八柏龍紀の「歴史と哲学」茶論~歴史は思考する!  

歴史や哲学、世の中のささやかな風景をすくい上げ、暖かい眼差しで眺める。そんなトポス(場)の「茶論」でありたい。

『平家物語』と国葬・・・。「名こそ惜しけれ」

2022-10-02 10:28:34 | 〝哲学〟茶論
 昨日は、京都新聞・京都商工会議所共催の「京都検定講座」にご参加いただき、ありがとうございました。
 
 テーマは「『平家物語』の世界」というおおきなテーマでしたが、なんとか120分のなかに『平家物語』のなんたるかをお話しできたかと思っています。

 ご存じのとおり『平家物語』は、この国屈指の叙事詩とも言うべき物語で、しかも足駄を履き、頭陀袋を下げた盲目の琵琶法師によって〝語り〟つづけられてきたものです。
 眼で見る、書を読むといったものとはちがい、耳朶を震わせ、脳や胸間をいっぱいに満たす「音」は、なによりも人びとの情感を揺さぶり、情緒とカタルシスに訴えかけます。
 琵琶法師は、地面から激しく熾きおこるように琵琶をかき鳴らし、独特の音声(おんじょう)と旋律で、あえぐように、切々と訴えるように、ときには息を潜め、すすり泣くように、平家の〝盛者必衰〟のことわりを物語っていきます。

 『平家物語』は、たしかに木曽義仲、源九郎義経の衰亡も語るのですが、おおよそは平家の滅亡、つまりは壮大な平家〝埋葬〟を物語るものでした。
 そして、そこで語られる抒情は、気まぐれな情感や皮相的な情緒ではなく、まるで映画のコマ落としのように、平家が栄耀栄華を極めた淵からあっというまに衰滅する。その激しさを語るものでした。
 そこには因果応報、諸行無常とはいうものの、それをも包み込んでの眼に見えない巨大な〝運命〟の存在を感ぜざるをえない。その叙事詩的な運命の語りとして『平家物語』はあったように思います。

 そんな平家のお葬式の物語を考えていたら、ちょうど安倍晋三元首相の「国葬」(政府は国葬儀だと言い直していますが・・・)をテレビが録画で映していました。
 「国葬」の成否については置くとして、国葬の様子をテレビで見ながら、ふと気になったのが、世間ではすばらしい弔辞だと評判になった菅義偉元首相の弔辞のことです。
 あらめて、その情景を眺めていて、いかにも荘厳に、また深い哀悼を演出しようと、またいかに涙声で語ろうと、反対に、どうしようもな軽さと薄さを感じてなりませんでした。
 それと、へんな話をとりあげたもんだな。それが率直な感想です。

     <山県有朋>

 
 弔辞では、あるとき菅氏が安倍首相の執務室で机の上を見たら、読みさしの本があって、その本にはページを折った部分にマーカーが引かれてあったという話です。
 本の書名は岡義武著『山県有朋』(岩波新書)。
 その折られたページには、伊藤博文がハルピンで暗殺されたあと、伊藤博文との松下村塾以来50年の交友を回想し、山県が、
  かたりあひて尽しゝ人は先だちぬ
       今より後の世をいかにせむ
 と一首詠じたとあり、そこで菅氏は万感の思いを込めて、故安倍氏と自らの交友を重ねていくわけです。

 このくだりを聞いて、不思議なことに、すぐに菅氏が岡義武著『山県有朋』をほとんど読めてもいないし、もしや読んでもいないかもしれないと、口をついて出てきました。
 同じ事はマーカーを引いた故安倍氏本人にも、そのことを思わざるをえませんでした。
 この和歌が出てくるのは、ちょうどこの本のまんなかあたりで、それから約100ページあまり、岡義武による山県有朋論が展開されているわけです。そこにどんなことが書かれているのか。
 菅氏も亡くなった安倍氏も、その先はほとんどで読んでいない。
もしかして、その前後に書かれていることも、お二人の目には入っていなかったんじゃないか。

 和歌がある前後の文章をお読みになったかたは、すぐに気づかれたと思われますが、山県はこのころ伊藤を避けるため、伊藤がこの当時、朝鮮総督に出ている事を幸いに、自ら率いる「軍閥」の権力基盤強化をはかっていたということが書かれています。
 そこで政友会の原敬は、伊藤が高齢であるのに、長く朝鮮総督の激務についているのは不憫ではないかと掛け合うのですが、山県は応ずる気配がない。
 原はなんとか首相の桂太郎に談判して、伊藤を帰国させる算段をつける。その矢先におこったのが、ハルピンでの伊藤博文暗殺事件でした。

 そもそも山県と伊藤は同じ長州というのに、あまりにも違いがありすぎました。山県はことあるたびに吉田松陰を持ち出し、自分は松下村塾で松陰先生の謦咳に触れたと言い廻っていますが、おそらくその話は山県の嘘言と言っていい。
 山県は松下村塾の座敷にあがり、直接に松陰に接することはなかったと言われているのです
 ほぼ百姓身分であった山県は、座敷で松陰を囲んで学んでいる場からは遠い土間か玄関先にいて、座敷で語られている話を漏れ聞く程度でしかなかった。座敷で松陰の教えを受けていたのは、高杉晋作や久坂玄瑞たちであり、松陰と親しく口をきいてもらえたのは伊藤俊輔(博文)、井上聞多(馨)らでありました。山県はそのなかにいなかった。
 後世、山県がことあるたびに松陰のことを持ち出すのは、伊藤たちへの山県のコンプレックスではないか。山県と伊藤には、このように眼に見えない乖離があったと言えるのです。

 明治天皇に接するときもそうでした。伊藤はそもそも明るい性格で、明治天皇はそうした伊藤をたよりにし、なにかと問いかけます。伊藤はそのたびに天皇の期待以上の反応を示し、天皇から絶大な信用をえていきます。
 しかし、山県は狷介な性格が邪魔をしたようです。明治天皇は晩年、飲酒が過ぎて、会議の途中で居眠りをするようになったそうですが、すると山県は、自身の軍刀を床にたたきつける。コツコツ、ドンドン、コツコツ、ドンドン・・・。そうやって目を覚まさせる。
 言葉で問いかけることをしない。無言で床に軍刀を打ち付ける。そこに山県の陰険さが覗けるのです。

 およそ好日的な伊藤に対し、山県は言葉で対抗せず、無言で、あるいは伊藤の言葉を無視するやり方で自我を押し通す。そのようにして山県与党である牢固とした「軍閥」機構をつくり上げていきます。

 さきほどの和歌に戻ります。作歌の上手い下手は問わないとしても、山県の一首は、どうにも月並みな情感しか感じ取れません。
 とりわけ下の句である「今より後の世をいかにせむ」は、人の死を悼むというよりは、これから自分がこの国の舵をどう取っていくのか。そうした自分を鼓舞するかのようにも読みとれます。
 伊藤とのこれまでの交友をふり返り、慚愧の思いや悲しみを述べた和歌とは読み難い。なにか冷たさすら感じられます。
 なぜ、その和歌にマーカーを引き、そのことを取り立てて弔辞に盛り込むのか。

 著者である岡義武は、この和歌の付近の文章で、山県が伊藤のことを評して、「伊藤という人間はどこまでも幸運な人間だった」と周囲に語っていたこと、「死に所をえた点においては自分は武人として羨ましく思う」と述べていたことを記しています。あくまでも自分と比べて、伊藤はどうであったかを述べている。
 そこに弔いの心情を見いだすことは難しいように思います。
 
 山県も死後、国葬になりました。本書にもあるように、山県の国葬は自身の不人気ゆえに、『東京日日新聞』は「幄舎はガランドウの寂しさ」との見出しをつけ、議員の出席は少なく、軍人の参列ばかりが目立つ、あたかも「軍葬」のようであったとされています。
 『東洋経済新聞』の石橋湛山は辛辣にも「死もまた社会奉仕」と山県の死を評しています。

 なぜ、菅氏はこの山県有朋の歌を引いたのか。涙ながらに語る、その背景になにがあるのか。たしかに読みさしの本があり、そこにマーカーが引いてあったというくだりは、感動を誘うもののように思います。
 しかしながら、一冊の本を読み通して、そこに深い感慨を得るというよりも、岡義武の本をつまみ食いしたような、しかもいかにも安っぽい解釈とその情緒の演出には、この菅氏という人間がいかに薄っぺらな人生訓しかもっていないのか、そんなことが透けて見えてきます。
 またマーカーを引いた故安倍氏も同様に、はたしてこの本を読み通したのか。自分の都合のいいように言葉を引き、調子よく符牒をあわせてきたのではないか。そんなふうにも思わざるをえません。

 長きにわたって続いた安倍政権が終わって、見返してみるならば、たしかに「アベノミクス」にしても「安倍外交」にしても、目先だけに執着して、表層をつまみ食いするような政権だったと言わざるをえません。

 というわけですが、そんな思いのなか、昨日、『平家物語』のお話しをしながら、壇ノ浦の戦いで必滅の際に立った平家の総帥新中納言平知盛の言葉を思い出していました。

 有名なのは「見るべきほどのことは見つ、いまは自害せん」ですが、思い浮かんだのは、そうではなく「名こそ惜しけれ」でした。

・・・新中納言知盛卿舟の屋形にたちいで、大音聲をあげての給ひけるは、「いくさはけふぞかぎり、物ども、すこしもしりぞく心あるべからず。天竺・震旦にも日本我朝ならびなき名将勇士といへども、運命つきぬれば力及ばず。されども名こそおしけれ。東国の物共によはげ見ゆな。いつのために命をばおしむべき。・・・
(「日本古典文学大系」『平家物語』巻第十一)

 運命つきぬれば力及ばず
 (力およばず運命が尽きた)、
 されども名こそおしけれ
 (死を前にして見苦しい振る舞いを
         してはならない。
    あくまでも名誉のなかに生きよ!)

 「名こそ惜しけれ」。ここには〝決死の抒情〟というものが低く重く流れているように思われます。
 そう思うにつけ、壮大な平家の埋葬劇であった『平家物語』について語りつつ、いかにも一場のお涙ちょうだい程度の情緒に浸って、それをもて囃すこの国の政治家やマスメディア、そして民衆に、いったいいかなる眼差しを向けたらいいのか。

 この国の〝軽さ〟ばかりが気になってしかたがない。
 なにか、大切なものを失い、また失いつづけている。
そう思わざるをえない2022年10月のはじまりでした。

     <『平家物語絵巻』壇ノ浦>

   
 
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