故 吉田敬 ワーナーミュージック社長のお別れ会に参列した。
「お久しぶりで」と 何人かに声かけられた。
ソニーミュージック時代の同僚や後輩など。
元社長や直接のボスもいた。
私の業界千本ノックで鍛えたI君もいた。彼はCHEMISTRYの元ディレクター。EXILEのプロデュースやってる 松尾きよしさんにも可愛がられた好青年。
彼は弟子に成るときに 難問を与えられた。
私の事務所でシャムシェイドのプロデュースやってる時かな。
B'zのアレンジャーやってた明石 昌夫さんと作った事務所。
業界はレコード会社は別として、事務所とかプロダクションは大手以外、いつどうなるかはワカラナイ。
それと基本的に 肉体がタフな奴でないと務まらない事もあって、私はI君に入社試験の代わりに 入社試練を科した。
頭は良く、性格も良い、何しろ 面構えがよい。基本的にOKだった。
しかし、少し身体の線が細い。彼は自分の事をBe-boyと呼んでいた。
その割には 肉体にオーラがない。
「この業界は浮き沈みが激しい。貯金はあるか?」
返事は、 まったくありません。だった。
入社試練の内容が決まった。「今、君を入社はさせない。理由はこれこれだ。よって、3ヶ月の肉体労働をして、身体を鍛えつつ、貯金を30万円しなさい。強くなって30万貯まったら来なさい」
3ヶ月後 彼は肉体からオーラを発しつつ 約束の30万円貯まった預金通帳を握りしめてやって来た。
入社試練、合格。その日から、スパルタ・業界千本ノックが開始された。
ノックの詳細・方法はまた別のブログに書くとする。
二年後 彼はデフスターレーベルで CHEMISTRYを担当し、松尾きよしプロデューサーと共に CHEMISTRYを成功に導くこととなった。故吉田敬氏はその時、デフスターのボスだった。
二千人程の弔問する人がいた。回り焼香で云々みたいなかんじではなく、キッチリ椅子に座り、見送る会を参列者が見届ける 次第だった。
腰掛けて、横を見てビックリ。この前、東映アニメーションとソフトバンクとのコラボレーションの話しを書いた。
中国の上海メディアグループと東映アニメーションで「一休さん」を共同制作した話しも書いた。
それらのプロジェクトを中心になって推し進めた、ソフトバンクの中川さんが 座っておられたのだ。
ご無沙汰してたので、現在は?と伺った。
話してまたビックリだ。今年の年末、浄土宗・各著名寺院の除夜の鐘を ストリーミングして 全世界に配信するんだと。
浄土宗系は来年、記念法要のラッシュ。
その記念法要の切り口のひとつとして 除夜の鐘ストリーミング配信をする訳だ。なかなか良いアイデアだと思う。
記念法要のイベントとして 良く音楽コンサートやるけど、ほとんど自己満足。
仏教と音楽コンサートの安易なつながりって何?と思う。
以前、敬慕する松原さんが 築地本願寺の輪番(東京本社社長みたいな役割)が築地本願寺で仕掛けたイベントはグレイトだった。
各宗派の声明のエキスパートが何十人と集まって、それぞれのスペシャリティを披露したり、コラボレーションしたり、最後はミクスチャーな合唱。
コレは凄かった。仏教の中にある音楽性、神秘性を感じられる、それこそ仏教音楽であった。
非予定調和の調和。ゴスペルでもあり、ブラスバンドでもあり、ジャズでもあり、オーケストラでもあった。
せっかく寺院に、仏教に触れにこられてるのに、仏教自体が持つ、そのパワーや音楽性を味わってもらわないのだろうか?
コンサート目当てに来てる人を仏教に取り込もうとするのは、本末転倒である。
頭が堅いのじゃない。仏教自体の持つエンターテイメント力に自信を持て、と言う事だ。
そう言う意味で、浄土宗の除夜の鐘ストリーミング配信はグレイトだ。
元ボスの稲垣 博司 音楽協会副会長の 業界を代表しての挨拶。続いて故吉田敬氏の業界の父、研音の野崎会長の挨拶があった。
稲垣さんのは業界のボスとしての愛情あるスピーチだった。野崎会長の弔辞には、如何に故吉田敬氏と野崎会長が縦横無尽に業界を思う存分 駆け巡ったかを感じるものだった。
「また、仕事一緒にしよう!」
この前のワーナーミュージック40周年のコンサートには吉田敬は来ていた。ちょこっと覗いて、微笑んでいた。そして山下達郎さんの 「希望という名の光」を演奏した時 吉田敬は泣いていた。
しかし今日の送る会には もう、彼はいなかった。遠く遠くから ひかりとなり会場のひとりひとりに 届いていた。
光は希望。
さようなら。吉田 敬さん。
「お久しぶりで」と 何人かに声かけられた。
ソニーミュージック時代の同僚や後輩など。
元社長や直接のボスもいた。
私の業界千本ノックで鍛えたI君もいた。彼はCHEMISTRYの元ディレクター。EXILEのプロデュースやってる 松尾きよしさんにも可愛がられた好青年。
彼は弟子に成るときに 難問を与えられた。
私の事務所でシャムシェイドのプロデュースやってる時かな。
B'zのアレンジャーやってた明石 昌夫さんと作った事務所。
業界はレコード会社は別として、事務所とかプロダクションは大手以外、いつどうなるかはワカラナイ。
それと基本的に 肉体がタフな奴でないと務まらない事もあって、私はI君に入社試験の代わりに 入社試練を科した。
頭は良く、性格も良い、何しろ 面構えがよい。基本的にOKだった。
しかし、少し身体の線が細い。彼は自分の事をBe-boyと呼んでいた。
その割には 肉体にオーラがない。
「この業界は浮き沈みが激しい。貯金はあるか?」
返事は、 まったくありません。だった。
入社試練の内容が決まった。「今、君を入社はさせない。理由はこれこれだ。よって、3ヶ月の肉体労働をして、身体を鍛えつつ、貯金を30万円しなさい。強くなって30万貯まったら来なさい」
3ヶ月後 彼は肉体からオーラを発しつつ 約束の30万円貯まった預金通帳を握りしめてやって来た。
入社試練、合格。その日から、スパルタ・業界千本ノックが開始された。
ノックの詳細・方法はまた別のブログに書くとする。
二年後 彼はデフスターレーベルで CHEMISTRYを担当し、松尾きよしプロデューサーと共に CHEMISTRYを成功に導くこととなった。故吉田敬氏はその時、デフスターのボスだった。
二千人程の弔問する人がいた。回り焼香で云々みたいなかんじではなく、キッチリ椅子に座り、見送る会を参列者が見届ける 次第だった。
腰掛けて、横を見てビックリ。この前、東映アニメーションとソフトバンクとのコラボレーションの話しを書いた。
中国の上海メディアグループと東映アニメーションで「一休さん」を共同制作した話しも書いた。
それらのプロジェクトを中心になって推し進めた、ソフトバンクの中川さんが 座っておられたのだ。
ご無沙汰してたので、現在は?と伺った。
話してまたビックリだ。今年の年末、浄土宗・各著名寺院の除夜の鐘を ストリーミングして 全世界に配信するんだと。
浄土宗系は来年、記念法要のラッシュ。
その記念法要の切り口のひとつとして 除夜の鐘ストリーミング配信をする訳だ。なかなか良いアイデアだと思う。
記念法要のイベントとして 良く音楽コンサートやるけど、ほとんど自己満足。
仏教と音楽コンサートの安易なつながりって何?と思う。
以前、敬慕する松原さんが 築地本願寺の輪番(東京本社社長みたいな役割)が築地本願寺で仕掛けたイベントはグレイトだった。
各宗派の声明のエキスパートが何十人と集まって、それぞれのスペシャリティを披露したり、コラボレーションしたり、最後はミクスチャーな合唱。
コレは凄かった。仏教の中にある音楽性、神秘性を感じられる、それこそ仏教音楽であった。
非予定調和の調和。ゴスペルでもあり、ブラスバンドでもあり、ジャズでもあり、オーケストラでもあった。
せっかく寺院に、仏教に触れにこられてるのに、仏教自体が持つ、そのパワーや音楽性を味わってもらわないのだろうか?
コンサート目当てに来てる人を仏教に取り込もうとするのは、本末転倒である。
頭が堅いのじゃない。仏教自体の持つエンターテイメント力に自信を持て、と言う事だ。
そう言う意味で、浄土宗の除夜の鐘ストリーミング配信はグレイトだ。
元ボスの稲垣 博司 音楽協会副会長の 業界を代表しての挨拶。続いて故吉田敬氏の業界の父、研音の野崎会長の挨拶があった。
稲垣さんのは業界のボスとしての愛情あるスピーチだった。野崎会長の弔辞には、如何に故吉田敬氏と野崎会長が縦横無尽に業界を思う存分 駆け巡ったかを感じるものだった。
「また、仕事一緒にしよう!」
この前のワーナーミュージック40周年のコンサートには吉田敬は来ていた。ちょこっと覗いて、微笑んでいた。そして山下達郎さんの 「希望という名の光」を演奏した時 吉田敬は泣いていた。
しかし今日の送る会には もう、彼はいなかった。遠く遠くから ひかりとなり会場のひとりひとりに 届いていた。
光は希望。
さようなら。吉田 敬さん。