猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 14 説経兵庫の築嶋 ③

2012年11月25日 10時03分01秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ひょうごのつき嶋 ③

 何事も、隠し通せる事はありません。壁に耳、岩がものを言う世の習いです。行方知

れずの人々は、兵庫の浦の人柱に取られたということが知れ渡り、人々は、内裏に押し

かけました。これは、丹波の輪田の者、我は播磨の明石の者、また、交野(かたの)の

禁野(きんや)の者、あるいは伊賀、伊勢、尾張の者、口々に、助け給えと叫ぶ有様は、

まるで、冥途へ赴く罪人が、閻魔大王の前で冥官(みょうかん)の裁きを受けているようです。

これはまさに、現世の地獄と、関係のない人々も涙を流して悲しむのでした。これを

見たご一門の人々も

「例え、この嶋ができなくても、何の不足がありましょうか。沈む者も残る者も、深い

悲しみに包まれております。また未来の業ともなりますから、命を助けてください。」

と、嘆願しましたが、浄海は、

「何を言うか。一門の者共。この浄海の大願を妨げる無駄な詮議。

 国綱、庭にひれ伏す奴らを追い出し、固く錠を下ろせ。簡単に人を入れるでない。」

と、内心では腹を立てていた訳ではありませんが、その様に見せかけて立ち上がると、

床板を踏み鳴らして、

「この嶋を無益と思う者は、私の前から消えよ。浄海に教訓できる者など、この天下

にはおらぬ。」


と言い捨てて、音を立てて障子を閉めました。人々は、この様子を見て、厄神天魔が

来ても、この人を止めることは出来ないと諦めました。

 早く三十人の人柱を集めよとの厳命でしたが、二十九人を集めて後、恐れおののいた

人々は、誰も生田辺りに近づかなくなったので、最後の一人を残して、日が過ぎて行きました。

 さて、修業の旅に出た国春は、高野山で修業をした後、熊野、四国、九州と巡り、我

が子明月女の行方も捜しながら旅を重ね、やがて故郷近くまで戻って来たのでした。

とうとう、娘と会う事も出来ませんでした。何も知らない国春は、涙ながらに昆陽野の

辺りに差し掛かったのでした。これを見つけた平家の武士達は、これ幸いと、有無も言

わさず国春を絡め取ったのでした。かくして、人柱が三十人揃ったのでした。

 三十人の人柱の思いは、どの人も劣るということはありませんが、殊に哀れを留めた

のは、国春でした。

「このような事になると分かっていたならば、高野の峰に骨を埋めるべきだった。浮き

世に長らえていれば、いつかは姫に会えると、諸国修行を志したばっかりに、このよう

な憂き目を見ることよ。こんなに薄い親子の縁であるならば、どうして生まれてきたのだ。

せっかく子宝を授かったというのに、かえって敵(かたき)となるとは、なんと恨めし

い浮き世であることか。神も仏も無いのですか。今一度、我が子に会わせてください。

南無阿弥陀仏」

と、消え入るように泣くのでした。かの国春の心の内は、何に喩えるということもできません。

つづく
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