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モダニズムだけじゃない建築ブログ

about Vernacular-続々ポストモダン・土地性-

2006年01月01日 02時41分57秒 | 建築論
「一年の計は元旦にあり」という大切な日にabout Vernacularから始めてしまった。ということで、今年は何としてでも“今バナキュラー”をまとめたいと心に誓う。

デコン
 さて、現在バナキュラーをポストモダンに絡めて展開中である。続々ポストモダン論となるわけだが、今回の主役は「DECONSTURUCTIVISM(デコンストラクティビズム)」、デコンである。とりわけイラク出身の女性建築家ザハ・ハディドの手法について考えてていきたい。
 そもそもデコンとは、日本語では「脱構築」と言われ、それを最もよく表現しているのはフランク・ゲーリーの自邸である。既存の建築物を一度解体し、再構築をするのだが、その際意図的に「断片化し、歪めて」再構築している。この不安定感を表現する試みが、ポストモダン潮流の中の一手法として発生した。それが、デコンである。

ザハの手法
 勿論、デコンの建築家と呼ばれる方々が皆同じ手法を用いているわけではない。そして例によって「デコンと呼ばれるのは本意ではない」と言う方もいる。(いつの時代でも、どんな世界でもそれは同じ。)更に当然、個人の中でも、表現手法は変化する。
 当初、なかなか仕事に恵まれず、作品を発表出来ずに「アンビルド」だったザハ・ハディドであるが、その後着々と実績を残し2004年には最年少で(と言っても50歳だが)プリッカー賞を受賞したのは記憶に新しい。札幌で店舗の内装を手がけたのが実施作デビューとも言われているが、その後現在では都市計画までこなしている。
 ザハのデコンはパースを見るとよく分かる。現在はCGがメインであるが、古い手描きのものでも、両方共、鋭角を多用して画かれている。鋭角の立体、あるいは平面を重ね合わせるイメージである。(実際に建てられたものは、直角水平だったとしてもイメージはしっかり残っている。) 
 昨年開催された愛知建築士会のオープンステージ2005に、そのザハが来て講演すると聞き、飛行機の券を取った。しかし忙しかったのだろうザハは来日しなかった。取り敢えず会場でザハの最新作のスライドを見ることは出来た。そこで感じたのは、当時まだ施工中だったBMWセントラルビル、シンガポールの新都市計画、ローマのCONTEMPORARY ARTS CENTERも、ウォルフスブルクのSCIENCE CENTREも、そのどれもが建物単体ではなく、その「場所」を巻き込んで設計されているということだ。しかも「土地性」をとても大切にしているのが分かる。
 写真はザハのドローイングである。スライドにはムービーも含まれていて、ザハの打ち合わせのシーンを映し出していた。彼女は机上のメモ紙やスケッチブックに、このようなドローイングを、凄い早さで画いていく。土地を切り崩す・壊すのではなく、土地に合わせた計画を手先が勝手に画き出しているように見える。いやはや凄い。
 ザハの鋭い断片を刺し合わせたようなデザインは昔から変わっていないが、巨大な計画をする際、彼女のデコンは「土地性」を第一としているように見えた。

ポストモダンと地域性
 前回も軽く触れているが、国際的な画一性をその特徴に含むモダニズムに対し、ポストモダンやその発展系は「土地性」「地域性」についても重きを置く。建築にのみ使われる言葉ではないが、「ゲニウス・ロキ(地霊)」という言葉もポストモダンの時代に、よく登場した。
 今バナキュラーを論ずる際、最初は北海道であるとか、沖縄であるとか、小さな範囲から見ていくことになると思う。ポストモダン建築は更に小さく、その建築周辺の「バナキュラー“な”」を表してくれている。

まとめ
 デコンも含み、ポストモダン建築は建築家が創ったものであるからして、“建築家なし”のバナキュラー建築には含まれない。しかし、その土地土地のポストモダン建築には、その場所のバナキュラーを表現する何かが含まれているはずである。建築家が思考の上に生み出した作品なのであるから。

 というわけで、新春から「今バナキュラー」しかもポストモダンの第3弾をUPしてしまいました。ポストモダンとバナキュラーをくっつけるのは無茶かとも思いましたが、「今バナキュラー」と、ということで力まかせに書きました。
 最近の札幌は、雪が「ずんずん」積もっており、フィールドワークに出たくないなあ。(今が、絶好の時期と分かってはいるものの。)
 明けましておめでとうございます。


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
新年 (チャしも)
2006-01-01 12:09:50
明けましておめでとうございます。

今年もよろしくおねがいします。

いつも建築話に(・д・)ホォーとなりながら読ませていただいてます。

これからも一緒にブログを続けていきましょうね。
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おめでとうございます。 (xwing)
2006-01-01 13:11:52
 最近は師匠のサイトにも書かれてましたが、地味に建築ブームかも。

 少しでも皆様に建築に興味を持ってもらい、この分野の価値向上に貢献したい!って私のような蟻さんみたいな存在も、燃えています。
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新年おめでとうございます (penkou)
2006-01-01 14:17:53
新年おめでとうございます。

新春からがんばりますね。ポストモダンは僕に難しいけど楽しい課題を貰ったと思います。まあ建築を考えていく中で捉えてみようと考えています。

昔(中学生時代かなあ?)「ミラノの奇跡」というモノクロのとてもいい映画を観たことを覚えています。天使が出てきたような気がしていますが。

楽しい旅を!新春抱負(と言ってもねえ)をTBさせていただきました。

今年もどうかよろしく。
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よろしくおねがいいたします! (xwing)
2006-01-01 14:36:15
 あちらでも、こちらでも連発してますが(笑)これも、ブログの特徴ですね。師匠も私も“ブロガー”なんですねー。ちょっとピンときませんけど。(笑)

 ミラノでは、ちょっと遠出してテラーニのカサ・デル・ファッショ(建物の性質上、内部見学は日に2~3人なので、ほぼ不可能)を外部から見てきます。また、ローマではザハの美術館も。

 歴史的なものから、モダニズム、ポストモダン、現代建築までしっかり見てきます!
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めでたき装い (遊行七恵)
2006-01-01 16:55:49
タイトルに『めでたき』『装い』などと書きましたが、ポストモダンの論考を新年第一号記事になさるところに、不退転の決意と言うか、心構えを感じました。そのことにもまず『めでたきこと』と寿がせていただきます。

続いて掲載の写真が(それを選択したこと自体が)記事の本質を突いているようにも思えました。



今年もわくわくしながら、論考や写真をお待ちしています。
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ちょっと照れてしまいますが (xwing)
2006-01-01 17:28:15
ご期待に副える様頑張ります。今年は7月30日には関西の地に立っております。いまからどの建築を観るかをピックアップしております。(めちゃ気が早い!笑)今年の基本はモダニズム建築!その際は宜しく(カラオケ?)
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ポストモダンって (penkou)
2006-01-04 19:06:13
どうも僕たちは危ないやり取りをしているような気がします。

ポストモダンは1970年ころからの建築を考えるとき避けて通れないのですが、MOROさんの論考を読み返していくうちに、成る程と思う点とそういう風に言ってしまっていいのかという箇所が混ざり合っていてなかなか整理がつきません。



一つはモダニズムに関することです。

定義はまあ、とりあえず今まで言われていることでいいのでしょう。確かにインターナショナル主義・国際様式、たとえば四角い白い箱と言う言い方はいいえて妙と思うのですが、僕にはそれが地域性を無視しているとは思えないのです。

と言うのはどの建築を観ても土地や自然環境を無視して創られているとは思えない、同時に洋式建築はモダニズムに比較して地域性を汲み取って建てられているのかと考えると果たしてそう言えるのか、むしろ建築が地域性を作り上げてきたといいたくなるような気もするのです。



しかし日本に限らず世界各地の民家は、あるいは民家によって作られてきた街並みは、地域性を無視して造るられることはなかった。バナキュラーと言ってみたくなる事象だと思います。

しかしいわゆるバナキュラーとはそういうものか?



ポストモダンがモダニズムへの懐疑からといわれるのは、ヴェンチュリーの「建築の複合と対立」によるとするのが定説となっていて、それを受けてジェンクスが「ポストモダン」という言葉を使ったことにより、堰をきったように様々な試みがなされ始めたという図式になるようです。そのスタートがおそらくスターン達のヒスとリズム(歴史主義)で、アメリカのいわば拝金主義のヤッピーに受けたのだと思います。

モダニズムを世界に広めたフィリップ・ジョンソンの変説も大きい。(必然性があると言う指摘もありますが)そして何でもありになっていく。



建築家はというか人がものを創るとき、モチーフと言っていいのかどうか確信はないのですが、何か手がかりになるもの、に寄りかかって創り始めます。モダニズムの時代だって、例えば貝にモチーフをとる試みがなされたりしました。



ポストモダンですが、それがアメリカでは歴史主義と言われる様式っぽいもの、装飾っぽいものだったのではないでしょうか。

日本では磯崎さんの筑波のような試み、時代を見る機敏な隈さんのいくつかの試み。あるいはフランク・ゲーリーのように、西海岸に建っていたバナキュラーっぽい住宅を組み立てなおすという試み、確かに二川さんが撮って紹介したゲーリーの自宅は妙な魅力がありました。バラックぽいと言うか・・・



僕がどうもホンモノとは思えないと感じるのは、いずれも「・・・・ぽい」からです。

ポストモダンと言う言葉にモダニズムの呪縛をとかれた(僕は必ずしもそうは思わず、モダニズム建築は、その魅力は底知れないと言いたくなるような`なかなか`なものと思っているのですが)様な気がして建築家は様々なことにトライしましたが、いわゆるポストモダンは長続きしなかった、それは・・・ぽいとしか言いようがない事象になってしまったからだと思うのです。



しかしそれを経て次第にホンモノ、自分独自のもの、新しい時代を切り開いていけそうな作れるようになってきた<本当にそうだといいのですが>と言うことかなと思っています。



ザハ・ハディドがゲニウス・ロキつまりと土地性を巻き込んで創っているというのは間違いだとは思えませんが、僕はモダニストがそうではないとはどうしても言い難い、鎌倉近美もそうだし、武さんの長崎水族館あるいはホールを地階に持っていった鎌倉の商工会議所、カーンの一連の建築もそうです。

一方高松伸さんの京都郊外の建築は地域性とは相容れないと僕は思うのですがどうでしょうか。



同時にいわゆる具象による彫刻的な装飾ではないけれども、格子や壁の目地や石やタイルの組み合わせ、色の使い方、床のタイルの組み合わせ文様などさらに壁の組み合わせによる光の取り入れかたを見ると、洋式建築とは違う形の装飾にトライしてきたと僕は言いたいのです。

それらを内在して来たのがモダニズムだと言いたいのです。珍説か?

でも内田青蔵さんにチョット話したら、ぜひ研究しようと言ってくれました。

僕のモダニズム検証の大きなテーマなのです。



と言うようなこともあってポストモダンと様式は切り離せないと言う指摘もそうかなあ!と考え込んでいるところです。

だってモダニズムの時代になってから新様式ってないですもん。となるとブランコをどう考えるか、いずれ何か生まれてくるのか?

ちゃんとした論考になっていないなあ。

どっか変ですか?



コンビナートや工場群、又僕は大きな団地の夜の明かりのついた建築群など見たときの感慨、前者は物としてあるいは機械として、後者は人の存在を秘めたものとして心が揺らぎますが、その魅力をバナキュラーで捉えられるかなあ。
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存在することの大切さ (penkou)
2006-01-04 21:01:31
チョット付け加えます。

ポストモダンの僕の捉え方はともかく、その建築の存在はとても大切だと思います。MOROさんのようにフアンというわけではありませんけど。都市と(都市だけではありませんが)建築との関わり、人と場所と建築の関わりを考えると、どんな建築でも存続させたいという思いは変わりません。
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