イスラエルとレバノンの戦争につき国連安保理の決議により戦闘が停止された。中東紛争の歴史では何度似たような停戦合意が出来てそれが破られてきたか、それゆえに聊かも安心できるものではないが、このひと月だけでも双方で1000人を超える一般市民が犠牲になっていることを思えば「今度こそ、本当の平和を」と天にも祈る気持ちで一杯です。
私も政治家の末席におりますので、実は双方の指導者の気持ちがわからないでもない。たとえいかなる個人的な犠牲を払おうとも国家としての存立と安全、そして名誉を守り抜くことが指導者の究極の役割と考えているのです。白旗(降参)揚げれば瞬時にして平和は来るでしょう、しかしそれではその民族にとってこれから永遠の地獄を見ることになる。国益と私益、国家的立場と個人の幸福や人権は実は往々にして衝突することがある、それが冷厳な国際政治であり、いや国内政治においても決して無縁ではないのです。指導者というのは、それが上にいけばいくほどその葛藤の度合いは大きくなり、遂にはケネディ大統領がキューバ危機のとき3日3晩悩み続ける(「大統領の孤独」1962年11月)ことにもなるのです。国益と私益との相克、これが政治や政治家、指導者にとって永遠の苦しみでありテーマでもあるのです。
明日は61年目の終戦記念日、そして小泉首相が靖国参拝をするかどうか、など考えさせることの多い一日です。
私も政治家の末席におりますので、実は双方の指導者の気持ちがわからないでもない。たとえいかなる個人的な犠牲を払おうとも国家としての存立と安全、そして名誉を守り抜くことが指導者の究極の役割と考えているのです。白旗(降参)揚げれば瞬時にして平和は来るでしょう、しかしそれではその民族にとってこれから永遠の地獄を見ることになる。国益と私益、国家的立場と個人の幸福や人権は実は往々にして衝突することがある、それが冷厳な国際政治であり、いや国内政治においても決して無縁ではないのです。指導者というのは、それが上にいけばいくほどその葛藤の度合いは大きくなり、遂にはケネディ大統領がキューバ危機のとき3日3晩悩み続ける(「大統領の孤独」1962年11月)ことにもなるのです。国益と私益との相克、これが政治や政治家、指導者にとって永遠の苦しみでありテーマでもあるのです。
明日は61年目の終戦記念日、そして小泉首相が靖国参拝をするかどうか、など考えさせることの多い一日です。