名古屋高裁が判決を出し、イラク派遣航空自衛隊の空輸活動の一部は違憲の疑いがあるが原告の訴え(活動の差し止め、損害賠償請求など)は棄却ということとしました。簡単にいえば原告側は敗訴したが「違憲」という裁判官の判断を引き出したので「勝った、勝った」と叫んで憚らない。被告の国からすれば勝訴したのだが、その結論と関係のないこと(「傍論」)が判決の中で勝手に示されて(どうもその裁判官の法的、政治的、あるいは個人的意見のようだが、)それを争そうにも勝訴しているのだから上訴もできない。
裁判官の権限と責任は極めて大きいのですが、国家的、政治的な事件への判断は自制するという暗黙の了解があるといわれています、何故なら裁判官は「法的な」判断をまかせられているのであって、国家観など価値観が基本的にわかれているものは裁判になじまない、というのが理由です。本件、「違憲」だから原告勝訴というのならまだ論理に一貫性がありますが、ただ言ってみただけというのでは混乱を起こすだけ、これは「傍論」ならぬ「暴論」と揶揄されることにもなります。この裁判官は3月末に辞職しており、他の裁判官が判決を代読したとのことですが、なかなか後味の悪い話でした。
さてイラク問題はどうするか、は依然として、いや以前にまして大事なところにきました。日本としては国連決議を踏まえ憲法などに違反しない慎重な行動に徹していますが、イラクの今の混乱と不透明さから見て、ブッシュ政権に対してそろそろ何らかの忠告をすべき時がきたと思います。連日のテロで多くのイラク人と米兵が死んでいくのに私は堪えられない思いです。 (日記 昨年1月4日参照)
裁判官の権限と責任は極めて大きいのですが、国家的、政治的な事件への判断は自制するという暗黙の了解があるといわれています、何故なら裁判官は「法的な」判断をまかせられているのであって、国家観など価値観が基本的にわかれているものは裁判になじまない、というのが理由です。本件、「違憲」だから原告勝訴というのならまだ論理に一貫性がありますが、ただ言ってみただけというのでは混乱を起こすだけ、これは「傍論」ならぬ「暴論」と揶揄されることにもなります。この裁判官は3月末に辞職しており、他の裁判官が判決を代読したとのことですが、なかなか後味の悪い話でした。
さてイラク問題はどうするか、は依然として、いや以前にまして大事なところにきました。日本としては国連決議を踏まえ憲法などに違反しない慎重な行動に徹していますが、イラクの今の混乱と不透明さから見て、ブッシュ政権に対してそろそろ何らかの忠告をすべき時がきたと思います。連日のテロで多くのイラク人と米兵が死んでいくのに私は堪えられない思いです。 (日記 昨年1月4日参照)