ワニなつノート

0点でも高校へ 2010

0点でも高校へ 2010


この言葉を正面から掲げて、我が子の受験に向かうということ。
それは、「一人」でできることではありません。


高校受験で「0点」の子など本当は一人もいないのです。
小学校中学校9年間の義務教育を終えて、子どもたちは高校受験に向かいます。一度のペーパーテストのみで合否を判定する高校はないでしょう。仮にペーパーテストが0点の子どもがいたとして、その子には中学からの内申書等の書類が提出されています。ほとんどの高校が面接も行います。千葉のように「自己申告書」の制度があれば、そこに障害のことや不登校の理由を記入することもできます。

そこから、一人の子どもが6歳から15歳の間に学んできたものを真摯に推し量れば、その子どもの受験に0点がつくことはありません。

大真面目にこの子の9年間の学校生活での学習の結果が0点だと評価する高校の教員がいるとしたら、その人には子どもの教育を語る資格が0点だと自白しているにすぎません。

高校での教育は、「後期中等教育」であり、子どもの人権として保障される範囲の基本的な教育です。その証拠に、昭和24年に「文部省」はこう言っています。
「入学者の選抜を望ましいものであるという考えをいつまでももっていてはならない。」
「選抜はやむをえない害悪であって、経済が復興して高等学校で学びたいものに適当な施設を用意することができるようになれば、直ちになくすべきもの」
「高等学校はその収容力の最大限度まで、国家の全青年に奉仕すべきものである。」

そして2010年には、ようやく「高校の授業料無償化」ということが「国民の常識」として違和感なく受け入れられるところまできました。これらは、この国に生まれた子どもに、小学校から高校までの12年間の教育を無償にして、すべての子どもたちに「学ぶ機会」を保障しようということです。「この国に生まれた子ども」に、制限や条件は本来ありません。どの地域に生まれても、肌の色や髪の色、人種や宗教の違い、障害によって差別されるものではありません。その証拠に、養護学校の高等部は20世紀のうちに、「希望者全員入学」が実現されているのです。

いま、この国で、「本当に高校に行きたいのか?」と問われるのは、普通学級の障害児だけです。

もちろん、中学や進学塾でも、子どものやる気を起こさせるために、「自分の意思」で「自分のため」に行くことを強調することはあるでしょう。でも、他のほとんどすべての子どもたちは、「高校に行かない」と口にしたときに、親や先生から本気で詰め寄られるのは「どうして、高校に行かないのか?」ということです。

こうした状況の下で、私たちはあえて「0点でも高校へ」と言い続けます。それは、一人の子どもを「0点」という「目」でしか見られない学校への異議申し立てであり、子どもを点数でなど絶対に切り捨てないと言う意思表明です。

それは、すべての「0点」と見なされる子どもたちと共に闘うことであり、一人でできることではありません。

テストの点数が0点であること。それは、人として一つも恥ずかしいことではありません。
視力障害のために、目に見えるものが何もないことが、恥ずかしいことではないように。
聴力障害のために、聞こえる音が何もないことが、恥ずかしいことではないように。
身体障害のために、自分の足では一歩も歩けないことが、恥ずかしいことではないように。
知的障害のために、漢字が読めないこと、計算ができないことは、人として一つも恥ずかしいことではありません。
そして、その障害に何一つ配慮も工夫もない、「学力試験」を課して、「0点」という数字が出たからと言って、この子が何を恥ずかしがる必要があるというのか。

この試験を受けなければ高校生になれない、そういう制度だから、そういう世の中だから、この子はちゃんと試験を受けたのだ。

結果が0点。
それは、見えない人に、視力検査をして、0点をつけるのと同じ。
聞こえない人に、聴力検査をして、0点をつけるのと同じ。
車椅子の人に、歩行テストをして、0点をつけるのと同じ。
この子は、小学校に入る時から、この障害を持ちながら、みんなと一緒に学校生活を送ってきて、9年間の学校生活を通して、一緒に学び、一緒に成長してきたのだ。
だから、いま、ここに、高校受験と言う、この子の障害にとってだけ配慮のない、理不尽な場に、堂々と立つことができるのだ。

それは、小学校、中学校を通して、障害のあることは人として一つも恥ずかしいことではない。その自信と安心を、小学校中学校の教育とそこで共に学ぶ仲間が、教えてくれた大切な財産であり、最高の教育の結果だと言えます。
0点でも高校へ。
いまの日本の現実の教育制度の中で、こんな素敵な言葉はありません。

コメント一覧

ai
また、泣いちゃったよー。
y.k
『0点でも高校へ』理解した大人たちから声を上げて繋がっていく必要を強く感じます。

困って、立ち尽くしている子ども(親子)の手をとり、『大丈夫だよ。』と一緒に歩める大人でありたい、そう、思います。



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