猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 14 説経兵庫の築嶋 ⑤

2012年11月27日 17時03分25秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ひょうごのつき嶋 ⑤

 翌日、家包は、明月女を近付けると、

「私は、これから入道様の所へ行き、父上の助命嘆願をする。このことが叶わなければ、

その場で腹を切って、冥途の閻魔の庁で、お前を待っている。」

と、言い捨ててそのまま内裏に馳せ向かったのでした。家包は内裏に上がると、事の子

細を聞いたのでした。浄海は、重ねてこう言いました。

「三十人の人柱、十八人は男で、十二人は女と聞いておる。男十八人は、沖の方に沈めよ。

女十二人は、磯の方に沈めよ。それぞれの嘆きを、脇から眺めるのも不憫であるから、

一度にさっと沈めるように。」

 これを聞いた家包は、一度は思い切ったものの、肝も魂も消え果てて、いつ申し立て

をしようかと、まごまごしていましたが、いよいよ震える声でこう言いました。

「多くの人々の嘆きを押し分けて、申し立てることは、恐れ多い事ではありますが、三

十人目の人柱として召し捕らえられた修行者は、摂津の国難波入り江三松の形部左衛門

国春という者です。去年の秋、妻子に離れ、高野山にて遁世し、諸国修行をなされてお

りましたが、この浦を通って、三十人目の人柱となりました。この修行者の娘は、この

家包の妻ですが、父の最期を知って、父の命に替わろうとこれまで参っております。し

かし、流石に御前に上がることもできませんので、この家包が代わりに参って、申し上

げる次第です。」

浄海はご覧になって、

「何、あれはなんという訴訟であるか。人柱の行方を案内した者は、すべて人柱にすると

定めたはずじゃ。誰が、お前を手引きしたのか。おい、お前も考えてみよ。三十人の

人柱、一人を哀れみ取り替えたなら、末代までの恨みをどうするつもりか。そのような

ことをしては、治まりがつかなくなる。とはいえ、お前がこの浄海にじきじきに申し立て

することを不憫にも思うので、人柱の最期の時に会うことを許す。」

と、言い残すと、簾中に入られました。最期の瞬間に望みを託した家包は、面目を施し

て、宿所へと戻ったのでした。

 さて、とうとう人柱が沈められる日がやってきました。やがて三十人の者達は、一人

一人、牢輿に入れられて、浜へと運ばれ、一人一艘の舟に乗せられました。人柱に取ら

れた者の妻子、親類縁者が、近国他国より大勢集まって、あれが我が子か、我が父か、

兄弟かと、牢輿に縋り付いて嘆き、悲しみます。しかし、邪見な武士共は、笞を振るっ

て人々を追い払うのでした。今を限りのことですから、言いたいことは山ほどあります

が、近づく事も出来ずに、嘆き悲しむ姿は、目も当てられぬ光景です。

 さて、国春はといえば、二十九人の人柱とは別に厳重な警護に囲まれて牢を出ました。

家包が、軍勢を揃え、国春を奪還するかもしれないと考えたからです。姫君は、父は

何処と、心乱れて泣くばかりでしたが、乳母が後からやって来る国春に気が付きました。

「只今、参られるのが、父国春様ですよ。」

聞いて、明月女は、笠を放り投げると、諸人を掻き分けて一散に父の牢輿に駈け寄りました。

「のう、明月が参りました。私も一緒に沈めてください。」

と言おうとすれば、武士達は、笞を振り上げて追い返します。家包が、追い立てる杖に

縋り付いて、

「やあ、情けもない武士達よ。その人、一人は、面会が許された人であるぞ。」

と言うと、時の奉行上総の守は、

「やあ、静まれ。その人一人ばかりは、訴訟のある方である。少しの間、籠を置き、名

残を惜しませよ。」

と、取りなしてくれたのでした。やがて、牢籠は下ろされました。親子は互いに取り付いて、

さめざめと涙を流しました。束の間の対面ではありますが、念願の対面が叶い、喜びも

またひとしおです。ややあって、父国春は、涙ながらに、

「お前にもう一度会いたいという、志しがあったからこそ、あちらこちらを回って、こ

こまで来たのだよ。親が子を思う心と、子が親を思う心とは違うというが、このような

憂き目に会ったのは、子を思う親の心故のこと。まったく『子は三界の首枷』とは、よ

く言ったものだ。母は、お前への思いが深くて、終に死んでしまった。私も後を追おう

と思ったが、生きていれば又、お前に会えると思って、諸国修行の旅に出たのじゃ。

今、このような憂き目に会うのも、元はといえば、お前にせいなのだ。子は敵か宝かと、

善悪の二つを勘案するに、他人の子は宝であるが、お前は親の敵だな。そうは言ったも

のの、深く恨んでいる訳ではない。この年月、仏神に祈誓をしてきた利生(りしょう)が

あって、生きている内に、お前に会うことができたのだから、何より持って、嬉しいことだ。

このような運命を辿ると分かっていたのなら、母と一緒に長らえて、一緒に会うことができたなら、

どんなにか嬉しかったことか。しかし、このような浅ましい最期の姿を見せなければな

らないのは、なんと言っても恥ずかしいことじゃわい。まあ、それも運命、菩提を問う

て下され。それにしても情けない乳母であるな。このうように近くに居ながら、今まで、

便りのひとつもよこさないとは。」

と、掻き口説いて、流涕焦がれて悶えるのでした。いたわしくも姫君は、

「まったくその通りです。許してください、父上様。私も同じ海へとお供します。御手を

携えて、三途の川を渡り、死出の山を越えて、閻魔の庁へのお供をいたします。

 のう、いかに武士達。私も父上と一緒に、海に沈めてください。みなさんお願いします。」

と悶え焦がれて泣き崩れました。さらに、父国春が泣いては口説き、恨んでは泣く姿は、善知鳥(うとう:善知鳥安方の故事)が、流す血の涙に、勝るとも劣らない労しさです。

 それを見ている人達も、涙を禁じ得ません。このような哀れなことは見たこともないと、

流石に荒ぶる武士達も、皆、涙を流したのでした。上総の守は、この様子を見て、

「御嘆きはごもっともであるが、とても叶わぬことである。どうか、そこをおどき下さ

い、姫君。やあ、武士共。時刻が遅れてはならぬ。気を入れ直して、急げ。」

と下知すると、おうとばかりに、再び牢輿が持ち上げられました。明月女は、更に取り付いて、

「のうのう、情けもない人々よ、のう、しばし」

と、叫びますが、武士達は、姫を引き分けて、浜へと下りて行きました。

この人々の有様、哀れともなかなか、申すばかりはなかりけり。

つづく

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