断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

レイのミンスキー本

2015-11-22 22:59:26 | MMT & SFC
レイのミンスキー本から、一部抜粋。結構長くなるが
ミンスキーの価格理論と資金調達手段の関係が
どのように景気変動とかかわってくるのかを論じた箇所。


P76:5 要約して言うが、ミンスキーは価格システムを経常産出物
(生産され、GDPに含まれる財・サービス)と、資産価格(株や債券といった
金融資産と、工場や設備といった実物資産)とに区別した。経常産出物価格は「原価プラス」
一般利潤水準の「マークアップ」により決まると仮定できる。言い換えると企業は
典型的には製造コストを上回る価格を設定しており、この「マークアップ」によって
確実に、間接経費、租税、金利を支払うことができ、かつ、所有者に利益も残せるのである。
[※文脈上、この「租税」とは販管費項目の租税公課ばかりでなく、
税引前利潤(課税ベース)に課される法人税も含んでいる。この点は、ミンスキーの
念頭にあった経済状況、つまり、主要な産業部門で国内市場が寡占化されており、
インフレ圧力がある中で、寡占企業が価格支配力を持っていたことを理解しなければならない。つまり
プライスリーダーシップを持つ寡占企業は、予算計画を決定するに際して
まずは税引き後利潤を設定し、そこから逆算することによって
産出量および投入量、そして製品価格(マスター・バジェット)を決定することに
なる。ちなみに、現在の日本で政府主導の中小企業再生機構による
再建計画を作るときには、まず、税引き後利潤(ここから、金融機関への
返済額が決まる)の長期計画を設定し、これを現在の売り上げが
今後も続くものと仮定して、つまり、営業努力による売り上げ増は
一切ないものと仮定して、長期原価・費用予算を設定する。勿論、
まったくリアリティーのない計画になるが、
その辺のことはどうでもいいようだ。。。。。いや、話がそれた。。。]
この価格システムを採用しているのは、
消費財・サービスや投資財、さらには政府の購入する財・サービスなどである。
P77:1 投資財の場合、経常産出価格は実際に資本の供給価格である――供給をして次に
新設備資産(工場、設備)を供給するのに十分な価格である。ただし、この単純な分析が当てはまるのは、
内部資金(典型的には生産物の売上収入からえられた収益)によって資金調達できる範囲の
資本購入に限られる。結局、資本の供給価格には外部資金調達費用――当然、金利のことだが、
その他手数料などすべて――が含まれる。この場合には、供給価格は「貸手側リスク」のために増加する
――貸手から資金を借りることと結びついている追加的費用である。
P77:2 二つ目の価格システム、それは時間を通じて保有され続け得る資産の価格である――
ここでも金融資産と実物資産に分かれる。貨幣(もっとも流動的な資産)を除くと、
これら資産は継続的な所得のインフローと、できれば、キャピタル・ゲインを生み出すことが
期待されている。ここでミンスキーはケインズの17章(ミンスキーに言わせれば『雇用・利子・
貨幣の一般理論』の中で最も重要な章)に倣っている。ただ、この17章は読むのがやや難しい。
重要なのは、将来の所得インフローを確実にすることはできず、期待に従うしかない、という点だ。
P77:3 こうした期待は不確実で、オプティミズムとペシミズムの程度に依存する。他の条件が
同一なら、人間とは流動性の高い資産を好むものだ。手早く売れて、売却時のロスが少ない資産という
意味である。流動性が低く、リスキーな資産が保有されるのは、そのほうが期待収益が大きいからである。
特に資本資産については、リスクが高いばかりか、比較的非流動的でもある――工場は
なかなか売れるものではないし、機械はふつう、特定の製品を作るように設計されている。時には
資本資産の価値が、所有者以外にとっては「スクラップ」価値でしかない、ということもある。
P78:1 この資産価格システムから、資本資産の需要価格について把握できる。ある資産が生み出す将来の
純収入に関する期待を所与として、その資産にはいくらなら払うだろうか。収入が低く、
不安定なほど、買い手が支払ってもよいという額も小さくなるだろう。これを需要価格と呼ぶことができる。
ただし繰り返すが、これは単純化のしすぎだ。というのは金融的なアレンジメントが無視されているから。
ミンスキーの議論では、支払ってもよいとされる額は、必要な外部資金調達の額による――
借入額が大きくなれば、買い手は償還不能・債務不履行のリスクにより強く晒されることになる。これが
「借手側リスク」が需要価格に統合されなくてはならない理由だ。他の条件が同一なら、借入資金への
依存が大きくなるほど、資本価格への支払意欲は減退するのである。
P78:2 成功するかしないかの見通しの不確実性を含んだ分析に「借手側リスク」「貸手側リスク」を
付け加えよう。将来の情勢が期待したより悪い場合には、安全性の余地に調整が加えられる。ただし、
ミンスキーならこういうであろう。調子のいい期間が続けば成功によって確信が強くなり、
この安全性の余地が減らされてしまうのだ、と。
P78:3 投資が行われるのは、資本資産の需要価格が供給価格を上回る場合だけである。思い出してほしいが
需要価格のほうは資産価格システムに由来し、供給価格のほうは経常価格に由来するのである。そのため、
需要価格と供給価格は独立して動く――ある意味で、別々に決定されるのである。[※主流派経済学の
合理的で稠密な生産集合(推移律を満たす)においては、投入財あるいは資本財の需要と供給がこのような形で
矛盾することはあり得ない。最終財を最も効率的に生産するように、あらゆる資本財や投入財の
生産も組織され、最終生産物の消費ベクトルに合わせて、すべての途中工程ベクトルや資本財生産ベクトルも
ただ一つに決まる。]これらの価格は安全性の余地を含んでいるのだから、この安全性の余地の大きさを決定している
未だ知られざる結果に対する期待によって影響されてしまうのである。
P78:4 オプティミズムと不確実性の縮小により、資本資産の需要価格は引き上げられる傾向にある。
同時に、オプティミズムは貸手側リスク借手側リスク双方を引き下げる――需要価格が上昇し、
供給価格が実際に引き下げられる。こうして資本資産に対する投資が大いに促進される。というのは、
需要価格が高くなり供給価格が低くなるからである。[※なぜ供給価格が現実に低くなるのか?
金利(ほかの資本財価格おそうだが)は投資額と無関係で、
オプティミズムや不確実性だけに依存していると想定しているからか?]
P79:1 ペシミズム予備不確実性の上昇は、反対方向へと進む。[※以下略]
P79:2 ミンスキーの理論では、貸手も借手も安全性の余地を持って営業している。仮に企業が
新規機械の購入資金調達のため、$1000/月の支払いを約定する場合、その企業は、例えば
$1500/月の所得をその機械の稼働により得られることを期待するであろう。差額の
$500/月が、安全性の余地である――借に原価がもくろみより高く、あるいは収益が期待より低かった場合、
安全性の余地がクッションの役割を果たす。[※今日、原価計算や財務管理理論、管理会計においては
「安全余地率」といわれる概念が用いられる。これは、教科書を参照すればすぐわかるが
ある生産高を前提とした場合、その生産高における収入と原価の差額を
その生産高と損益分岐生産量の差分で除したものである。予想安全余地率が、カンパニー・ポリシーで
定められているある一定水準を満たさない場合、そのプロジェクトはたとえ利益が見込まれる場合でも
実行されない。もともと安全性の余地や安全余地率といった概念が誰から生まれたものかは知らないが、
少なくともケインズは『一般理論』の中で、企業がこうした考え方を持って行動している点を
少なからず重視している。]
P79:3 深刻な不況から回復中は、安全性の余地は大きく保たれる。期待に変化がないためである。時を経て、
拡大がペシミスティックな予想を上回ると、こうした安全性の余地が必要な分より大きかった、ということになる。
そうするとこのマージンは、時間とともに予想がよいものになるにつれて、減少する。
P79:4 ミンスキーは、資金調達の方法を三種類に分けて、安全性の余地を説明している。
最も安全なものをヘッジ金融と呼んだ。これは期待所得フローで全金利及び元本償還を賄えるものである。
よりリスクの高いやり方を投機的金融と呼んだ。この場合、足元の所得フローでは金利しかカバーできないが、
最終的には所得が上昇し、元本返済に間に合う、というものだ。
P79:5 最後にポンツイ金融――ねずみ講の経営者からとった名前(現代なら、悪名の高さでいえば
ベルニー・マドフといったところか)――がある。これは、足元の受領額は金利支払すらカバーできず、
そのため、金利が元本へ「資本化」される。(基本的にはポンツイ状態の場合、
金利が借入の追加によって支払われる。これは金利が低下するか、所得フローが上昇しない限り、
持続不可能な状態である。)[※一般に、金利が元本組み入れされることを
金利の「資本化」というのは、日本でも同じである。慣れない人にはちょっとわかりにくいとは思うが、
これは単に、金利を、その発生時には清算せず、借入元本の増加として処理することであって、
いわゆる「資本」とは関係ないんだけれど、経営学でも会計学でもこの言葉を使うので、
まあ、我慢してください。英語ではcapital という言葉をprincipal (元本)と同じ意味に使うことが
普通にありますので。なお、ミンスキーは金利の元本組み入れ一般を「ポンツイ金融」などといっているが、
現実には、たとえば大規模建築で工事が長期化する場合にはどうしたってそうならざるを得ないのであって
(どんな建築や造船であっても、建設の途中ではキャッシュインフローはゼロであるが、
金利は発生する。金利は、資本化=元本組み入れされ、将来のキャッシュインフローから
償却するよりほかない)、それ自体として異常なビジネス行為であるかのような表現は
個人的にはあまり適切とは思えない。]
P80:1 拡張期を通じて、企業、さらには家計の財務は、ヘッジ金融が大きい状態から、
投機的金融の比率が大きくなり、さらにはポンツイ・ポジションにまで進む。
金融構造がリスキーなものになれば、金利の上昇あるいは所得の不足に対してより脆弱になる。

カレツキー的投資-利潤関係の追加

P80:2 既に初期の著作においてミンスキーが認識していたことであるが、レバレッジを高め、
より投機的ポジションを取ろうとする願望は満たされるものではない。もし結果が期待よりよいとなれば、
投機的金融を推し進めようとする気持ちが維持され、ヘッジポジションが捨てられる。というのは
実現した所得が期待したより大きいと判明したわけだから。つまり、ミンスキーは今では
よく知られているカレツキー関係(単純モデルでいえば、投資が集計的需要を決定するので、
資本資産への支出は実際に企業の所得フローを増加させる)を統合したわけではなかったのだけれど、
投資ブームが集計的需要と支出とを引き上げる(ケインズの支出乗数を通じて)、そして期待以上の
売上を生み出すことを認識していた。彼の見方では、このダイナミズムは悪い方へと働く。
もし借手企業の期待が全体として度を越したものになれば、賭けは徐々に正気を逸したものになるであろう
――爆発的投機ブームが到来する。
P80:3 のちにミンスキーは、明示的にカレツキーの単純モデルの結論を統合することになる。集計的利潤は
投資プラス政府赤字に等しい、ということだ。こうして投資ブームの時期、利潤は投資とともに増加し、
期待の現実化を助け、一層の投資を促す。この結論は彼の命題に重みを加えた。つまり、資本制経済における
本質的不安定性とは、上昇局面――投機的熱狂――にあるのである。さらに景気の下降局面では、
政府予算赤字は増加するのだが、この増加によって利潤は下支えされるのである――先に論じたとおり、
さらなる下降リスクを減らすことになる。
P81:1 さらに加えて、1960年代の初め、彼は民間部門のバランスシートが政府のバランスシート状態に
依存していることを論じている。政府支出主導型の拡張では、民間部門の拡張はバランスシートの脆弱性を
引き起こさない――実際、政府赤字は利潤を高め、民間ポートフォーリオへ安全な政府債務を追加するのである。
P81:2 しかし、急激な民間部門主導の拡張の場合、税収は民間部門の所得増加より速いペースで成長する(累進課税
および移転支出が公共中は減少するため)。それゆえ、政府財政は「改善」する(財政黒字方向へ動く)。
こうした理由で、ミンスキーは民間部門主導の拡張は政府主導の拡張より不安定になる傾向がある、と論じた。
というのは、民間赤字および債務は政府赤字・債務より一層危険だからである。
P81:3 ひとたび彼の議論にカレツキー等式を加えることで、政府予算の反循環的動きがいかにして
利潤を自動的に安定化させるかが説明できる――ブームの上昇と、スランプの下降、両側に対して制限を与えるのである。
この変化によって、巨大政府の景気を安定化する力に関する彼の議論は強化された。
P81:4 カレツキーの利潤に対する考え方を、自身の投資についての循環的理論に組み合わせることによって、
ミンスキーは現在の投資が大きくなるのは、将来の投資が大きくなると期待される場合だけだ、と論じた――
というのは、将来の投資が将来の利潤を決定するからである(カレツキーの骨格モデル[※?なんだっけ。。。?])。
そればかりか、現在の投資は「過去に」決定され、実行された投資の妥当性を証明するものだから、
「将来」に対する期待(これが「現在」の投資を決定する)とは、現時点で存在している資本資産の資金調達をしたときに
締結された以前の約定を満たす能力に影響してくるのである。[※原文では、
いちいち「今日というのはつまり、現在の云々のことであって云々」というような書き方なのだが、
ただでさえ面倒な部分なので、ざっくりと。]
P82:1 この通り、ミンスキーの投資へのアプローチには、複雑でダイナミックで、容易に
攪乱される短期的関係が含まれているのである。ミンスキーはこう説明する。

[※『金融不安定性の経済学』邦訳P282。原文はP277。いやあ、うまく訳すもんだねえ。。。]

この循環論法を「二種類の価格システム」アプローチに結びつけることで明確になるが、
期待将来利潤を引き下げている何かが、現在の需要価格を供給価格以下に押し下げており、それによって
投資と現在の利潤が引き下げられてしまい、そのため、現在の需要価格が、
以前の資本計画が始まった時にベースとなっていた需要価格に関する
過去の期待の妥当性を証明できる水準以下にとどまってしまうのである。
P82:2 投資が減少すれば、過去に借手側貸手側双方のリスクに含まれていた安全性の余地は不十分であったと証明されたことになり、
将来を見据えて安全性の余地が望ましい水準に改訂される。こうした投資の減少と安全性の余地の上方修正によって
投資はさらに阻害され、景気悪化にますます拍車がかかる。これが集計的需要下落時に起こっていることである。


価格と金融調達の関係については、この辺までだが、
この先、政府・金融当局の対応の変化などが出てきて、
窓口規制の性格など、
今日ではまず議論にならない話が面白く再現されている。
まあ、機会があったら、そのうち。


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1 コメント

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Unknown (はるき)
2020-11-14 00:19:34
はじめまして。素晴らしいまとめでした。私もミンスキー を読んだのですが、投資決定理論によって、資産価値の高騰が資産価格の高騰を呼ぶというのは説明できるんでしょうか?将来に対する期待収益Qには、資産のインカムゲインだけでなく、キャピタルゲインは含まれているのでしょうか?
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