みんなの僧

24で僧侶になり54で住職になるまで夢や悩みを聞き続けて30年。

減ったり 増えたり また減った

2010-11-04 23:14:24 | 日記
さてと 昨日は 寺のある村が上忍の村であることを明かした。

明治までは それなりの需要が あって 戸数は百軒以上で いわゆる半忍半農は300人ぐらいが住んでいたのだ。

明治政府は、廃仏毀釈やもろもろの施政変更を行った。それに伴い人口の移動があって 戸数も住人も激減し、一時は30戸、80人になったらしい。

その後徐々に増加し、戦後には戸数88戸住人300人までに盛り返した。

もちろん、田楽や猿楽でもなく、ましてや忍者はいなくなり、村人は農業や林業に従事する事となる。

しかし、昭和35年あたりをピークに またもや人口は減り始め 現在は 50戸120人となっている。

村を出て 立身出世する人も少なくないが、出た人の中で 私がワクワクする人がいる。今度 里帰りや墓参りに来られた時には 寺の本堂で 是非、講演をしてもらいたい。

ワクワクする人とは、シンクロナイズスイミング界の至宝、井村 雅代さんである。

日本のシンクロを世界トップレベルまで育て、最近は中国のチームを 日本を脅かすにまで 育てている。
ご本人のお父さんが 忍者の里出身で、井村さん本人は大阪で成長なさった。でも時々は、特に夏休みにはこの里に来て、里を流れる清流で泳いでいたらしい。
忍者や修験者が 鍛錬・修行した 赤目四十八滝が近くなので、里の清流がシンクロの女王コーチを育んだとしても不思議じゃないでしょ(^-^)

ただ井村雅代さん自体はお父さんの出身地が忍者の里であることはご存知ないと思う。

何故なら、忍者は己を、忍者とは絶対言わないからだ。また 遺伝子のせいか口は堅い。

因みに我が祖先も 半僧半忍であった。説法してる時に里人が居眠りしてると、激怒して すぐさま抜刀し、逃げると刀を振りかざして村中を追いかけたらしい。
あぶない坊さんもいたもんだ(=_=;)怒りやすい遺伝子を私も受け継いでいて 人生の中で 一番問題なのは 怒り過ぎる事だ。難儀である。

私はなかなか乗り越えられないが、そんな血をポジティブに克服する為に 息子も娘も身体を動かし、鍛える事を選んだ。

かくして、息子は格闘技をこよなく愛する僧侶となり、血の滲むような修練を経て娘は筋肉番付けのマッスルミュージカルの一員となった。遺伝子との格闘は、実は大変なのだ。

私はまだ 遺伝子の壁を克服出来てない。