八柏龍紀の「歴史と哲学」茶論~歴史は思考する!  

歴史や哲学、世の中のささやかな風景をすくい上げ、暖かい眼差しで眺める。そんなトポス(場)の「茶論」でありたい。

長らくブログを更新せず、すみませんでした!

2018-06-18 23:49:54 | いまどきの問題について!

 もう「モリカケ」問題は飽きた!
ながなが国会でやることじゃないって声もちらほらです。

 いつものことですが、こんな風にして悪事が積まれていき、
人びとが〝悪〟に慣れることで、権力は自由に、その素っ頓狂な欲望を、
つまり権力者でいたいという、じつに「非民主」的な欲望を膨張させていくっていうのは、
古今東西、世界中、歴史を見れば、どこでもあった感じです。

 つい最近の日本だって、ものをよく考えない、目先のことしか見えない、
倨傲にもそれが「愛国心」なんだと思い込んだ猪突猛進型の軍人、
素っ頓狂な政治家や扇動家たちが、

自らが属する軍の威勢や自己の立場をえらく見せたくて、
愚かな戦争まで導いていった歴史を
持っているわけですが、
そんなこといまの人に言ったって、

「アンタ、左翼?」などといきなり決めつけられるのがオチで、
こうした風潮は、人びとを萎えさせるとともに、
ともすれば危機を前にして、

どう動けばいいのかわからなくなった民衆をニヒリズムといった塊に巻き込んで、
結果、愚かしい巨大な「戦争の惨禍」となって現れ出るものです。

 で、話を進めます。
「戦争は人を殺すことである」これは、じつに明快な事実なんですが、

先の大戦で、阿鼻叫喚の地上戦が繰り広げられ、
まさに地獄絵となった激戦地が沖縄でした。その沖縄での話です。


 もう20年くらいたつのですが、沖縄の小学生から、
といっても彼らは、いまは30後半くらいの年齢になっている世代だけど、
以下のような話を聞いたことがあります。

どんな話かというと、
沖縄戦の激戦のなかで住民が逃げ隠れたガマ(洞窟)に、
彼らが小学校の社会科遠足で連れられて、真っ暗のガマに入れられ、
ガマの中で息を潜めて逃げた体験を持つ女教師に、
私たちはこの真っ暗なガマの中で、死ぬか生きるか、
ほんとに非道い経験をしたのよと、泣きながら話されて、
みんなが、なんかしらけちゃったって話。

思わず、そのとき「え!しらけた?」って聞き返したのですが、
「ん、しらけた!」なんか押しつけられたような気がして、
つまり、彼らの話をまとめると、ここでみんなが非道いよねって、
思わなきゃだめなんだみたいな、しかも、先生は感極まって泣いているけど、
自分らは、狭くて暗い場所に長い時間おかれて、気分悪くなるものもいたし、
そんなとき、先生だけ泣いてる。

 その話を聞いて、体験は伝わらない。よく語り部の話を聞くってことがあるけど、
話の上手い下手はあるけど、聞く側は最初から、非道い話を聞くって前提の上で、
話を聞いているわけで、そのとき双方に齟齬が起きると、
話は宙に舞うのかもかなと思ったというわけです。


 じつは、今度「デモクラTV」でのわたしの番組〝八柏龍紀のモダーン・ヒステリー〟で
「沖縄戦」を取り上げるので、今月末に沖縄にロケ兼取材に行くことになったわけで、
いま、いったい何を取材してくればいいのか、思案しているところなのです。

 で、これまでの〝悲惨〟〝非道い〟沖縄戦の映像や取材だけでは、
なんか違うんじゃないか、もっと本質的、もっというと実存にまつわる問題提起ができないか。
そうしたことを考えているわけです。

 「沖縄」の悲劇は、これまでずいぶん長い間、語り継がれてきました。
そしていまも辺野古や高江の問題で、その〝悲劇〟性は変わることなく存在します。
でも、〝非道い〟〝理不尽〟という感情は、いつまで続くのか。
そうした感情や情緒に依拠するだけでは、歴史の漂白の前ではひとたまりもないのではないのか。
よくわからないけど、

感情に依拠しない、じゃ何かといわれると、まだわかりませんが、
その何かを考える「旅」にしたいと思っています。
まずは沖縄に行ってみることです。そして考えます。

7月放映予定の「モダーン・ヒストリー」をご期待ください。
八柏龍紀でした。


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