の歴史を第1部・第2部・第3部(各5講ずつ)に分けて、とくに〝戦争・テロとふつうの人びと〟のかかわりやありようのお話しを中心に論考していきたいと思います。
 
 そこで10月10日はその第1部の第1講を開講日となります。

 講座は、すべてzoomかGIGAファイル便(アーカイブ版)の参加となります。わかりにくい歴史をわかりやすく、「サヨク」だの「ウヨク」だの、レッテル貼りに飽き飽きした昨今、最新の学説をふまえて、また今回は、よりわかりやすくお話しします。
 ぜひご参加ください!

 以下、申込先と第1部の講座の進め方、概要をお知らせします。

  <戊辰戦争・幕府陸軍>

        

日本〝近代・現代〟の
      プロフィール
〝戦争とテロ、そして国民〟
           (第1部)
  War/Terrorism
  and The Ordenay Poeple

◇期間:<第1部・全5講>
  2021年10月10日~11月21日
◇日時:毎回日曜日<午前11時~12時>
 10月3回、11月2回
  *全講zoom/GIGAファイル便で発信。
  各講毎、事前にレジュメ(PDF)を
  送付し、質疑応答はメール
           にて行います。
◇受講料:全講受講6000円<5回分>
*学生3000円、1講毎受講は1講1500円

 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・第1講(10月10日):戊辰戦争の真実
  ~人びとは〝御一新〟を望んでいたのか?
・第2講(10月17日):征韓論と
           西南戦争の真実
  ~西郷隆盛は何と戦ったのか?
・第3講(10月31日):日清戦争の真実
  ~朝鮮戦争、台湾征服戦争であった現実!
・第4講(11月14日):日露戦争の真実
  ~歪な「一等国」は民衆の犠牲から
・第5講(11月21日):外での戦争、
           内なる戦争
  ~第一次世界大戦と米騒動の挟撃~

◆お申し込み◆
E:mail 
npo.shinjinkai1989@gmail.com
      講座担当・小峰まで
 cf)お申し込みは講座開始の2日前までお願いします。講義レジュメやzoom、GIGAファイル便のお知らせは、申し込みを受けてから送付いたします。
 講座料の振込等もそのときにお知らせします。



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