第113回 コーラス(2004年)
原題 Les Choristes(合唱隊、合唱団員たち:英題 The Chorus)
*海外の映画情報によると、この作品は1945年の《La Cage aux Rossignols(A Cage of Nightingales)》からの翻案らしいのだが、原案作品の内容については不明
見どころ
多くの人は人生に夢を描いて挫折する。だが、夢の破片がその後の人生の趣味や生き方として、生き残ることもある。そんな夢のかけらがもたらした努力で、出会った人びとは変わることもある。
物語の主人公は、かつて音楽家(作曲家か指揮者か?)を夢見て挫折し、その後、風采の上がらない私立学校(基礎課程)の教師となった中年男。小太りで禿頭、見栄えのしない姿。
彼はたまたま、日本でいえば「感化院」のような特殊な矯正学校の寄宿舎監を兼務する教師となった。何かの事情で親元=家庭から遠ざけられた少年たちが寄宿生活する学校で、それゆえ、子どもたちは何かと世をすねて反抗的だ。
新任教師、クレマン・マテュウは、荒れる少年たちを教導するために合唱団をつくった。担任クラスの生徒たちからなるコーラス隊だ。
少年たちは音楽の楽しさ、合唱の喜びに目覚めていく。
そんな少年の1人に、やがて有名な指揮者となるピエール・モーロンジュがいた。彼には、天性の豊かな音楽の才能があった。才能はクレマンに見出され開花していく。
無理解な大人や大人がつくる権威への反抗を繰り返してきたピエールは、まさに人生の転機を得ることができた。
だが、わずか半年ののち、学校にはいくつも事件や事故が起き、保身と権謀に長けた校長は、責任をクレマンに押しつけ、クレマンは解雇されて学校を去っていった。
どうでもいいことだが、学校の場所は《サンジャックへの道》で出発点となったフランス中央部の山岳地帯、ルピュイの近くの山間地の森のなかにあると思われる(物語の設定上ではなく、単にロケイションだけかもしれない)。
ただ、物語でもリヨンや南フランスに近い設定になっているようだ。
ところで、主人公、クレマン・マテュウの名前だが、マテュウとはキリストの使徒(弟子)のマタイ(マテオ)にちなむもの。虐待される生徒たちに連帯と救いの手を差し伸べる役割なので、名前の設定には、あるいは何らかの暗示があるのかもしれない。
彼の風貌は、アガサ・クリスティの《探偵ポワロ》から強すぎる自尊心を取り去ったような風貌だ。
1 「池の底」の回想
今では60歳ぐらいの有名な指揮者(マエストロ)となっているピエール・モーロンジュは、母ヴィオレットの死去の報を受けてフランス(母の家)に帰郷した。そんなピエールを同年輩の男が訪ねてきた。
男は「ペピーノだよ」と名乗った。幼い日のニックネイムだ。とはいっても、ピエールは本名を知らなかった。
ペピーノは1冊の日記帳を取り出してピエールに手渡した。クレマン・マテュウ先生からの遺贈品だと言って。
日記には、クレマンが1948年の冬に「池の底(Fond de l'Etang)」という特殊な寄宿学校に赴任した日からのできごとが記されていた。
「池の底」学校は、いわば問題児を収容教導・矯正する(はずの)公立の寄宿学校だった。
寄宿舎監が突如退職したためにポストに空きができ、クレマンが採用されたのだ。
最初に学校に赴いたとき、ゲイトで出会ったのは、まだ幼いペピーノだった。ペピーノは門柱に寄り添って、彼を迎えにくる両親を待っていた。だが、彼の両親は戦争のなかで殺されていた。その現実を理解できない、いや受け入れられないペピーノは、「土曜日になれば、両親が迎えにくる」と信じて待っているのだ。
■衝撃の実態■
クレマンは赴任した初日から、「池の底」という施設の衝撃の運営実態に直面することになった。
まず校長のラシャンはゴリゴリの権威主義者で、名誉欲と出世欲が深く、子どもたちに対しては自分の権威を暴力と威嚇を持って押しつけていた。学校の秩序と平穏は力と威嚇・強制をもって保つべきもの、と信じて疑わなかった。いや、それしか指導者としての方針をもっていなかった。
もっとも、1940年代、日本も含めて「先進諸国」の社会や学校の仕組みや運営体制は、そんなものだった。
ラシャンは、不妊のあいさつに来たクレマンにも、高圧的な権威主義者の顔を見せつけた。
力と威嚇による支配に対して、少年たちは陰湿で粗暴な反抗心を隠さなかった。
だから、子どもたちの粗暴ないたずら、それに対する報復としての厳罰という悪循環が繰り返されていた。
で、その日、用務員、ル・ペル・マクサンスが子どもの陰湿ないたずらに出会って顔に大けがをしてしまった。ガラスドアの鍵の周囲に太いゴムを巻いておいたため、ガラス板がはじけ飛んで、マクサンスの頭部を直撃したためだ。
「誰が仕かけたのか」を問いただすため、ラシャン校長は、生徒全員を校庭に集めた。威嚇と脅迫によって「犯人」が名乗り出るように命じた。誰も名乗り出ない。
そこで、ラシャンはクレマンに生徒名簿を手渡して「懲罰を与える生徒」を選ばせた。その子を反省独房に押し込んで、「真犯人」に名乗り出るように命じた。
事故の原因や因果関係、過程、解決の方法を考えることもなく、とにかく誰かに懲罰を加え「見せしめ」とする。これが、ラシャンの「教育方針」だった。
ほとんど教員たちも、ラシャンの方針に沿って指導・教育をしていた。
「やつら(生徒)に油断して背中を見せると、とんでもない目(マクサンスのように)にあう」というのが、教員たちのクレマンに対するアドヴァイスだった。
2 挫折を経験した者のプロテスト
さて、クレマンは若い頃に音楽家(作曲家や指揮者)をめざして地道な努力を積み重ねていた。だが、運やチャンスには恵まれず、逆境を乗り越えるほどの天才もなかった(かなり優秀ではあったようだが)。
まあ、多くの者が経験する人生の道ともいえる。
で、基礎学校(小中学校課程)で音楽の教師をしながら、身すぎ世すぎをしてきたようだ。
だが、挫折を味わった人間の滋味というか、卓越した洞察力と飄逸さを身につけていた。
そんな人物が、ラシャンという出世欲ゴリゴリ、自己顕示欲の塊のような校長が強圧的に支配する寄宿学校に赴任してきた。そして、初日からラシャンのファッショ的な学校管理・運営手法を目の当たりにした。
子どもたちを人間的・人格的に陶冶するという発想はどこにもなかった。荒れ狂う野獣を鞭を使って威圧して檻に閉じ込めて馴致するとでもいう手法だった。
■マテュウの手法■
生徒たちを強圧的に抑えつける対象としてではなく、個性ある人格の担い手と見るクレマンは、生徒たちの挙動や態度から正確や心理を見抜いていく。
あるきっかけから、マクサンスに大けがをさせた罠を仕かけたのが、問題児の1人、ル・ケレだと見抜いた。だが、クレマンはラシャンに対してそのことを告げなかった。威圧と反抗の連鎖では、問題が解決しなと信じたからだ。
その代わり、ル・ケレを問い詰めて「犯行の動機」を聞き出し、マクサンスの苦痛を説明した。ル・ケレは、悪さをマクサンスに注意されたことで腹を立てたからだというが、引き起こした事態の深刻さに怯え、深く反省していることはわかった。
だが、ここの少年たちには、自分の良心や憐憫を見せることが、自分の弱みをさらし、「敵につけ入る隙」を与える」だけだという心理にあるらしい。だから、自分の強さを見せつけるために、人一倍「悪ぶる」、粗暴な態度を見せることになる。つまり、ラシャンの心理の裏返しなのだ。
ル・ケレはラシャンによる懲罰を恐れていた。怯え切っていた。
そこで、クレマンは彼らしい「懲罰」を与えることにした。
病院での手術から戻ったマクサンスの看病と世話をすることで、自分の心のなかでマクサンスに「許しを乞え」というものだった。マクサンスの回復によって、許されるのだというわけだ。
クレマンは、粗暴な生徒に対する対処方法に「自分らしさ」をにじませていった。
かとえば、ピエール。
彼は、クレマンの授業初日に黒板に、クレマンを揶揄するような似顔絵を描いていたのを見つかった。クレマンは、叱りつける代わりに、似顔絵の腕前を誉めた。しかし、「今度は君が似顔絵のモデルになれ」と言って、教壇に立たせ続けておいて、クレマンがその似顔絵を描いた。
整った顔立ちだが嫌みな性格がにじみ出た似顔絵ができ上がった。
要するに、生徒の悪戯に対して、威圧的に叱りつけたり禁圧するのではなく、その逆手を取って反撃する(生徒の傲岸不遜な態度を揶揄する)手法を取った。
■合唱団の結成■
それにしても、クレマンは生徒たちの粗暴な態度を改め人格を陶冶し教養を身につけるための方法として、自分の得意な分野に取り込むことを考えた。きっかけは、寄宿舎の就寝房で夜中に生徒の数人がクレマンの悪口を歌にして歌っていたことだった。
自分への悪口の歌を聞きつけたクレマンは、悪ガキどもを見つけて歌を誉めた。
「もう一度歌ってみなさい」
「うん、なかなかいい声だ。いい音感をしている。
よし、決めた、みんなで合唱団をつくろう。いいね君たち」
その夜、クレマンは少年たちの合唱曲を作曲した。低音部、中音部、高音部を分けて。
翌日、クレマンは合唱団の結成についてラシャンの許可を得た。ラシャンは「まあ、よかろう」と言ったものの、「あの野獣どもが音楽を理解できるものか」と侮蔑の言葉をつけ加えた。
その日から授業時間の一部を使って、合唱の練習が始まった。
ラシャンが築き上げた厳罰と禁圧のなかにあったせいで、自己表現とか心から打ち込むことに飢えたいたせいだろうか、少年たちは、一方で悪さを繰り返しながらも、合唱に熱心に取り組みようになっていった。
■ピエール・モーロンジュ■
ピエールは美少年だった。だが、教師たちは「天使のような顔つきをした悪魔」と呼んでいた。粗暴さとツッパリ度合いは群を抜いていた。
彼は、クレマンの前では合唱団に興味がない振りをして冷笑的な態度を保っていた。
そんなピエールの母親、ヴィオレットがある日突然、息子に面会に来た。彼女は、いかにも美少年ピエールの母親と言えるほどの美女だった。
決められた面会日ではなかった。しかも、その日、ピエールは悪戯を理由に懲罰房に閉じ込められていた。
ヴィオレッタへの応対に出たクレマンは(ピエールの名誉を保ち、母親を悲しませないため)、ピエールが懲罰房に入れられていることを隠して、「歯痛で歯科医のところに診療に行っているので、今日は会えない」と説明して、ピエールに渡すはずの荷物を預かった。そして、次の訪問は面会の日にしてほしいと告げた。
そんなこんなで、クレマンはピエールと意思疎通する機会をつくり出した。というのも、ピエールは、誰もいない教室で楽譜を見ながらソプラノ部を歌っていたを見たからだ。見事なボーイズソプラノで、見事な音感だった。楽譜を正確に読む(歌唱で表現方法)を身につけていた(まあ、物語である)。
そして、クレマンはピエールに合唱でのソプラノ部(独唱部)をあてがった。
これによって、合唱の水準は一気に高まった。
3 波乱
しばらくしたある日、「池の底」学校に「札付きの問題児」とされた少年、モンダンが転入してきた。彼は、これまでもっと厳しい矯正施設にいたのだが、ある精神科医の仲介で「池の底」で教育を受けることになったのだ。
モンダンは素行に問題があったのだが、それ以上に周囲の大人たちから実際以上に悪く曲解されてきた。モンダン自身も、そういう大人の評価・差別に反発して、さらに反抗や非行を繰り返すことになったらしい。
モンダンが加わってから、この寄宿学校ではいろいろとトラブルが続いた。
教室でこれ見よがしに喫煙したり、授業を抜け出したり、教師に逆らったり。そして、ペピーノたちを脅して金を巻き上げた。教師の時計を盗んだりもした。やがて悪行は発覚した。
モンダンは懲罰房に半月入れられることになった。
クレマンは、体の大きいいモンダンの声自体(低音)が素晴らしいのを知って、合唱団のバリトン部に加えた。だが、機会を見つけては、モンダンは抜け出したり、逆らったりした。
■盗難事件■
合唱団活動によって、素行の悪かった少年たちの態度は目に見えて良くなっていった。ラシャン校長もそれを認めて、少しずつ規律を緩め、禁止事項を減らしていった。ラシャンはクレマンによる合唱団指導の成果を認めるようになった。
だが、そんな「春の日より」は長くは続かなかった。
ある日、モンダンが懲罰房を抜け出し学校から逃亡した。しかもその後、校長が管理していた学校運営資金がまるごと盗まれていることが判明した。ラシャンは、逃げ去ったモンダンが盗んだと決めつけて、警察に通報し捕縛を要請した。
やがて捕まったモンダンは少年刑務所送りになることになった。
しかし、まもなく金を盗んだのはモンダンではなく、コルバンという少年であることが判明した。にもかかわらず、ラシャンは事実を警察に伝えず、モンダンに窃盗の罪をかぶせたままにした。
学校の当面の運営資金を失ったため、ラシャンは教室の暖房を止めた。経費節約のために。
しかし、自分の報酬だけはたっぷり受け取って、近くに住む家族とともに贅沢な暮しをし、生徒たちにも見せつけた。
マクサンスはそんなラシャンのやり方に憤って、校長宅に蓄えてあった薪を学校の暖房用に盗み出して、暖房に用いることにした。
■解散させられた合唱団■
ラシャンの態度は少年たちの批判精神にも火をつけた。子どもたちは、合唱の手法でラシャンをからかう内容の歌詞の曲をつくり、校長室の外で歌い出した。合唱自体は素晴らしいできだったのだが、とにかく自分の威厳を取り繕うことに腐心する権威主義者であるラシャンは、怒りまくってクレマンに合唱団を解散させてしまった。
というわけで、表向きは合唱団は解散した。授業時間中には練習できなくなった。
だが、クレマンはラシャンが学校から退去した夜中、就寝時間に子どもたちの寄宿房で密かに合唱の練習を続けることにした。解散の危機に直面したことで、少年たちはいっそう熱心に練習に取り組み、いよいよ水準は上がっていった。
■ピエールとヴィオレット■
やがて面会日にピエールの母親、ヴィオレットが学校にやって来た。
美貌のヴィオレッタにクレマンは密かな憧れ(慕情)を抱くようになった。音楽の才能豊かなピエールの母親だという意識もあったかもしれない。
クレマンはヴィオレットに、ピエールの音楽の才能を高く評価していることを告げた。リヨンのコンセルヴァトワールに推薦するので、転校させて才能を磨くべきだとアドヴァイスした。
しばらくして、ヴィオレットが近くの町のカフェでクレマンに会いたいと連絡してきた。
クレマンは喜んで出かけたが、ヴィオレットは最近出会ったエンジニアと結婚すると告げた。だが、結婚相手の男は、ピエールとの同居に気が進まないようなので、コンセルヴァトワールの寄宿舎に入れようと思うとも。
淡い恋に破れたクレマンだったが、ヴィオレットにはピエールの才能を開花させるべく手を打つと約束した。
■合唱団の栄光■
「池の底」にはパトロンがいた。有力なパトロンの1人が、近くに城を持つ伯爵夫人だった。運営資金の寄付を受け、かつまた出世のためのコネを求めるラシャンは、日頃から伯爵夫人の歓心を買うことに腐心していた。
そんな彼女は、どこからかクレマンが指導する合唱団の噂を聞きつけて、合唱団の演奏会を学校で開くようラシャンに要請した。こうして、華々しい演奏会が開催されることになった。
伯爵夫人は影響力にものを言わせて近隣の教育行政機関の幹部やらサロンの仲間を引き連れて、学校に乗り込んできた。
ラシャンから隠れて夜中に練習を積んできた少年たちは、晴れの発表の場で張り切った。見事なコーラスが演奏された。
やがて、ソロのパートになった。ソロからはずされたと思って落ち込んでいたピエール。だが、クレマンから「さあ、君の出番だ!」というアイコンタクトを送られて、目いっぱい幸福感・達成感を感じながら美声を披露した。
合唱団の演奏会は大成功で、パトロンの伯爵夫人は大感激。
出世欲むき出しのラシャンはすかさず、「この合唱団は私の発案で始めたのです。素行や家庭環境に問題ある子どもたちでも、温かい指導によってどこまで到達できるのか、それを証明したかったのです」と自画自賛した。
クレマンはその言葉を驚きながら聞いていた。教師たちも、ラシャンのやり口に腹を立てた。
だが、クレマンは平静だった。
見栄っ張りのラシャンが自分の方針として合唱団をつくったと言明した以上、もはや解散することはないはずだと判断したからだ。
つまりは、ラシャンに「貸し」をつくって、合唱団活動をおおっぴらにおこなうことができる条件を得たのだから、それでいいというわけだ。
ところで、クレマンが発表会まで、練習ではピエールをソロからはずしておいたのは、ピエールの拗ねた態度への反省を迫るという意味もあったのだが、本当の理由は、自分にとって音楽がどれほど大切で切実なものかを考えさせるためだった。
4 離別の日
合唱団の活動は前よりも堂々と活発におこなわれるようになった。
しかも、伴奏ピアニスト(チェンバロもある)として数学の教師、ログマンが合唱団に加わることになった。彼は大の音楽好きだったが、自分の趣味を生かす場がなくて閉口していたのだった。そこに、クレマンが合唱団をつくったので、大喜びで参加した。
とはいえ、あの権威主義者=ラシャンのやり口は変わらなかった。むしろ、合唱団の演奏会の成功を踏み台に県の教育界、さらには国家の教育界への進出を狙っていた。矯正寄宿学校の新たな運営方法の成功を理由に叙勲してもらえるように、伯爵夫人に働きかけていた。
学校運営・管理での息苦しさは相変わらずだった。
そんなわけで、初夏のある休日、ラシャンが出張しているのを幸い、クレマンはマクサンスとともに少年たちを近所の森にピクニックに連れ出した。マクサンスの提案だった。
■モンダンの復讐■
おりしもその日、モンダンは(ラシャンによって冤罪を着せられて入所していた)少年刑務所から脱走した。そして、憎いラシャンに復讐を誓っていた。
彼は、誰もいなくなった「池の底」学校に忍び込んで、校舎に放火した。ラシャンの権威や権力の表出の場になっている学校を燃やして破壊してしまえば、ラシャンを破滅させることができるとでも考えたのだろう。
燃え上がった寄宿学校。火事を発見して近隣の消防隊が駆け付けて消火活動をしたが、手の施しようもなく、寄宿舎はすっかり燃え落ちてしまった。
そのとき、ラシャンは県の教育委員会の幹部会で、伯爵夫人の推薦で自分の(叙勲の理由となりうる)功績をアピールしようとしていた。そこに、学校が全焼という急報が届いた。血相を変えてラシャンは学校に戻ることにした。
■クレマン、学校を去る■
学校に帰ってみると、休日寄宿舎にいるはずの生徒たちが誰もいない。火事の犠牲になったという様子もなかった。焦燥感に打ちのめされそうになっているところに、合唱しながら生徒たちとクレマン、マクサンスが戻って来た。
ラシャンは生徒たちの無事を喜ぶどころか、無断で生徒を森へのピクニックに連れ出したクレマンを責め立てた。学校にいれば、家事は防ぐことができたというわけだ。
マクサンスは自分がピクニックを提案したと言おうとしたが、クレマンは止めた。
そして、外出の責任をすべて引き受けることにした。そのくらいにラシャンのやり方に腹を立て、辟易していたからだ。
「重大な服務規律の違反だ。だから、クレマン、君を解雇する」とラシャンは言い出した。
やがて、クレマンが学校を去る日がやって来た。
だが、ラシャンは生徒たちにクレマンとの別れを惜しむ暇を与えなかった。授業中にクレマンを追いたてた。
それでも、あの悪ガキたちは、こっそり抜け出して見送ってくれるのではないかと期待していたクレマンは、誰の見送りに出てこないので、いささかがっかりした。
ところが、2階に教室がある建物の下を通ったとき、校庭にたくさんのメッセイジを書いた紙きれが落ちていた。拾い上げてみると、クレマンに感謝や惜別の気持ちを告げるものだった。あとからもどんどん落ちてくる。
教室から顔を出す生徒はいない。だが、別れを惜しむ手紙はどんどん窓から落ちてくる。
クレマンはそのうちの何枚かを拾い上げて、満足そうに教室の窓を見上げた。
これまでここでやってきたことは無駄ではなかった。そんな満足感が心をよぎった。
クレマンは森のなかを歩いて、バス停まで来た。バスがやって来た。
と、そこにペピーノがわずかな荷物を詰めたザックを背負って追いついてきた。
「ぼくを、連れて行ってよ。お願いだから・・・」切実に訴える。
「いや、だめだ。君は学校に戻れ」と告げて、クレマンはバスに乗った。
だが、クレマンはすぐにバスから降りかけて、「いいだろう、ペピーノ。いっしょに行こう」と声をかけた。
その後クレマンは、ペピーノを養子にしたのだろう。
「親が土曜日にぼくを迎えに来るんだ」と言っていたペピーノの予言は正しかった。というのも、ペピーノがクレマンと旅立ったのは土曜日だったからだ。
原題 Les Choristes(合唱隊、合唱団員たち:英題 The Chorus)
*海外の映画情報によると、この作品は1945年の《La Cage aux Rossignols(A Cage of Nightingales)》からの翻案らしいのだが、原案作品の内容については不明
見どころ
多くの人は人生に夢を描いて挫折する。だが、夢の破片がその後の人生の趣味や生き方として、生き残ることもある。そんな夢のかけらがもたらした努力で、出会った人びとは変わることもある。
物語の主人公は、かつて音楽家(作曲家か指揮者か?)を夢見て挫折し、その後、風采の上がらない私立学校(基礎課程)の教師となった中年男。小太りで禿頭、見栄えのしない姿。
彼はたまたま、日本でいえば「感化院」のような特殊な矯正学校の寄宿舎監を兼務する教師となった。何かの事情で親元=家庭から遠ざけられた少年たちが寄宿生活する学校で、それゆえ、子どもたちは何かと世をすねて反抗的だ。
新任教師、クレマン・マテュウは、荒れる少年たちを教導するために合唱団をつくった。担任クラスの生徒たちからなるコーラス隊だ。
少年たちは音楽の楽しさ、合唱の喜びに目覚めていく。
そんな少年の1人に、やがて有名な指揮者となるピエール・モーロンジュがいた。彼には、天性の豊かな音楽の才能があった。才能はクレマンに見出され開花していく。
無理解な大人や大人がつくる権威への反抗を繰り返してきたピエールは、まさに人生の転機を得ることができた。
だが、わずか半年ののち、学校にはいくつも事件や事故が起き、保身と権謀に長けた校長は、責任をクレマンに押しつけ、クレマンは解雇されて学校を去っていった。
どうでもいいことだが、学校の場所は《サンジャックへの道》で出発点となったフランス中央部の山岳地帯、ルピュイの近くの山間地の森のなかにあると思われる(物語の設定上ではなく、単にロケイションだけかもしれない)。
ただ、物語でもリヨンや南フランスに近い設定になっているようだ。
ところで、主人公、クレマン・マテュウの名前だが、マテュウとはキリストの使徒(弟子)のマタイ(マテオ)にちなむもの。虐待される生徒たちに連帯と救いの手を差し伸べる役割なので、名前の設定には、あるいは何らかの暗示があるのかもしれない。
彼の風貌は、アガサ・クリスティの《探偵ポワロ》から強すぎる自尊心を取り去ったような風貌だ。
1 「池の底」の回想
今では60歳ぐらいの有名な指揮者(マエストロ)となっているピエール・モーロンジュは、母ヴィオレットの死去の報を受けてフランス(母の家)に帰郷した。そんなピエールを同年輩の男が訪ねてきた。
男は「ペピーノだよ」と名乗った。幼い日のニックネイムだ。とはいっても、ピエールは本名を知らなかった。
ペピーノは1冊の日記帳を取り出してピエールに手渡した。クレマン・マテュウ先生からの遺贈品だと言って。
日記には、クレマンが1948年の冬に「池の底(Fond de l'Etang)」という特殊な寄宿学校に赴任した日からのできごとが記されていた。
「池の底」学校は、いわば問題児を収容教導・矯正する(はずの)公立の寄宿学校だった。
寄宿舎監が突如退職したためにポストに空きができ、クレマンが採用されたのだ。
最初に学校に赴いたとき、ゲイトで出会ったのは、まだ幼いペピーノだった。ペピーノは門柱に寄り添って、彼を迎えにくる両親を待っていた。だが、彼の両親は戦争のなかで殺されていた。その現実を理解できない、いや受け入れられないペピーノは、「土曜日になれば、両親が迎えにくる」と信じて待っているのだ。
■衝撃の実態■
クレマンは赴任した初日から、「池の底」という施設の衝撃の運営実態に直面することになった。
まず校長のラシャンはゴリゴリの権威主義者で、名誉欲と出世欲が深く、子どもたちに対しては自分の権威を暴力と威嚇を持って押しつけていた。学校の秩序と平穏は力と威嚇・強制をもって保つべきもの、と信じて疑わなかった。いや、それしか指導者としての方針をもっていなかった。
もっとも、1940年代、日本も含めて「先進諸国」の社会や学校の仕組みや運営体制は、そんなものだった。
ラシャンは、不妊のあいさつに来たクレマンにも、高圧的な権威主義者の顔を見せつけた。
力と威嚇による支配に対して、少年たちは陰湿で粗暴な反抗心を隠さなかった。
だから、子どもたちの粗暴ないたずら、それに対する報復としての厳罰という悪循環が繰り返されていた。
で、その日、用務員、ル・ペル・マクサンスが子どもの陰湿ないたずらに出会って顔に大けがをしてしまった。ガラスドアの鍵の周囲に太いゴムを巻いておいたため、ガラス板がはじけ飛んで、マクサンスの頭部を直撃したためだ。
「誰が仕かけたのか」を問いただすため、ラシャン校長は、生徒全員を校庭に集めた。威嚇と脅迫によって「犯人」が名乗り出るように命じた。誰も名乗り出ない。
そこで、ラシャンはクレマンに生徒名簿を手渡して「懲罰を与える生徒」を選ばせた。その子を反省独房に押し込んで、「真犯人」に名乗り出るように命じた。
事故の原因や因果関係、過程、解決の方法を考えることもなく、とにかく誰かに懲罰を加え「見せしめ」とする。これが、ラシャンの「教育方針」だった。
ほとんど教員たちも、ラシャンの方針に沿って指導・教育をしていた。
「やつら(生徒)に油断して背中を見せると、とんでもない目(マクサンスのように)にあう」というのが、教員たちのクレマンに対するアドヴァイスだった。
2 挫折を経験した者のプロテスト
さて、クレマンは若い頃に音楽家(作曲家や指揮者)をめざして地道な努力を積み重ねていた。だが、運やチャンスには恵まれず、逆境を乗り越えるほどの天才もなかった(かなり優秀ではあったようだが)。
まあ、多くの者が経験する人生の道ともいえる。
で、基礎学校(小中学校課程)で音楽の教師をしながら、身すぎ世すぎをしてきたようだ。
だが、挫折を味わった人間の滋味というか、卓越した洞察力と飄逸さを身につけていた。
そんな人物が、ラシャンという出世欲ゴリゴリ、自己顕示欲の塊のような校長が強圧的に支配する寄宿学校に赴任してきた。そして、初日からラシャンのファッショ的な学校管理・運営手法を目の当たりにした。
子どもたちを人間的・人格的に陶冶するという発想はどこにもなかった。荒れ狂う野獣を鞭を使って威圧して檻に閉じ込めて馴致するとでもいう手法だった。
■マテュウの手法■
生徒たちを強圧的に抑えつける対象としてではなく、個性ある人格の担い手と見るクレマンは、生徒たちの挙動や態度から正確や心理を見抜いていく。
あるきっかけから、マクサンスに大けがをさせた罠を仕かけたのが、問題児の1人、ル・ケレだと見抜いた。だが、クレマンはラシャンに対してそのことを告げなかった。威圧と反抗の連鎖では、問題が解決しなと信じたからだ。
その代わり、ル・ケレを問い詰めて「犯行の動機」を聞き出し、マクサンスの苦痛を説明した。ル・ケレは、悪さをマクサンスに注意されたことで腹を立てたからだというが、引き起こした事態の深刻さに怯え、深く反省していることはわかった。
だが、ここの少年たちには、自分の良心や憐憫を見せることが、自分の弱みをさらし、「敵につけ入る隙」を与える」だけだという心理にあるらしい。だから、自分の強さを見せつけるために、人一倍「悪ぶる」、粗暴な態度を見せることになる。つまり、ラシャンの心理の裏返しなのだ。
ル・ケレはラシャンによる懲罰を恐れていた。怯え切っていた。
そこで、クレマンは彼らしい「懲罰」を与えることにした。
病院での手術から戻ったマクサンスの看病と世話をすることで、自分の心のなかでマクサンスに「許しを乞え」というものだった。マクサンスの回復によって、許されるのだというわけだ。
クレマンは、粗暴な生徒に対する対処方法に「自分らしさ」をにじませていった。
かとえば、ピエール。
彼は、クレマンの授業初日に黒板に、クレマンを揶揄するような似顔絵を描いていたのを見つかった。クレマンは、叱りつける代わりに、似顔絵の腕前を誉めた。しかし、「今度は君が似顔絵のモデルになれ」と言って、教壇に立たせ続けておいて、クレマンがその似顔絵を描いた。
整った顔立ちだが嫌みな性格がにじみ出た似顔絵ができ上がった。
要するに、生徒の悪戯に対して、威圧的に叱りつけたり禁圧するのではなく、その逆手を取って反撃する(生徒の傲岸不遜な態度を揶揄する)手法を取った。
■合唱団の結成■
それにしても、クレマンは生徒たちの粗暴な態度を改め人格を陶冶し教養を身につけるための方法として、自分の得意な分野に取り込むことを考えた。きっかけは、寄宿舎の就寝房で夜中に生徒の数人がクレマンの悪口を歌にして歌っていたことだった。
自分への悪口の歌を聞きつけたクレマンは、悪ガキどもを見つけて歌を誉めた。
「もう一度歌ってみなさい」
「うん、なかなかいい声だ。いい音感をしている。
よし、決めた、みんなで合唱団をつくろう。いいね君たち」
その夜、クレマンは少年たちの合唱曲を作曲した。低音部、中音部、高音部を分けて。
翌日、クレマンは合唱団の結成についてラシャンの許可を得た。ラシャンは「まあ、よかろう」と言ったものの、「あの野獣どもが音楽を理解できるものか」と侮蔑の言葉をつけ加えた。
その日から授業時間の一部を使って、合唱の練習が始まった。
ラシャンが築き上げた厳罰と禁圧のなかにあったせいで、自己表現とか心から打ち込むことに飢えたいたせいだろうか、少年たちは、一方で悪さを繰り返しながらも、合唱に熱心に取り組みようになっていった。
■ピエール・モーロンジュ■
ピエールは美少年だった。だが、教師たちは「天使のような顔つきをした悪魔」と呼んでいた。粗暴さとツッパリ度合いは群を抜いていた。
彼は、クレマンの前では合唱団に興味がない振りをして冷笑的な態度を保っていた。
そんなピエールの母親、ヴィオレットがある日突然、息子に面会に来た。彼女は、いかにも美少年ピエールの母親と言えるほどの美女だった。
決められた面会日ではなかった。しかも、その日、ピエールは悪戯を理由に懲罰房に閉じ込められていた。
ヴィオレッタへの応対に出たクレマンは(ピエールの名誉を保ち、母親を悲しませないため)、ピエールが懲罰房に入れられていることを隠して、「歯痛で歯科医のところに診療に行っているので、今日は会えない」と説明して、ピエールに渡すはずの荷物を預かった。そして、次の訪問は面会の日にしてほしいと告げた。
そんなこんなで、クレマンはピエールと意思疎通する機会をつくり出した。というのも、ピエールは、誰もいない教室で楽譜を見ながらソプラノ部を歌っていたを見たからだ。見事なボーイズソプラノで、見事な音感だった。楽譜を正確に読む(歌唱で表現方法)を身につけていた(まあ、物語である)。
そして、クレマンはピエールに合唱でのソプラノ部(独唱部)をあてがった。
これによって、合唱の水準は一気に高まった。
3 波乱
しばらくしたある日、「池の底」学校に「札付きの問題児」とされた少年、モンダンが転入してきた。彼は、これまでもっと厳しい矯正施設にいたのだが、ある精神科医の仲介で「池の底」で教育を受けることになったのだ。
モンダンは素行に問題があったのだが、それ以上に周囲の大人たちから実際以上に悪く曲解されてきた。モンダン自身も、そういう大人の評価・差別に反発して、さらに反抗や非行を繰り返すことになったらしい。
モンダンが加わってから、この寄宿学校ではいろいろとトラブルが続いた。
教室でこれ見よがしに喫煙したり、授業を抜け出したり、教師に逆らったり。そして、ペピーノたちを脅して金を巻き上げた。教師の時計を盗んだりもした。やがて悪行は発覚した。
モンダンは懲罰房に半月入れられることになった。
クレマンは、体の大きいいモンダンの声自体(低音)が素晴らしいのを知って、合唱団のバリトン部に加えた。だが、機会を見つけては、モンダンは抜け出したり、逆らったりした。
■盗難事件■
合唱団活動によって、素行の悪かった少年たちの態度は目に見えて良くなっていった。ラシャン校長もそれを認めて、少しずつ規律を緩め、禁止事項を減らしていった。ラシャンはクレマンによる合唱団指導の成果を認めるようになった。
だが、そんな「春の日より」は長くは続かなかった。
ある日、モンダンが懲罰房を抜け出し学校から逃亡した。しかもその後、校長が管理していた学校運営資金がまるごと盗まれていることが判明した。ラシャンは、逃げ去ったモンダンが盗んだと決めつけて、警察に通報し捕縛を要請した。
やがて捕まったモンダンは少年刑務所送りになることになった。
しかし、まもなく金を盗んだのはモンダンではなく、コルバンという少年であることが判明した。にもかかわらず、ラシャンは事実を警察に伝えず、モンダンに窃盗の罪をかぶせたままにした。
学校の当面の運営資金を失ったため、ラシャンは教室の暖房を止めた。経費節約のために。
しかし、自分の報酬だけはたっぷり受け取って、近くに住む家族とともに贅沢な暮しをし、生徒たちにも見せつけた。
マクサンスはそんなラシャンのやり方に憤って、校長宅に蓄えてあった薪を学校の暖房用に盗み出して、暖房に用いることにした。
■解散させられた合唱団■
ラシャンの態度は少年たちの批判精神にも火をつけた。子どもたちは、合唱の手法でラシャンをからかう内容の歌詞の曲をつくり、校長室の外で歌い出した。合唱自体は素晴らしいできだったのだが、とにかく自分の威厳を取り繕うことに腐心する権威主義者であるラシャンは、怒りまくってクレマンに合唱団を解散させてしまった。
というわけで、表向きは合唱団は解散した。授業時間中には練習できなくなった。
だが、クレマンはラシャンが学校から退去した夜中、就寝時間に子どもたちの寄宿房で密かに合唱の練習を続けることにした。解散の危機に直面したことで、少年たちはいっそう熱心に練習に取り組み、いよいよ水準は上がっていった。
■ピエールとヴィオレット■
やがて面会日にピエールの母親、ヴィオレットが学校にやって来た。
美貌のヴィオレッタにクレマンは密かな憧れ(慕情)を抱くようになった。音楽の才能豊かなピエールの母親だという意識もあったかもしれない。
クレマンはヴィオレットに、ピエールの音楽の才能を高く評価していることを告げた。リヨンのコンセルヴァトワールに推薦するので、転校させて才能を磨くべきだとアドヴァイスした。
しばらくして、ヴィオレットが近くの町のカフェでクレマンに会いたいと連絡してきた。
クレマンは喜んで出かけたが、ヴィオレットは最近出会ったエンジニアと結婚すると告げた。だが、結婚相手の男は、ピエールとの同居に気が進まないようなので、コンセルヴァトワールの寄宿舎に入れようと思うとも。
淡い恋に破れたクレマンだったが、ヴィオレットにはピエールの才能を開花させるべく手を打つと約束した。
■合唱団の栄光■
「池の底」にはパトロンがいた。有力なパトロンの1人が、近くに城を持つ伯爵夫人だった。運営資金の寄付を受け、かつまた出世のためのコネを求めるラシャンは、日頃から伯爵夫人の歓心を買うことに腐心していた。
そんな彼女は、どこからかクレマンが指導する合唱団の噂を聞きつけて、合唱団の演奏会を学校で開くようラシャンに要請した。こうして、華々しい演奏会が開催されることになった。
伯爵夫人は影響力にものを言わせて近隣の教育行政機関の幹部やらサロンの仲間を引き連れて、学校に乗り込んできた。
ラシャンから隠れて夜中に練習を積んできた少年たちは、晴れの発表の場で張り切った。見事なコーラスが演奏された。
やがて、ソロのパートになった。ソロからはずされたと思って落ち込んでいたピエール。だが、クレマンから「さあ、君の出番だ!」というアイコンタクトを送られて、目いっぱい幸福感・達成感を感じながら美声を披露した。
合唱団の演奏会は大成功で、パトロンの伯爵夫人は大感激。
出世欲むき出しのラシャンはすかさず、「この合唱団は私の発案で始めたのです。素行や家庭環境に問題ある子どもたちでも、温かい指導によってどこまで到達できるのか、それを証明したかったのです」と自画自賛した。
クレマンはその言葉を驚きながら聞いていた。教師たちも、ラシャンのやり口に腹を立てた。
だが、クレマンは平静だった。
見栄っ張りのラシャンが自分の方針として合唱団をつくったと言明した以上、もはや解散することはないはずだと判断したからだ。
つまりは、ラシャンに「貸し」をつくって、合唱団活動をおおっぴらにおこなうことができる条件を得たのだから、それでいいというわけだ。
ところで、クレマンが発表会まで、練習ではピエールをソロからはずしておいたのは、ピエールの拗ねた態度への反省を迫るという意味もあったのだが、本当の理由は、自分にとって音楽がどれほど大切で切実なものかを考えさせるためだった。
4 離別の日
合唱団の活動は前よりも堂々と活発におこなわれるようになった。
しかも、伴奏ピアニスト(チェンバロもある)として数学の教師、ログマンが合唱団に加わることになった。彼は大の音楽好きだったが、自分の趣味を生かす場がなくて閉口していたのだった。そこに、クレマンが合唱団をつくったので、大喜びで参加した。
とはいえ、あの権威主義者=ラシャンのやり口は変わらなかった。むしろ、合唱団の演奏会の成功を踏み台に県の教育界、さらには国家の教育界への進出を狙っていた。矯正寄宿学校の新たな運営方法の成功を理由に叙勲してもらえるように、伯爵夫人に働きかけていた。
学校運営・管理での息苦しさは相変わらずだった。
そんなわけで、初夏のある休日、ラシャンが出張しているのを幸い、クレマンはマクサンスとともに少年たちを近所の森にピクニックに連れ出した。マクサンスの提案だった。
■モンダンの復讐■
おりしもその日、モンダンは(ラシャンによって冤罪を着せられて入所していた)少年刑務所から脱走した。そして、憎いラシャンに復讐を誓っていた。
彼は、誰もいなくなった「池の底」学校に忍び込んで、校舎に放火した。ラシャンの権威や権力の表出の場になっている学校を燃やして破壊してしまえば、ラシャンを破滅させることができるとでも考えたのだろう。
燃え上がった寄宿学校。火事を発見して近隣の消防隊が駆け付けて消火活動をしたが、手の施しようもなく、寄宿舎はすっかり燃え落ちてしまった。
そのとき、ラシャンは県の教育委員会の幹部会で、伯爵夫人の推薦で自分の(叙勲の理由となりうる)功績をアピールしようとしていた。そこに、学校が全焼という急報が届いた。血相を変えてラシャンは学校に戻ることにした。
■クレマン、学校を去る■
学校に帰ってみると、休日寄宿舎にいるはずの生徒たちが誰もいない。火事の犠牲になったという様子もなかった。焦燥感に打ちのめされそうになっているところに、合唱しながら生徒たちとクレマン、マクサンスが戻って来た。
ラシャンは生徒たちの無事を喜ぶどころか、無断で生徒を森へのピクニックに連れ出したクレマンを責め立てた。学校にいれば、家事は防ぐことができたというわけだ。
マクサンスは自分がピクニックを提案したと言おうとしたが、クレマンは止めた。
そして、外出の責任をすべて引き受けることにした。そのくらいにラシャンのやり方に腹を立て、辟易していたからだ。
「重大な服務規律の違反だ。だから、クレマン、君を解雇する」とラシャンは言い出した。
やがて、クレマンが学校を去る日がやって来た。
だが、ラシャンは生徒たちにクレマンとの別れを惜しむ暇を与えなかった。授業中にクレマンを追いたてた。
それでも、あの悪ガキたちは、こっそり抜け出して見送ってくれるのではないかと期待していたクレマンは、誰の見送りに出てこないので、いささかがっかりした。
ところが、2階に教室がある建物の下を通ったとき、校庭にたくさんのメッセイジを書いた紙きれが落ちていた。拾い上げてみると、クレマンに感謝や惜別の気持ちを告げるものだった。あとからもどんどん落ちてくる。
教室から顔を出す生徒はいない。だが、別れを惜しむ手紙はどんどん窓から落ちてくる。
クレマンはそのうちの何枚かを拾い上げて、満足そうに教室の窓を見上げた。
これまでここでやってきたことは無駄ではなかった。そんな満足感が心をよぎった。
クレマンは森のなかを歩いて、バス停まで来た。バスがやって来た。
と、そこにペピーノがわずかな荷物を詰めたザックを背負って追いついてきた。
「ぼくを、連れて行ってよ。お願いだから・・・」切実に訴える。
「いや、だめだ。君は学校に戻れ」と告げて、クレマンはバスに乗った。
だが、クレマンはすぐにバスから降りかけて、「いいだろう、ペピーノ。いっしょに行こう」と声をかけた。
その後クレマンは、ペピーノを養子にしたのだろう。
「親が土曜日にぼくを迎えに来るんだ」と言っていたペピーノの予言は正しかった。というのも、ペピーノがクレマンと旅立ったのは土曜日だったからだ。