八柏龍紀の「歴史と哲学」茶論~歴史は思考する!  

歴史や哲学、世の中のささやかな風景をすくい上げ、暖かい眼差しで眺める。そんなトポス(場)の「茶論」でありたい。

東京の雪と西部邁氏の死

2018-01-23 21:07:44 | 日記

昨日の東京は、久しぶりの大雪でした。
道路では車がスリップしたり、動けなくなったり、
首都高の中央環状線山手トンネルは、10時間立ち往生と
新聞記事にも大々的に取り上げられていました。
 それに加えて、雪深い草津白根スキー場では、
いきなりの白根山の噴火によって、
飛散する噴石と雪崩で死者まで出し、大惨事となりました。
まさに天変地異の凄さは、人の精神やありようをどこかで射貫こうとしているのかもしれません。

 さて、昨夜にわたって都心では多くの雪が降り続きました。

 それは北国秋田で生まれ育ったわたしのような人間にとって、
深い記憶を呼び覚ますものとなりました。
北国人(ほっこくじん)にとって、毎年やってくる風雪の季節は、
厳しくまた懐かしい相反性のなかで生きることなのだ。
そんな思いを、昨夜からわたしはずっと懐かしい抒情とともに感じていました。

 北国では、夜がしんしんと凍てつき、風の音がするなかで雪は降り積もっていきます。
なにもかも雪は覆い尽くし、日中でも白魔のように、鈍色の空と白一色しか望めない。
 それは自然に、長い冬をじっと堪え忍ばなければならない諦観を、
わたしにも、かなり幼少のころから自覚させるものだったように思います。
 手や足のひどい寒さ、吹雪が容赦なく吹き付ける頬の冷たさ。
あたりをまったく見通せない地面から吹き上げる吹雪。
その渺々たる荒涼のなか、独り家路についた少年時代の記憶。

 しかし、一転して風雪が止みます。
そして、なんの遮りもなく太陽が高く輝やき出すと、
快晴のもとでとつぜん現れる、きらきらと光るどこまでも続く雪の畝々。
眼に染みいる白いまばゆい光。
つららから透けて見える透明な蒼穹。
そして、そこから地上にしたたり落ちる清純な水滴。

晴れた雪原を見ていると息を呑むほどに何もかもが輝き、美しい展望が開けます。
眼は清冽な空気に洗われ、頭の芯は冷気と日の光の眩しさに陶然としていきます。

 ・・・・吹雪のなかの過酷さと吹き止んだときの静寂、そして精美と陶然とした光景。

 北国人は、ともすれば相反する情緒性を濃くする人が多いと言われています。
多情でありながら寂寥感に苛まれる。朗らかでありながら深い憎悪と嫉妬に苦しむ。
その混濁して鬱屈し、制御不可能な心情と情感を、
北国人は韜晦と含羞のなかに逃げ込ませようとします。
そして大酒することで、危うい精神の均衡をなんとか保とうとする。
 わたしも若い時代、そしていまもまだなのか。
荒ぶる心の発露と自己消滅の発作に苦しんでいる北国人の一人なのかもしれません。

 東京に住む人びと、あるいは日本列島の関東以南の人びとにとって、
雪がその精神におおきな影響を与えることは多くはないと思います。
雪は降り止めば、それは過ぎ去るものだし、
そのありさまは、天候の一つの現象に過ぎないように感じられるでしょう。
 しかし、北国人にとって、雪は、一つの宿命であり、また命題でもあるのです。
それはすでに北国を離れてくらしている人びとにも、心の襞にけっして消えぬものとして残っているのだと思います。

 ところで、そんな冬の最中に、思想家西部邁氏が自裁しました。
この人とは、以前講演会で対談し、「国家」観の論議で紛糾したことがあります。
その激しさと言葉の暴力性。
一方で相手を温々と引き込もうとする暖かみ。
 逆説から導き出される思弁性、そうした思想のありようの時代的な乖離のためなのか、
わたしにはその言説に、あまり理解できるものを感じませんでしたが、
彼の「ふざけちゃいけないよ!」といった恫喝のあとで、
人なつっこくにやりと笑うほほえみが印象に残っています。
 北海道長万部の出身。かれもまた北国人でした。

 西部邁氏が亡くなったあとの東京での大雪。
そのことは西部邁の死とは何も関係はないでしょう。
そうではあるものの、
ふとこの東京の大雪に、
わたしは西部邁氏の北国人としての矜恃の一端を見いだした思いがしました。

 東京の雪は、寒さは続くものの、もう溶けだしています。
いってみれば、この大雪はほんの気まぐれのような大雪でした。
しかし北国では、まだまだ雪の季節が続きます。
寒さの中で温たまる抒情を、またある意味で大切だと思っている相反性を、
しっかりと精神の筐底にしまっている。
それをこの雪でまた確認できた気がしています。

 まずは西部邁氏の死にご冥福を祈るとともに、
あと数ヶ月で春が芽吹く季節を待ち望んでいる北国の人びとに、ほんの想いを伝えたくて書いたしだいです。



 


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新年明けましておめでとうございます!

2018-01-05 23:09:54 | 2018年新春

新年 明けましておめでとうございます。

2018年はどんな年になるのか? 
なにもわかりませんが、これがわたしたちの今ある立ち位置です。

凡庸な人びとは、いつの時代でも「具体」の中でしか生きられない。
ある意味で、それ自体が生物としての人間の現実ですが、
一方で科学技術の進歩は、すでにこの地球の生態系や
人間の生物としてのありようまでも侵犯するくらいになっています。
いまのこの時代こそが、危機の世紀であると言ってもいいでしょう。

とりわけ日本という極東(far east)の島嶼国家では、
「具体」のなかでしか考えられない、
またはその空間に閉じこもっている限り、
何もかも平穏で屈託のない、浮ついた時間が過ぎていくかのようです。

でも、それは巨大な危機を前にして、
何事も過ぎ去っていくだろうと高をくくった態度とも取れます。

はたして「具体」にだけとどまっていいのか?

テロや憎悪、圧力と恫喝、戦争と差別、飢餓、悲嘆、侮蔑・・・。
世界というか地球は確実に病んでいる印象です。
「post truth」の時代、「fake news」の横行、
そして悪意と狂騒。

人びとだけでなく、多くの動物や植物の生存が破壊されつつあります。
経済利潤のみに人びとは猛進し、効率と便利さの痛快さに惑溺し、
それはあたかも、
富裕であることのみの一元的な価値観の独裁に支配されているかのようです。

人びとの心は哲学を失い、情緒を軽んじ、
人格への敬意を軽蔑に変えてしまっているのではないか。

創造という抽象への架け橋を失った状況。
これがいまの「far east」の現状ではないのか?

日々そうした思いを深くしています。

これまでの長いわたしたち人間の歴史の上に、
現在のわたしたちが存在している。
そのことに、もっと謙虚であってもいいのではないか。

歴史は、いまの時代の感覚や思い上がった目線の下に置かれ、
揶揄されたり面白がられたり、誇張されたり、またつまらないこととして、
閑却されるものではありません。
歴史は、
わたしたちが物事を考える際の諄々とした血液を送り込むものであり、
今に生きるわたしたちに反省を促し、慎みを教えるものであるように思います。

以下の詩は、森川義信という若者が1939年の年に書いた詩です。
「勾配」というタイトルがつけられています。
森川は、旧制中学校の生徒の時代から詩を書きはじめて、
昭和14年(1939年)に第一次『荒地』を鮎川信夫らと創刊した一人です。
この「勾配」という詩を書き上げた森川は、
感動のあまり、「出来た!出来た!」と嬉しそうに、
この詩を友人らに披露したそうです。

しかし、時代はあっという間に〝戦時下〟に暗転し、
森川は早稲田の高等学校中退の学歴だったため、
昭和16年(1941年)に陸軍に召集され、翌年にビルマ戦線で戦病死しました。
もっと多くの詩を書き、文学に人生をかけたかったでしょう。
時代がそれを許さなかった。
詩はこんなふうに書かれています。

非望のきはみ
非望のいのち 

はげしく一つのものに向つて 
誰がこの階段をおりていつたか 
時空をこえて屹立する地平をのぞんで 
そこに立てば 
かきむしるやうに悲風はつんざき 
季節はすでに終りであつた 
たかだかと欲望の精神に 
はたして時は 
噴水や花を象眼し 
光彩の地平をもちあげたか 
清純なものばかりを打ちくだいて 
なにゆえにここまで来たのか 
だがみよ 
きびしく勾配に根をささへ 
ふとした流れの凹みから雑草のかげから 
いくつもの道ははじまつてゐるのだ

 

2018年という年を迎えるにあたって、
わたしはこの詩の絶望と希望を噛みしめながら、
一日一日の日常を過ごせたらと思っています。

そして今年行う予定の講座や「モダーン・ヒストリー」TVを通じて、
みなさんとまたお話しできる機会を多くもちたいと思っています。

今年もよろしくお願いいたします。

八柏龍紀

 


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