猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 6 説経尾州成海笠寺観音之本地⑦終

2012年01月06日 10時11分56秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

かさでら観音の本地 ⑦終

 そうして、右大臣頼忠公は、菖蒲の前を初めとして、親子兄弟を伴って都へ戻ったのでした。

人々の喜びは、限りもありません。しかし、善光道心は、修業の道を捨てたわけでは有

りませんでした。比叡山四明ヶ岳に庵室を結ぶと、十一面観音を祀って肝胆を砕いて、

誠の仏道を求めました。

 ある夜半のことです。このご本尊は、善光道心の枕元に立たれました。

「如何に、善光。汝が心底、殊勝なり。明日より十七日間、四明の洞窟に籠もり、定(じ

ょう:禅定)に入るなら、必ず誠の仏を拝ませてやろう。」

と、鮮やかな仏勅を下されました。善光は、これは有り難いお告げと喜び、早速に四明

の岩屋に入り瞑想を始めました。

 ところが、ふと気が付くと、善光道心は、渺々(びょうびょう)たる野原の真ん中に

一人ぽつねんと立っているのでした。辺りを見てみると、道が六つあることに気がつきました。

どれが、浄土へ行く道だろうかと考え込んでいると、北の方から、白い犬が忽然と現れました。

白犬は、善光道心の裳裾をくわえると、北の方へと引っ張りました。それではと、北の

方に歩きかけますと、今度は、南の方から、黒い犬が飛んで出て、白犬を蹴散らすと、

さも懐かしげに善光坊にじゃれついて、狂い飛びはねます。白犬は、起きあがると、

牙をむいて黒犬に食い付きました。互いに血みどろの戦いを始めたのでした。白犬も

黒犬も、朱に染まって、組んず離れつ唸り合っている所に、今度は、大きな熊が現れました。

大熊は、黒犬を持ち上げると、ばりばりと二つに引き裂きました。やがて、大熊は、白

犬を先に立てると、行方も知れず消えて行きました。善光道心は、これを見て、いった

いどういうことなのか不思議に思い、考え込んでいましたが、やがて、どこからともな

く一人の僧が現れました。

「如何に善光。お前には、分からないのか。最前の白犬は、お前の昔の御台であるが、

現世に執着が深いため煩悩の犬となり、お前を見て喜び、連れて行こうとしたのだ。そ

こに現れた黒犬は、次の御台である。おのれの悪心のために、畜生道に落ちて、あのよ

うに昼夜に苦しみを受けているのだ。また、熊となって現れたのは、お前の下の水仕で

あった糸竹である。後の御台への恨みを晴らすため、あのように仇を討つのである。」

すると、その話も終わらぬ内に、二十歳ばかりの女が、鉄の鎖に逆さまにつり下げられ、

下からの猛火に焼かれて、燃え上がって消え去りました。善光道心は、あれは、なんで

すかと尋ねると、僧は、

「あれこそ、娑婆にあった時、夫の目を盗んで、道を踏み外して不義を働いたために、

無限に堕罪し、あのような苦しみを、未来永劫に味わうのだ。」

と、答えました。さらに今度は、獄卒どもが、三十余りの男の頭に、鉾を突き刺すと、

そのまま目より高く差し上げて、地獄へ向かって投げ捨てました。身の毛もよだつばか

りの光景です。僧は、こう言いました。

「あれは、先ほどの女と密通した男である。じゃによって、あのような苦を受けること

になったのだ。」

今度は、突然、辺りが光りに満ちて、紫雲がたなびき、音楽が聞こえてきました。花が

降り、阿弥陀如来が来迎されました。阿弥陀如来は、善光道心の二人の御台と糸竹を救

い取ると、神々しい光に包まれて天上へと昇りました。誠に有り難い次第です。さらに

その後、次のような仏勅がありました。

「いかに、善光。汝、娑婆に帰ったなら、尾州成海に堂を建て、それにまします観世音

を守護し、末世の衆生を救済せよ。」

善光道心は、感涙、肝に銘じて、五体を地に付けて、深く礼拝しました。それを見てい

た僧は、善光に打ち向い、

「これより、急ぎ四明に帰り、仏勅に従いなさい。さて、我こそ、お前が日頃より安置

する大悲観音薩埵(だいひかんのんさった)であるぞ。汝、善哉、善哉。」

と、言うとそのまま虚空に消えて行ったのでした。

 ふと、気がつくと、善光道心は、寂寞(じゃくまく)たる四明の岩屋にぽつねんと座

していました。誠に不思議な体験をしたものです。

 

 善光道心が悟りを開かれたという報を受けた頼忠公は、菖蒲の前を伴って、四明の

草庵を尋ねました。善光道心は、頼忠公にこう言いました。

「愚僧は、一度冥途へ行って参りました。御台達と会い、糸竹諸共、成仏する姿をつぶ

さに見聞いたし、また、阿弥陀如来の仏勅があり、この観世音のお堂を建立するように

命じられました。御身、よろしくこの仏勅のことを奏聞してくださらぬか。」

これを聞いた頼忠公は、それは尊い志と、それより、善光道心を伴って、内裏を目指し

て上がられました。頼忠公は、禁裏に上がると、事の次第を、初めから終わりまで、つ

ぶさに奏聞しました。御門はこれを聞いて、叡覧ましまして、

「珍しや道心。汝の仏道、堅固なる故、かかる奇特を拝むこと、誠に有り難き次第である。

申し出のように、急ぎ尾州成海に、御堂を建立いたせよ。」

と、御綸旨を下されました。

 こうして、尾州成海に御堂が建立され、人皇六十三代冷泉院卯月(旧暦4月)十八日

に、供養が執り行われました。導師善光道心は、高座に上がり、敬白の鐘を打ち鳴らすと、

「そもそも、この観世音菩薩は、忝なくも、聖者一同が、美麗に刻む、正真の尊様である。

信心微妙のご利益は、一度、歩みを運ぶ輩(ともがら)は、二世に渡り、無常菩提は疑

いなし。南無阿弥陀仏」

と、ご十念なされました。

 さてこそ、尾州成海、天林山笠覆寺(てんりんざんりゅうぶくじ)

 本尊、笠を召す故に、笠寺とも申すとかや

 天下太平仏法繁盛

 目出度しともなかなか、申すばかりはなかりけり

おわり

  天満八太夫・武蔵権太夫・太夫元重太夫 直伝

  未の五月吉祥日 伊東板

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