40歳からの子育て~テキトウ編~

縁あってスピード結婚&スピード出産×2。
仕事も子育てもマイペースでゆるく暮らしてます。

ボストン&ニューヨーク編

2005-08-16 22:20:29 | 旅日記('88-'02)
ボストンの秋は最高だった。
街並はヨーロッパ風なのだが、ヨーロッパとはやっぱりなにかが違う。
いきいきとした空気としっとりとした品の良さが相まって居心地のいい街だ。
ニューヨークではカルバンクラインのCK-Oneの香りがあちこちで漂っていた。

<旅行期間>
1994年10月23日-11月3日(12日間)

<行ったところ>
ボストン、ニューヨーク

日程
01日目 帽子3つの黒人女性
02日目 ローマの感動再び
03日目 ボストン散策
04日目 初めてのニューヨーク
05日目 アート三昧
06日目 バス市内観光
07日目 シェリーとオーミ
08日目 ティラミスと日本人
09日目 音楽なんて
10日目 CPI写真センター
11日目 NYに別れを告げて


●10月23日:帽子3つの黒人女性
  ここのところバタバタしていて、届いたチケット引換券をよく見もしなかったので、東京からロサンゼルス経由でボストンに行くことは成田に着いてから知った。
 ロサンゼルスには意外に早く着き、乗り換えまで2時間ほど待つ。花飾りのついた麦わら帽をいっしょに3つもかぶった黒人女性や、ビッグサイズの男性など、いろんな人が行き交う。スタイルがいい人は極めていいのだが、ビッグな人はどこまでもビッグで、歩くのさえ大変そうな人もいる。


●10月24日:ローマの感動再び 
 待合室でボストン行きの飛行機を待っているうちに、あれほどいた日本人はほとんどいなくなり、機内で見渡す限りアジア人はわたし一人だった。さっき、あまりおいしいとはいえないパスタが出た。機内上映で「フリンストーン」をやっていたが、つまらなかったので寝てしまう。

 夜9時すぎに着いたとき、ボストンは小雨が降っていた。 到着口を出ると、マケドニア人のシモニダとアントニオが出迎えてくれる。シモニダは甘いフルーティ系の香りがした。相変わらずかわいい人で、笑い声があどけない。とりあえず、彼らのたまり場的コーヒーショップに行き、甘いクッキーとエスプレッソを頼む。彼らと同じくユーゴスラビア人でバークリー音楽院で勉強中の友達も来ていた。「日本ってどこにあるの?」と聞かれたとき、たまたま店の紙ナプキンにプリントしてあった世界地図を使おうと広げてみたところ、日本が描かれていなかった。なんだかガッカリしつつ、ペンでキュキュッときっちり書き込み「ココだよ」と教えてあげた。

シモニダとは、学生時代にヨーロッパを旅行した際、ローマのキャンプ場で知り合った仲だ。わたしが不注意でなくしてしまったコンタクトレンズを「翌日」偶然にも拾ってくれたのが彼女だったのだ。抽象画家としてユーゴスラビア(2002年現在はマケドニア)の都市スコピエに住んでいたが、夫のアントニオがバークリーでギターの勉強をするのについて、いっしょにボストンに来たというわけだ。

 2人ともアーティストだが、それだけでは食べていけないので、彼女は週3回ベビーシッターの仕事を、アントニオはイタリアンレストランでバイトをしている。アントニオは国にいるときはラジオの仕事などもやって比較的収入がよかったらしいが、こっちでは学生だからゼロって感じだよと言っていた。が、当分帰国する気はなさそうだった。グレーの毛並みが美しいキコという名のネコを飼っていて、神楽坂で買ったまねき猫のおみやげをかなり喜んでくれた。彼らの家は広く、シモニダが描いた絵がたくさん掛かっていて居心地がよかった。


●10月25日:ボストン散策
  朝、キコが寝室のドアの前でニャアと鳴いたので、ちょっと開けてやると、すぐにすべりこんできて人の顔の上に乗っかり、何事もなかったようにリラックスされた。キコ、と呼ぶと、テキトウにしっぽをパタパタと振るカワイイやつだ。朝食はゆうべとは別のカフェテリアで、アントニオと、彼らの隣りに住んでいるベルギー人のニコラの3人でブルーベリーマフィンとコーヒーを頼む。

 午前中、シモニダは仕事だったので、アントニオが街を散策しながら案内してくれた。ニコラにキコを預けて、朝9時ころに家を出る。今日はきのうとうってかわって雲ひとつない上天気。赤や黄色に染まった木々に彩られているボストンは最高である。オフィス街ではスーツ姿のビジネスマンが闊歩していて格好いい。この街は小さくてコンサバティブな雰囲気も漂うのに、適度に活気があってとても住みやすそうだ。

 チャールズ・リバーや海の見える水族館近く、クインシー・マーケット、小さな中華街、アンティークショップの並ぶシックな通り、公園などを歩き、ついでにバークリー音楽院の中も案内してもらった。お昼はベーグルのおいしい店で、クリームチーズをはさんだオニオンベーグルとレモネード。アメリカは人もモノもなんでもビッグサイズで、量が日本と全然比較にならないほど多いので、スーパーに行くと圧倒される。日本と同じ値段で量は2~3倍。アイスクリームやお菓子はとことん甘い。

 午後いったん家に戻り、バイトに出かけたアントニオと入れ替わりで帰ってきたシモニダと、ハーバード大学あたりを散歩する。以前、彼女たちがこの近くに住んでいたときよく行っていたという面白い店にもいくつか連れて行ってもらった。夕食には、彼女の得意料理である、アンチョビー・ドレッシングのサラダとホタテの貝柱とイタリアンパセリのクリームスパゲッティをごちそうになる。

ローマのキャンプ場でコンタクトレンズを見つけてもらったとき、うれしさのあまり思わず彼女を抱きしめてしまったのだが、こちらの感動は伝わったらしく、そのあと、わたしの名前をタイトルにして大きな和紙に5枚も絵を描いたそうだ。それをボストンでの個展に出したときの模様をビデオで見せてくれた。

 10時近くにアントニオが帰ってきたので、お隣りのニコラも呼んでみんなでワインを片手におしゃべりする。シモニダが突然、「描いてあげるよ」と大きい画用紙とコンテを持ってきて15分くらいで素早くわたしのポートレイトを3枚ほどスケッチしてくれ、そのうち一番よく描けたものをおみやげよといって渡してくれた。この時間を形にしてプレゼントされたことがとてもうれしかった。


●10月26日:初めてのニューヨーク
  朝、仕事のあるシモニダと家の前で別れたあと、アントニオが地下鉄まで見送ってくれた。ボストン-ニューヨーク間は、シーズンオフの早朝便なので空いていた。眼下には広大な土地に家や畑、紅葉した木々が点在している。白い雲が陽に映えて美しい。途中、機内食でピーナッツバター・クランチとりんごジュースが出る。

 ニューヨークには1時間ほどで着いた。セントラルパークの角にあるホテルに電話すると、運良く空いていたのでその場で予約を入れ、タクシーで行く。とりあえず荷物を預け、地図もガイドブックも持たずに1日中歩き回った。昼過ぎにカフェでサンドイッチを頼んだところ、ものすごく大きい皿が運ばれてきた。アーティチョーク、チーズ、クレソン、トマトが入っていて、オーロラソースがたっぷりかかっている。パンは、神楽坂にある中華料理店「五十番」の肉まん以上の大きさだったが全部食べた。アメリカ自然博物館で半日ほど過ごす。
 道路のマンホールや工事中の煙突からもうもうと立ち上る蒸気(?)にニューヨークを感じる。にぎやかというか、騒がしいというか、とにかく活気がある。そんなに事件があって、そんなに人が倒れているのかというくらい、救急車がけたたましいサイレンを鳴らしてしょっちゅう通りすぎる。クラクションの音もすごい。人は東京以上に皆早足に思える。なにか確固とした目的地がないと歩いてはいけないような気配すら漂う。街並が雑誌やテレビで見るよりいい感じだ。夜、ホテルから両親に電話を入れる。


●10月27日:アート三昧
  疲れていたのか、10時間くらい熟睡。きのう行った近くのカフェに行き、ベーグルと薄いコーヒー、ベイクドポテト添えオムレツ(またしても量が多かった)でブランチ。

 メトロポリタン美術館では、カラヴァッジオやエル・グレコの絵の前でしばらくたたずむ。ブティックの並ぶマディソン街を歩き、ホイットニー美術館に行く。適度な大きさでまとまりがよく気持ちのいい美術館だった。美術館の隣りの「Shop Next Door」で絵ハガキを、5番街の雑貨屋でオリーブつまみ器を妹へのおみやげに買う。夕方、デリでサラダやポークの煮込み、ミラービールを買うが、ビールと肉はウッ…というくらいマズかった。


●10月28日:バス市内観光
  ホテルを出て、近くのYMCAに荷物を預けて今日はバスで市内観光。MOMAに行ったり、自由の女神を見る観光船に乗ったりして過ごす。タイムズ・スクエアで明日行く予定の「Guys and Dolls」と「CATS」のチケット(両方で計130ドル=13000円)を買う。夜8時半ころYMCAに戻ると、受付の黒人のおじさんが、ヒマだったのかロトをしていた。わたしのビザカードのナンバーも使い、当たったら東京に電話して山分けしてあげるよとウインクされた。


●10月29日:シェリーとオーミ
  割と早く目が覚めたので、近くのカフェに行き、またものすごい量のベイクドポテトつきチーズオムレツ、トースト、コーヒー、オレンジジュースでゆっくりと朝食を取る。サラサラロングヘアを無造作に束ねたウェイターが感じよい。

 きのう電話で約束した通り、8時に台湾人のシェリーと日系3世の香港人、木下弘美さん(オーミ)の住むアパートメントを訪ねる。シェリーは、以前ボストンの大学で美術史を勉強したことがあり、そのときにシモニダたちと知りあったらしい。ボストンで、ここを発ったあとニューヨークに行くとシモニダにいったところ、友達がいるからそこに泊めてもらったらいいよと、すぐシェリーに連絡してくれたのだった。

 アッパーイーストの彼女たちのアパートメントは内装がモノトーンで統一されていて、シンプルで気分が落ち着いた。8階建ての3階にあり、広さは2LDKほど。リビングでお茶を飲み、一息いれてから彼女たちは仕事場や学校に、わたしはグッゲンハイム美術館に向かう。グッゲンハイムは内部がらせん状のスロープになっていて建物自体がアート。イタリアン・モダンアートの展覧会をやっていた。

 マーティン・ベックシアターで「Guys and Dolls」を観て、根っからのエンターテイナーである役者たちの演技に感動。夜に観た「CATS」も良かった。5番街を散策中、近くで救急車が止まったので人だかりをのぞいてみると、20代後半の男性がローラースケートで走っていて転んだらしく、地面にペタンとしゃがみこんでいた。近くに座っていた黒人男性が「ファッキン・シューズ」と笑っていたが、こんなとこで危なっかしいローラースケートだなんて、本当にアホかも。でもたまに見かけるが。

 ターバンを巻いたアラブ系運転手の運転するタクシーで帰ると、シェリーとオーミが待っていた。しばらくおしゃべりしたあと、リビングにあるソファーベッドで眠りにつく。


●10月30日:ティラミスと日本人
  いい天気の日曜日。今日は11時ころ起きて軽く朝食をとり、彼女たちとグリニッジ・ビレッジ近くにあるフリーマーケットに地下鉄で行く。いろんな雑貨をゆっくりと眺めながら散策。お昼はコリアン・レストランで牛肉スープとご飯、キムチ。用事のある彼女たちと、チャイナタウンのワンタン・ガーデン前で夜にまた会う約束をして別れ、バスに乗ってグリニッジ・ビレッジに行く。おしゃれでカッコイイ人をよく見かけるこの界隈では、入ってみたいと思うようなカフェや店がいくつもあった。
 夜、再び彼女たちと落ち合い、人気のベトナム・レストランで生春巻と牛肉入りフォー(ベトナムラーメン)を食べる。オーミは気取らない性格で、アイドル系の顔をしている。シェリーはちょっとふくよかで、シャープな声の持ち主。現在、プログラマーの仕事を探している最中だ。ニューヨークに住んでオーミは6年、シェリーは1年になる。母親は中国人だが、香港生まれのオーミはずっとイングリッシュ・スクールに通っていたため、一番よく理解できるのは英語、シェリーはアメリカにはすでに11年住んでいるのでほぼバイリンガルである。

 レストランのあと、「日本人の友達にここに来たって言ったらオーッ!って言われるよ」(日本人の観光客が多いという意味らしい)と、チャイナタウンの隣りにあるリトル・イタリーのカフェ「ラ・フェラーラ」に行く。エスプレッソを飲んでいると、10人くらいの日本人グループが入ってきて、みんな揃ってティラミスを注文していた。


●10月31日:音楽なんて
  彼女たちのアパートメントは広い。リビングだけで、優にわたしの部屋の2倍はあり、彼女たちの各部屋も8~10畳くらいはある(ニューヨークで「畳」はないが)。バスルームもキッチンもゆったりしているし、壁は全室白くて清潔。建物自体は古いが、中身は真新しい。「ニューヨークではこんな感じで暮らしてみたい」というのを体現しているようなカッコイイ生活っぷりである。彼女たちはあまり音楽を聴かず、飼っているインコの鳴き声だけが唯一の音楽だ。テレビも見ないので、最初から置いていない。

 11時すぎに家を出て、クリスティーズに行く。今日はオークションはなかったが、コンテンポラリー・アートが展示されていて、その中にウォーホルの「マリリン・モンロー」もあった。11月2日のオークションにかかる予定のその有名な絵は、推定2.5億~3億と書いてあった。クリスティーズのあと、オーミの勤めている中国アートギャラリー(ルイ・ヴィトンの隣りのビル)を訪ねる。スーツ姿が格好よくキマッている彼女が、ギャラリーにあるオブジェや絵の説明をしてくれた。

 バスの窓越しに、奇妙な格好やかわいい格好をした子供たちを見かけ、今日がハロウィーンということを思い出した。
 夜は、3人で水ギョーザを山ほど作って(ガーリックパウダーとしょうゆ、ごま油を合わせたつけだれ)食べた。つけ合わせは青野菜いため、デザートはゴマあん入りの団子モチとアイスクリーム。


●11月1日:CPI写真センター
  今朝は朝からくもりで、昼過ぎから雨が強く降った。ブルーミングデールズ近くを通ったら、早くもクリスマスの飾りつけがしてあった。CPI写真センターでは、天才アラーキ-の写真集も2、3冊置かれていたが、こんなところで見るとなおさら、この人の写真には日本的ぬめりを感じてしまう。中国やほかのアジアとは異質のぬめり。街中で、時折カルバンクラインのCK-Oneの香りがする。発売からまだ2か月も経っていないらしいが、いたるところでポスターを見かける。街角で売っているホットドッグやからしを塗ったプリッツェルがおいしかった。

 夕方、ついうっかり32番線のバスに乗りクイーンズまで行ってしまったが、そのおかげでマンハッタンに帰ってくるとき美しい街の灯を見ることができた。結局15番線のバスに乗り換えて帰ってきたが、北の方に行けば行くほど黒人が多くなり、終点まで乗っていたのはわたしだけだった。乗り換えの1Av.から2Av.までの間、ぬれ落ち葉の上を歩きながら、うらさびしい殺風景なところだと思った。夜で、しかも雨の降ったあとだったからかもしれない。

 8時ごろ戻ると、彼女たちが、鍋一杯のチキンスープとチンゲンサイのいため物を作って夕食の準備を整えておいてくれていた。チキンスープは骨つきトリ肉、人参、白菜、セロリ、大根と塩こしょうで作ったシンプルなものだったが、おいしくて思わず2杯もおかわりしてしまう。デザートのルノートルのチョコレート菓子とプーアール茶を味わいつつおしゃべりする。彼女たちも含めて、これまでに出会った中国系の女性はたいがい明るくて、ドライで、オープンで、タフなので、話していて気持ちがいい。

 そのあと、彼女たちは勉強を始めた。オーミは大学で中国美術史を学んだが、そのあと1年間イギリスで勉強したあと、5番街のど真ん中にあるあのギャラリーの仕事を見つけたようだ。が、それでもまだ勉強は続けていて、中国の骨董品に関する資料の中国語テキストの訳を、中国語ネイティブのシェリーに手伝ってもらっていた。シェリーは芥川龍之介と村上春樹の中国語翻訳を結構読んでいて、日本にも興味を持っている人だった。
 真っ白の壁に囲まれた、小鳥の鳴き声だけが唯一の音楽のニューヨークライフ。う~ん、カッコイイぞ。


●11月2日:NYに別れを告げて
  8時半には出勤するオーミに別れを告げ、そのあと、ゆうべ読書で夜更かしをしてまだちょっと眠そうにしているシェリーにもさよならを言ってJFK空港までタクシーで行く。機内で、アメリカ国内でプロペラ機が墜落した記事を読んだ。帰り着いたのは夜の7時半。準備もそこそこに慌ただしく出かけた旅だったが、無事に旅行を終えることができてホッとする。











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