てんとう虫の歳時記 2

主に狭山丘陵の野鳥、昆虫、植物などを写真を中心に綴ります。

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2013年04月12日 21時46分09秒 | インポート








都立薬用植物園にて撮影。

  従来は種からの栽培しかできなくて正に「高嶺の花」であったが、戦後に芍薬を使用した接ぎ木が考案され、急速に普及した。
とある。
文学や絵画にも盛んにとりいれられたとある。
ウイキペディアより抜粋。
  • 『蕪村発句集』与謝蕪村は関西出身の俳人で、牡丹の句を多く残した。
    「牡丹散(ちり)て打かさなりぬ二三片」
    「閻王(えんおう)の口や牡丹を吐かんとす」
    「ちりて後おもかげにたつぼたん哉」
  • 曲亭馬琴:「南総里見八犬伝」で牡丹が獅子の力を押さえ込む霊力があることに着目して、牡丹紋を八犬士の象徴とした。
  • 「冬牡丹 千鳥よ雪の ほととぎす」 (松尾芭蕉
  • 「戻りては 灯で見る庵の ぼたんかな」 (加賀千代女
  • 「福の神  やどらせ給ふ ぼたん哉」 (小林一茶
  • 「一つ散りて 後に花なし 冬牡丹」」 (正岡子規
  • 高浜虚子
    「一輪の  牡丹かがやく   病間かな」
    「そのあたり  ほのとぬくしや  寒ぼたん」
    「鎌倉の 古き土より 牡丹の芽」
    「白牡丹と いふといへども 紅ほのか」
  • 「白牡丹 李白で 顔に崩れけり」 (夏目漱石