原田芳雄さんは お浄土に還られて 菩薩さんから仏さまになられた。
あちらでも シブい太い声でハンサムで お釈迦さまや阿弥陀さまたちと「演ずるとはですね~、遊びとはですね~云々」と談笑なさってるかも知れないですね。
生前に遺された最後のメッセージがあるので 書いておきます。
「 NHKドラマの「おシャンのシャン」に出演したことで大鹿村を知り、大鹿村歌舞伎を観て、芸能の原点を感じた。
食べること、遊ぶこと、働くこと、生産する(子供を産む)こと。
これが芸能と一体になって、300年続いている。
ショックだった。
差別なし、来る者拒まず、去る者を追わず、敗者わも受け入れる。
それが大鹿村。
その村の人々に魅力を感じた。
共演者は遊びをよく知っている皆さん。
毎日が、天気予報より難しい、何が起こるかわからない予測不可能なおもしろい現場だった。
この映画は、大鹿村の協力なしには一切不可能な映画。
阪本監督、ありがとう。
腸閉塞と肺炎を併発してご迷惑をかけている。
大変申し訳ない。
原田芳雄 」
以上。
この後間もなく、お浄土に還られた。
南無阿弥陀佛
あちらでも シブい太い声でハンサムで お釈迦さまや阿弥陀さまたちと「演ずるとはですね~、遊びとはですね~云々」と談笑なさってるかも知れないですね。
生前に遺された最後のメッセージがあるので 書いておきます。
「 NHKドラマの「おシャンのシャン」に出演したことで大鹿村を知り、大鹿村歌舞伎を観て、芸能の原点を感じた。
食べること、遊ぶこと、働くこと、生産する(子供を産む)こと。
これが芸能と一体になって、300年続いている。
ショックだった。
差別なし、来る者拒まず、去る者を追わず、敗者わも受け入れる。
それが大鹿村。
その村の人々に魅力を感じた。
共演者は遊びをよく知っている皆さん。
毎日が、天気予報より難しい、何が起こるかわからない予測不可能なおもしろい現場だった。
この映画は、大鹿村の協力なしには一切不可能な映画。
阪本監督、ありがとう。
腸閉塞と肺炎を併発してご迷惑をかけている。
大変申し訳ない。
原田芳雄 」
以上。
この後間もなく、お浄土に還られた。
南無阿弥陀佛