ネタがないので今日は我が住む街をチョットだけ紹介
(from 八幡浜市H,P,)
解像度が落ちてチョッと文字がボケているようですが
こんな町の我家は「ほ」の文字の辺りに有ります。
(どっちのほだか?距離感とか?全然解らん?!)
今は「八幡浜市」に吸収合併されてしまいましたが
昭和の初期までは「保内町」の方が栄えていて
この辺りでは最先端の街だったようですが
昭和初期に「国鉄」が開通し「八幡浜」に
「停車場」が出来てから人と物の流れが変わり
「お金」の流れも変わった様で、今では淋しい限りです。
(それでも、昭和40年代の終わり頃迄は名残が有ったのですから・・・)
繁栄の一端を担ったのが、明治中期に出来たらしい(知らんけど!?)
橋の向こうの赤レンガ「東洋紡」だったそうで
当時のご多分に漏れず的な繁栄の道「紡績」が有ったようですが
工場を誘致したのには「海運」と言う当時最高の運送システムが
有ったからじゃないかと思います。
(これは新しい物だと思いますが?)
一部の地域では、江戸時代 1830年頃、天保年間に作られた
石積みの護岸が残っていて(慈眼庵青石の石垣と言うそうです)
当時の繁栄ぶりを物語っているとかいないとか?
で、その流れをくむのが上の写真の宮内川の護岸で
この石の積み方を「矢羽根積み」と言うらしいです
(私のチョットお気に入りポイント!)
さらに続けると、先に言葉だけ出て来た
「慈眼庵青石」や上の写真で解る
護岸の石の様に、この辺りは「青石」でも有名な場所で
先日まで手伝っていた「蜜柑摘み」の蜜柑畑の石垣も
この「青石」で組んで有りました
(これは青石のモニュメント
下のボードウォークは確か知り会の職人が大阪から施工に来たとか?来ないとか?)
と、ま~この位にしときますか?
と言うか今の所この辺りしか探検が出来ていないので
他が良く解っていません
又その内気が向いたらレポートします。
では又m(__)m