猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語 29 古浄瑠璃 小大夫(3)終

2014年04月03日 15時19分08秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

大ぶ下巻 6段目 (3) 終

 そうして、小太夫は、安綱との計画の通り、源蔵のお気に入りになるように、日々努力したのでした。やがて、源蔵の信頼を勝ち取った小太夫は、とうとう牢屋の鍵を預かることに成功しました。小太夫は、これは天の導きだと喜んで、

「南無や諸方の仏神三宝。科無き我が主君をお助け下さい。」

と、朝夕に祈りながら、救出の機会を窺うのでした。ある激しい雨の夜のことです。源蔵は小太夫を呼んで、

「雨風が激しくなってきたから、番の者に、警戒を怠らぬ様に申し付けるように。」

と命じました。小太夫は、

「そうであれば、酒を少しいただけますか。」

と聞きました。源蔵は、尤もと思い、酒や肴を小太夫に持たせました。小太夫は、喜んで早速、牢に押し入ろうと、牢番のところまで来ますと、番の者は、高鼾で眠りこけているではありませんか。小太夫は、ひょっとしたら、狸寝入りで騙そうとしているかも知れないと思って、声を掛けてみました。

「もし、番の者。大事の番をする者が、眠りこけていて良いのですか。さあ、起きなさいよ。」

しかし、答えはありません。どうやら、本当に居眠りをしている様子です。小太夫は、意を決して、牢の傍へと立ち寄りました。小太夫が、

「朝正殿はおいでですか。」

と、声を掛けると、中から、

「私です。」

と、答えがありました。朝正殿は、終夜、念仏をして過ごされて居たのですが、こんな真夜中に女の声を聞いたので、不審に思い、

「何者じゃ。」

と言うと、

「安綱の妻です。」

という返答です。朝正は、驚き喜んで、牢の格子から手を延ばします。小太夫も、嬉しさの余り涙が止まりません。朝正が、

「おお、我が子供達は、貪欲不道の景信に殺されてしまったか、それとも落ち延びたか。」

と、涙ながらに尋ねますと、小太夫は、

「ご安心下さい。若君達は、安綱が御共いたしまして、碓氷峠に落ち延びられました。」

と答えるのでした。これを聞いた朝正は、

「牢から出さえすれば、直ぐにでも、子供達を出世させてあげられるのに。」

と悔しがるのでした。そこで、小太夫は、慌てて鍵を取り出すと鍵を開け、牢の扉を押し開くのでした。しかし、長い間閉じ込められていた朝正は、ようやく牢から這い出でましたが、一人で歩くこともできませんでした。小太夫が、後ろから支えて抱え上げて、よろよろよろと門外へ脱出するのでした。とある木の根元に、ようやく辿り着くと、小太夫は、

「安綱殿。夫の安綱殿は、おいでですか。」

と、大声で夫を呼びました。その声を聞き付けて安綱は、森の陰から飛んで出でると、主君朝正殿と抱き合って、喜び合いましたが、小太夫は、

「急いで下さい。安綱殿。こうなることは、予定したことではありませんか。さあさあ、直に追っ手が掛かります。泣いてる場合ではありません。早く逃げましょう。」

と急かせました。安綱は、朝正殿を背負い上げると、飛ぶ鳥の様に、上野へと駆け抜けて行ったのでした。

 脱獄を知った源蔵は、

「やあ、さては小太夫に騙されたか。おのれ、このままにしてはおかぬぞ。」

と景信に、報告をしました。景信は、立腹して、

「都へ上らせてはならぬ。」

と、追っ手の勢を差し向けるのでした。

 さて、一方朝正殿は、安綱夫婦のお供で、碓氷峠までやってきました。すると、三人の夜盗の者と出くわしました。安綱は驚いて、

「何者か。」

と、咎めましたが、夜盗の者は、こう答えるのでした。

「いやいや、私どもは、怪しい者ではありません。碓氷峠におられます御台所や若君達に食べ物を届け、炊爨(すいさん)のお手伝いに参る者でございます。」

安綱は、聞いて、

「おお、それは有り難いことじゃ。ご苦労、ご苦労。それでは、一緒に参ろう。」

と、道を急ぐのでした。庵に着けば、涙涙の親子の対面となりました。やがて、朝正は、

「あの三人は何者なのだ。」

と聞きますと、若君は、父に、是までのことを話して聞かせるのでした。朝正は、これを聞くと、

「さては、あなた方は人間ではありませんね。」

と平伏し、手を合わせて夜盗を拝むのでした。夜盗達は、

「これはまあ、光栄なことです。先ず、此の度は、都へ上洛なされて、科の無いことを奏聞なされ、帰国して敵を討ちなさい。私たちも、甲斐甲斐しくお供いたしましょう。」

と、答えるのでした。しかし、安綱は、

「皆様方のご意見もご尤もですが、景信の勢が迫って来るでしょう。私は先ず、回文を回して勢を募り、敵を討った後に上洛した方が良いと存じます。」

と言うので、朝正もそうすることにしました。やがて、夜盗の三人は、回文を持って触れ歩きましので、かつての郎等達が、雲霞の如くに集まって来るのでした。其の数は、一日一夜にして、一千余騎を数えました。これに勢いを得た朝正殿は、強者どもを率いて下野へと進軍を開始しました。

 さて一方、景信の軍勢は、朝正を追っかけて都方面へと進軍中です。碓氷峠から下りてきた朝正の軍勢は、これを見つけ、鬨の声をどっと上げました。朝正殿は、一陣に進み出で、

「やあやあ、景信。我が儘放題やってくれたな。追討の宣旨により、ここまで押し寄せて参った。さあ、武士らしく腹を切れ。」

と呼ばわれば、景信は、

「なんだと、そういうお前は朝正か。長い間の牢屋暮らしは、ご苦労であった。逃げ出した朝正の息の根止めるために、わざわざ来てやったぞ。さあ、討ち取れ者ども。」

と下知するのでした。景信の軍勢は、我も我もと襲いかかりますが、ここを先途と、大太刀を振るう安綱の敵ではありません。朝正軍の方が圧倒的に多勢だったので、景信はあっけなく敗走しました。やがて景信は捕らえられて、囚人として都へ連れていかれたのでした。

 都に到着すると、直ぐに参内しました。これまでの事柄を奏聞しますと、御門は、

「景信の我が儘は明白。景信の処分は任せる。嫡子朝春は親孝行であるので、三位の中将を与える。」

とのご叡覧でした。人々は、宿所に帰ると、早速に景信の首を刎ねました。それから朝正は上野へと戻り、また館を建て直しました。昔の家臣達も皆戻り、朝正殿にお仕えしたので、門前は、馬の立つ場所が無い程に賑やかに栄えたということです。例し少ない出世だと、感心しない者はありません。

おわり

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