猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語 30 古浄瑠璃 生け捕り夜討ち ⑤

2014年04月23日 19時32分39秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

いけとり夜うち ⑤

 秋友を流罪にした後、内裏では、秋友の一子、弦王丸の処分について詮議がありました。国家の安泰に関わる罪であるので、斬首との宣旨があり、平の権守正道(ごんのかみまさみち)が、勅使に立つ事になりました。勅使の一行は、大勢の供を連れて、大和の国へと向かったのでした。権守正道は、大和の国吉野郡(奈良県吉野町)に着くと、矢口の四郎友定に、弦王丸を出頭させる様に命じました。友定が、弦王丸に、勅使の到着を告げると、若君は、暇乞いの為、母上の所に来て、

「私には、詳しいことは何も分かりませんが、父の事を尋問したいので参内するようにとの勅命です。天君が私の命を奪う様な事はありませんから、ご安心下さい。」

と、死罪を言い渡されたことを隠しました。母上は、

「しかし、あなたは、幼い時に初冠(ういこうぶり)を許されて参内していますから、人々から足を引かれない様に、気を付けなさいよ。お父上が、日頃より申されていた事には、『宮門は広いが、落とし穴も多いと常に注意を払いなさい。大床を歩く時には、薄氷の上を歩くと思いなさい。玉体を拝せば、役人どもに不満がつのります。』とありました。何事にも心を低く保って、父上様の事を申し開くのですよ。そして、早くお帰り下さい。」

と、気遣うのでした。その時、迎えの武士達が、遅いとばかりに踏み込んで来ましたので、弦王丸は、母上に悟られないようにと、さっと立ち上がって暇乞いすると、表へ急ぎました。付き従うのは、友定兄弟です。御台所は、慌ただしい旅立ちを見て、いぶかしげに表に出てみると、まだ残っていた武士達が、こう言って嘆いているのでした。

「ああ、まだ幼い、花の様な若君が、打ち首にされるとは・・・」

これを聞いた御台所は、驚いて飛び上がり、

「ええ、行かせてはなりません。弦王丸。もう一度、顔を見せなさい。」

と、走って追いかけるのでした。しかし、到底追いつきません。御台様は、道端に倒れ伏して泣くばかりです。その時、乳母は、

「東大寺の行恵僧正(ぎょうえ:歴史的該当者不明)という方は、慈悲第一の御方と聞きますので、その方にご相談なさっては如何ですか。」

と、言うのでした。そこで、泣く泣く、東大寺へと向かったのでした。すると丁度、僧正は法事に出掛ける所でした。御台様は、僧正を見るなり、言葉も詰まって只々泣き崩れるばかりです。僧正は不思議に思って、

「一体、どなたですか。どうぞ御名乗り下さい。」

と、声を掛けました。御台様は、

「この国の守護であった秋友の妻であるが、夫の秋友は、日向という所に流罪となり、後に残った弦王丸は、たった今、武士達に連れて行かれ、首を刎ねられるというのです。どうか、息子の命ばかりはお助けいただき、出家にさせて下さい。」

と、涙ながらに訴えるのでした。僧正は、

「むう、そういうことですか。それでは先ず、あなたは館にお戻り下さい。」

と言うので、御台様は、泣く泣く館へお戻りになられましたが、僧正は、一人で、勅使権守正道の宿所へと向かったのでした。僧正は、正道と対面すると、こう言いました。

「秋友の一子、弦王丸がここに居ると聞きました。愚僧に、一目会わせて下さらんか。」

正道は、お易いご用と、弦王丸を僧正に引き合わせました。労しいことに弦王丸は、二つ折りの狩衣に黒木の数珠を手にして、俯くばかりです。僧正は、この様子をご覧になると、正道に、

「むう、前世の因縁もありましょうが、何とか出来るかも知れません。どうか、刑の執行まで、三日の猶予を戴きたい。」

と、言うのでした。これを聞いた正道は、

「おお、それはそれは、私も、今朝には、首を刎ねるべきところでしたが、余りに不憫で、延び延びとなっておりました。それでは、三日間は待つことにしましょう。しかし、三日を過ぎてしまった時は、残念ながら刑を執行いたします。この正道を恨まないでください。」

と、堅く約束をするのでした。さてそれから、僧正は、急いで都へ向かいました。都に着いた僧正は、直ぐにでも参内しようとしましたが、宮廷は三日間の物忌みとなっており、特に僧尼の院参は叶いませんでした。仕方無く、僧正は三日間、宿所で待つ外ありませんでした。

 さて、大和の国で僧正の帰りを待っていた正道は、矢口の四郎友定を呼ぶと、

「僧正との契約の三日は既に過ぎ、今日は最早、五日目となる。如何に僧正と言えども、お許しの宣旨は得られなかったのであろう。我々も、これ以上、猶予しておくことはできない。

残念ではあるが、上野河原(奈良県五條市上野町)にて、刑を執行することにする。さあ、ご用意下さい。」

と命ずるのでした。友定は仕方無く、弦王丸にその由を伝えました。若君は、躊躇無く、、

「予てより、分かっていたことです。さあ、直ぐに参りましょう。」

と言うと、先に進んで上野河原へと向かいました。お供するのは友定兄弟です。上野河原に着くと、弦王丸は、敷皮の上に、西向きに引き据えられました。今こそ最期と、弦王丸は、友定兄弟を近づけて、

「是まで、長い間、良く奉公してくれました。このように首を刎ねられたことは、絶対に母に言ってはなりません。僧正の勧めにより、都へ上がったと伝えて下さい。その内、分かってしまうかも知れませんが、一旦は、お心を休めさせてあげましょう。さあ、もうよい。館に帰りなさい。」

と、別れの言葉掛けをするのでした。友定は、弟の友清に向かい、

「わしは、今更、館に戻っても仕方無い。弟よ。お前も若君のお供をしたいのだろうが、若君のお供は、お殿様の御遺言により、わしと決まっておる。お前は、館に戻り、御台様を宜しくお守りして貰いたい。分かったな。」

と跡を託すのでしたが、友清は、

「いやいや、兄上こそ、館にお戻り下さい。私が若君のお供をいたします。」

と言い張るのでした。兄弟は、互いに譲らず、言い争いを始めました。若君は、

「二人とも、何を愚かな。冥途の旅のお供よりも、この世にいらっしゃる父上を、再び出世させることこそ、郎等の勤めであろう。何の罪も無いこの身ではあるけれど、このような罪を背負うのも前世の因業が重いからなのだ。十二因縁の流転は、その人間の本性に関わることが原因であるから、供をすることなどできないのだよ。十二の因縁のその始めは、無明と言う。無明とは、前世で起こした悪心から生ずる。二つ目は、行という。無明や行の結果によって、流転していくのが人間であるから、例え災難に遭うとしても、夢の中で夢を見ているようなものだ。そんなに嘆くのはやめなさい。それよりも、一日も早く、父上を再び出世させて、私の供養をして下さい。館に帰れと言うのに、帰らないのであれば、永久に勘当します。」

と、泣く泣く、友定兄弟を諫めるのでした。この有様には、警護の兵達も、涙を流さずにはいられませんでした。しかし、勅使正道は、自らを励ますと、太刀を抜いて立ち上がりました。いたわしい事に、弦王丸は、自ら首を差し延べて、最期の時を待つのでした。正道は、それは勇猛な武士ではありましたが、太刀を握り締めて、わなわなと涙で震えるばかりです。正道は、今にも僧正が帰って来るのでは無いか、早く来いと、縋る様な眼差しを、上野の山の方に泳がせるのでした。すると、御門の御教書を首に掛けた僧正が、走ってやってくるのが見えました。走り付いた、僧正は、御教書を正道に渡すのでした。正道が開いてみると、

『大和の住人、守屋の判官が一子弦王丸。僧正の申し出により、命を助けるなり。』

との宣旨でした。正道は、御教書を巻き納めると、

「最早、命は助けるぞ。弦王丸。」

と宣言しました。まったく夢のようですが、若君も友定兄弟も手を合わせて、ほっとするのでした。正道は、重ねて、

「さあ、もう嘆くのはやめなさい。私も都へ戻って、お父上の恩赦にお力添えいたしましょう。」

と言って、都へ戻って行きました。まったく、弦王丸のお命は、危うい所でありました。

つづく

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