八柏龍紀の「歴史と哲学」茶論~歴史は思考する!  

歴史や哲学、世の中のささやかな風景をすくい上げ、暖かい眼差しで眺める。そんなトポス(場)の「茶論」でありたい。

☆☆「日本〝近代・現代〟のプロフィール」【第1部】【第2部】のアーカイブ配信のお知らせ☆☆

2022-03-23 12:26:13 | 〝哲学〟茶論
 雪解けの泥濘が大地を覆うなか、
間断なく飛来するロシア軍のミサイルは、
無差別に無関心に無感動に人びとの命を消し去っています。

 これが戦争なのです。歴史をふりかえれば、
これまでの幾多の戦争で、
どれだけの人が悲しみと絶望に、
そして虚無に苛まれたことか。

 近代の歴史教科書では、
「民主主義」が戦争の抑止につながると教えています。
いまは全体主義国家と民主主義勢力のせめぎ合いなのだ。
 そんなふうに思われているかたも少なくないでしょう。
しかしじっさいは、選挙権が拡大され、多くの国民が民主主義を
かざしても、戦争は防ぎえてはいないのです。
 むしろ、国民がいっせいに戦争を選択した時代もあります。
 その一例として、戦前の日本、戦前のドイツをあげることは、そんなに間違っていません。イギリスの宰相チャーチルの言葉ではないですが、一国民が全体で狂ってしまうことは、歴史のなかで少なからず見られることです。
 戦争を防ぐのに、民主主義へ加重な期待をしても、あるいは政治制度や国際法などに依存しても、それらは無駄な場合が多い。
 核兵器による抑止力などは、危ういチキンレースでしかない。
今回のロシアの侵攻を見ればわかるように、ロシアは核兵器を人質に威嚇し脅迫して、ウクライナに侵攻しました。
 現実的にNATOやアメリカの核装備は、その脅しの前で、無意味となっています。抑止にもなんにもなっていない。ただ暗い泥濘の戦場が拡がっているだけです。 
 
 戦争の問題はもっと別の所にあると言っていいでしょう。
 まずは、貧困や格差社会のなかでの鬱屈した不満、他者および他国や外なるものへの嫉妬、さらに親密圏だけに閉じこもり、それ以外の世界に眼を閉ざす暗愚なありさま・・・。自らで考えようとしない怠惰さ。すがり、依存し、聞き触りのいい言葉やそのときのもっとも安易な感情に身を浸そうとする欲求・・・。
 あるいはnetなどで、ロシアにも問題はあるが、そもそもNATOに入ろうとしたゼレンスキー・ウクライナの政治的混迷も悪い。どっちもどっちさ、と理屈を盾にして自らを裁定者の場所に置き、したり顔で論評する冷笑主義者(犬儒派、cynicism)・・・。そうした者どもの心底にある卑怯と狡猾さ。
 戦争やテロの要因は、そもそもがそうした人間の脆弱さに根があります。

 事実として、これまでも戦争は、政治システムや政治制度などで抑制はできていません。
 戦争をおこさないようにするのは、どうすればいいのか。
 軍事力や政治システムに求めても、多くの場合、解決には行き着けない。ならば、どうすればいいのか。

 ことの起源は、人間そのものにある。
 つまり、すべてはひとりひとりの人間の態度、精神によるものと言っていいのではないかと言うことです。まずは自身を問うべきだと思います。
 自立すること。自分の頭で物事をしっかり考えること。耳障りのいい心地いい一つの情報を信じ込まないこと。そして最も重要なのは、じっさい自分はどういう人間になりたいのか。真剣に考え、行動すること。
 はたして人を殺していいのか。でたらめで甚大な虚偽をあたかも真実らしく声高に、あるいは耳元でささやいていいのか。他者を差別し侮蔑していいのか。口汚く罵り批判の言葉を浴びせていいものなのか。
 他者に対する批判は、遠くにいればいるほど容易で攻撃的になります。しかし他者への尊敬や愛情は近くであればあるほど確実なものになります。
 そして、根拠のない被害者意識に包まれる気持ちの良さに惑溺していいのか。被害者の顔をすることですべてから逃れようとする卑怯さを考えてみる。
 
 いつ殺されるかに怯え、戦禍のなかでどうあるべきかを考えているウクライナの人びと、反プーチンの運動のなかでつぎつぎに検束され警棒で打ちのめされているロシアの若者、さらにアジアのミャンマーの軍事政権の圧制にあるなかで、自らが何者であるかを考えている多くの若い次世代の子どもたち。

 わたしたちの眼に映るそうした現実。わたしたちは、そうした、いま起こっている出来事を鈍痛を感じながら見ていくしかない。自らができることをしていかねばならない。まずはindependence、独立からです。

 と、まえがきが長くなりましたが、この春からの講座についてお知らせします。
 4月24日(日)午前11時からを初講とする「日本〝近代・現代〟のプロフィール」第3部が開講されます。
(詳細は2・3日中にお知らせします)

◇NPO新人会・宏究学舎2022年
    「近代・現代史」講座◇
<第3部・全5講>2022年4月24日~7月17日
 日時:毎回日曜日<講座午前11時~12時
    :質疑応答約40分>
 *全講zoom(質疑応答可)orアーカイブ
 受講料:全講受講6000円<5回分>
 *大学生・高校生3000円
 附記:各講毎、事前にPDFでレジュメ送付。
   それに沿って講座は展開されます。
【日程とテーマ】
・第1講(4月24日):「東京裁判」と戦後日本人
 ~米兵がばらまいたガムと「民主主義」
・第2講(5月15日):『朝鮮戦争』と金へん景気
 ~〝もうかりまっか?〟で大笑い!
・第3講(6月5日):「六〇年安保」と
           〝アカシアの雨?〟
 ~〝高度成長〟万歳!
・第4講(6月19日):「ヴェトナム戦争」と
               〝昭和元禄〟
 ~大量消費時代とマクドナルド
・第5講(7月17日):「全体主義」の暗愚と戦争
 ~日本人は「世界」と連帯できるか?

 また5月21日(土)からは、池袋のとしま区民センターで、
司馬遼太郎の歴史観や国家観についての講座を行います。
 (詳しくは今週末にお知らせします)

◇NPO新人会・宏究学舎
     2022年夏学季講座◇
 講座〝司馬史観〟を考える!
          <全4講>
 日時:2022年5月21日初講(全講zoom受講可)
 会場:としま区民センター503or403教室
   JR他各線「池袋駅」(東口)徒歩6分 
  *受講料6000円(学生3000円)
 時間:土曜日午後14:30~16:30
【日程とテーマ】
・第1講(5月21日):「国家」への視座
 ~学徒兵福田定一が見た「国」のすがた
・第2講(6月11日):『歴史』との対話
 ~時代を俯瞰すること。
     真実を見いだすこと。
・第3講(6月25日):「知性」への信頼
 ~〝批判と尊敬〟〝許しと約束〟の日常
・第4講(7月9日):「文学」への問い
 ~人びとに語る言葉としての「文学」

 そしてその前に、
「日本〝近代・現代〟のプロフィール」
 (第1部)(第2部)のアーカイブ版の受講についてです。
明治維新から対米戦争までの約75年の日本近現代史のこの講座は、すでに終了していますが、それをアーカイブ版でご視聴できます。
 ぜひ、この春、そちらの方からご参加いただければと思い、紹介いたします。
 下記にflyerをあげておきます。

 お申し込み、また詳細はNPO新人会講座担当までメールでご連絡ください。
mail:npo.shinjinkai1989@gmail.com
またはわたしのメールアドレスyagashiwa@hotmail.comまで。



 

  
 

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