八柏龍紀の「歴史と哲学」茶論~歴史は思考する!  

歴史や哲学、世の中のささやかな風景をすくい上げ、暖かい眼差しで眺める。そんなトポス(場)の「茶論」でありたい。

☆☆「京都学講座」と「新人会講座」とお芝居のご案内です!☆☆

2024-04-29 12:20:45 | 〝哲学〟茶論
 明治のはじめのころの地方紙などを見ていくと、地方の篤農家や知識人などのなかには、私財をなげうって、その地域の教育に尽くした人物が少なくないのに気づかされます。

 ほとんど中央では知られていないそうした人びとは、学力のある子どもたちに学費と生活費を援助して上級学校に進学させたり、また当時の国民の大多数を占める農民の教育こそが大事だとして、資金を投じて村の小学校の整備を行ったり、貧困のために厳しい労働を余儀なくされ学校へ通えなくなった子どもたちがいたら、まずは親に子どもを学校に通わせるように説得して、そのうえで生活費や学用品の援助をしたり、さらに村に図書館を建て、いつでもだれでもさまざまな本を読めるようにしてやったり、ときには自らそうした子どもたちを集めて、自宅に住まわせ生活のめんどうを見るとともに学校に通わせ、その一方で子どもたちに読み書きや算数を教えたり、学問を説いたり・・・。

 その後、現在のように学校制度が整うと、むしろそうした意欲は減少していく傾向にあるのですが、いずれにせよそれらの行為は、明治初期の人びとにとって「学び」がいかにかけがえのないことだと考えられていたのか、そんなことを感じさせて事柄のように思います。
 
 もちろんそこでの「学び」とは、多くは生活の糧を稼ぐための「読み書き算盤」といった傾向がまさったものだったと言っていいでしょう。しかし、そうしたことを通じて、未知なることに触れ、自らの不足を知り、また努力する意欲を養い、技能だけではなく、技能を身につけるために必要な物事に対する真摯な態度や優れた先達や先輩への敬意もまた学ぶ。
 その意味で、そこでの「学び」とは多様でありもし、また奥深いものだったと言えます・・・。
 
 と、そんなこんなを思いつつ、2024年もあっというまに4月を越え、5月にさしかかってきました。そこで、こんな前振りをしたあとで恐縮ですが、この5月から初夏までの講座などのお知らせをします。
 5月11日には、京都商工会議所と京都新聞社主催の「京都学」の講座を単発で行います。今回のテーマは、「歌舞伎」を中心に京都の南座についてのお話しです。タイトルには「江戸から明治まで」と銘打っていますが、ちなみに京都の南座が南座と名のるようになったのは明治以降ですので、そうしたタイトルにしました。ですが、今回はおもに、
「出雲阿国」からの京都の歌舞伎
のありようをお話しします。場所は西巣鴨の大正大学で行います。
 ご興味ありましたら、京都商工会議所075-341-9764 までお問い合わせください。下記はレジュメの一部です。
 

 つぎは新人会講座です。これは毎年夏と秋の二回にわたって行っている市民講座ですが、2024年夏学季講座は、
「現在という
  〝不機嫌な時代〟を考える!」
というテーマで全4講座を行います。
 平成という時代から現在までの約30年を、もう一度しっかり記憶に留めておこうという試みです。
 こちらのほうはメール
 npo.shinjinkai1989@gmail.com
までお申し込みください。
 初講日は5月6日(代休の来週月曜日)ですので、期日が迫っています。会場は、「としま市民センター」ですが、zoomでも、アーカイブ版での後日の受講も可能です。

 つぎはお芝居のご案内です。知人の主催する「演劇バンド」のお芝居で、残念ながら、わたしは出演しません。以前、この方々の芝居を観させていただきましたが、じつに面白かったもので、紹介させていただきます。
 公演期間が2日しかありませんので、ご都合を合わせて観劇ください。お問い合わせは、下記のflyerのなかにもありますが、
e-mail:engekiband@gmail.com
    090-7638-5093 です。 






 

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☆☆〝新しい春〟が来たことと、2024年夏学季講座のお知らせ☆☆

2024-04-06 14:27:13 | 〝哲学〟茶論
 やっとのブログ更新です。
 ながいこと、手抜きしていて、
 すみませんでした。
 あと1、2ヶ月で
 新たに立ち上げた出版社
「季林書房」のホームページも
 お披露目となりますが、
 わたしのこのblogは、
 「季林書房HP」からもアクセスできるようにして、
 続けようと思っています。
 それを含め、よろしくお願いいたします。

 <2024年3月 韓国仁川・旧第一銀行仁川支店内
   仁川日本人租界のジオラマ>

さてさて、2024年も〝新しい春〟がきました。
新年早々、能登の地震といい、
昨今の台湾・花蓮の地震といい、
天変地異に見舞われ、
いっぽうでウクライナの戦場では、
極寒のなか兵士が塹壕に張り付き、
イスラエルによるガザ侵略と虐殺は止む気配はなく、
ミャンマー国軍の民衆への暴力など、
世界は混沌の時代の真っ只中にあります。
さらに〝最後の帝国〟とも言うべき
ロシアや中国の武断政治のありようなど、
大戦争やテロ勃発の危機は、
なかなか去るすべを知らないようです。

とは言うものの、
少しずつ感じつつあるのは、
世の中の不正や不正義が、
つぎつぎに人びとの目に曝され
なにが問題となっているのか、
闇に隠されていた悪事が白日の下に、
暴露されてきているんじゃないか・・・。
そんな思いがしないこともない・・・。
権力者とその取り巻きの愚かさに比して、
人びとはけっして怯んではいない。
そんな気もします。

そんななかですが、今年も講座を開講します。
この「時代に杭を打つ!」の講座も、
今回で11回目、約7年ちかく行っています。
池袋に会場を借りての講座は、それ以前にもはじめていましたので、
すでに20年近く、
こうした自主講座をやり続けていることになります。
その間、いろいろな方々、年齢も経歴もさまざまな方々とお会いでき、またお話しを聞かせていただき、深く感謝を申し上げます。

そこで今回のテーマですが、「この国」の直近30年の時代を、つまり平成・令和の時代を考えるというものです。
よく〝失われた30年〟と言いますが、それ以上に、わたしが見るところ、じっさいは「忘れ去られた30年」ではなかったのか。
つまり、目先のことばかりにとらわれ、この30年にどんな事件が起き、いかなる問題が存在したのか、そしてそれらの問題はいまどうなっているのか、多くの人々は、それらを忘れさせられているのではないか。そのなかで、ただ不機嫌なままに時代を過ごしているのではないか。
言い換えれば、〝失われた〟のは、
30年の時間ではなく、
人びと自分自身のありかたのことではなかったか。
そんな問題提起をしてみたいというわけです。

講座の詳細は、下記にflyerを添付しますが、
お申し込みは、
いつものことで、お手数をおかけしますが、
NPO新人会講座担当にe-mailでお願いいたします。
npo.shinjinkai1989@gmail.com
なお、勝手ながら、
お申込期日は、初講日が5月6日ですので、
今月の末、4月30日(火曜日)までとさせていただきます。
その後に、
参加のお申し込みをいただいた方に、
講座料振込口座の案内を差し上げます。

また、各講座(全4講)の前々日か前日までに、
参加の方のメールアドレスへ、
講座レジュメをPDFで送付いたします。
なお、会場参加の方には、
講座当日もレジュメはご用意させていただきます。

講座は、zoomで受講可能ですし、またお時間の合わない方には、アーカイブでも受講できるようにしております。
参加ご希望の際には、会場参加、zoom参加、アーカイブ希望などお知らせください。

     <春満開の桜>   
       
NPO新人会2024年「歴史と哲学」
  夏学季講座
◆時代に杭を打つ!Ⅺ◆
〝現在〟という
 「不機嫌な時代」を考える!
    ~「この国」のこの30年~

◇期間:<全4講>
 2024年5月6日~7月15日
◇日時:各月日曜or代休月曜<午後14~16時>
 *全講zoom・アーカイブで受講可能
◇会場:としま区民センター403会議室
 (JR池袋駅東口下車・徒歩5分)
◇受講料:全講受講6000円<4回分>  
◇附記:各講毎、事前にPDFでレジュメを送付。
    それに沿って講座は展開されます。
【講座内容】
 
いったい「現在(いま)」という時代はどんな時代なのでしょうか。〝失われた30年〟と呼ばれていますが、失われたものは、経済的富だけなのか。それとも各時代がそれぞれ「気風」として保っていた〝精神〟といったものなのでしょうか。
 自分が存在していた時代を、人びとはどこまで記憶しているのか。〝失われた〟30年は、むしろ〝忘れ去られた〟30年ではなかったか。 「postバブル」の1990年代の世紀末から、21世紀初頭のこの30年余り、この国の人びとは、恐怖に追いかけられ、誘われるように不安をふくらませ、いつしか心を病み、生きる意味もぼんやりとしていったのでは・・・。
 必要なのは、この「現在(いま)」を見つめ直し、生きる意味を自らの手で握りしめることではないのか。
 「平成・令和」の出来事をひとつひとつ検証して、私たちの生きている「現在(いま)」が何であるのか知る、考える。みなさまの講座への参加をお待ちしております。
【日程とテーマ】
・第1講(5月6日):
  バブル崩壊と地下鉄サリン事件
   (1990年代)~危機の時代~
・第2講(6月9日):
  小泉劇場と「新自由主義」の跳梁
   (2000年代)~気分の時代~
・第3講(6月30日):
  〝1%〟の富裕と〝99%〟の貧困
   (2010年代)~分断の時代~
・第4講・最終講(7月15日):
  〝パンデミック〟と「地球」の悲鳴
   (現在まで)~不機嫌な時代~
☆☆講外講:2024年7月21日(日):
 東京湾・横須賀「猿島」要塞跡見学☆☆




 

 

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☆☆猛暑の夏と2023年秋学季講座のお知らせ☆☆

2023-09-29 11:49:43 | 〝哲学〟茶論
 とにかく今年は暑い毎日でした。
といってももう9月もあとわずかというのに、暑い日々が続きます。

<大磯北浜海岸から伊豆半島を望む>

その暑い夏のさなか、
わたしは長年、住みなれた東京の世田谷から、
神奈川県の中郡、
郡というのも秋田以来でなつかしい・・・。
その中郡の大磯町に転居しました。

ふと大都会である東京での暮らしを整理して、もう一度、物事の現実と真実を洗い出してみようと思っての転居です。
もちろん、それは東京に居たってできることなのだと思いますが、
そもそもが田舎で育ったわけで、
東京では見えにくいことも、またあからさまに見えていたことも、
湘南とは言え、どちらかというと田舎であるこの地で、
じっくり見据えることができるかなと思い立って、転居をきめました。

引越しその他の整理、
多くはこれまでの持ち物を捨棄することに費やされましたが、
そうしたことに思ってもみない手間がかかり、引越自体も東京との往復が3日に及び、
いちおう生活ができるようになるのに、約1ヶ月かかりました。
ネットがひけたのも、つい2日前です。

しかしながら、
そうしたなか世界は至るところで武張った権威主義が蔓延り、
戦火は止むことがなく、
この夏の猛暑でもわかるように地球は各所で悲鳴をあげ、
いくらSDG❛sが叫ばれても、
そうした戦争も環境破壊もその元凶が、
欲望を原動力にする「資本主義」論理にあることは自明であるのにかかわらず、〝新しい資本主義〟などとまるで雲をつかむような詭弁を誇らしげに語る輩に、したり顔で与し、あるいは身を任せている人びと・・・。
 そんなことをすこしばかりの絶望混じりの白昼夢を見ているように、
この地では感じられています。
未来について考えず、自己の狭い現実に惑溺する愚かさを
感じざるをえません。

そんななか、恒例の講座をこの秋にまた開講します。
今回は、ポストコロナを意識して、
池袋のとしま区民センター会議室を会場に、
対面での講座となります。
もちろん、zoom配信もアーカイブでの送付も行います。
より議論の場を確保する。そうした交歓を第一義にしての講座です。
ぜひご参加ください。

テーマは『〝君が代〟と「アリランの歌」』
 ~「国境」と〝差別〟の現実~
 です。
 
 差別と偏見の起源を見直そうという試みです。
 かつて寺山修司は、
〝笑い〟の起源は〝差別〟にあると述べましたが、
差別や偏見は過去現在を問わず、だれでもどこでも、
日常というありきたりの空間に、生起しているものです。
 しかし、それがときとして人びとに侮蔑と憎悪を植え付け、いつしかとんでもない厄災として降りかかり、
大量虐殺や未曾有の戦争として現れ出てくることがあります。
あるいは歴史上、植民地支配など、支配権力による長い抑圧になって現れ出てきます。

 その意味で、この国のもっとも卑近な例としての部落差別、朝鮮人差別などをしっかり見据えることは、差別や偏見というわたしたちの隠微な情緒を見据えることにもなるかと思います。
 flyerの「講座内容」にも書きましたが、
そうした問題を必要以上に深刻ぶらず、
悲惨な事実として大声で糾弾することもなく、
わたしたちのありきたりの日常のなかから眺めていこうと考えています。

 ちなみに3月上旬(日程は未定)にflyerにもあるとおり、
「講外講」として、みなさんと「ソウル紀行」を計画しています。
 万障お繰り合わせの上、ご参加いただければ幸いです。


以下、flyerの要約です!

NPO新人会2023年「歴史と哲学」
     秋学季講座
◆時代に杭を打つ!◆
 対面講座!
〝君が代〟と 
  「アリランの歌」
  
~「国境」と〝差別〟の現実~
◇初講日 2023年10月14日土曜日 
◇期間:<全4講>2023~24年
     10月14日~1月13日
◇日時:各月第2土曜日・第3講のみ日曜日開講
 <午後14時~16時>
◇会場:としま区民センター会議室
(JR池袋駅下車東口徒歩5分)     
 *全講zoom・アーカイブで受講可能
◇受講料:全講受講6000円<4回分>
*学生3000円  
◇附記:各講毎、事前にPDFでレジュメを送付。それに沿って講座は展開されます。
【講座内容】朝鮮人への日常的な軽侮や差別、「在日」への偏見は、どこに起源があるのか。一方、差別される側である彼ら彼女らの〝ニッポン=ilbon〟への憤りや怨恨、その深淵さを、わたしたち日本人はどう考えればいいのか。そもそも〝差別〟や〝偏見〟はマジョリティmajorityが、あるいは立場的に優位にある者が、少数者や劣位にいる者を虐げ翫ぶ邪悪な心理だと、言葉では括れます。しかし、そもそも〝差別〟の歴史は古くその現実もなかなか変化しない。いつも絶えることなく、世の不満や疎外感を温床に隠微に人びとの心理に横たわって噴出してきます。秋学季講座では、そうした〝差別〟や〝偏見〟という重いテーマを、深刻ぶらず、また悲惨な眼差しを振り向けるのでもなく、いまの現実として4回にわたって考え直そうと思っています。講外講のソウル紀行も含め、みなさんのご参加を、お待ちしております。
【日程とテーマ】
・第1講(10月14日)
:朝鮮・韓国。〝差別〟の歴史と現実
            ~差別の論理と倫理。
・第2講(11月11日)
:阪済航路と「君が代丸」
          ~資本主義と
                衛生思想が生む優位性。
・第3講(12月10日)
:〝韓流〟と〝Kポップ〟への傾斜
          ~「嫌韓」と「好韓」のあいだ。
・第4講(1月13日)
:「アリランの歌」と〝君が代〟
       ~ルサンチマンと抒情の行方。
☆講外講☆
:3月上旬、ソウル3泊4日、盛りだくさんの旅
 ソウル紀行~仁川作戦記念館、
                         西大門刑務所、
                         38度線、
       堤岩里などを探訪!
*講座のお問い合わせ・お申し込みは
E-mail:
npo.shinjinkai1989@gmail.comまで
*なおお申し込みと講座料の入金は、10月11日までにお願いいたします。
◆振込先:みずほ銀行自由が丘支店(533)
    口座番号 普2775768
 特定非営利活動法人新人会まで
*お名前をカタカナで印字してご入金ください。
   よろしくお願いいたします!


  <大磯 高来(高麗)神社と高麗山>

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☆☆〝弱水三千,只取一瓢饮〟☆☆

2023-04-13 16:27:35 | 〝哲学〟茶論
 〝弱水三千、只取一瓢饮〟
 
 数日前のことですが、東京のダウンタウンといってもいい大森の映画館で、久しぶりに中国映画を観る機会がありました。

 映画の中国タイトルは『隠入塵烟』(英語だとReturn to Dust)となっていますが、日本語のタイトルは、『小さき麦の花』。

 主人公であるヨウティエ(有鉄)が伴侶であるクイイン(貴英)の手の甲に麦の種を押し当ててつくる花の形から、たどりついいた邦題だそうです(この映画の翻訳はなかなかすばらしい)。

 映画の舞台は、中国西北地方の貧しい田舎のことです。
 そこに両親はすでに他界し、三男の兄の家の作男として養われている四男の有鉄(ヨウティエ)と、そして内気で身体に障害をもつ貴英(クイイン)が、夫婦になるところから話ははじまります。
 ふたりはともに家族からしてみれば、結婚して家から出て行ってくれればいい、と思われていた厄介者でした。
 ふたりにとって、この結婚はけっして望んでのことではなく、厄介者だった有鉄と貴英は、自分たちの立場をはばかって、周囲のすすめるまま、これにしたがっただけのことでした。
 しかし、ふたりは生活のため、土地を耕し麦を植え、もらってきた鶏の有精卵からひよこを孵化させて、すこしばかり大食らいではあるものの、よく働く一頭の驢馬とともに、寄り添うようにしてともに暮らしていきます。
 映画のなかで、煌々と光を照らす裸電球の熱を逃がすため、段ボールに穴をあけ、そのなかでひよこが殻を破り生まれてくる。それを有鉄と貴英が光に顔を照らされながら、のぞき込む。一種、宗教的とも言えるその幻想的なシーンは、美しいとともに、わたしも子どものころ北国の田舎で、見たことのある光景でもありました。
 こんなふうにひよこが孵るのを見た記憶・・・。 

 そして、その冬、春、夏、秋・・・。厳しいながら美しい風土のなかで、ひっそりとふたりの時が刻まれていく。とりたてておおきな事件が起きるわけではない、ささやかで淡々とした暮らしがつづいていくのです。
 おこったことと言えば、有鉄が特異な血液型であったことで、この地方のボスに毎度輸血を余儀なくされること。
 政府の方針で、近代的なアパートに農民を住まわせるため、それまでの土壁の粗末な家を撤去すれば、報奨金がでるということになり、都市に住む家持ちのボスがやって来て、有鉄らに家を出て行くことを余儀なくすること。
 そのため、ふたりは新しい家を建てるため、忙しい労働の合間を見て、日中せっせと日干し煉瓦をつくっていました。
 ところが、そんなさなか夜中にわかに暴風雨が襲ってきて、ふたりは必死になって干し煉瓦を守ろうとしますが、泥濘に足を取られ、それでなくても貴英は足の自由がきかない、ふたりは激しい雨風にびしょ濡れになりながら、いつしか朝を迎える。
 そうした日常を、あるいは困難のなか、ふたりは手を携えて、そして互いにその手を慈しみあいながら、せいいっぱい生きていく。
 映画では、愛などという言葉はどこにも語られていません。
 でも、スクリーンに滲むようにその情感がしみだしてくる。それがふたりを取り囲む大陸の素朴な風景のなかで、うつくしい詩情となって画面いっぱいに描きだされていきます。
 中国映画にはまだ底力がある。どんなに世の矛盾を突き、社会派であることを打ちだそうとしても、日本の映画はどこかで作りものじみたチャラい感じがします。世のなかのありように正面から杭を打とうとはしない。
 その意味で、『小さき麦の花』は、さまざま、そんなことを感じさせる良質な映画でした。

 監督はリー・ルイジュン(李睿珺)。この映画を撮ったときは39歳だったようで、じつに若い監督だといえます。
 映画の舞台とされたのは、監督自身の古郷・甘粛省張掖(チャンイエ)市花牆子(ホアチャンツ)で、彼は17歳までこの村に住んでいたそうです。
 映画がクランクインしたのは2022年だったそうですが、映画のなかで、政府の進める近代的な高層アパートへの転居を良しとすることに、土地を離れ、家で鶏や豚を飼えないのは農民ではないと有鉄はつぶやきます。
 それは政府権力の農村近代化政策の矛盾をはしなくつくことになったのでしょう。そのためか、中国政府は、この作品の中国国内での上映をほとんど禁止したとされています。

 ちなみに花牆子の地は、はるか北方にある祁連(チーリェン)山脈に源をもつ中国第二の内陸河川である弱川の流域にあり、弱川がつくる湿地がそこここに点在する土地でなんだそうです。
 そこでは弱川によってもたらされる、キメの細やかな泥質土を干し煉瓦にして家を建てることが、昔からされているそうですが、泥質土には草花の種子が多く混じっているんだそうです。
 そのため家を建てると春ともなると屋根や家のそこここにいっせいに花が咲きだし、じつに華やかな景色がつくりだされる。そこで花牆子(ホアチャンツ)の地名が生まれたということです。

 素朴で、まさに美しい詩情が滲み出てくる映画。
 久しくこのような映画を見ることはありませんでした。映画が終わり、しばらくの間、映画館の座席から立ち上がるのが惜しいような、せいぜい40席にも満たない狭い映画館でしたが、映画が終わってしばらく、そこにいた観客のだれもが容易に席を立つ気配がありませんでした。

 監督のリー・ルイジュンは、インタビューに答えて、自らが生まれ育った土地に流れる弱川について、中国で伝わる一片の漢詩をあげています。
 それがこの冒頭に書かれた漢詩です。
 意味は、弱川(弱水)は三千にもわたる長い川ではあるが、喉の渇きを癒やすには一杯の水だけ掬えばいい、ということです。
 しかし、この漢詩にはもう一つの意味があって、世の中には美しい人やきれいな人は数多くいるかもしれない。でも、わたしにはあなたがいてさえすれば、それで満ち足りるし、それでいい、という意として使われるんだそうです。深い情愛の意が込められているわけです。

 中国の成金的な象徴であるBMWに乗るボスの跡取り息子。そのBMWに対峙するように、どこからともなくやってきて、ブルブルと嘶きながら草を食み、どんな重労働にも耐える驢馬。
 華美とは無縁な暮らし。地道に律儀に、それでいて満ち足りた労働と暮らし。収穫された大きなトウモロコシと馬鈴薯。そして、ひとびとのお腹を満たす麦をこねて蒸かした素朴な饅頭。
 そのひとつひとつが、なにかしらわたしたちの心に痛みと心地いい哀しみをもたらしてくれる。そんな時間がそこにはありました。

 ただし、この映画は東京ではたった二ヶ所の映画館(シネスイッチ銀座は明日4月16日10時上映まで)で上映されただけで、キネカ大森の上映は昨日、金曜日で終了してしまいました。じつに惜しまれます。
 とは言いつつ、つくづくやはり映画は、劇場で観た方がいいな。そんな余韻が映画を観て数日もたっているいまもまだ続いています。
 ほんとうに観てよかった映画でした。

 ところで今回は、この4月23日からの講座の宣伝をしようと思ってblogを書き出したのですが、けっきょく、ぜんぶ映画『小さき麦の花』の話になってしまいました。
 しかたないので、下に講座のflyerだけ貼っておきます。

 今回お話しする「学び」=教育のテーマは、わたしにとって、教師として45年以上にわたるありようの集大成になるテーマだと思っています。そうした個人の事情はともかく、ぜひ講座にご参加ください。
 ひとりでも多くの方々のご参加をこころからお待ちしております。
 申し込みはnpo.shinjinkai1989@gmail.comまで
 メールで、できれば4月20日までお願いします。


 
  
 
 
 


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「講外講」の日程変更のお知らせです。

2023-04-06 10:53:04 | 〝哲学〟茶論
 2023年夏学季講座では、
 例年のことながら、「講外講」をおこないます。
 この「講外講」という言葉は、
魯迅が作品を発表する際に、集から洩れたものながら、彼自身が愛着のあったエッセイや文章をあつめ、別途に「集外集」と呼んだことに由来します。
 でも、その題名のアイデアは、不確かな記憶ながら、どうも中国の杭州にある西湖、ここは中国四大美人の一人に数えられる西施(せいし)入水にまつわる伝承でよく知られたところですが、その湖畔にある「楼外楼」(日本にもその名前にあやかった中華料理店はいくつか存在します)という古くからある料理店に由来するようです。
 もしかして、逆だったりするかもしれません。 

 <西湖の船上から見た楼外楼。下は楼外楼から望む西湖>

 この料理屋には十数年前、食事をしに訪れたことがありますが、大きな窓から靄にかすむ西湖が望まれ、紹興酒をいただきながら、蕩蕩としていかにも気持ちよい時間が過ぎていったのを憶えています。
 その魯迅と西湖のあいまった記憶に郷愁を感じながら、講座後の楽しみとして、いつも講座では、「講外講」という楽しみの場を設けているというわけです。
 
 そんなわけで、これまでの「講外講」では、足尾銅山跡、秩父事件の足跡をたどったり、幕末の尊攘運動の事跡、このときは生麦事件の起こった生麦までいきました。あとは芭蕉の『奥の細道』をたどるべく日暮里から千住まで歩く。それに明治の元勲の別荘や吉田茂邸のある大磯探訪などこれまでもいろんなところに出かけました。
 そこで、今回は伊能忠敬の出身地でもある千葉の佐原を訪れ、あわせて佐倉にある国立歴史民俗博物館の見学を、と考えています。

 ただし、日程ですが、
 当初は7月8日土曜日としていましたが、わたし自身の都合が難しくなり、一週間ずらして、7月15日土曜日にしたいと思っています。
 下手をすれば、梅雨の真っ盛りかもしれませんが、今年は暖冬もあり、この時期には梅雨明けになるようにも思え、当たり外れはあるものの一か八か、15日に予定変更をいたします。
 ちなみに、わたしはけっこう〝雨男〟でして、「講外講」の一つであった2022年の日吉慶応キャンパス内にある海軍連合艦隊地下壕の見学も台風で流れたことがあります。
 ですから、外れたらすみません!

 それと、講座についてですが、以前も申し上げましたように、すべてzoomでおこない、当日受講できない方には、アーカイブを送付して、お好きな時間、ご都合の良い時間に受講参加できるようにしております。
 もちろん、わたしのお話が終わったあと、質疑応答や討論の時間を多めに取っており、ここでみなさまの疑問点やそれぞれのお考え、ご意見をお聞かせ願えるようになっていますので、zoom参加の方が〝白熱講義〟を味わえるのに適しています。
 とは言え、発熱後の余熱を楽しむのも、じゅうぶんありだと思っています。
 その意味でも、一方通行の講座にはなっていない、zoomだからこそ、いろんな意見を聞ける。そんな講座になっています。
 〝白熱〟のためにも、みなさまの多様な意見や声が必要ですので、ぜひ多くのみなさまのご参加をお待ちしております。

 以下、講座のflyerを貼っておきます。

 お申し込みは、4月20日(木)まで、
npo.shinjinkai1989@gmail.com
  にメールでお願いできれば幸いです。

 折り返し講座担当から、詳細についての返信をいたします。よろしくお願いいたします。



  

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説得すること。

2023-04-02 15:30:38 | 〝哲学〟茶論
 世界は、いま、どこを見渡しても〝対立と分断〟だけが、したり顔でのさばっているように見えます。
 近年になく熱いものやヒューマンなものを感じさせたWBC(World Baseball Classic )のさなか、もちろんBaseballのさかんでない地域には、その感動の波動は縁遠いものなのでしょうが、習近平はロシアに行きプーチンとひそひそと面談し、岸田文雄はウクライナに赴き、自身の選挙活動の癖がとれないのか、「必勝」と書かれた宮島しゃもじ持参し、ゼレンスキーに応援してるよとエールを送る。戦時下にあるということへの驚くばかりのリアリティrealityの欠落は、どうにもならないほど無残としか言葉が見つかりません。
 そして、任期を終えた中国駐日大使との面談をスルー・・・。G7の議長国としての見栄を張ることが、いまの彼にとって最大級の関心事なんだろうと思わざるをえない感じです。

 旧ソヴィエト帝国のノスタルジーNostalgiaに沈んで、泥濘に突っ込んだ感のあるプーチン・ロシアに、いまどきあらためて敵意と対立のメッセージをおくることは、それほど重要なのか。
 〝戦狼外交 Wolf warrior diplomacy 〟と呼ばれる自国至上主義の中国に、そっぽを向いて、いや、毅然とした態度でと思う方々もすくなくないでしょうが、嫌がらせ的な敵意を示したところで、はたして得るものがあるのか。
 <ブルーゲル画『バベルの塔』*旧約聖書:人間が驕って高慢になり、天にも届くバベルの塔を建てようとしたことに怒った神が、言語を混乱させ人びとに「対立と分断」の禍を下したという言い伝えから> 



 世界が〝対立と分断〟の困難な泥濘に足を取られているときこそ、泥濘から引っ張り上げて、乾いた草地を素足で踏みしめることができるようにすること。そのための努力を、世界は、いまこそ迅速におこなうべきではないのか。
 つまり、可能性は薄いかもしれないのですが、やはりウクライナへの侵攻は、理不尽じゃないのか。核などを使うなどとの脅しは止めて、いまから兵を引いて、まずはウクライナの話も聞くのが道理じゃないか。
 その富力で、世界の弱小国に金をばらまき、世界第一等国になるのではなく、儒教道徳の歴史を誇り、徳のある国として世界の困難をともに解決する国の列に加わってもらえまいか。

 いま世界で必要なのは、そうした説得を試みるという態度を持ち続けるということではないかと思うわけです。
 日本は、いまのロシアと同じように、過去の歴史のなかで、〝暴支膺懲〟などという言葉をひっさげて、生意気で根性なしで国家の体をなしていない中国を懲らしめてやると居丈高に言い募り、中国への侵攻をしていきました。
 途中、なんども「和平」を口実に、中国に過大な要求をくり返し、ここまでは皇軍(天皇の軍隊)が夥しい血を流して獲得した権益だと面子や意地を張り、侵略した権益を確保したままでの和平を強要し、ついには中国の人びとだけではなく多くの世界の人びとの恨みを買い、米英を中心とする連合国とソ連まで引っ張り出して戦い、惨憺たる結果を招いたのではなかったか。

 歴史はしばしば、調子に乗って、いい気になって、驕り高ぶって物事を進めても失敗する事例を多く教え諭しています。
 歴史を知らないものだけが、この轍を踏んで改めることを知らない。

 いまやることは、しゃもじをもって景気づけることでもなかったし、ぞんざいな態度で振る舞うことでもないわけで、まずは相手を「理」をもって説得することではないのか。
 「いけないことはいけない」と相手の指導者に面と向かって言う。相手の指導者が聞く耳を持たないとしたら、その周囲にいる人に語りかける。その国の人びとに囁きかける。そして、いろんな国々で心ある人に、一緒に説得してもらう。

 見るところ、いまの世界で、そうした動きを見ることはすくないように思います。まずは、相手の目を見て説得してみる。
 そのためには、自分自身が嘘や偽りを秘めていたのでは、相手を説得できません。
 虚心坦懐な気持ちで、まずは無益な戦争を止めましょう、いったん軍隊は引きましょう、と説得してみては? 占領地は返しませんかと、言ってみては? 世界がロシアを怖がっていることについて、得なことはありませんよと話しかけてみては?
 もともと漢民族国家ではなかった清の拡張政策の時代まで、台湾も新疆ウイグルも中国の領土ではなかったのでは? 「化外の地」(華化の及んでいない地の意味)ではなかった?
 いまのこの状況にあって、むりに「一つの中国」にこだわっても意味がないのではありませんか。東シナ海や太平洋に出たければ、お隣同士、周囲の国々にも納得できるようにしてみてはいかがですか?
  
 言うまでもないことですが、もちろん説得するには、自らの身と心を清廉なものにしておかなければ、その力は削がれてしまいます。
 繰り返しますが、調子に乗って、少なくともしゃもじを送るような〝カルイ〟ことは辞めにしたらと思うわけです。そして、謙虚な態度に終始すること。それが世界を〝対立と分断〟の桎梏から救う手段のように思うわけです。

 ところで、2002年ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんがおっしゃっていたことですが、SDGsの根幹は、地球のためではなく、人類が生き延びるためにいまの手を打っておこうという考え方なんでしょう。生物の一種に過ぎない人間が、たまたま蔓延って、そこで環境悪化を招いてしまっている。そのことが意識されていないのじゃないのか?(『朝日新聞』2023年3月26日)
 言い換えると、SGDsは、どこかに人間の奢りが潜んでいるという趣旨のことをおっしゃっていました。
 「奢れる者はひさしからず」。『平家物語』の一節です。〝対立〟や〝分断〟も、そうした気質から生まれてくるものです。自戒したいものだと思ったわけです。
 
 2023年も4月をむかえ、新たな気持ちで社会に飛び立っていく若者も多いことです。自宅の窓の外に広がる4月の青空を眺めて、そんなことを思っていました。

 それと再度のお知らせですが、この春からはじまる講座の案内をさせていただきます。
 テーマは、「教育」について、〝学び〟について考えます。
 いつもながら、思うのですが、この講座のよさは、わたしのお話が終わってのち、それをネタにzoom上でのみなさんのお話しと、その対話が面白い! 
 みなさんのご参加をお待ちしております。
          
*NPO新人会2023年夏学季講座*
 〝学び〟とは何か?
 「お受験」から「Reskilling」まで!
     ~教育と「国民国家」の現在~

◇期間:<全5講>2023年4月23日~7月2日
◇日時:隔週日曜日<午前11時~12時>
 *全講zoomかGIGAファイル便での受講
◇受講料:全講受講6000円<5回分>
 *学生3000円  
◇附記:各講毎、事前にPDFでレジュメ送付。
    それに沿って講座は展開されます。
【講座内容】
 
いまどきのこの国で、〝教育〟についての話はほとんど個々の記憶(Nostalgia)のなかで語られ、「ドラゴン桜」にせよ「ビリギャル」、「2月の勝者」にしても、その多くは受験の成功者による武勇伝ばかりが幅をきかしています。いかにしてエリートになり得たか、成功したか。親たちも子どもたちも、みな受験の勝利者が成功者であるという呪縛から逃れようとはしません。横ならびの実利のための学歴資本を得ることが最善という〝信仰〟のなんと強固なことか。そのなかで〝学び〟の精神は疎外され、いつの間にか空疎な競争社会とともにそこからの落伍者のニヒリズムが社会を覆ってしまっています。そこでこの講座では、みなさんとの対話の「トポス」を再設置し、「学び」の精神について深く考えたいと思います。
【日程とテーマ】
・第1講(4月23日):
『学問のすゝめ』とは?
 ~序論:〝学び〟は誰のためのものか?
・第2講(5月14日):
「国民皆学」と〝生活綴り方〟
 ~近代「国民国家」の教育とは?
・第3講(6月4日):
「大学」と知識人
 ~エリートと民衆について~
  人財か人格か?
・第4講(6月18日):
「平等」と〝競争〟
 ~再考:戦後「民主主義教育」とは何か?
・第5講(7月2日):
「学び」の現実と「場topos」の現在
 ~結語:いま〝学び〟とは?
☆講外講:7月15日(土)☆
 伊能忠敬の佐原と佐倉「歴博」の旅!(予定)



 
 

 

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☆☆2023年新人会夏学季講座のお知らせ!☆☆

2023-03-25 01:42:14 | 〝哲学〟茶論
 花時雨の日々のなか、桜の咲き誇りもいまだ見ぬうちに、盛りの春は終わろうとしているのでしょうか。
 そのなかで、2020年から猛威をふるったパンデミックは、2023年になって、いくぶんその勢いを失い、人びとは、忘れかけていた日常を、過剰にも取り戻そうとしているかのようにも見えてきます。

 とは言うものの、いぜんとしてミャンマーの惨状やシリアの避難民、そして言うまでもなくロシアのウクライナ侵攻による双方の多くの戦死者や犠牲者はあとを絶たず、そんななかこれまでのアメリカの絶対的支配力にルサンチマンと憎悪を強め、帝国主義的意識の勝ったロシアや中国が、市場原理主義と排他的国家意識をひっさげて対峙する世界の情勢は、ますます混迷を強めていくようにも見えてきます。
 たしかに、ここ数日のWBCのスポーツを通じてのヒューマンなありようを垣間見ることはできたものの、こうした状況下のなか厚く覆った雲はなかなか晴れ間を見せてくれないなと思うしだいです。

 とは言え、これまでの歴史を見るまでもなく、いつまでもそんな停滞のなかに人びとは沈んでいることはないでしょう。気力を奮い立たせ、とぼしくとも光を求めて、歩き出すのがもっとも大切なことのように思います。

 そんなこともあって、すでに20年以上おこなっている講座を、2023年も、まずは夏学季の講座としておこないます。
 <戦時中、国民学校での軍事教練>

 そこでテーマについてです。
 まことに私事で恐縮ですが、わたしはこの春、45年間仕事として続けていた教師の職を、いったん終えることにいたしました。よく考えると、長くやってきたものです。
 はじめの初任校は、全国でも珍しい全寮制の農業高校でした。つぎには山間の小さな定時制高校に赴任しました。そしてそのあとは古い伝統を誇る県立の女子校に勤め、そこを退職し、たいしたあてもなく上京し、塾講師や予備校の講師、その間に雑誌や機関誌の編集の仕事をしながら、社会評論や文芸、歴史ものの執筆、いろいろな講座の講師や一時は大学での講座をしたり、よく生き延びてきたな(?)と思うしだいです。
 とは言え、そんなふうにさまざま食い扶持を求めながら、ずっとやり続けたのは、10代後半から20代にかけての若者と交わることでした。
 言い換えれば、教えるという仕事を通じて、彼ら彼女らとともに〝学び〟の意味を探ってきたと言えるかなと思うわけです。
 
 そんななかで、〝学び〟とはいったいなんだろう。いまの学校のあり方や「教育」とは、はたして正しいのだろうか。そんな思いをずっと抱き続けてきました。

 <国民学校一年 国定教科書>
 言うまでもないことですが、これほど幼児教育から大学まで、学校が整備され、多くの人びとに〝学び〟の場が存在するのに、世の中には「反知性主義」が蔓延り、悪意のフェイクがたくさん散らされています。教育とは無力なのか。そんな思いもよぎります。
 たしかに資本主義がおこった19世紀からは、「学歴資本」が「経済資本」に転換されるだけで、〝学び〟の精神と共鳴するはずの「文化資本」にはなかなか転化していかない状況が続いています。実利と拝金のスキルばかりが重んじられ、〝学び〟が導き出す「人格の陶冶」はなかなか実現されないようすが見て取れます。いったい、それはなぜなのでしょうか。
 そこで、たとえば日本における江戸時代には、どんな教育がなされ、近代「国民国家」になり、どんな教育が求められ、さらに戦後の民主主義教育とは、いったいいかなるものだったのか。
 そうしたことをひとつひとつふまえながら、現在の〝学び〟とは何か、いったい〝教える〟とはどんなことを意味するのか。それらを再考する意味はけっして軽くはないように思います。
 そこで、そうした考察を、みなさんとともに重ねていきたい。
 そのように思い、この講座を開設することにしました。できるだけ、多くの方々の〝学び〟の体験と教育の意味について、お話ししていきたいと考えています。
 そんなわけですので、多くの方々の講座へのご参加をお待ちしております。 

 以下に講座のflyerを貼っておきます。
 今回の講座も、zoomによって、またアーカイブでも受講できます。とくにzoomでの受講では、これまでも受講される方と講師、あるいは受講される方々の間での、多くのご意見やお考え、質疑応答の交歓が活発におこなわれています。
 日ごろ、考えていることや思うこと、そうしたことを語りあう、あるいは対話にあげることで、物事の理解はますます深まっていくように思います。その意味でも、多くの方々のご参加をいただければ幸いです。
 また、恒例の「講外講」も企画しております。今回は佐原の伊能忠敬と佐倉にある国立歴史民俗博物館(歴博)の旅の予定です。こちらのほうも、お時間がありましたら、ぜひご参加ください。

お申し込みは、NPO新人会のメールアドレス:
 までお願いいたします。
 (ご参加については4月20日まで
   お申し込みいただけると幸いです)
 折り返し、講座担当から、
 講座についての詳細の
 ご連絡をさせていただきます。

        記
*NPO新人会2023年夏学季講座*
 
〝学び〟とは何か?
 「お受験」から
  「Reskilling」まで!
 ~教育と「国民国家」の現在~

◇期間:<全5講>2023年4月23日
             ~7月2日
◇日時:隔週日曜日<午前11時~12時>
*全講zoomかGIGAファイル便での受講
◇受講料:全講受講6000円<5回分>
     *学生3000円  
◇附記:各講毎、事前にPDFでレジュメを
    送付いたします。
    それに沿って講座は展開されます。
【講座内容】
 いまどきのこの国で、〝教育〟についての話はほとんど個々の記憶(Nostalgia)のなかで語られ、「ドラゴン桜」にせよ「ビリギャル」、「2月の勝者」にしても、その多くは受験の成功者による武勇伝ばかりが幅をきかしています。いかにしてエリートになり得たか、成功したか。親たちも子どもたちも、みな受験の勝利者が成功者であるという呪縛から逃れようとはしません。横ならびの実利のための学歴資本を得ることが最善という〝信仰〟のなんと強固なことか。そのなかで〝学び〟の精神は疎外され、いつの間にか空疎な競争社会とともにそこからの落伍者のニヒリズムが社会を覆ってしまっています。そこでこの講座では、みなさんとの対話の「トポス」を再設置し、「学び」の精神について深く考えたいと思います。
 【日程とテーマ】
・第1講(4月23日):
『学問のすゝめ』とは?
~序論:〝学び〟は誰のためにあるのか?
・第2講(5月14日):
国民皆学」と〝生活綴り方〟
~近代「国民国家」の教育とは?
・第3講(6月4日):
「大学」と知識人
~エリートと民衆について:人財か人格か?
・第4講(6月18日):
「平等」と〝競争〟
~再考:戦後の「民主主義教育」とは何か?
・第5講(7月2日):
「学び」の現実と「場topos」の現在
~結語:いま〝学び〟とは?
 
☆講外講:7月15日(土):
伊能忠敬の佐原と佐倉「歴博」の旅!(予定)☆

 




 


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☆☆11月26日あざみ野講演会のお知らせと秋学季第3講の受講御礼☆☆

2022-11-13 18:30:51 | 〝哲学〟茶論
 今日は、2022年秋学季講座の第3講、
テーマは、「ソ連」「中国」はほんとの社会主義国家なのか?
というお話しでした。
 レジュメの冒頭の1ページだけあげておきます。
本講座では、毎回このようなレジュメをみなさんに事前に送らせていただき、お話しを進めさせていただいています。

 受講なさっている方は、現在40人くらいですが、zoom講座終了後、アーカイブ版をみなさんにおくっていますので、いつでも、どこでも、いまやっている『意外に知らない「社会主義」そして「共産主義」とは何か?』という講座も、これからでもじゅうぶん受講が可能です。
 とは言うものの、やはりライブのzoom受講は、直接に質疑応答ができ、また自由討議ができて、その際、いろんな意見や感想が出てきて、じつに多様で、おもしろいし、また白熱したお話しができます。
 この際、ライブでご参加いただけると(本講座はあと2回ライブ参加できます)、うれしい限りです。
 
 それに昨年以降これまで行ってきた
ジョージ・オーウェルの『1984』講座だとか、『司馬遼太郎を読む!ー「司馬史観」を考える』などの講座も、すべてアーカイブ版で受講可能です。
 ご興味がありましたら、ぜひご視聴ください。
(お申し込みはNPO新人会npo.shinjinkai1989@gmail.comにお願いします)

 さて、そして今回はもう一つ。
 11月26日(土)に、元衆議院議員であった首藤信彦さんとわたしとで、戦後政治についての講演会があります。
 場所は、田園都市線あざみ野下車5分のところにある山内地区センターで、時間は13時30分開場、14時からわたしと首藤さんの順でお話しをいたします。
 いまの日本の政治にご興味ある方、〝ハナシ〟にならない法相の辞任やいつもでまかせに〝スギタ〟ことばっかり言っている政務次官なぞが、なぜ政府の要人となっているのか、そんなお話しをみなさんで考えていきたいと思っております。
 下記にflyerを張っておきますので、ご興味ある方は、主宰者である「放課後バンド」まで連絡していただき、ぜひご参加ください。
 *放課後バンド 090ー7638ー5093か
    mail:nnn@yokohama.email.ne.jpまで、
  よろしくお願いいたします。 



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『平家物語』と国葬・・・。「名こそ惜しけれ」

2022-10-02 10:28:34 | 〝哲学〟茶論
 昨日は、京都新聞・京都商工会議所共催の「京都検定講座」にご参加いただき、ありがとうございました。
 
 テーマは「『平家物語』の世界」というおおきなテーマでしたが、なんとか120分のなかに『平家物語』のなんたるかをお話しできたかと思っています。

 ご存じのとおり『平家物語』は、この国屈指の叙事詩とも言うべき物語で、しかも足駄を履き、頭陀袋を下げた盲目の琵琶法師によって〝語り〟つづけられてきたものです。
 眼で見る、書を読むといったものとはちがい、耳朶を震わせ、脳や胸間をいっぱいに満たす「音」は、なによりも人びとの情感を揺さぶり、情緒とカタルシスに訴えかけます。
 琵琶法師は、地面から激しく熾きおこるように琵琶をかき鳴らし、独特の音声(おんじょう)と旋律で、あえぐように、切々と訴えるように、ときには息を潜め、すすり泣くように、平家の〝盛者必衰〟のことわりを物語っていきます。

 『平家物語』は、たしかに木曽義仲、源九郎義経の衰亡も語るのですが、おおよそは平家の滅亡、つまりは壮大な平家〝埋葬〟を物語るものでした。
 そして、そこで語られる抒情は、気まぐれな情感や皮相的な情緒ではなく、まるで映画のコマ落としのように、平家が栄耀栄華を極めた淵からあっというまに衰滅する。その激しさを語るものでした。
 そこには因果応報、諸行無常とはいうものの、それをも包み込んでの眼に見えない巨大な〝運命〟の存在を感ぜざるをえない。その叙事詩的な運命の語りとして『平家物語』はあったように思います。

 そんな平家のお葬式の物語を考えていたら、ちょうど安倍晋三元首相の「国葬」(政府は国葬儀だと言い直していますが・・・)をテレビが録画で映していました。
 「国葬」の成否については置くとして、国葬の様子をテレビで見ながら、ふと気になったのが、世間ではすばらしい弔辞だと評判になった菅義偉元首相の弔辞のことです。
 あらめて、その情景を眺めていて、いかにも荘厳に、また深い哀悼を演出しようと、またいかに涙声で語ろうと、反対に、どうしようもな軽さと薄さを感じてなりませんでした。
 それと、へんな話をとりあげたもんだな。それが率直な感想です。

     <山県有朋>

 
 弔辞では、あるとき菅氏が安倍首相の執務室で机の上を見たら、読みさしの本があって、その本にはページを折った部分にマーカーが引かれてあったという話です。
 本の書名は岡義武著『山県有朋』(岩波新書)。
 その折られたページには、伊藤博文がハルピンで暗殺されたあと、伊藤博文との松下村塾以来50年の交友を回想し、山県が、
  かたりあひて尽しゝ人は先だちぬ
       今より後の世をいかにせむ
 と一首詠じたとあり、そこで菅氏は万感の思いを込めて、故安倍氏と自らの交友を重ねていくわけです。

 このくだりを聞いて、不思議なことに、すぐに菅氏が岡義武著『山県有朋』をほとんど読めてもいないし、もしや読んでもいないかもしれないと、口をついて出てきました。
 同じ事はマーカーを引いた故安倍氏本人にも、そのことを思わざるをえませんでした。
 この和歌が出てくるのは、ちょうどこの本のまんなかあたりで、それから約100ページあまり、岡義武による山県有朋論が展開されているわけです。そこにどんなことが書かれているのか。
 菅氏も亡くなった安倍氏も、その先はほとんどで読んでいない。
もしかして、その前後に書かれていることも、お二人の目には入っていなかったんじゃないか。

 和歌がある前後の文章をお読みになったかたは、すぐに気づかれたと思われますが、山県はこのころ伊藤を避けるため、伊藤がこの当時、朝鮮総督に出ている事を幸いに、自ら率いる「軍閥」の権力基盤強化をはかっていたということが書かれています。
 そこで政友会の原敬は、伊藤が高齢であるのに、長く朝鮮総督の激務についているのは不憫ではないかと掛け合うのですが、山県は応ずる気配がない。
 原はなんとか首相の桂太郎に談判して、伊藤を帰国させる算段をつける。その矢先におこったのが、ハルピンでの伊藤博文暗殺事件でした。

 そもそも山県と伊藤は同じ長州というのに、あまりにも違いがありすぎました。山県はことあるたびに吉田松陰を持ち出し、自分は松下村塾で松陰先生の謦咳に触れたと言い廻っていますが、おそらくその話は山県の嘘言と言っていい。
 山県は松下村塾の座敷にあがり、直接に松陰に接することはなかったと言われているのです
 ほぼ百姓身分であった山県は、座敷で松陰を囲んで学んでいる場からは遠い土間か玄関先にいて、座敷で語られている話を漏れ聞く程度でしかなかった。座敷で松陰の教えを受けていたのは、高杉晋作や久坂玄瑞たちであり、松陰と親しく口をきいてもらえたのは伊藤俊輔(博文)、井上聞多(馨)らでありました。山県はそのなかにいなかった。
 後世、山県がことあるたびに松陰のことを持ち出すのは、伊藤たちへの山県のコンプレックスではないか。山県と伊藤には、このように眼に見えない乖離があったと言えるのです。

 明治天皇に接するときもそうでした。伊藤はそもそも明るい性格で、明治天皇はそうした伊藤をたよりにし、なにかと問いかけます。伊藤はそのたびに天皇の期待以上の反応を示し、天皇から絶大な信用をえていきます。
 しかし、山県は狷介な性格が邪魔をしたようです。明治天皇は晩年、飲酒が過ぎて、会議の途中で居眠りをするようになったそうですが、すると山県は、自身の軍刀を床にたたきつける。コツコツ、ドンドン、コツコツ、ドンドン・・・。そうやって目を覚まさせる。
 言葉で問いかけることをしない。無言で床に軍刀を打ち付ける。そこに山県の陰険さが覗けるのです。

 およそ好日的な伊藤に対し、山県は言葉で対抗せず、無言で、あるいは伊藤の言葉を無視するやり方で自我を押し通す。そのようにして山県与党である牢固とした「軍閥」機構をつくり上げていきます。

 さきほどの和歌に戻ります。作歌の上手い下手は問わないとしても、山県の一首は、どうにも月並みな情感しか感じ取れません。
 とりわけ下の句である「今より後の世をいかにせむ」は、人の死を悼むというよりは、これから自分がこの国の舵をどう取っていくのか。そうした自分を鼓舞するかのようにも読みとれます。
 伊藤とのこれまでの交友をふり返り、慚愧の思いや悲しみを述べた和歌とは読み難い。なにか冷たさすら感じられます。
 なぜ、その和歌にマーカーを引き、そのことを取り立てて弔辞に盛り込むのか。

 著者である岡義武は、この和歌の付近の文章で、山県が伊藤のことを評して、「伊藤という人間はどこまでも幸運な人間だった」と周囲に語っていたこと、「死に所をえた点においては自分は武人として羨ましく思う」と述べていたことを記しています。あくまでも自分と比べて、伊藤はどうであったかを述べている。
 そこに弔いの心情を見いだすことは難しいように思います。
 
 山県も死後、国葬になりました。本書にもあるように、山県の国葬は自身の不人気ゆえに、『東京日日新聞』は「幄舎はガランドウの寂しさ」との見出しをつけ、議員の出席は少なく、軍人の参列ばかりが目立つ、あたかも「軍葬」のようであったとされています。
 『東洋経済新聞』の石橋湛山は辛辣にも「死もまた社会奉仕」と山県の死を評しています。

 なぜ、菅氏はこの山県有朋の歌を引いたのか。涙ながらに語る、その背景になにがあるのか。たしかに読みさしの本があり、そこにマーカーが引いてあったというくだりは、感動を誘うもののように思います。
 しかしながら、一冊の本を読み通して、そこに深い感慨を得るというよりも、岡義武の本をつまみ食いしたような、しかもいかにも安っぽい解釈とその情緒の演出には、この菅氏という人間がいかに薄っぺらな人生訓しかもっていないのか、そんなことが透けて見えてきます。
 またマーカーを引いた故安倍氏も同様に、はたしてこの本を読み通したのか。自分の都合のいいように言葉を引き、調子よく符牒をあわせてきたのではないか。そんなふうにも思わざるをえません。

 長きにわたって続いた安倍政権が終わって、見返してみるならば、たしかに「アベノミクス」にしても「安倍外交」にしても、目先だけに執着して、表層をつまみ食いするような政権だったと言わざるをえません。

 というわけですが、そんな思いのなか、昨日、『平家物語』のお話しをしながら、壇ノ浦の戦いで必滅の際に立った平家の総帥新中納言平知盛の言葉を思い出していました。

 有名なのは「見るべきほどのことは見つ、いまは自害せん」ですが、思い浮かんだのは、そうではなく「名こそ惜しけれ」でした。

・・・新中納言知盛卿舟の屋形にたちいで、大音聲をあげての給ひけるは、「いくさはけふぞかぎり、物ども、すこしもしりぞく心あるべからず。天竺・震旦にも日本我朝ならびなき名将勇士といへども、運命つきぬれば力及ばず。されども名こそおしけれ。東国の物共によはげ見ゆな。いつのために命をばおしむべき。・・・
(「日本古典文学大系」『平家物語』巻第十一)

 運命つきぬれば力及ばず
 (力およばず運命が尽きた)、
 されども名こそおしけれ
 (死を前にして見苦しい振る舞いを
         してはならない。
    あくまでも名誉のなかに生きよ!)

 「名こそ惜しけれ」。ここには〝決死の抒情〟というものが低く重く流れているように思われます。
 そう思うにつけ、壮大な平家の埋葬劇であった『平家物語』について語りつつ、いかにも一場のお涙ちょうだい程度の情緒に浸って、それをもて囃すこの国の政治家やマスメディア、そして民衆に、いったいいかなる眼差しを向けたらいいのか。

 この国の〝軽さ〟ばかりが気になってしかたがない。
 なにか、大切なものを失い、また失いつづけている。
そう思わざるをえない2022年10月のはじまりでした。

     <『平家物語絵巻』壇ノ浦>

   
 

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☆☆京都検定講座『平家物語』のご案内とその他のこと☆☆

2022-09-26 12:25:00 | 〝哲学〟茶論
 はじめに、こんなことは書きたくないのですが・・・

 そもそも、お葬式って、しみじみ故人を偲び、
これまでお付き合いのあった事柄をふり返り、
けっして届くことのない、別れの言葉をおくるもので、
イヴェントなんぞじゃないですね。
 国葬? 厭なご時世になりました。

 そんななかで、滅亡した平家の鎮魂を切々と詠いあげ、死者を悼み、〝盛者必衰〟のことわりを語った琵琶法師の事跡をたどりながら、『平家物語』をみなさんと一緒に考えてみたい。
 そんな思いを込めて、10月1日(土)15時30分から2時間ほど、西巣鴨にある大正大学で、〝平家物語〟のお話をします。
<『平家物語絵巻』那須与一>

主催は京都新聞と京都商工会議所で、
お問い合わせ、お申し込みは、
京都新聞文化センター075-213-8139に
お願いします。
以下概要です。

【第1回】「時代を彩る戦記物を読む!」 時代を彩る戦記物partⅠ
   〝祇園精舎の鐘の声〟と建礼門院の寂光院 10月1日

概要
 中世の時代には、いろいろな戦記物が書かれ、語られてきました。そのなかで今回は『平家物語』の面白さをお話しします。
 壮大な戦記『平家物語』に交差する人間模様。戦時の吶喊と亡者の寂滅、そして最終章での建礼門院の愁歎。そこには何が語られているのかをお話しします。
曜日・時間会場-10月1日・大正大学(都営三田線西巣鴨駅下車3分)
指定 15:30~17:30
東京会場
1回
開場時間:15時

  

2022/10/01(土) 15:30~17:30
お申し込み
料金区分受講料
受講料2,750円 

 以上です。

 それと9月25日開講した〝意外と知らない社会主義と共産主義〟の講座ですが、多くの方に参加いただき、心からお礼申し上げます。
 まだ若干、定員には余裕があります。これからでもアーカイブでの受講が可能ですので、ぜひご参加ください。
お問い合わせ・お申し込みは、
npo.shinjinkai1989@gmail.comまで
お願いします。

 それから追加ですみません。
9月20日に「日刊ゲンダイ」の「人生100年」をテーマに、江戸時代の〝レジェンド・シルバー〟について書きました。

 ご覧になった方もいるかと思います。
これは前編で後編は、今月末、9月29日に出ます。
よろしければ、お買い求めいただければ幸いです。

 あと数日で10月になります。
このところ台風続きで、すっかり引きこもってしまっていましたが、心機一転、また街にでて、秋晴れのもとの美しい秋を楽しみたいと思っています。

 最後に、先週の9月19日の〝川嶋久人:戦争と肖像〟の写真フォーラムには、定員が40名のところ43人の方にお集まりいただき、たいへん盛況でした。主催者側として、心から感謝申し上げます。
 ありがとうございました。

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☆☆秋季講座のご参加・申し込みは、9月23日までお願いします!☆☆

2022-09-21 15:35:58 | 〝哲学〟茶論
 〝意外に知らない社会主義 
   そして共産主義〟の講座は、
 9月23日(秋分の日)が
     締め切りです!

 これまで10年以上、こうした講座をやってきましたが、コロナ禍となり、予想もしていなかったオンラインでの講座を開くことになりました。
 じっさい、やってみて、会場での盛り上がりとはちがっての熱気が、醸成されているという感じをもつようになりました。
 
 わたしの講座では、一方的な講演という弊害を除くため、みなさんが参加する質疑応答・自由討議の時間を設けています。
 会場だと何かと遠慮があるようなのですが、
オンラインでは、しばしば講座が80分、そのあとの質疑応答・自由討議が60分なんてことになります。
(もちろん質疑応答・自由討議の途中退席はまったく自由です。)
 
 おそらくみなさんが、ご自宅なり、公園など野外も含めて、
それぞれ自由で快適な空間から講座を受講していることも関係しているのかもしれません。
 でもそれ以上に、
 気兼ねなく、VIDEO-OFFも自由ですので、
そんななか、いろいろ自由に発言できるし、
ご自身の考えを表明できるからではないかと思っています。

 まだ、ご参加をためらわれているかたにも、
 この機会にご参加いただければと思います。
 そして、ぜひご一緒に、
 現代社会の諸問題も含めて、
 〝思考の現場〟として、
 この講座がかたち作るられていければ、
 すごいことだなと思っています。

 とは言うものの、いろいろ準備等があり、
 お申し込みの締め切りを9月23日(秋分の日)までとさせていただきます。よろしくお願いいたします。

 以下、要項とflyerです!
           
*NPO新人会・宏究学舎*
 2022年秋学季講座
◆時代に杭を打つ!partⅧ◆
意外に知らない〝社会主義〟
      そして「共産主義」
◇期間:<全5講>2022年9月25日
          ~2023年1月22日
◇日時:毎回日曜日
<講座午前11時~12時:質疑応答約40分> 
*全講zoom(質疑応答可)orアーカイブ(映像ファイル送付)で講座を行います!
◇受講料:全講受講6000円<5回分>
*大学生・高校生3000円
◇附記:各講毎、事前にPDFでレジュメ送付。
 それに沿って講座は展開されます。
【日程とテーマ】
・第1講(9月25日):
 〝社会主義はヤバい?〟
  ~その起源、共産主義とどう違う?
・第2講(10月23日):
 〝日本人は社会主義が嫌い?〟
  ~大逆事件と2・26事件は?
・第3講(11月13日):
 〝ソ連・中国・北朝鮮・キューバ!〟
  ~社会主義は失敗したか?
・第4講(12月11日):
 〝戦後日本の社会主義とは?〟
  ~立民と共産は社会主義か?
・第5講(1月22日):
 〝いまなぜ社会主義か?〟
  ~社会主義はヒューマニズムなのか?
◇お問い合わせ・お申し込み◇
 E-mail:npo.shinjinkai1989@gmail.comまで
*ご連絡を受けて、
 受講の仕方や講座料の振込等を
      お知らせいたします。


        

 

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☆☆川嶋久人緊急写真フォーラム『戦争と肖像 ウクライナの現在』☆☆

2022-09-11 16:03:28 | 〝哲学〟茶論
 いよいよ
 『川嶋久人緊急写真フォーラム
〝戦争と肖像・ウクライナの現在〟』
  写真展の日が
   近づいてまいりました。

 まだお席には、まだ10席ほど
余裕がありますので、
ぜひこの機会に、みなさまのご参加を
お待ちしております。
 フォーラム終了後は、打上も考えております。
いろいろなお話しができるかと思いますので、
 こちらのほうのご参加もご検討ください。

なお、ご参加については、以下のメールで承っております。
よろしくお願いいたします・
 npo.shinjinkai1989@gmail.com
 yagashiwa@hotmail.com

     記
HISATO KAWASHIMA
緊急写真フォーラム
 「戦争と肖像 ウクライナの現在」
・2022年9月19日(月)
 14時開場:14時30分開演~16時30分迄
 会場:としま区民センター 503会議室
    JR他各線池袋駅(東口)徒歩7分
 会場費:1000円(カンパとして)
*川嶋久人は9月上旬帰国し、
  帰国後、初の写真展です。
主催:NPO新人会
・お問い合わせ・お申し込み-E-mail:npo.shinjinkai1989@gmail.comまで 

☆当日の日程
◇2022年9月19日
14時開場
        14時30分開演
 基調報告(約60分)
 「戦争と肖像 ウクライナの現在」について
              -川嶋久人
 補助講演(約30分)
 「戦争の終わりを考える!」
          -歴史家・八柏龍紀
 自由討議(約30分)
  ウクライナのいまを考える!
◇ウクライナの映像は、会場で展示のほか、基調報告のなかでスクリーンで映写します。



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☆☆9月からの講座のお知らせ!〝意外に知らない社会主義。そして共産主義〟講座☆☆

2022-09-05 13:32:58 | 〝哲学〟茶論
 9月25日を初講として、
各月一回のペースで〝社会主義〟や「共産主義」、あるいは〝アナーキズム〟のお話しをいたします。

 この講座は、社会主義や共産主義の理論的なお話しというより、
なぜこうした思想が生まれてきたのか、なぜこの思想にもとに国づくりがはかられて、結果として行き詰まった国が、なぜ出てきたのか? 
 そして、社会主義も共産主義ももはや過去の遺物となってしまったのか?
 そんな疑問にわかりやすく素直に考えていく場にしたい。
 そう思い、講座を設定いたしました。
 おおきくとらえて、主義や思想、言い換えればイデオロギーといったものが、どのようにして生成と衰退、再生されていくか。
 それらを、ひとつの〝歴史の物語〟としてお話ししようと思っています。

 ですから弁証法だの「唯物論」「物象化」「労働価値説」がどうとか「剰余価値」がどうしたなどといった、抽象的な言葉の解説を行うといった不毛なお話しは、
 ・・・そんなことを書くと怒られるかもしれませんが、いたしません。 
 その意味でも、あくまでも〝社会主義〟や「共産主義」を今日的な視座から捉え返して考える。そんなお話しをしていこうと考えています。
 そのため自由討議、質疑応答の時間も十分において、参加されるみなさんとともに、講座を進めていこうと思っています。
 知識を広げるというより、思考を深める。
 それが意外なところから見えてくる。
 そんな講座になるかと思います。
 ぜひご参加ください。
 
 詳しくは下記にありますが、講座はすべてzoomで行われます
 また、zoom受講の時間的な都合がつかない場合も含め、受講なさる方すべてに、アーカイブでご視聴できるよう講座後に映像等を皆さまのメールアドレスに送付いたします。

 なお、講座の開始が9月25日ですので、3日前の9月22日までをお申し込みの期限とさせていただきます。
 
 また講座料のお振り込み等の案内につきましては、下記の新人会メール、あるいは八柏龍紀メールまで、お問い合わせください。参加のお申し込みメールをいただいた時点で、速やかに返信メールをいたします。
 npo.shinjinkai1989@gmail.com

というわけで、以下詳細とflyerです。

      
【要項】
◇期間:<全5講>2022年9月25日
        ~2023年1月22日  
◇日時:毎回日曜日<講座午前11時~12時
          :質疑応答約40分> 
*全講zoom(質疑応答可)or
 アーカイブ(映像ファイル送付)で講座を行います!
◇受講料:全講受講6000円<5回分>
     *大学生・高校生3000円
◇附記:各講毎、事前にPDFでレジュメを送付。
 それに沿って講座は展開されます。
【日程とテーマ】
・第1講(9月25日):〝社会主義はヤバい?〟
    ~その起源、共産主義とどう違う?
・第2講(10月23日):〝日本人は
            社会主義が嫌い?〟
    ~大逆事件と2・26事件は?
・第3講(11月13日):〝ソ連・中国・北朝鮮
              ・キューバ!〟
    ~社会主義は失敗したか?
・第4講(12月11日):〝戦後日本の
             社会主義とは?〟
    ~立民と共産は社会主義か?
・第5講(1月22日):〝いまなぜ社会主義か?〟
    ~社会主義はヒューマニズムなのか?




 

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川嶋久人☆緊急写真フォーラム☆開催のお知らせ!

2022-08-22 14:16:44 | 〝哲学〟茶論
 〝緊急写真フォーラム〟のお知らせです。

 旧統一教会と自民党を主とする政治家の癒着ぶり、最近は論点ずらしが蔓延り、関係をもったのは自民党の安倍派、いわば「清和会」だ。だから他の派閥なんかは関係ねー、って雰囲気を必死になって醸しだそうとしていますが、政治家がいかに政治屋なのか、あるいは〝三百代言〟といっても、知らない人が多いかな? 詭弁を操り、自己保身に走る手合いなのか。
 どっぷり旧統一教会に首まで漬かっている萩生田さんにしろ、旧統一教会絡みだけじゃなく、暴言を繰り返す杉田水脈女史にせよ、彼ら彼女らは世間をナメている輩であるわけで、はやく退場しろとしか言いようがないわけですが、それにしてもひどい!
 そもそも「反共」って、いつの時代だよ? 
 そんなもはや遠い〝東西冷戦〟〝55年体制〟の、いまの現実的とそぐわない、まるでひよこのお尻に殻をくっつけたままのようなイデオロギーが、いまどき存在すること自体おかしいし、これほど日本は停滞してしまっているのか? もっと学べよ!
(ちなみに9月25日からのわたしの講座に〝出てこいやぁ-!〟) 
 しかも自民党「右翼親米保守」の連中が声高に叫ぶ、〝家族〟とか〝夫婦別姓反対〟〝LGBTQ 排除〟などは旧統一教会の教義そのものだだったり、いやそれだけではなく自民党の憲法改正私案も、旧統一教会の要求をそのままパクってんじゃないかと疑わざるをえない代物・・・。
 そもそも「反日」思想で、日本は〝エバの国〟で永久韓国に献金し続けなきゃならない。ずっと奉仕し、従わなきゃならないという旧統一教会の教義に、日本の右翼親米保守が相伴して、票をもらい選挙のボランティアをやってもらっている。いったい、これら議員らは、どんだけ人気がないのか、手弁当で手伝ってくれる人がいないのか。
 それ以上に、安倍元首相を筆頭に、この国の〝右翼〟の質がいかに低いか、ご都合主義か、脆弱惰弱かよくわかるし、〝ネトウヨ〟のイデオロギーもどきも、パコパコの犬小屋でギャンギャン吠えまくる質のものだってこと。旧統一教会、勝共連合などなどの有象無象に、日本はいい〝カモ〟にされ、〝コケ〟にされまくられた感じですネ。
 思うに、〝左翼〟が劣化したとよく言われますし、たしかに〝リベラル〟などと気取っていたこの層の人びとの軽薄さは、つきあってみてつくづく思い知るわけですが、それ以上に、〝右翼〟も劣化し調子よく狡猾になり、もともとの性質でもあった拝金主義、利便主義だけしか残っていない。それがはっきりと見て取れた感じです。

<川嶋久人撮影 ウクライナ ハリキウ郊外でのロシア軍の砲撃の跡>
 さて、そんなことはともかく、旧統一教会の話題もそのうち忘れられていくのかもしれませんが、ウクライナやミャンマーのことも、日本人には、すでに遠い幻影となっているのかもしれません。
 とは言うものの、ミャンマーのことはまず置くとして、ウクライナでは、いまだロシア軍の攻撃にズタズタにされつつあるなかで、必死に日常を回復するために、なくなった人びとの墓標を立て、瓦礫を処理し、水と食料を確保すべく奔走し、なんとか生活を立て直すべく生きている人たちがいます。
 そうした戦時下にあって、写真で記録を残そうと、いままだウクライナで活動している川嶋久人くんの「写真フォーラム」を、9月19日に開催します。

 期日は9月19日(月・この日は敬老の日で休日)。
 会場は、池袋のとしま区民センターです。
 時間は14時開場、14時30分から16時30分まで。
 
 会場の関係で、写真はすべて映像をスクリーンで映し出し、ウクライナから戻ったばかりの川嶋くん自らの解説で「フォーラム」は行われます。
 ちなみに川嶋くんは、9月上旬に帰国予定で、それまで写真を現地で撮り続けています.現在はクリミアの直近にある「オデーサ」で写真、取材をしています。
 詳細は、当日の<flyer>を下記に貼り付けておきますので、ご確認よろしくお願いします。
 なお、会場の関係で人数に限りがありますので、
参加希望の方は(参加費1000円)、
かならず主催者である「NPO新人会」
  npo.shinginkai1989@gmail.com
あるいは、わたしのメール:yagashiwa@hotmail.com
にお申し込みください。
 当日は、自由討議の時間も設けておりますので、
ロシア侵攻後、二度にわたりウクライナで写真を撮り続けてきた川嶋くんとの対話を通じて、いまどき〝NIPPON〟の惰弱さをあぶり出す。
 つまり、統一教会が喜ぶ安倍氏の国葬を拙速に決め、何をやっても「検討」します一点張りの現政権、だから岸田首相はすでに「検討使」と呼ばれているみたいですけど、そんないまの日本のありようを俯瞰するにも、いい機会かと存じます。
 みなさまのご参加お待ちしております!





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☆☆〝意外に知らない社会主義そして共産主義〟講座☆☆秋学季講座開講のお知らせです。

2022-08-15 13:27:59 | 〝哲学〟茶論
 世の中には、知ったふりして知らないこと。
 知らないふりして人の不幸を素通りする人。

 いろいろいます。
とりわけ、安倍晋三氏に向けて発射された銃弾からは、そのいろいろが見えてきて、旧統一教会(世界平和統一家庭連合 )の日本での教宣の凄まじさが見えはじめてきています。
  まだことの重大さが見えていないのは、自分の選挙だけにうつつをぬかし、すべて他人事の自民党などの利権政治家なんでしょうが・・・。

 それにしても心の弱った日本人を、
よくもまあ〝食い物〟にしたものです。
 日本人の莫大な献金が、すべて韓国の教団に集められ、それを遣って世界の要人に金をばらまく。
 異常なほどの講演料と出演料、献金・・・。
          <親鸞>
 べつに浄土真宗門徒じゃないけど、親鸞は『歎異抄』のなかで、「悪人正機」ということを言っています。

  ・・・善人なおもって往生を遂ぐ、
  いわんや悪人をや。
  しかるを世の人つねにいわく、
  「悪人なお往生す、
   いかにいわんや善人をや」。
  この条、
  一旦そのいわれあるに似たれども、
  本願他力の意趣に背けり。
   そのゆえは、自力作善の人は、
  ひとえに他力をたのむ心欠けたる間、
  弥陀の本願にあらず。
   しかれども、自力の心をひるがえして、
  他力をたのみたてまつれば、
  真実報土の往生を遂ぐるなり。
   煩悩具足の我らは
 いずれの行にても
  生死を離るることあるべからざるを
  憐れみたまいて
  願をおこしたまう本意、
  悪人成仏のためなれば、
  他力をたのみたてまつる悪人、
  もっとも往生の正因なり。
   よって善人だにこそ往生すれ、
  まして悪人は、と仰せ候いき。
 
 つまり、寺に多大な喜捨をしたり、献金したり、自分で救われようとする「自力作善」をなす人を、阿弥陀仏は救いませんよってこと。
 困難な人生、生きづらい世を、その日その日カスカスに生きていくしかない衆生、いつも不安で煩悩に苦しめられている人が、どうにもならず、ふと阿弥陀様への信心をなしたとき、そんな人びとを広大無辺の慈悲の心を持つ阿弥陀仏は救います。
 そもそも信仰するのに献金したり、教祖にすべてを捧げるなんてことは無駄なことだ。そう親鸞は喝破しているというわけです。
 お金や人生を、すべて教祖や教会に捧げる。それは一つの信仰の深さを競う競争の原理なんでしょう。教団はそれを利用して、莫大な利益を得る。
 宗教はそもそも競争を煽るものじゃない。人びとの平等と安心立命を願うものです。そうでない教徒は、集団心理に取り込まれ、〝狂徒〟と化して、他の狂徒と競う。どんどん「信仰誇り」の蟻地獄に落ちていくしかない。教団はその信徒にサタンのささやきをふりまく。
 そんなことも見えはじめました。

 さて、前置きはともかく、
 来月9月25日(日)から
 秋の講座をはじめます。
 テーマは、社会主義って何か? です。

 社会主義といっても、よくわかんない人が多いでしょう。いやそれは旧ソ連や中国、北朝鮮の全体主義国家のことを指す。ヤバい思想と見ている人もいるでしょう。ましてや共産主義なんて・・・。
 でも、その社会主義と共産主義はどこが違う? 社会主義って、ホントにヤバいの? ちかごろの経済学者が、市場原理主義や新自由主義の行き過ぎに、社会主義で対峙させるということが多くなりました。
 そもそも社会主義の起源をたどると、社会主義とは、人びとの平等を見据え、度外れた人間の欲望を抑制するって思想だったわけです。
 じゃ、どうしてプーチンや習近平や金正恩なんかが、威張ってるだろうか?
 あれは、ホントの社会主義だろうか。

 そんなことのあれやこれやを、知っている人、知らない人も含めて、お話しし、自由討議を通じて、考えていこうという企画です。
 ぜひご参加ください!
 以下概要です。

*NPO新人会・宏究学舎*
 2022年秋学季講座◆時代に杭を打つ!partⅧ◆
☆テーマ☆ 意外に知らない〝社会主義〟
          そして「共産主義」
 
◇期間:<全5講>2022年9月25日
          ~2023年1月22日
◇日時:毎回日曜日
<講座午前11時~12時:質疑応答約40分> 
  *全講zoom(質疑応答可)
  orアーカイブ(映像ファイル送付)
◇受講料:全講受講6000円<5回分>
  *大学生・高校生3000円
◇附記:各講毎、事前にPDFでレジュメ送付。
  それに沿って講座は展開されます。
【講座内容】
 社会主義とは何か? 民主主義とどう違うのか? 知ってるつもりでわからない。ましてや共産主義となると、ただ暗くて怖ろしい国のイメージしか湧いてこない。
 現在、そうした体制を標榜する国は、ロシア、中国、北朝鮮、キューバってところですが、ロシアのウクライナ侵攻、中国の香港弾圧と台湾への軍事力での脅し、どれをとっても嫌なイメージでしかありません。
 その一方、昨今の「市場原理主義」で蝕まれた格差や差別、絶対浮かび上がれない貧困を前にして、若手経済学者のピケティやマルクス・ガブリエル、斎藤幸平、さらに米大統領選挙に登場したバーニー・サンダースなどは〝社会主義〟の見直しを主張しています。さてどうしたものか。そこで、ここでしっかり〝社会主義〟そして「共産主義」について考えてみましょう!
・・・【日程とテーマ】・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・第1講(9月25日):〝社会主義はヤバい?〟
  ~その起源、共産主義とどう違う?
・第2講(10月23日)
 〝日本人は社会主義が嫌い?〟
  ~大逆事件と2・26事件は?
・第3講(11月13日)
 〝ソ連・中国・北朝鮮・キューバ!〟
  ~社会主義は失敗したか?
・第4講(12月11日)
 〝戦後日本の社会主義とは?〟
  ~立民と共産は社会主義か?
・第5講(2023年1月22日)
 〝いまなぜ社会主義か?〟
  ~社会主義はヒューマニズムなのか?



  




 

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