猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

第25回 全国地芝居サミットinあきる野 詳細決定

2015年03月25日 22時38分51秒 | お知らせ


菅生歌舞伎は、キララホール前広場に組み立てる、東京都有形文化財「菅生組立舞台」に於いて、演じます。
いつもの様に、やりますので、何時もの様に、飲み食い自由。おひねり投げ放題でお願いします。農村歌舞伎は、十年一日の如くやるものだと信じています。

菅生一座の上演日程を、ピックアップします。

5月2日(土) 10:30 喜三番叟  

        11:10 寿曾我対面 工藤館の場

        12:30 菅生組立舞台公開

5月3日(日) 10:00 絵本太功記 十段目



宜しく、ご予定下さい。雨天決行です。

八太夫会からの参加者は、以下の方々です。

義太夫節 太夫  野口令
     三味線 中田恭子

下座三味線    中田恭子
         石橋迪子

私は、主に囃子方、太鼓担当です。
尚、いつもの様に、笛は高崎さんにお願いしました。遠慮無く、下座黒御簾内にも顔出して下さい。
         


 

忘れ去られた物語たち 37 古浄瑠璃 小篠⑥終

2015年03月25日 15時00分04秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
こざさ⑥終

 加藤兵衛祐親(すけちか)は、兄弟の若に、
「私が計らって、命を助けたいとは思うが、私の一存ではどうにもならぬ事。御上にお伺いを立てて来る間、暫くお待ちなさい。」
と言うと、関白大臣の所へ行き、ことの次第を言上するのでした。
「本日、仰せつかった兄弟の者達ですが、親の敵討ちの申し出があり、母親が来て、歎く有様は、まったく目も当てられぬほど哀れな次第です。如何取りはからいましょうか。」
関白は、これを聞いて、
「それでは、取りあえず戒めの縄を解いて、これに連れて参れ。」
と、命じました。やがて、兄弟の者達が、関白の前に連れて来られました。関白は、詳しく話しを聞くと、
「おお、なんとも、可哀想な事をしたな。幼い兄弟であるから、うまく申し開く事もできなかったのであろう。それでは、わしが替わって奏聞してあげよう。」
と言って、直ぐに奏聞をしてくれたのでした。御門は、
「そういう事であれば、急いで、国友の庄を取り返すが良い。」
と、三百余騎を下されました。兄弟の若達は、喜んで、早速に長谷へと攻め下りました。兄弟は、国友の城を、二重三重に取り囲むと、
「如何に、人々、聞き給え。御門の御宣旨によって、この庄をいただいた。速やかに、城を引き渡せ。さもないと、怪我するぞ。」
と、呼ばわりました。国友の勢は抵抗もせずに降参し、目出度く城を取り戻すことができたのでした。兄弟が、再び参内して、奏聞すると、御門は、
「おお、それはよくやった。それならば、父の跡、長谷を取らするぞ。」
と、御綸旨を下され、兄の梅若を、衣笠将監家継に叙されました。兄弟が目出度く大和長谷に帰国すると、兄弟は、兵庫の女房に、金五百両を褒美に取らせ、館を建て直して、再び栄華に栄えたということです。

上古も今も末代も
例し少なき次第とて
貴賤上下押し並べて
感ぜぬ人ぞなかりけり

とらや左衛門

おわり

忘れ去られた物語たち 37 古浄瑠璃 小篠⑤

2015年03月25日 14時14分44秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
こざさ⑤

 兄弟の形見を持って小篠は、黒渕へと急ぎました。やがて、御台様に形見の黒髪を届けたのでした。御台様は、驚いてこの形見を取り上げると、
「兄弟の若達は、都へ曳かれていったのですか。それでは私も、京の都へ行き、若達の最期を見届けましょう。」
と言って、取る物も取りあえず、市女笠で顔を隠して、小篠一人を共として、京を目指して旅立ちました。御台様は、兄弟の姿を求めて、あちらこちらと彷徨っている内に、京童(きょうわらんべ)の声を耳にしました。
「今日、六条河原で、幼い兄弟の成敗が行われるってさ。見に行こうぜ。」
御台様は、これを聞いて、
「さては、今日が若達の最期か。」
と、子供達の後を追って、六条河原へ向かうのでした。
 さて、六条河原では、既に兄弟が引き出され、敷皮に西向きに座らされています。加藤兵衛が、
「さあ、若共。最早、最期の時だぞ。念仏申せ。」
と言うと、兄弟の人々は、群衆に向かって、こう告げるのでした。
「やあ、見物の方々、聞き給え。そもそも、我々兄弟は、山賊でも盗賊でも無い。親の敵を討ったので、このように成敗を受けるのだ。名誉の死をご覧下さい。さあ、太刀取り殿。早くお願いします。」
加藤が、後ろに回って、太刀を振り上げると、その時、御台様が走り出でて、加藤の腕に縋り付くのでした。御台様は、
「どうか、お待ち下さい。この兄弟は、どのような罪科を犯して、成敗されるのですか。」
と叫びました。加藤兵衛は、
「この者達は、和州長谷の国友を殺したので、成敗されるのだ。」
と言って、御台様を押しのけました。御台様は、尚も取り付いて、
「のう、のう、太刀取り殿、聞き給え。その国友を討ったのは当然の事。国友は、この兄弟にとっては、親の敵。親の敵を討った者は、陣の口(※大内裏外郭十二門のひとつ)さえ、許されると承るのに、どうして成敗されなければならないのですか。こんなに幼い者達を、どうして殺さなければならないのですか。どうかお助け下さい。」
と、醒め醒めと泣くのでした。兄弟はこれを聞いて、
「おお、これは、母上様ですか。草葉の陰で、父上様も、さぞお喜びの事と思います。これが宿業と諦めて、どうかお帰り下さい。」
と、言うのでした。加藤兵衛は、これを聞き、
「何と歎こうと、綸旨に叛く事はできないぞ。さあ、早く帰れ。」
と言いますが、御台は更に諦めず、涙ながらに懇願するのでした。
「まだ幼い兄弟ですから、どうか二人を助けて、代わりに私を殺して下さい。それが叶わないのなら、この兄は助けて、弟だけを殺して下さい。お願いします。」
加藤兵衛は、これを聞き、
「何、不思議な事を言うものだな。人は、『血の余り』と言って、末っ子を可愛がるものだが、どうして、兄を助けて、弟を切らせるのか。」
と、聞き返しました。御台様は、
「太刀取り殿。どうぞお聞き下さい。この兄は、私にとっては継子で、弟は私の実子です。弟を助けて、兄を切るならば、草葉の陰の彼の母が、継子が憎くて切らせたなと思われるに違いありません。そのような恥はかきたくありませんので、仕方無く、弟の方を殺してもらいたいと、お願いしているのです。」
と、再び泣き崩れました。やがて、御台様は、涙を抑えて梅若殿に近付くと、
「梅若よ。お聞きなさい。私が継母とは、今まで知らなかったことでしょう。悲しいことにあなたが二才の春の頃に、あなたの母様は亡くなられたのです。その後添えが私ですが、あの桜若ができても、私は、分け隔て無く育ててきたつもりです。今更、継子継母のことを聞かされて、無念にお思いかもしれませんが、これも、あなたを助けてお家を再興してもらう為ですよ。」
と、聞かせるのでした。続けて御台様は、泣きながら、
「桜若よ。この母を恨みと思うなよ。継子すら憎まないのに、なんでお前を憎いと思うか。ああ、身も心も苦しや。さあ、母諸共に、切って下さい。」
と居直って、少しも引き下がりません。太刀取りの加藤も、その場に居合わせた者達も、堪えきれずに共に涙に暮れました。とうとう、加藤兵衛は、
「物の哀れを知らない者は、木石と変わらない。成るか成らぬかは分からないが、今一度、御門に奏聞してみるから、皆々、一先ず引き下がれ。」
と言って、処刑を取りやめたのでした。兎にも角にも、この人々の心中は、哀れともなんとも言い様がありません。
つづく

忘れ去られた物語たち 37 古浄瑠璃 小篠④

2015年03月25日 12時35分01秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
こざさ④

 兄弟を殺した国友は、兵庫の女房を、再び呼んで、
「さて、正成の妻は、何処にいるのか。正直に申せ。」
と、迫りました。女房は、
「さればです。御台様がご存命であるのならば、どうして注進などいたしましょうか。御台様は二十日前にお亡くなりになられました。」
と、答えたのでした。国友は、
「成る程、お前の注進は、山程有り難く思っておるぞ。この度の褒美である。」
と言って、謝金百両を下されました。しかし、女房は受け取らず、
「このような金銀をいただいても、誰に与える者もありません。お情けを懸けていただけるのなら、どうか、下の水仕に召し使って下さい。」
と、願い出るのでした。国友は、これが兵庫の女房の企てとも知らず
「おお、そういう事であるのなら、良きに目を掛け、使ってやろう。これより、お前の名前を、『小篠の局』と付けるぞ。」
と、答えたのは、既に運の末というべきでした。小篠は、人の仕事まで自分で引き受け、人の嫌がる仕事も進んでやったので、国友のお気に入りとなり、彼方此方と召し使う様になりました。ある時、小篠は、
「申し、我が君様。私が浪人していた時に、吉野の権現様に大願を懸けました。そのお礼にお参りをしたいと思うので、少しの暇をいただけませんでしょうか。」
と、申し出ました。国友は、すっかり小篠を信用していましたので、
「おお、神の事であるのなら、どんな用事よりも大切だ。早く行って来なさい。」
と、すんなりと許しました。
小篠は喜んで御前を罷り立つと、早速に長谷を出て、黒渕へと急ぎました。黒渕に着くと、兵庫の女房は、
「どうぞ、ご安心下さい。難なく敵を謀りました。」
と、御台様に告げるのでした。御台様は、
「如何に、主君への忠心とはいえ、我が子を殺し、後に残って悲しまない親があるはずがありません。いつの日にか、この若達が世に出たなら、必ずお礼の恩賞を授けますぞ。女房よ。」
と、すがりつくのでした。女房は、毅然として、
「どうぞ、そんな心配はおやめ下さい。私が、敵の内に潜り込みました以上は、必ず本望を遂げていただきます。」
と言うと、暇乞いをして、立ち上がりました。兄弟の人々は、門送りに立って、
「女房殿。必ず親の敵を討たせて下さい。万事よろしくお願いします。」
と、頼みましたので、女房は、
「良き時を見計らって、必ず、討たせてあげますので、ご安心下さい。明日の夜半に必ず、長谷の館に来て下さい。」
と、答えました。兄弟は喜んで、
「おお、明日は、幸い、父の三年忌です。父上の孝養の為に、敵を討つぞ。」
と息巻きました。女房は、
「必ず、お出でください。」
と言い残して、長谷へと帰って行ったのでした。
 さて、長谷に戻った小篠は、いつものように仕えています。翌日の夜半、小篠は、じっと兄弟が来るのを待ち受けていました。やがて最期の出で立ちを整えた兄弟達がやってきました。小篠は、
「お待ちしておりました。さあ、いよいよ念願の時です。慌てて、し損じなどなさらぬように。さあ、こちらです。」
と、国友が寝ている部屋へと案内しました。
「さあ、早くお討ち下さい。」
と、小篠が言うと、兄弟は、喜びましたが、
「女房殿、私たちは、母上様に暇乞いをしておりません。どうか、これよりお帰りになって、この黒髪を、兄弟の形見として届けて下さい。」
と、言うのでした。女房は、命令に背くことはできず、泣く泣く黒渕へと帰って行くのでした。さて、それから兄弟は、国友の枕元に立って、
「やあ、如何に、国友。大事の敵がありながら、このようにすやすやと寝られるのか。起きろ起きろ。」
と、言うや否や、髪の毛を掻い掴んで、引き起こしました。国友は、枕刀を抜いて起き上がろうとしましたが、桜子が切り付けて、梅若殿が国友の首を討ち落としました。それから、日頃の恨みを晴らそうと、国友の死骸を、散々に切り裂くのでした。
 この騒ぎに、目を醒ました侍達は、前後不覚の大騒ぎとなりましたが、やがて、兄弟は高手小手に捕らえられました。兄弟は都に連行されて、仇討ちの件が奏聞されたのでした。御門は大変ご立腹されて、
「明日の午(うま)の刻、六条河原で処刑せよ。」
と命じられ、処刑人を加藤兵衛に任じました。牢屋に入れられた兄弟の心の内は、哀れとも何とも、言い様がありません。
つづく