断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

政府予算の話

2018-09-02 21:07:21 | MMT & SFC
MMTの議論を分かりにくくしている理由の一つ(もっとも
MMTが主流派経済学やマルクス主義に比べ
特にわかりにくいというわけではなく、
単に主流派経済学やマルクス主義の枠組みから
一旦離れて施行することができない人にとって
分かりにくいだけではないか、と思われるが)は、
たとえば、中央政府の予算制約の問題であろう。

主流派経済学の枠組みでは
予算制約とは事前に与えられているものである。
これは、企業であれ家計であれ一般に「予算」という言葉が財務の執行において
事前に決定される事項であることともかかわっているかもしれないが、
しかし多分すべての主流派経済学の人に同意してもらえると思うけれど
こうした一般的な「予算」のイメージと
経済学で使われる「予算制約」の定義とは
直結しているわけではない。労務者家計の予算制約は
1日24時間の労働可能時間であり、
この労働可能時間のうち、どれだけを余暇に費やし
どれだけを労働(収入)に費やすかは本人の選択の問題である。
世の中に、労務者の家計の予算をそのようなものと考える人は
あまりいないだろうが、主流派経済学の枠組みでは
そうなる。いずれにせよ、予算制約は選択に先行して与えられるのであり、
期待の当たり外れはあるとしても事後的なものではない。
ところがMMTの議論では
中央政府の予算制約は事後的にしか決まらないのである。
この点が、主流派のみならず、
現代資本制経済の下での貨幣の機能について
やや近い見解を持っているポジティブ・マネー派や
アメリカン・マネタリー・インスティチュート
あたりとの大きなずれとなって現れてくるように思う。

さて、民間の最終消費支出及び投資支出をYpとして、
政府支出をTgとしたとき、海外部門を無視して考えると
両者の合算が国内の完全雇用国内所得Yfを下回っている限り
インフレは発生しない(実はMMTは彼らの言う意味で「完全雇用」に到達する前に
インフレが発生する、と言っているが、それはまたの機会に)。
政府は実質国内所得がYfに達するまで
貨幣創造によって支出を増やし、経済的資源を調達できることになる。
つまり

Yp + Yg ≦ Yf

である限り、インフレは発生しない。
だとすれば、

Yp + Yg = Yf

となるようにYgを定めて中央政府は支出をすればいいわけだが。。。

ところがここで一つの問題は
Ypで雇用される人数とYgで雇用される人数の比率が異なっていれば
Yfも異なってしまうことである。
たとえ同じ給与水準で雇用されていたとしても
民間部門で雇用されるのと政府部門で雇用されるととでは
公式のGDP統計に寄与する金額は変わってくるだろう。
したがってYfはある程度、というか、かなり広い範囲に跨ることになってしまい
一定の値になることはない。

さて、MMTの政策目標が「インフレなき完全雇用」にあり、
ここでいう「完全雇用」が
「所定の最低賃金(文化的に最低限の生活を送れる所得+α)で
働く意思と能力のあるすべての人が雇用されている状態」であると定義するとすると、
ここで事前に完全雇用GDPを定め、それを目標に政府が支出を決定することには
もともとあんまり意味もないことになる。予算制約も、完全雇用国内所得を
目標にする限り、意味がない。
ポジティブ・マネー派などは
貨幣を完全準備制度にして民間銀行が信用創造を全くできない制度にしたうえで
政府がYfを達成するうえで必要なマネーストックに不足するマネーストックを
赤字(という表現は彼らの用語法では適切ではないのかもしれないが)予算を通じて
発行することで、完全雇用を達成するという。(「完全雇用」の意味は
MMTとは異なるかもしれない。というのは、おいらが読んだものの中では
「完全雇用国内所得」ではなく「潜在的成長率」を達成するための
貨幣供給量になっていた。)だがそんなことは
MMTにとっては不可能なのである。

で、政府の予算制約を表現するのに、
実質所得ではなく、雇用人数を使ってはどうだろうか。
国内の就業可能人口をNとしNpが民間の雇用、Ngが政府の雇用、
Nfが完全雇用である。

Np + Ng ≦ Nf

。。。。。
いや、どうやらこれもうまくない。なぜなら、Nの中には上述した「最低賃金」では
働く意欲を持たない人も含まれてしまうことになるからである。
MMTは、完全雇用を目標にする、とはいっても
全ての人が雇用される状態を想定しているわけではない。
昨年まで高額の給与を受け取っていた人の中には
従来の職場で失業しても、「文化的な最低限の生活費+α」では
働きたくない、という人もいるであろう。そんな賃金で働くぐらいなら
公的または民間の失業給付を受け取りながら
次の仕事を探すことを選択する、という人たちである。
あるいは十分な蓄えがあるので、何も
そんな低賃金で働く必要がない、という人たちもいるだろう。
そうなってくると、民間の雇用から外れた人たちを
すべて政府部門で雇用してまで完全雇用を目指す必要はない。
巨額の所得を得ていた金融マンが
自ら生み出した金融資産への過剰投資が破綻したことで
金融危機を引き起こし、自らも職を失ったとき、
政府が彼らを破綻前と同じ所得で雇用するなど、
世の中の合意を得られるものではない。しかしそうはいっても
彼らが最低限の生活費を求めて仕事に就くことまで拒否するべきではない。
そして不況が長引いた結果として
失業保険が打ち切られれば
彼らの中からも、最低限の賃金で働くことを
選択する人も出てくるかもしれない。
となってくると、完全雇用雇用人数Nfさえ、
事前には定義不能なのである。
MMTが「政府は民間で雇用されなかった遊休資源を
すべて雇用することができる。政府の予算制約は
こうした遊休資源である」というとき、
こうした遊休資源の量が事前に政府によって把握できるわけではないし、
そんなものを把握し、それによって政府支出額を決定しようとしていたら
とてもではないが
時間的に間に合わないだろう。従って
政府による景気対策(これは、政府が景気の下支えをする、という意味ではなく、
景気の下降局面によって発生しうる民間部門で職を失った人たちの
雇用を下支えする、という意味)は常に事後的なものであり、
事前に、計画的に、実行可能なものではない。政府は
民間部門の雇用意欲、就業意欲に従って
受け身的に、事後的に、予算を決定せざるを得ない。これが
「裁量的財政政策」による
完全雇用は不可能だ、ということの意味である。


だが、それ以外の政府支出はどうであろうか。
政府の福祉政策、医療政策、インフラ・国土開発政策、防衛政策等々。
MMTではこうしたものに対する明示的な結論は導き出せない。
いくつかの示唆はある。中央政府は、常に赤字にならざるを得ない。
何故なら、そうでなければ民間部門の安定した成長も実現不可能だからだ。
だがどの程度の赤字が必要であるかまでははっきりしない。
従ってMMTは放漫財政とも緊縮財政とも両立する。
この意味ではMMT派理論的「枠組み」の話でしかない。
現代の緊縮派は均衡財政を求めているが、
それは理論的にうなずけない、としても
しかし現在の財政が放漫であり、もっと税収と支出の幅を狭めるべきだ、
という主張であれば、MMTの枠組みからでも
議論は可能であろう。ただし、その根拠がどういったものになるのか、
少なくとも「財政が破たんする(中央政府債務が
償還不可能になる)」というのは、法律や政治的駆け引きによる
自縄自縛的制約を別にして経済的な議論に限れば、
正統性を持ちえない。インフレならあり得る。が
それは中央政府債務の償還不可能とは
全く別の対処方法を必要とする
全く別の問題である。単年度の政府支出が大きすぎ
民間支出と合わせて国内の生産量を上回ってしまい、
インフレになることは大いにあり得るだろう。こうしたことは
MMTの枠組みの中でも大いに議論されなければならない。他方で、
政府債務残高がそれほど大きくなくても
インフレにはなる(狂乱物価)し、インフレによって回避することができない
政府債務破綻(ギリシアのケース)もある。

実際にインフレが発生したとき、
対応策もまた
MMT(というか貨幣経済を「貨幣的生産理論」とみなす立場)と
主流派(交換経済)との違いとなってくる。交換経済の発想からは
インフレ対策は、常に政府支出を削減することに求められるだろう。
だが、貨幣循環の理論からは、しばしばインフレ対策は
政府支出を増やすことに繋がるケースさえあり得るかもしれない。
これもまた、裁量的財政政策をMMTが支持しない理由のひとつかもしれない。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿