ワニなつノート

エピソード3

エピソード3


ホームに「次女」が来てくれて1週間。
昨日は、長女・次女と、私たちでカラオケに行きました。

1970年代の歌と、2010年代の歌。
考えてみれば、私が子どものころに「軍歌」を耳にするより、さらに「古い」時代なんだな~と、そんなことを考えていました。
娘たちは、時折そんな古い歌が流れてしまうカラオケルームで、楽しそうにつきあってくれました。

私は初めて耳にする歌の歌詞を聞きながら、この子たちも、10年後、30年後、いま歌っているこの歌の中に、いまを生きている感情や気持ちをタイムマシンみたいにつめこんで、いつかこの歌を歌いながら、今日のことを思い出してくれるのかなと、そんなふうに思いました。

…そう思いながら、なぜか今まで出会った子どもたちの顔が走馬灯のように浮かんできました。
初めて小学校に勤めたときに出会った子たち。アキやカオリは、この娘たちの親の年代だなーとか。定時制高校で、初めて出会った自立援助ホームの子。中学や、保護所で出会った子どもたちの顔が、なぜか次々と浮かびました。

いまこれを書きながら、杉並の事件のことが浮かびます。
新聞に出ていた里親である容疑者の言葉。

「里子と向き合っていると、いろんなものが見えなくなっていく」

私は20代のころから、ずっと、そういう感じを持ちながら、来たような気がしました。

「いろんなものが見えてくる」と「いろんなものが見えなくなっていく」は、同じことなんじゃないかと思うのです。

私一人だったら、「見えなくなっていった」だろう、多くの子どもたちのことが、石川先生や伊部さんや小夜さん、律子さんたちのおかげで、かろうじて私にも「見える」ことができてきたのだと思います。
康司やたっくんや、朝子やhideのおかげで、私は、どれほど、遠い場所の風景をみれるここまで来たのだったか。

その容疑者の言葉に、いろんなことを考えています。
「見えなくなっていったもの…」がなんだったのか。
見えなくなっていったものの代わりに、目に映っていたものを、どうして見なかったのだろうか。

できることならば、そんなことを、話し込んでみたい、気持ちが、あります。
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