ワニなつノート

きょうだいも「二隻の舟」だから




きょうだいも「二隻の舟」だから



《Mちゃんのこと》


Mちゃんは、おとといの県教委への抗議に参加した。

受験の介助を「県教委の職員3人で行う」という決定に対する抗議だ。

春君は去年、中学校の担任の介助を受けて受検したが、定員内で入学を拒否された。中学校の校長先生も「線を引いてはいけない」と首を傾げた。


一年浪人しての、今年の受検。


「卒業生の受検介助に中学校の先生が入ってよいという県教委の許可が出ればいいのだけれど」という中学校長の願いに反して、県教委は認めなかった。

「中学校教員が介助に入ることを公平でないという声もある」という。

そして県教委の職員が介助に入るという。



しかし、ただでさえ緊張する受検に、介助者まで見知らぬ職員というのは、差別そのもの。

せめて、本人が安心できる介助者一人を加えてほしいと要望していたが、それすらも拒否された。


ふつうに考えて、「介助」が必要な障害児者に対して、本人が希望する介助者を認めず、見知らぬ職員をつければいいという決定を、「合理的配慮」と言えるのか。それこそが、差別そのものだ。


試験前日の午後。川本さん、大野さん、林さんとMちゃんで県教委へ。抗議2時間。

大野さんは午前中、ゆうきくんの卒業式を終えてから直行。林さんも、Mちゃんと一緒に直行。


Mちゃんは「泣きながら」抗議に参加。

言葉でなく、「いること」で抗議に参加。

たぶん、彼女が「いること」が、川本さんや大野さんを支える一番の力だっただろう。

県教委の決定をくつがえし、川本さんが「身体介助」として入ることが許可された。


入試前日に、県教委の「受検介助の基本的な間違い=合理的配慮の認識の間違い」を正すことができたのは大きい。




本人が安心できる人が「介助」に入れないとはどういうことか。

林さんとMちゃんにとって、お姉ちゃんの受検時には、命に関わることだ。

命を守れない人間が何人来ようが、受検にならない。配慮にはならない。

受検の前日に、そのことを覆したこと。それは、春くんの受検とともに、来年お姉ちゃんが受験する時の最大の支えとなるだろう。



私は、Mちゃんに会ったことはない。去年、林さんに会ったときは、まだお腹の中にいた。

いまは6カ月くらいか(>_<)


県教委の廊下で、「泣きながら」親の思いの隣にいたことを、彼女は覚えていないだろう。

でも、彼女はこの親のもとで育ち、成長していく。お姉ちゃんが医療的ケアを必要とする「障害児」であることは、彼女の生きる支えになることはあっても、トラウマになることはない。




受検の日の朝、歌いながら兄を送り出す沖縄の妹たちも。

ゆうきくんの妹さんのことばも。
「ゆうくんが合格しないわけないじゃん。だって、ゆうくんほど勉強好きな子っていないよ。わたしは勉強大嫌いだけど、ゆうくんは本当に勉強が大好きだもん。世界でも3本の指に入るぐらいだよ。きっと(^^) 」


私の出会ったきょうだいは、親の思いを、この世の誰よりも深く重く肌で知っている。


「きょうだい」。それは、古い時代の私たちが「支援」してあげる存在などではない。
私たちが、気づくことのできなかった「新しいつながりがあること」を教えてくれる存在なのだ。
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