ワニなつノート

《当事者開拓》(メモ1)

《当事者開拓》(メモ1)

《hideややっちゃんがしてきたこと》



(・o・)まとめてる時間がないのですが、このメモは自分でも面白いので、とりあえずブログに入れてみます。


(156)『世界や自己のイメージを共有すること』
当事者研究では、多数派の世界では「ないこと」になっている現象に対して、新しい言葉や概念を作ることをとおして、仲間と世界を共有する。そして、そういった世界の共有だけで解決することは多いのだということに気づかされていく。

たとえば綾屋も、…「今、自分がとてもさみしい気分で耐えられない」といったネガティブな話は他者に話してはいけないものだという規範のなかで生き、それを疑っていなかった。
……今はネガティブな発言を制限されない。「さみしい」と言えば、「どんなふうにさみしいの?」「ああ、それはわかる」「そうだね、そういう時ってさみしいよね」とさみしさが共有される。それだけで、あんなに苦しんださみしさが消えるのだと知った。
自分に起きていることに対して、何か具体的な対処やケアが必要だったわけではなく、共有されることが解決法になるという局面が実は案外多い。


『つながりの作法』綾屋紗月・熊谷晋一郎 NHK出版


上記のページを読んで、ふとカルタを思い出しました。

【り】理解はこの子がつくるもの
【り】理解が後からついてくる


この二つのカルタの意味は、今まで普通学級でがんばって「適応行動」を手探りで実践してきた子どもたちが、何をしていたかのかとうことでした。

それは、やはり「当事者研究」そのものでした。べてるで「当事者研究」を行っているのは、仲間の手を知恵をかりながら、「言葉」で「研究」できる人たちでした。
でも、普通学級の子どもたちは、言葉がない子だったり、まだ6歳でうまく自分の行動の意味を言葉にできない子どもです。だから、子どもたちは「研究」ではなく、最初から体当たりで「実践」してきたのでした。「当事者研究」ではなく、「当事者開拓」でした。

たった6歳で、この社会の「理解遅れ」のなか、「子ども対応能力」の偏った先生や、そもそも能力のない先生たちを相手に、「自分の生き方」を貫いてきました。
「無力」さの力で。
「こだわり」の力で。
「そうとしか生きられないギリギリの、生きるための闘い」の力で。

学校の先生や専門家からは「問題行動」とよばれる行動が、実は子どもたち一人一人が必死に「適応」するための「適応行動」だったということを、私たちが「理解」するのは、いつも、ずいぶん後になってからでした。

「理解の遅れ」
それは、いったい、誰のことを指す言葉だったか。

たった6歳の子どもを、よってたかって、「今まで障害者を差別し排除してきた社会の常識」に「適応」させようというのが無茶なのだ。そもそも今の学校の価値、40人の一斉授業、そうした「教育」方法は、「障害児」の存在をまったく「考えも」しないで、作られてきた、「教育方法」「教育評価」「教育哲学」だった。だから、そこでの「自己評価」とは、「人より優れたものがある」「ちゃんとできること」といった物しかないと、本気で信じている。

「れ」「0点でも送れる豊かな学校生活」
このことわざの世界を、知らないのだから仕方ない。

「問題行動」をする子どもたちを、「分離」し、「個別指導」し、「特別支援」して「あげよう」とするより、もっとも「有効」な「もの」は、「多数派の学校では、「ないこと」「いないこと」にされてきた、子どもたちの存在、そこで「起こる問題」、(それは子どもだけのせいでなく、そうした子どもの行動をふつうに受けとめる経験のない学校のせいでもあった)
それを、その学校の中に、「いるだけ」で新しい「適応行動」「探検」「開拓」「適応」といった「毎日の繰り返し」のなかで、仲間と世界を共有すること、当たり前に、日常にその子のいる学校・学級を共有するだけで「解決」することの、いかに多いことか。

だから、「いるだけでいい」という言葉が、投げやりでもなく、あきらめにも聞こえないところがあったのだ。

生まれてたった6年ちょっとの、しかも「障害」によって、「みること」「きくこと」「感じ取ること」「意味を探ること」そうしたことにハンディを持っている子どもに、「何か具体的な対処、教授法、ケア、が必要だった訳でもなく、もちろん有効なことなどなく、ただ「共有」されることがもっとも「有効」な、「解決法」だったということ。

子どもひとりの「障害」をどうケアするか・・・と。
この子が、どう「ケア」(援助)されたいか・・・と。
私たちが、この子のいる社会を、どう共有できるか。
すべて、子ども個人のせいにするなよな。お前の問題だろ。
コミュニケーションの前のコミュニオンがない、それは、この子のせいじゃない。私(たち)の問題。

あげたいものは、ありったけの「ありふれた自信」
生まれてきたこと、ここにいること、仲間と同じただの子どもであること、
そんなことに、なくす自信など、ないくらいの「子ども世界」を、私たちは作りたい。

         ◇

「問題行動」をする子どもたちを、「分離」し、「個別指導」し、「特別支援」して「あげよう」とする専門家たちは、その中身が、少しも普通学級での「適応行動」にはつながらないことを知っているはずです。そこで教える、「適応」や「自信」にみえるもの。それは、あくまでも、「特別支援」の枠の中。「分けられた場所」のなかでの話です。

集団の中で奪われた自信(失った自信)、それは、集団の中で取り戻してこそ、「支援」といえます。「特別支援の枠のなか」「分けられた少数の場」そこで「取り戻した自信」は、また「途中経過」です。それを、どう、その子が本来いた「集団」につなげるのか。
その「手だて」を、「特殊教育」も「特別支援教育」も、持とうとはしませんでした。

その結果が、特別支援学校高等部を卒業した子どもたちの、作業所と在宅と、超低レベルの法定雇用率の数字です。全国の教育委員会が、もっとも障害者雇用が遅れているのが、「特別支援教育」に確かに足りないものを表しています。
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