目連記(八文字屋八左衛門板)④
さて、一方がくまん殿は、父母の教えに従って、日夜の学問を怠らずに日々を送って
おりましたが、光陰矢の如し、巡り来る春秋を迎え送りして、今は早、御年十五歳になられました。
がくまん殿はある時、不思議な夢を見ました。王宮の母上が病気になり亡くなってしま
うという夢でした。がくまん殿は、正夢かと思いつつも、とにもかくにも戻って来いと
いう知らせと思い、都へ帰ることにしました。しかし、都を出る時に、母上から、僧に
なってから帰れと言われていたので、まず羅漢の所に行って、出家を願いでました。
羅漢は、これを許し、「羅卜」(らぼく:目連の本来の名)と名付けられました。
羅卜は、解脱の衣を召され、三重の袈裟を掛け、その伝法四依(でんぽうしえ)のお姿
は、誠に有り難い限りです。やがて、羅卜は心細くも只一人、墨の衣に身をやつし、一
女笠(いちめがさ)で顔を隠して、細い竹の杖を突いて耆闍崛山を後にしたのでした。
ようやく都の王宮に辿りついた羅卜は、早速に父大王に会いに行きました。大王は、
息子の帰京を驚きこそしましたが、押し黙って、やがてさめざめと涙を流しました。
不思議に思った羅卜は、
「私は、父母の教えの通りに僧となって、今戻りました。それを喜んでいただけずに、
お涙を流していらっしゃいますのはどうしてですか。」
と、聞きました。大王は涙の暇より、
「それは、外でも無い。お前の母が、七日前に亡くなったのだ。」
と、言えば、はっとばかりに羅卜も、なんということだ間に合わなかったのかと、父の
袂にすがりついて、消え入るように泣き崩れました。その座の人々も、げに道理、理と、
一度にどっと泣くばかりです。いたわしの羅卜は、涙の暇よりこう口説きました。
「父、母に再びお目に掛かると、固く誓ってきたのに、今はもう夢となってしまったか。」
羅卜は、天を仰ぎ、地に伏して、さらに嘆き悲しみました。
そこに、衣一巻が運ばれてきて、母上の御形見であると、渡されました。羅卜は、こ
の衣をご覧になって、
「これは、有り難や。母上が私のために心を尽くして織ったこの衣も、最早、形見とな
ってしまったのですね。」
と、さめざめと泣くのでした。やがて、羅卜自らが読経して、しめやかに弔いが行われました。
母の葬儀が終わると、羅卜は、
『これからは、釈尊を頼み、さらに仏道修行を極め、父母の御ため、末世衆生に至まで
助けよう。』
と、思い定めると、大王に暇乞いをして、再び只一人、檀特山へと帰って行きました。
羅卜の心の内、哀れとも中々、申すばかりはなかりけり。
つづく
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