「障害児の高校進学を実現する全国交流集会」を支えてくれた新潟の皆さんへ
9日、10日と、充実した時間と出会いの場を準備していただき、ありがとうございました。
このブログで紹介しているたくさんの「有名」人たちが、ふつうに会場のあちこちにいる風景は、思い出しただけで、なんだかうれしくなります。アカデミー賞会場にまぎれこんだファンのような感じと言えばいいでしょうか。
土本さんの話を聞けたのは、うれしかったです。わたしもブログで紹介してきましたが、土本さんが語る生の言葉は、伝わってくる中身も迫力も格段に違いました。
「わたしたちのことを決めるときには、わたしたちのことばを聞いてほしい」
「じぶんたちの気持ちは、じぶんたちで言わなきゃいけない」
「誰のための制度なのか。」
「誰のための学校なのか」
何度も読み、人にも伝えてきたつもりの言葉が、「ああ、私には少しも伝え切れてなかったな」と分かりました。一言一言に込められた重みがまったく違うのです。「ことば」は、やはり生き物だと思いました。テレビで見るゴジラと、本物のゴジラくらい違います。(まだ本物のゴジラは見たことがありませんが…。きっとそれくらい違います。)
私がブログで勝手に、言葉を「引用」させてもらっている人たちが他にもたくさんいました。小夜さん。律子さん。真さん。土本さん。安積さん。篠原さん…。
何より、「障害児の高校進学を実現する全国集会」などという、あまりにマイナーな集会を開こうとする人たちが、そこにいてくれること。そこに全国から集まる人がいること。その場所で暮らした二日間は、「0点でも高校」が「ふつう」で、当たり前だという空気があふれていました。
ふだん、私が暮らしている街の空気が、薄く息苦しかったことに、こういう時に気がつきます。私たちが「少数派」で「浮いている」のではなく、いつも暮らしている社会の大多数の人たちがいかに海底に沈んで暮らしているかを、感じられるのでした。私たちが「非常識」だったり、「浮いている」わけではないのです。常識という鎖に縛られている人たちが、その重みで沈んでいるだけなのです。
私たちには「高校は適格者のため」などという鎖はありません。「点数がとれなきゃ、高校生になれない」なんて、了見の狭いケチな鎖はありません。「分からない授業はかわいそう」なんて、人を見下すような、傲慢な鎖は持ちたくありません。
いま、チリのサンホセ鉱山で、68日ぶりの救出作業が始まったというニュースが流れています。二日前には、33人の作業員たちが、救出される順番について、みんな自分が最後に地上に出ると言い張っているとニュースがありました。
日本の高校は、点数が取れる順に、我先にと入って行って、最後に残った「親がいない子ども」や、「親が働けず、生活保護で暮らす家庭の子ども」や、「障害」のために点数をとる競争に初めから参加できない子どもを、一番最後の最後の後回しにしてきました。その上、高校無償化までして、「みんなを救出」するはずが、それでも「定員内不合格」で、地下に置き去りにされた子どもたちを、みんな、忘れてしまっています。
私自身、我先に、35年前に高校に入って、そのまま、いま出会う子どもたちを地下の底に置き去りにしたままなのです。「当事者」とは、いまの子どもたちであると同時に、仲間を、その後も35年間、毎年生まれてきた子どもたちのごく一部を、「救出」できずにいる「私」も「当事者」の一人です。
それでも、「分けない」人たちの集う場所、一緒に過ごす時間、たくさんの出会いのある場所があることに、私たちは希望をみます。そこで過ごした一泊二日の短い時間。でも、その短い時間と出会いが「支えてくれる時間」は決して短くはありません。つらいこと、苦しいこと、うまくいかないことは山ほどあり続けます。子どもを悲しませてしまうことも何度もあり、子どもの当たり前の願いを、かなえてあげられない無力さに、泣きたい日もある。でも、そんなときでも、わたしたちはひとりじゃない、「あなたはひとりじゃない」、って自信を持っていえる。子どもに「わたしは一人ぼっち」だと、「誰ひとり仲間はいない」と、そんな寂しい思いだけはさせなくてすむ。こんな有難いことはないだろうと思います。
集会の中で、新潟で3浪しながらも高校生にしてあげられなかったというお母さんが、申し訳なさそうに話していました。そのなかに、「高校進学を実現することができなかった」、「希望を失くしてしまった」という言葉がありました。その場では発言する機会がありませんでしたが、「それは違うよ」と、大きな声で言いたかったです。3年もがんばって浪人したけれど高校生にしてあげられなかった、運動も元気がなくなってしまったと。でも、それを負けてしまったかのように感じることは一つもないと思うのです。
高校の壁を崩せなかったことは、その子を支える取り組みが負けたこととは違います。その子のなかに「高校生になれなかった寂しさ」があったとしても、それよりも、3年間浪人している間に、どれほど暖かな人たちの応援する思いに囲まれて過ごしたことか、その体験と記憶は、なにより、その子にとって一生の人生を支える大事な記憶になると、私は思います。
高校に行きたいという子どもを応援するのは、その子に「障害」があるからではありません。すべての子どもに、水と食べ物と着るもの、そして安心して眠れる家が必要なように、同じ時代に子どもであることを生きる仲間や友達は不可欠なものです。99%の子どもが「高校生」を通過することがあたりまえの社会で、子どもが「行きたい」といえば、それは「水が飲みたい」と同じことだと、私は思うのです。
ここは砂漠じゃないから、水がないわけじゃない。この国には、学級や学校を減らすほど高校もある。お金の心配もしなくていい。授業料は外国の子どもの分までも無償化なのです。普通学級の10倍も教育費のかかる「特別支援学校」も、高校は「希望者全入」なのです。普通学級で小中学校を過ごしてきた「障害児」が、「普通高校に入れない」という制度が間違っているのです。
ここで、子どもを応援すること。それは、子どもの当たり前の人権を守ることであり、子どもの人生を、希望を、応援することです。だから、浪人することを応援するのは、短い期間でみれば、「子どもが高校生になる」ことを応援していることになります。それに間違いはないのだけれど、その「期間」を子どもの人生にまで広げれば、子どもの人生を応援しているのです。
あなたの希望する道をあきらめずに、かなわない夢や希望があっても、あきらめなくていい。たとえかなわない願いがあっても、夢見ることを忘れないでほしい。希望をもつことをあきらめないでほしい。人生に、仲間に、人間に、ずっと希望を持って生き続けてほしいと応援することです。だから、3年浪人していることを応援された子どもが、たとえ、高校生になれなかったとしても、次の人生の希望を、夢をみる力を、人間を信じる力をきっと受け取ってくれているのだと思うのです。
いま、この社会で、どの県にすんでいようが、どの地域にすんでいようが、点数で子どもが分けられ、高校に入れない子どもがいる社会で、でも、この子どもたちはこの社会で生きていくのだから、高校に入ることよりも、大事なことがあると、そう信じて堂々と「負け戦」を闘うことも大事なことだと思います。「負け戦」に喜んで集まってくる仲間がいることは、なによりの希望につながると、私は思います。
その子は、もうすっかり大人になっているでしょう。そこで改めて、長い人生として考えれば、「3年間の高校生活」が長い人生を彩り支えるように、微塵も理解のない県で、素手でゴジラに立ち向かうような戦いを、本気で取り組み、支えてくれた人たちの思いを肌で感じる3年間は、けっして「高校生としての3年間」にひけをとるわけがありません。わたしはそう思います。
3年やったけど、だめだった。3年やったけど、結果が出なかった。運動も元気がなくなってしまった。希望もつぶしてしまった。そんなことは絶対にありません。その証拠が、今回の集会でした。その3年間を支えた人たちが、この集会を支えているのですから、希望は希望のままそこにあります。揺るがない思い、子どもたちを信じる思いは、揺るがずにそこにあります。
私は、新潟で、あらためて希望をもらって帰ってきました。
ありがとうございました。
(チリでは、もうすぐ、9月14日に生まれたエスペランサちゃんが、お父さんに会えるのですね。)
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