みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

あの日から四十九日

2011-04-30 16:01:01 | 日記
昨日 里まで帰る予定だったが、発熱・倦怠感・鼻水・喉の痛みなど いわゆる風邪な感じで東京泊となった。

元気な時は風邪って どやったっけ?と思い出さない程 元気だ。

今は風邪の真っ最中なので 元気って どやったっけ?と思う。

被災地の方々は 普通の暮らしって どやったっけ?と思うほど、大震災前と その後では 生活も仕事も全く何もかも違うに相違ない。
呑気で偽善的なCMは「被災者の立場になって考えよう!」って 上から目線で一方的にメッセージするが、ハッキリ言ってウザイ。

拙僧みたいに 自分の身体の好不調も記憶出来ないタイプにとっては、頭とか心では想像なんか出来んのだ。

だから拙僧は行動する。現地に行く。そして話をして、辛さや苦労を聞かせて頂く。

現地に行けば、先ず違うのは空気だ。

気配でもあるし、ニオイも違う。

今回の被災地は特にニオイも景色も気配も違う。

一番違うのは、凄惨な破壊跡の瓦礫しか残ってない荒涼とした光景に、誰かが いっぱいいる気配がする事だ。

拙僧が感じたのは そこに住んで 生活していた人々の気配だ。

何故かは分からないし、気配を感じると言っても思い込みかも知れない。

亡くなった方々の気持ちになるのは到底無理だが、現地にて気配と同調してみる。

これからどう復興するのか?とすぐ語り話し合う前に、亡くなった方々が 何をどう思って何を生き残った我々に託して浄土に旅立たれたかを同調してみる。チューニングしてみる。

現地でないと分からない気配との同調。出来たのか出来なかったのかも判らない。


昨夜NHKで被災した現地のリーダー達と復興構想会議メンバーとの討論があった。

復興構想会議の部門会で地域復興のエキスパートととして 日本政策投資銀行の藻谷 浩介さんが出席していた。

藻谷さんには 被災地から戻って直ぐ、復興構想ありきではなく、先ず正しく反省をしましょうとメールした。

今度の最大の反省点は
「想定外は自然の範囲内」と言う事に尽きる。

自然の脅威や猛威に立ち向かえなくても、対応する事は可能だ。

藻谷さんは 地域復興のエキスパートとして的確に かつ熱意と本気を持って話されていた。

気配からチューニングしたメッセージは 拙僧を通じて藻谷さんにトレースした。

そして藻谷さんの発言が復興構想を作り上げる。

「日本はぼちぼちですが新たな国に向かって歩き始めました。自然に畏敬の念を抱く新たな国づくりが始まりました」

と 浄土に還られたみなさんに向けて 四十九日の法要報告としよう。



うたのチカラ 映像のチカラ 人のチカラ よろこびのチカラ そして つながるチカラ

2011-04-29 22:40:54 | 日記
JR九州新幹線 全線開業のCMは大飛び抜けて 良い。

何十回見ても 見れば見る程 涙がどんどん出てくる。

そしてチカラがどんどん湧いてくる。

映像も素晴らしい。曲はバツグンだ。

レコード会社やプロダクションの思惑に左右されてない選曲。

マイア・ヒラサワのブーン!と言う曲らしい。
どんどんチカラが湧いてくる。どんどん涙があふれてきた。

どんどん人と仲良くなれる気がする。

どんどん人とつながりたくなってくる。

素晴らしい素晴らしいCM。

色んな気持ちが交錯し重い気分になりがちだったが……

相田みつをさんのメッセージや その書の凄いチカラと優しさ。

JR九州新幹線、奇跡のCMのパワー。

そして東北楽天の底力。大好きなまー君の大熱闘・熱投!
ぜーんぶ ぜーんぶ ぜーんぶ 大感動だ。

涙がどんどん 溢れ出してきた。

熱もどんどん出てきた。

みんな みんな!

ちゃんカワイちゃんじゃないが、

「惚れてまうヤロー!」

願い

2011-04-29 22:09:30 | 日記
午前中は相田みつをミュージアムの館長さんと学芸部長のMさんと お話しして来た。

相田みつをさんの 書と詩を 被災地で踏ん張っている方々に是非見てもらいたい一心で お話しした。館長さんもMさんも気持ちは拙僧と同じであった。すぐに被災地で展覧会をしたい。
とは言え、相田みつをさんの書は年を追う毎に いや、日を重ねる毎に その意味と価値が高まる作品たちである。つまり美術品でもあり、日本国民的な宝であるのだ。

その保管・管理・移動となると凄まじく大変であるし、かかるものも半端ではない。

機会とタイミングを逃すことなく開催するのが好ましいが、この度の大震災は広範囲過ぎる。

阪神大震災の時は適宜な時期に個展を開催なさったそうだ。阪神大震災の時はある程度 地域が限定されていたが、東日本大震災は北は岩手の北端から南は茨城県までに至る。

それらの何処のどの会場で開催するのが良いのか?
それとも 思いを伝える新たな手段があるのか?

などなど前向きに話し合って下さった。

改めて内容を練り上げ 企画にして お話ししようと思う。

お忙しい中 ありがとうございました。

ミーティング後、学芸部長のMさんの案内で 東京国際フォーラムの相田みつをミュージアムを見て回った。

Mさんは拙僧の里の辺りを良くご存知であった

元々はNHKのプロデューサーをやっておられた

拙僧が大好きだった名番組「明るい農村」などをプロデュース。それ以外も知的好奇心をそそる番組を手がけ、その時に大宇陀の葛の取材をして 同時に室生寺や長谷寺などを回られたらしい。

また、NHKのラジオ番組の中でも 拙僧が特に大好きな「ラジオ深夜便」もMさんの企画から始まったのだそうだ。

始まったのは昭和天皇が崩御なさった年だったらしい。

拙僧が少し大人になり、ちょっと背伸びして聞き始めた大人の為の大人の深夜ラジオ番組である。

東京から関西へ帰る車中で聴く ラジオ深夜便は特に楽しかった。

東京を出る頃番組が始まり、番組が終わる頃 関西に到着する。

演奏で疲れきったミュージシャンを乗せ、若かった拙僧が独りで560㎞を走りきった。

そんなドライバーの心の栄養ドリンク、眠気覚ましは ラジオ深夜便だったのだ。今まで何十万㎞を深夜に走ったが無事故である。ひょっとしたら、ラジオ深夜便は「聴く御守り」だったのかも。 相田みつをさんの書と詩が取り持つ縁でMプロデューサーと会えた。ありがたい。ありがとうございます。

相田みつをさん。

また、熱っぽくなって来た。ロイヤルウェディングでも見ながら休むとしよう。

東京府 廳舎だって?

2011-04-29 12:59:12 | 日記

拙僧勉強足らんわぁ~
大正時代には 東京て、まだ東京府だったんやねぇ~

明治に遷都した時に 東京都に明治政府が改名したと思ってた。あちゃ~

思い込みはアカンね。
橋下知事が言ってる 大阪都もアリちゅう事か。
理屈ではわかってたけど、言葉の呪縛で 府は都になりにくいと勝手に暗示にかかってた。

東京は府だったんだ!
府~ん