ワニなつノート

『母よ!殺すな』を読む (1)



≪脳性マヒとして生きる≫    (1972年)


【私達が、自己主張するには先ずその自己がなければなりません。
そういえば、私達は今まで自己というものを持っていたでしょうか。
体はわるくても心は美しくとか、
心まで障害者にならないようにというように、
心と体を分断するような教育をされてきた私達の意識は
全く自己喪失であったということに気がつきました。】

【私達は、養護学校、補導所などの障害児(者)施設において
他人の二倍も三倍も努力して健全者に追いつけと教育されてきました。…】

【障害者運動が今、いろいろな形で行われております。
自動車の運転免許に関して不当な差別とたたかうとか、
奪われた教育権を勝ち取ろうとか、就職に際して差別するなとか、
さまざまであります。…】

【しかし、私は今までいろいろな運動をしてきた結果それだけではいけない、
それが全てであってはいけないということに気がつきました。
それはどういうことかといいますと自動車の免許の問題にしても、
教育権の問題にしてもそれは人並みにということを目指している。
つまり健全者に近づきたいという精神構造から
抜け出していないように思われるからです。】

【私達障害者の間でどうしたら理解して貰えるかとか、
そんなこといったら理解して貰えなくなるとかいう言葉をよく聞くのですが、
これ程主体性のない生き方があるでしょうか。
大体この世において四六時中理解して貰おうと思いながら
生きている人がいるでしょうか。

小説家にしろ彫刻家あるいは絵かきにしろ
それぞれの分野で自分の世界をつくっております。
それは理解して貰うというよりもその作品をもって己を世に問う、
あるいは強烈な自己主張をたたきつけるということではないでしょうか。

私達脳性マヒ者には、
他の人にない独特のものがあることに気づかなければなりません。
そして、その独特な考え方なり物の見方なりを集積して
そこに私達の世界をつくり世に問うことができたならば、
これこそ本当の自己主張ではないでしょうか。】



『母よ!殺すな』は、1975年に出版された横塚晃一さんの本です。
長い間、絶版で手にはいりにくかったのですが、
去年、生活書院から復刊されました。
ついうれしくなってもう一冊買ってしまいました。

復刊を機に、いまゆっくり読み返しています。
初めて読んだのは、30年近く前になります。
そのころは分からなかっただろうことが、
いまようやくわかるような気がしています。

上記の部分を読んで、書きかけのままでいた
『手をかすように知恵をかすこと・Ⅲ』を書けるような気がしました。
そのメモだけを記します。

☆     ☆     ☆

手をかして、知恵をかして、
そうして私たちは何がしたいのか?
「人並みに扱ってあげる」がしたいんじゃない。
「理解してあげる」がしたいんじゃない。

「では、何を…」と考えてきた。
その答えが、ここに書いてあった。
30年近く前、初めてこの本を読んだときには全く気づかなかったこと。

子どもたちの本当の自己主張を聞きたいのだ。
どうしたらこの子を「理解してあげられるか」、ではなく、
この子の自己主張を聞きたいのだ。

だから、「手をかすように知恵をかすこと」は、
この子たちを助けてあげる手段ではなく、
この子の声を聞くために、
私たちに残された大切なコミュニケーションの一つなのだ。

こんなことに気づくのに何十年とかかる私は、
いつも大切なことに遅れて気づく。





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