駅を降りると、ついつい癖で、駅近くのコンビニに立ち寄ってしまう。さらっと一周するだけなんだけど、どれだけ家に帰りたくないんだという感じですかね。駅近くのコンビニをはしごしたりして。馬鹿なおじさんです。
私は別に立ち読みとかはしないんですよ。でも、売り場をコンビニに特定して置いているコンビニコミックというのか、よく再発で、過去の名作を販売しているコミック、それには大いに興味がある。
どういう年齢層、職業の人を対象にしているのか?版権はどうか、編集は?などと色々、考えると、単にマーケティングだけでなく、そこには情熱を持って、世にもう一度、問うてみるとか、この名作を残していくぞという出版社スタッフの気概が大いに感じられるわけです。
で、手塚治虫先生の本が出ていると、つい手にとってしまうのだが、同じ本を過去に何冊も買っていたりするから、少し複雑な思いになる。
この「火の鳥 太陽編」も手には取るけど、書棚に戻し、次の日も手に取り、戻しなどということを連日、繰り返していたのだが、昨晩、ついに買うことにした。
綺麗な状態で、ほぼ手付かずの状態で、売れ残っているのが、何気に寂しくてね。
手塚先生の名作太陽編が一冊にまとまっていて、たったの800円。
そして、巻末にいろいろ貴重な手塚先生の解説もあるし、貴重な資料もある。なんと「火の鳥」の続編で、昭和13年の日中事変をステージにした「大地編」を予定されていたみたいである。たった原稿用紙2枚半の素案であるが、ぜひとも読みたかった。本当に残念でならない。
この「太陽編」は壮大な物語である。
外来の仏教が入ってきた時代の話と未来の話がリンクするのですが、これはへたな歴史の教科書よりも参考になると思うのです。
手塚先生は信仰は人間の産物としています。最近ではアニメ映画「ブッダ」が公開されていますが、当時、「ブッダ」を連載されていたのは、某大手宗教団体系のコミック誌で、当時、その信者たちから、内容やストーリーに関して、嫌がらせのようなレターが多く届いて閉口したような記事を読んだことがあります。その時の体験もあったのでしょう。
この作品は人が人を支配することの危険さ、愚かさ、そして手塚先生の怒りを、宗教をベースにして表現しています。素晴らしい本です。
人が人を支配する切り札。それはお金であったり、権力であったり、そして宗教であったりするわけです。
特に人の良心につけ込む宗教というのは、その存在自体が悪ですね。
でも、手塚先生の作品を読んでいると、それをヒューマニズムの枠を出ていないなどと戯言を言う全共闘時代の猛者もいますが、人が人を支配するもうひとつのキーワードが見えてくると思うのです。
それは、愛と知恵と笑いとでもいいましょうか。
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