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モダニズムだけじゃない建築ブログ

about Vernacular-最後のポストモダン・意義-

2006年01月05日 02時19分23秒 | 建築論
 普段は直接、サイトのコメント欄や記事欄にて記事を作成するのだが、先程コメント欄に書き込んだpenkou師へのお返事が、投稿のボタンを押すと共に消えてしまった!しかも2回連続で…。さすがに気落ちした。(長文だったのに…。)これからは、ワードで作ってコピーしよう…。

 さて、気を取り直し、(おかげで推敲出来るというもの)3度目の作成。例によって反論ではなく、お返事である。
 まず、「危ない、やりとり」の件は、私の知識不足と、ポストモダンについて無理やり「意義」付けをしていることでのストレスが表れていて、それは私も感じている。(ブログも世間に対して発信しているわけであるから、文章に責任を持たなければならないので、辛いところです。師がブレーキ役をしてくださっているので助かっております。)
 ポストモダンを考える(私の場合、その命題を探る)際、師の言葉を借り「モダニズムあってのポストモダン」とするならば、先にモダニズムの定義を確定しないことにはポストモダンの根幹もやはり見えない。(無理に論ずると、先のようにストレス発生とあいなる。)ということで今回は師のコメントとセットでモダニズムについて考えたいと思う。(勿論定義付けの完成は無理であるが。)

比較対象の否定
 「ポストモダン発生の起因はモダニズムにあるが、比較の対象にあらず」的なことを言っておきながら、比較をしてストレスを発生させた箇所もあるので文章の付け加え及び再考、訂正をしたい。
 モダニズムに関する2つの点「土地性」「モチーフ」について。一般論ではモダニズム建築はやはり「国際様式」「四角い白い箱」から始まり、そう認識されているだろう。自分はここで地域性との縁の薄さをポストモダンとの比較の為に述べた。実際にはどの時代の、どの建築家でも「地域性」を(難しいことを言わなければ「近隣」を)無視する者はないということは、分かる。もう一つ「モチーフ」に関しては特に、モダニズム建築と比較して述べたのではないことを前置きする。ポストモダンは「引用」が重要なキーワードであることに変わりは無いと思う。個々の個体を見ていくと、モダニズム建築の中にも「モチーフ」が主たるコンセプトのものもあるだろう。(しかし、もう個々について述べる段階ではない?逃げているわけではなく。)さてしからば、モダニズム全体の定義を考えると「何を以って?」ということになる。

モダニズムの装飾
 「洋式建築とは違う形の装飾のトライの内在」(その内容は師のコメントを参照されたし。)がモダニズム建築の素養(定義と言い切ると又、師がびっくりしてしまいそうなので素養)の主たる一つと考えると、なるほどそれはモダニズム建築時代の建築家が思索してきたものであると思う。しかし、師も述べられている通り更なる検証は必要だ。便宜的に1920年から1960年代をモダニズム建築の年代とし、それぞれの年代の特徴があるだろうし、よって「モダニズム建築」を全て「その装飾のトライ」で定義付けるのは、大変と思うのだ。「トライ」という言葉は発展途上的で、これまた定義付けが難しい。さらには日本のものだけではなく世界的にもあてはまるのか?とか、様々考えてしまう。「構造主義」「メタボリズム」。もうそれだけで一つのムーブメントと言えそうなものが沢山存在し、モダニズムの定義付けは果てしない事のように感じる。

考える意義
 今回は情けないが「まとめ」の章は無い。自分の課題はポストモダンの「命題探し」であるから、その意義をこれからも考えていきたいと思う。ポストモダンから見たモダニズム、ポストモダンから見た現在の潮流。「ミニマリズム」や「スーパーフラット」等の現在への布石以外にも何か意義が有るのではないだろうか。
 バナキュラーに関しては、建築家の存在するものはやはり違うと思っている。(これも線引きは非常に難しいが。)民家、町屋、都市…。しかし都市を考えた場合、建築家は必ず存在するし、本当に難しい。

 ちょっと今回はパワー不足ですが、悩んでいる最中ということでご容赦を。(完成した文章が2回も消えてしまったし。)ところで又ビッグネームが…。内田青蔵先生とか、本当にもう硬直してしまいます。例によって鮫がうようよ泳いでいる海でニコニコ海水浴している感じです。(笑いもひきつり気味。)
「東京文化会館」
設計者:前川國男 竣工:1961年 東京都台東区上野公園内


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2 コメント

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何故受けるのか (penkou)
2006-01-05 13:54:29
僕も確信を持って述べているのではないことを含んでおいてください(まず予防線を張っといて、笑)

ポストモダンの「引用」はキイポイントだと思いますが、それはヒストリズムの中でということではないでしょうか。脱モダニズムOKとなったとき、様式建築を引用する試みをした、それが受けた、人はなぜか様式建築が好きですから。何故なのでしょうね。手の痕跡?それだけではないですよね。



コメントに書いたモダニズムの装飾のことは、全く認知されていない多分僕だけが感じていることで、内田さんも面白い見方だと思ったようで、一緒に考えてみようかということになりました。



あるシンポジウムで面白いことを聴きました。新幹線の駅がどこでも同じようなのはよろしくない、と言う指摘に、あの時代の新幹線の役割は(象徴と言ったほうがいいかも)日本中に等価の価値観、それが早さを表し新時代の幕開けになるという認識、それがある意味で受け入れられたのだと言うのです。国際主義もまさしくそうだと思ったものです。

まあ地域性無視ですね。と言うより地域性を越えたものと考えたのでしょうかね。

とはいえそれがモダニズム建築の定義のように言われるのには疑念があるのです。実際に建てられた建築を観るにつけ。

しかし理念は理念としてそれにトライしたことは間違いではないし・・・

余市でも飲まずにいられなくなります(笑)まだお正月だし。
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ヒストリズムを実感できるか分かりませんが (xwing)
2006-01-05 22:47:40
初のイタリア探訪で何かを感じてきたいと思います。また、日本のモダニズムと海外のものとではどのような違いが有るのか。数多くは見れないかもしれませんが、少しでも掴めればと考えています。(来週の今日出発!)

 昔の(農学部時代の)自分だったらここで統計を持ち込んで、やれ「直線を主体とした建築の数」とか「外壁に白色を用いた建築の数」とか多重検定してそうですが(笑)だいぶ文系人間に近づいてきました。
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