八柏龍紀の「歴史と哲学」茶論~歴史は思考する!  

歴史や哲学、世の中のささやかな風景をすくい上げ、暖かい眼差しで眺める。そんなトポス(場)の「茶論」でありたい。

2019夏学季講座のお知らせ

2019-03-21 15:11:58 | 〝歴史〟茶論

  2019年夏学季の「新人会・宏究学舎」講座のお知らせです。

 ほんとは、台湾紀行の記事を、と思っていましたが、まずはこちらの方を先にお知らせします。
今回の講座は、「時代に杭を打つ!」というのがテーマです。
あまり目立つ人物ではなく、みなさんもなじみの薄い人でしょうが、いろいろ学ぶところがあるかと思い、今回は以下の人たちを取り上げることにしました。
多くのみなさんのご参加をお待ちしています。

おもしろいと思います!

***NPO新人会・宏究学舎主催
  2019年夏学季講座-日本の近代を考える!***

◆◇歴史と人物◇◆ 時代に杭を打つ!~日本近代史にともった灯火~
*期間:2019年4月20日~7月13日*予備日7月20日(全6講)
*曜日・時間:月二回土曜日<午後1時30分~15時>
*定員・受講料:約20名 9000円(全6回分)
*会場:としま産業振興プラザIKE・Biz
     (JR池袋南口徒歩4分) http://www.tosima-plaza.jp  
【講座内容】 後世に人は何を残しうるのか? それは富や
     財産、
そして名誉などではなく、後世の人びとの
    〝こころ〟のなかに何を残すかという「問い」とし
     てお考えください。

     今回の講座でお話しする人たちは、歴史上目立つ
    人たちではありません。むしろ、その残した「遺産」
    も、どう生きるべきか、いまどうあるべきか、
    そんな想いを持ち続けて日々を暮らしている間に、
    その意識が蓄積して、あるいは時間に沈殿して、
    のちの時代の人びとの〝こころ〟に、
    結果として「遺産」となったとされるものです。
    それは〝レガシーlegacy〟などといった小賢しげで
    浮ついた言葉なんかじゃなく、ときに
    時代に杭を打つようにして残されたと
    言っていいかと思います。
     近代日本において、後世にそれぞれおおきな
   「遺産」を残してくれた人びと。
    そういった人たちの「どう生きるべきか?」
   「いかにあるべきか?」を探ります。

第1講(4月20日):
   近代日本の〝陥穽〟~朝河貫一に見えた「禍機」とは?
第2講(5月4日):
   人道主義の〝意味〟~「命のvisa」と杉原千畝の問いかけ

  「講外講」(5月18日・自由参加)
  <街歩き~横浜と日本の庭園美を探る一日!>

     原三渓造作の横浜「三渓園」を訪ねながら、
      さまざまな時代と空間に遊ぶ!

第3講(6月1日):
   美意識は海峡を越える!~浅川巧と〝朝鮮の美〟

第4講(6月29日):
   後世に何を残すべきか?~八田與一と「烏山頭ダム」

第5講(7月6日):
   理想としての〝ナショナリズム〟とは?~橘樸と〝中国〟

第6講(7月13日):
   巨大権力と対峙した動かざる表現者~亀井文夫の「映像世界」

***お問い合わせ・お申し込み***
NPO新人会代表:岡田大成 E-mail:taiokadrink@gmail.com

 講師:八柏龍紀 E-mail:yagashiwa@hotmail.com

  

  


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韓国と台湾~「裸足で現場を歩く」という意味を考える!<第一部>

2019-03-05 14:13:34 | いまどきの問題について!

 ずいぶんブログをほったらかしにしてしまいました。

 じつのところ、なにごとにも億劫な質(たち)で、仕事に取りかかるまでが遅い。
親には常々、そう叱られてばかりでした。

 シャンとしろ! もたもたするな!
 こっちとしては、いろいろ考えてからはじめるつもりだから、

いいじゃないか、と文句も言いたくなったのですが、
じっさいもたもたしていて、その反動で
つまらないところで
慌ててしまい、これまでよく失敗を繰り返してきました。

 まずは、親の言うことは、よく聞いておいた方が
いいのかもしれません。

 ところで、2019年の新年が明けて、1月にはソウル、
2月末から昨日まで、
台湾に行ってました。
ともに、デモクラTVの取材を兼ねてのものですが、

さまざま学ぶことがありました。

 ソウルでは、ちょうど日本の自衛隊機に対する広開土王級艦船
によっての
照射事件がおこった直後で、また徴用工の問題など、
日本と韓国両国に軋みが
激しくなっていた時期、少なくとも日本のマスメディアは、そんな騒ぎようでした。

 日本のマスメディアはこの時期、寄ると触るとで韓国政府側の非を鳴らし、
文在寅大統領の政治姿勢に疑問、非難を集中させていました。

 でも、ソウルに入って、町の人やソウルのマスメディアに関わりを持つ日本のジャーナリストの話を聞くと、どうも違った印象で、
まず、ソウルの市民は、
それほど照射事件に表だっての関心がなく、
徴用工の問題も、いわゆる〝プロ活動家〟的な人びとの運動として、冷めているわけではないものの、冷静に見ている感じでした。

 そもそも文在寅大統領は、これまで日本と韓国のあいだを結びつけていた利権的な政治家、いわば日韓議連などで動いている古い政治家のありようを排除する。
彼の言葉で言う「積弊清算」という立ち位置にあって、新たな民主的、
平等互恵的な関係を再構築したいという意向を持っている政治家でした。

日本に忖度して、徴用工の裁判を遅らせたりしない。筋を通して、日韓の関係性を築きたい。
 もちろん、ソウルでわたしの聞いた範囲のことですが、例の照射事件は出先の艦船のミスだったとの認識は少なからず大統領にもあるといった声を聞きました。
 さらに、この時期の韓国でのもっとも大きな政治的issueは、2019年3月1日が、1919年におこった「3・1独立運動」からちょうど百年を迎え、また南北の融和が、北朝鮮の指導者金正恩と米大統領トランプの米朝「談合」で、進展するのではという期待感、もしかしたら金正恩が米朝首脳会談のあと、「3・1」にソウルに来て歴史的な南北の融和がなしとげられるのでは、これは噂話として、ソウルで聞きました。

 そんな話を聞いた韓国から帰ってきて、テレビに出演する機会があり、ほかのコメンテーターに、こんな噂があるといいましたら、ある女性コメンテーターの方が、金正恩がソウルに来る話しは、もうかなり以前に決まったことのようで、ソウルの「南山タワー」で握手するんだみたいな話しで、それってネット情報? と思いましたが、わたしはそこまで聞いてはいないから、情報不足だったのかなと思ったりしたのですが、やはりじっさいはそんなことなかったし、
今回の米朝首脳会談も、お昼のワイドショー的ニュース番組では、
すでに事前の打ち合わせはできていて、米朝合意は
確実だと宣わっていた早稲田かなんかの教授である女性コメンテーターもいましたが、じっさいそうにはならずトランプは早々とハノイをあとにしてしまいました。


 はたして彼女らは、ほんとに調べたのか?
なにを根拠に言うことができるのか?

 憶測か期待か? そんなネット情報程度の話しだったら、
テレビに出て来て偉そうに、あるいは情報通であるかの風を吹かせて話をとくとくと語ることなんかできないんじゃないか?

そんなふうにも思いました。

 ところで、ソウル滞在のうち一日は、1919年の「3・1」のとき日本官憲によって29名の虐殺が行われた、ソウル郊外の水原という都市の近くの堤岩里(チュアムリ)というところに行ってきました。

    <堤岩里で虐殺された人びとの慰霊のモニュメント>

 このときは、堤岩里に限らず近郊の町村でも虐殺が行われ、とりわけ堤岩里は、木造の教会に閉じ込められた村民が日本官憲の放火によって焼き殺された事件が起こったところです。

 堤岩里には「堤岩里事件記念館」といったものがあり、日本語の上手な学芸員の女性がいらして、いろいろ説明してくれたのですが、
かつてはキリスト教系の学校を中心に、日本からも多くの修学旅行生がここにやってきて、
多い日は、一日に4回も説明して回ったそうですが、第二次安倍政権が成立してから、一校も修学旅行生が来なくなったと言っていました。どうしてなんでしょうか?と聞かれました。


 これには、嫌韓・嫌中の権化みたいな、いまの安倍政権の性格をお話しして、すべての日本人が、そんな偏見を持っていないこともお話ししたのですが、
もっとも問題は、日本社会全体の〝萎縮〟といった問題が根があって、
またきちんと自分で調べることがなく、
ネット情報に踊らされて、
またはネットへの書き込みを通じて、自己権力を満足させようとする
ある種の「病い」が蔓延している状況があること。
つまりこれは一人一人の問題なのだとお話ししてきました。

 いうなればコメンテーターもネット情報、嫌韓・嫌中もネット情報・・・。その不確かさ、根拠のなさ、裸足で現場に立つことを怖れ、自らの眼でなにも見ようとも確かめようともしない。そんな「閉域」をかこつ日本の人びとのいまのありようが、問題なのだといっていいでしょう。
 まさに勝手な思い込み、責任のない言動が災いのもとにある。

 

 これまで身過ぎ世過ぎで、高校生や大学受験生の論述の指導をしてきましたが、よくある失敗に、教科書や参考書にあることがらを鵜呑みにする、もっと言うとこれまで自身が知らなかったことがらなどが、教科書や参考書に書かれていると、これだ、これが大事だ、これを書けば、よく気づいたねといって褒められるの違いない・・・。
そんなふうにして文章を書いて来る手合いが、よく見受けられました。

 なにを問われているのか見向きもしない。考えもしない。ただただオレはこれだけのことを知っているんだ、わたしってけっこう鋭いでしょっ、といった謙虚さを欠いた手合いです。


 困ったことに、その鵜呑みにした言葉や文章、鋭いと自負している内容は、幽霊みたいで足がありません。つまり、物事の後先や時代の背景といったものを押さえていないし、設問の意図から遠ざかってしまっているだけでなく、偉そうな言葉を急に盛り込むわけですから、前後の文章と著しい不調和が出てくるものでした。
 ですから、そうした誤りや不調和を指摘し、これはおかしくないかと示唆するのですが、
 なかには頑として
聞き入れず、あたかもわたしがそのことを知らないから、知識がないから、あるいは東大出身者じゃなくて程度が低いから文句を言っているじゃないかと、差別意識の塊となって、不満を口にする者もいました。でもじっさいは、できる子であればあるほど謙虚であるようです。

 固陋や痼疾、イドラとも言うべき思い込みは、無用な批判意識を高め、相手を攻撃するなど自らを不幸にするだけのものになっていきます。
 まさに「ネトウヨ」とは、そうした〝病い〟の一つであるようにも思われます。
要領よく振る舞う連中、グズグズ考えたりしない。億劫がらずにつぎつぎとかっこいい言葉を口にするのに長けた者たち、そうした若者は、一方で強い自己承認欲求というコンプレックスを持っている者が多かったように思います。「ネトウヨ」に限らず、過激な物言いをする人たちに欠けているのは、相手を凌駕することばかり、競争する序列をつけることに汲々としていて、足下を見ない。つまり地道さや謙虚さを欠く、裸足で現場に立つ勇気のない人たちではないか。
 そんなふうに言うことができるかもしれません

 つぎの写真は、ソウルにある戦争博物館のモニュメントです。

 1950年6月からの朝鮮戦争勃発後の南北分断のなか、
兄弟がそれぞれ北と南に分断され、その二人が出逢ったときの
感動のモニュメントと
いうべきものです。


 近代日本の植民地支配の結果、それが日中戦争と対英米戦争における日本の敗北によって終焉を遂げたあとも、朝鮮半島や台湾においては、長きに渡って朝鮮半島における南北分断、台湾においては国民党政府支配による強権政治とそれに対抗する人びとの血で血を洗う抗争がありました。


 「東西冷戦」という世界史的な割り切りでは、どうにも説明し尽くせない争い。
じつは日本の戦後占領のありようが、ドイツ占領式の分断統治にならず、アメリカのほぼ単独占領となったことで、その影響が朝鮮半島に及び、朝鮮が米ソによる分断統治につながったのは紛れもない事実です。
 それと台湾の1947年の「228事件」をはじめとするありようも、台湾の自治の芽をつぎつぎに潰し、二等国民として、日本の戦争遂行に従属させることのみはかった日本の植民地政策の罪責に無関係なものではありません。

              <かつての台湾総督府>

 さて今回は、まずは1月に訪れたソウルで気が付いたことを、長々と書き継いでしまいましたが、次回は、近日中に億劫がらずに、またよく考えて、台湾でのお話しを【第二部】としてお話ししたいと思っています。


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