みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

ワーナーミュージックジャパン40周年記念コンサートに 招待してもらって…

2010-11-01 02:17:47 | 日記
泣いた‥ 達郎さんの曲と歌声と 今日に込めたメッセージで…

10年前、ナニワエキスプレスのbassist清水興さんからの話しで 当時インディーズのコブクロのサポートを私は始めた。 ワーナーミュージックとの契約までコーディネートした縁があり 今日のワーナーミュージック40周年のコンサートに招待して頂いた。(コブクロデビューまでの経緯は別の機会に)

ソニーミュージック時代の同僚の一人 吉田敬さんは the brilliant greenやCHEMISTRY、平井堅などを次々ヒットさせ ヒットプロデューサーとして頭角をあらわした。

その後ワーナーミュージックに移籍し 間もなく社長に。コブクロや綾香、Superflyをまたもや 大ヒットに導き スーパープロデューサーとして不動の地位を築く。

成功の名声を欲しいまま 今後の順風満帆の人生を音楽業界の誰もが疑わなかった。 しかし、今月8日自ら命を断った。

そんな状況で40周年記念のコンサートが出来るのかと 開催が危ぶまれたが、ワーナーミュージックのスタッフ 出演アーティストの思いが集まり 開催する事が出来たようだ。

出演はRIP SLYME Superfly トータス松本 コブクロ 竹内まりや 山下達郎など。
Superflyの伸びやかな歌声が武道館に響きわたると、亡くなった吉田敬さんが武道館に戻ってきて白い天井いっぱいに 彼の笑顔が広がった。

山下達郎さんが懐かしい一曲披露、二曲目には(イベントなので二曲のみ) ナイナイの岡村くんの為に書いた「希望という名の光」
この曲は鬱で療養している岡村くんへのプレゼントになり、同じく療養中の達郎さんの友人 桑田佳祐さんへの応援ソングともなっている。

音響の事や会場の造りが山下達郎さんの音楽に対する姿勢と合致しないとの事で、山下達郎さんは武道館でのコンサートはしなかったし、出演しなかった。

しかし、今日のワーナーミュージック40周年記念コンサートには 出演をしてくれた。きっとこれが最初で最後の武道館だろう。
そんな特別な 出演で 山下達郎さんは 僧侶であり、音楽人である私に 強烈で空前絶後のメッセージを与えてくれた。

以下 希望という名の光 曲中での 山下達郎さん語り、抜粋。
「音楽に携わる人間として、音楽は人の幸せになればと曲を作り、演奏する。人の希望になり、力になればと思う。しかし時として人生はあまりにも残酷で、ある状況の人には伝わらなくなる。そんな時、あまりにも音楽はちっぽけで無力だ。10月の始め、私のコンサートに吉田敬社長は来てくれた。そして・希望という名の光を聞いてくれた。しかし、吉田敬社長はその一週間後、自ら命を断った……でも、でも、それであっても音楽は人を幸せにする可能性があるし、希望という光がある。それを信じる限り、私は音楽をやり続ける」と…

涙が止まらなくなった。あまりにも人生は、やはり残酷だ。山下達郎さんと言う 稀代の天才をしての この言葉だ。重い…

重いと言う言葉が軽く感じる程の 真実の深遠を見て 極限で曲を創作する達郎さんだからの言葉でもある。
仏教も僧侶の存在も、極限状態の人には 無力だ。三万人を越す自殺者がいる事の責任を 社会や政治のせいだけにしていいんだろうか?いや、良いはずない!!
昨年、私の小さな村でも自ら命を断ったご老人がいた。悔やんでも悔やみ切れない。

山下達郎さんのメッセージに私は 泣いた。その時 吉田敬社長の魂も武道館に居て、一緒に泣いていた。
人生は残酷で、この世は無常だと やはり思う。ある時 仏法も僧侶も 無力だ。
それであっても、それであっても 仏法を伝え続ける しかない。よね……

40周年記念コンサートの締めくくりは コブクロの 桜。名前のない花には名前をつけましょう…
吉田敬社長がまた生まれ変わり この世に戻って 音楽を志す人を導きますように 八千人を超えるコンサートに集まった人達と 願いを込めて 桜を 歌った。

ワーナーミュージック40周年記念コンサートは
故 吉田敬社長の追悼コンサートになり、今後のワーナーミュージックのスタートになった。

みんながんばれ! みんなの僧 がんばれ!