明治19年(1886年)2月、福沢諭吉は慶応義塾で講演し「成学即身実業」即ち学校を終えれば直ちに実業社会に入るべし、と学生達に訴えた。福沢の実業=経済界への誘いは徹底しており、自分が教育者になったのは時代が許さなかったと弁解し、また「教育の目的は教師を作るのでなくて実業者を作ること」と繰り返している。「官から民へ」というこのところの自民党内閣の主張は120年も前からの主張でもあったことになる。その上で福沢は困難に遭遇して尚、たじろがず発揮される力を『非常の勇力(ゆうりょく)』と呼んだ。読売新聞、橋本五郎論説委員の解説です(2月10日)。
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