断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

Eric Tymoigne Money and Banking - 6 貨幣と銀行 - 5を飛ばして6

2016-09-11 11:03:40 | MMT & SFC
エリック・ティモワーニュの粗訳なのだが、
5の「よくある質問」は飛ばして、
6に進むことにした。

https://drive.google.com/file/d/0Bz2V1zKzg0azajdjOWlhSzBYR1U/view

何回も同じことで進歩のない話だが、
どうもアップロードというのが難しい。。。。
何回やっても覚えない、、というのか、
なんか、毎回違うことやっているような気がする。。。。。

仕訳(というか、変動BSだが)については
その都度、※で内容の注記を加えてみた。
まあ、見ればわかることなんだけれど。

相変わらず、ろくに推敲も見直しもしていないので
おかしな箇所もあろうかと思いますが(気が付いたところは
指摘してもらえるとうれしいのですが。。。)、
御笑覧ください。


今回のブログで面白いのは、
財務省が、黒字にもかかわらず国債を発行せざるを得なくなった経緯とか。

また、MMTがなぜ政府(財務省)とFedを連結したがるのか、
という説明。これについてはおいらのほうでもたびたび言及してきたけれど、

日本に関して言うとよくある説明が
要するに「支配原則」で
株式(出資金)を50%を超えて出している場合、
あるいは意思決定にかかわる重要な役職者が
自社の関係者である場合は
連結しなければならない、というもの
(まあ、マイノリティー・インタレストでも
連結表示するのが最近の風潮だけれど)で、
この原則を援用すれば
政府と日銀を連結すること自体は自然といえば自然なんだけれど、

一般理論あるいは原理論として考えた場合、

中央政府と中央銀行が存在しており
中央銀行がベースマネーを発行し――紙幣の唯一の発行者であり、
かつ民間銀行の準備銀行として準備預金を供給しており、
そして中央政府が中央銀行に口座を開き
中央銀行の発行する紙幣または準備預金(もっぱら後者)のみで
租税あるいは社会保障料、公共料金、罰金等々を受け入れており
かつ、準備銀行が「レンダー・オブ・ラストリゾート」として
行動しているというアレンジメントの下で、

仮に中央政府が中央銀行に出資をしておらず
役員(理事)の選出にも決定権がないとしたら
中央銀行と中央政府は連結するべきではないのか、

という話になってしまう。

ティモワーニュ(MMT)は、もちろん、
その場合には、たとえ政府が中央銀行の役員に決定権がないとしても
出資金の50%未満しか支出していないとしても
連結することが合理的と考えている。
何故なら、日常業務において両者は
一体として行動せざるを得ないからだ。
つまり、ここでMMTが用いている論理は
会計原則ではなく、あくまでも
経済の実態である。複式簿記は、
この実態を首尾一貫した論理形式で表現し
モデルとして志向するための手段として位置づけられている
(つまり、数学と同じである)。
従って、会計原則を理由にして
中央政府と中央銀行の連結を主張する人たちとは
一線を画している。
その辺の事情も、今回のブログでは見て取れる。

ただ、TT&L勘定の話については
どうもやっててしっくりこない。。。。
手続き的には、財務省が民間銀行にも口座を開いて
徴税しても政府預金口座には移さず
民間銀行のTT&L口座にキープしておき、
政府が支出するときに
一方で政府預金口座から資金を民間に移しながら
同額をTT&L口座から政府預金口座に移すことで
準備の残高の急激な変動をカバーしている、
ということになるようなのだが。。。。
(そうなると、実質的には
政府が支出するとき、
TT&L口座から民間企業・個人の口座に資金が
振り替えられるだけ、ということになる。。。。)

次回の粗訳は、7回目分のブログになると思う。
5回目分も進めているんだけれど、
なんだか今一つしっくりこないところが多くて。。。。


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6 コメント

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大胡 優香 (agen masker lumpur naturgo asli)
2016-12-14 12:24:45
thanks i like your site good job
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コメントありがとうございます (wankonyankoricky)
2017-01-18 21:59:40
コメントありがとうございます。
今後もよろしくお願いいたします。
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Unknown (MMT初心者)
2018-04-08 01:44:47
2ページ目の最後にある財政赤字によって準備の純増加が発生するというのがよくわかりません
財政支出のうち租税でも足りない部分(財政赤字)は国債の売却によって賄うと思うのですが、租税の徴収でも国債の売却でも準備額は減少して結局、それらを支出すればプラスマイナス0になるのではないのでしょうか?
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コメントありがとうございます (wankonyankoricky)
2018-06-11 22:12:25
お返事が遅れて申し訳ありません。

この論点は過去にも繰り返し言及している問題ですので、簡単な説明にとどめますが

納税が行われるとき、民間の預金通貨と準備預金が同時に同額減少します。この結果、金融部門全体で準備不足が発生することになりますから中央銀行は買いオペなどによって資金を市場に投入します。これは準備率にもよりますが、日本のように平均して0.1%などであれば実際には中央銀行の目標金利水準に変更などがない限り、
結局、納税額とほぼ同額を市場に投入することになります。つまり政府が租税を徴収するとき、一方で民間非金融部門では明らかに資産(預金通貨)の減少があるのですが、銀行部門で減少するのは中央銀行に売却する資産などで(あるいは中央銀行に対する負債が増加)、ベースマネーの残高にはそれほど大きな変化がないことになります。

さて、政府による新規国債発行ですが、
実態を言えば、この時には民間金融部門から
政府への資金移動は実質的に全くありません。というのは
中央銀行の政策変更や民間の行動に変化がなければ
政府が国債を発行し民間銀行がそれを購入すれば準備不足が発生することになるからです。従って
中央銀行は国債が発行されるに先立ち、あるいはそれと同時に買いオペレーションを行い、結局、政府の国債発行額とほぼ同額の国債を市場から吸収し、同額のベースマネーを市場に供給することになります。つまり、国債発行によって民間部門は、ベースマネーの増加も国債の増加もなく、ただ中央銀行が保有する国債残高と政府預金の額が増えるだけになります。

さて、さらに政府が支出するときですが、
この時には政府は中央銀行に指示して
政府預金口座から、支払先の民間企業・個人が口座を開設している民間銀行の準備預金口座へ
資金移動を行います。そしてそれを受けて民間銀行が預金通貨を発行することで支払いが完了するわけです。そうすると、この結果、準備預金と預金通貨とが同時に同額増えることになります。
そうなると今度は準備が過剰になりますから
インターバンク市場の金利を安定させるためには中央銀行が売りオペレーションなどで準備預金を回収し、国債を発行することが必要になります。

つまり、民間手持ちの国債が増加するのは
政府が国債を発行したときではなく
政府が支出をした時なのです。
そして、中央銀行は常に(政策金利に変更がなければ)法定準備を民間銀行が守れる水準に準備預金を供給しようとします。
そのため、最終的な準備預金残高は
預金通貨残高によって左右されることになります。
政府が徴税するときには
民間非金融部門の保有する預金通貨が減少しました。逆に政府が支出をするとき、民間非金融部門の預金通貨は増加しました。
もし政府が赤字財政であれば
当然、租税による預金通貨の減少を
政府支出による預金通貨の増加が上回ることになりますから
準備預金残高もそれに応じて増加することになります。結局のところ、
法定準備制度の下で
中央銀行が準備預金残高を日常業務としてコントロールすることなしには
納税も国債発行も政府支出もできません。
そして国債発行は、形の上では
政府が支出するのに先立ち、財源として必要な政府預金を満たしているように見えるのですけれど、
実際には、政府が国債を新規発行するときには
ただ中央銀行の国債残高と政府預金残高が増えるだけで実質的には、いわゆる「財政ファイナンス」的なことが常に行われているのであり、それがなければ法定準備制度と国債発行を両立させることはできない一方、
政府が支出した後には、
超過準備が発生しますから
法定準備制度の下、インターバンク市場の金利を中央銀行がコントロールしようとするなら
中央銀行が売りオペをして、その結果、
この時点で初めて民間銀行手持の国債残高は増えることになります。国債発行によって準備預金が減少することは(中央銀行が政策金利を維持する限り)ありません。

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Unknown (MMT初心者)
2018-06-13 16:30:11
回答ありがとうございます。疑問点が氷解しました。
しかし、MMTを学んでいると疑問に思うのですが、MMTで説明される財務省や中央銀行の制度や業務(その内容や目的、それが市場に与える影響)といったことは現場の財務省・中央銀行の職員・幹部は熟知してるはずです(中央銀行)。それなのに何故彼らがMMTと同じ結論(貨幣主権をもった国家は財政的に制約されていいない、租税や国債の役割)にたどり着かないのか気になります。
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Unknown (Unknown)
2018-06-14 20:42:29
ご指摘の点に関しては言うなら、
人間の思い込みというものがどれほど激しいものか、ということと、概念の混乱、システム的な事情、政治経済的事情を挙げることが必要だと思います。

例えばおいらは仕事柄、銀行員の人たちと話をする機会が多いですけれど、彼らは平気で「私どもも、預金者の皆様からお預かりしている大切な預金を
運用させていただいておりますので、、」というようなことを言うんですよね。実際には簿記会計をある程度学習して毎日銀行に行って預金やら手形やらを処理している人なら、そこでふと立ち止まって、いったい自分は何をやっているんだろう、と考えれば分かることなんですよ。お金というものは民間銀行が負債として生み出しているのであって中央銀行ではない、というようなことは。しかし、そうやって立ち止まって物事を考えている暇人というのは、そうはいないんです。預金者が銀行にお金を預けて、そのお金を銀行が貸出している――そう出ないことぐらいちょっと考えればすぐわかる(だって預金を貸出ししているんですよ)けど、でも考えなくたって日常の業務には差し支えないのだから(そして他人に話をするときには、お互いに共有している枠組みで話をしたほうが手っ取り早いのだから)、日常的な意識が再生産され続けるんですよね。
改めて考えれば誰でも気が付くことが、言われるまでわからない、というのは投資家であるモズラーの体験で繰り返し出てきます。モズラーは(ユーロ導入前のヨーロッパで)国債の先売りにビビって金利を引き上げようとする財務大臣に、そんなことやっても無駄だしやる必要がない、と説得に行きます。言われれば誰にでもわかることですから、結局イタリアの政府はモズラーの言うことを受け入れ、それでモズラーが大儲けした、という話があります。あるいはシンポジウムでも常識的立場から質問を提起したオーストラリア中央銀行職員に考える機会を与えると、2~3分後にはモズラーの意見を受け入れる、ということもあったそうです。まあ、この辺の武勇伝はいろいろ脚色もされていることでしょうけれど、けどそれに近いことはいろいろあっただろうと思うんですよね。人間というのは誰でも権威に弱いという面がある。「○×大学経済学教授」「ノーベル賞」などという肩書があると、それ自体が何か意味を持っているかのような錯覚に陥る。そうして、ほんの数分自分の頭で、普段「経済学」では扱わない事務的プロセスのことを思い起こしてみればすぐにわかることもわからなくなる。実際には戦後、とくにイギリスでは中央銀行関係者によるアコモデーショナリスト・カルタリスト的研究は進められていました。カルドアやグッドウィルなどです。しかしながらこうした人々は傍流として退けられてきました。一つには、もし彼らの議論を受け入れてしまったら、「需要と供給の一致する点で価格が決まる」という経済学の大前提が崩れてしまうからです。供給に費用を必要としない資産が特定の(限られた)人々によって発行され、それもまず価格(金利)が決められ、需要に応じてその価格の下で供給され、それが取引を媒介する――これを認めることは一般均衡理論を根底から覆すことになってしまうでしょう。だから経済学者たちは、ある意味では本能的に、「ばかばかしい」といって退けることが必要になってくるわけです。そして中央銀行(あるいは民間銀行だって同じですが)や財務省といった組織は巨大だ、ということも念頭に置く必要があります。日銀の政策決定に携わる人たちのうち、いったいどれだけが日常的な銀行業務に通暁しているといえるのでしょう。多くの銀行組織(国際機関も含む)の中で、大学の教授や政府の期間など、内国為替業務など携わった経験なんか一度もない人が重要な意思決定部署に居座っている、ということはよく見ることです。

他にも書きたいことがいろいろありますが、
ちょっとコメント欄では書きにくいし、
今回はこの辺にしておき、
続きはまたの機会にでもします。
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